ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

今冬も右脚ふくらはぎに痛みが…

2017-01-31 20:51:37 | RUN
いたたたた…。
ツンとした痛みが来た。
日曜日、天気も回復していたから、午後から走ることにした。
雪が降って、歩道の除雪も完全ではないが、走れるところはたくさんあると最近は知ったのである。
除雪してある道路で、交通量が少ない道を探せばよいのだ。
そうすれば、歩道でなくとも結構安全なのである。
郊外から住宅街につながる道がある。
おっ、ここはいい。
往復していけば、相当な距離が走れるなあ、これはいいや。
合計2キロほど走って、まさにそう思った時だった。
右脚のふくらはぎ上部に、鋭い痛みを感じた。
ツン!
いたたたた…。

それ以降は、歩くことはできても、走ると痛くてだめだった。
肉離れのような感じ。
ハムストリングを痛めた時と感じが似ている。
うーん。今年も冬にふくらはぎが痛くなってしまった。
去年と同じだ。
ふくらはぎサポーターをしていたのに、効き目がなかった。
とても残念、悔しいなあ。
ストレッチもそれなりにしてから出たのになあ。

…ということで、この2日間、普通に歩けるけど階段下りは違和感があったりする。
医者に行くほどではあるまい。
しばらくは安静にしてみるけど、もう体はガタが来ていて走るのが限界なのかなあ…とも悲観的になっている私なのであった。

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「手紙」のうた~②アイドルたちの名曲

2017-01-29 20:30:16 | うた
さて、手紙をテーマにした歌について書くと言いながら、ずっと間が空いてしまった。

1970年代のアイドルと言われる女の子が歌っていた歌には、手紙のやりとりが歌われていた有名な曲が、3つほど思い浮かぶ。
若い二人が離れて暮らすようになり、自分が相手に対してもっている恋心を相手も持ち続けているのだろうか、という不安感をもっている歌たちである。

1つ目は、大ヒットし、松本隆作詞、筒美京平作曲で太田裕美の代表曲になった歌。

今でもたくさんの人に歌われている、「木綿のハンカチーフ」。
都会に出た男の子と、故郷に残った女の子のかけ合いの歌になっていて、あの頃は非常に新鮮に感じられたものだった。
作詞家としての松本隆の名前も高まった歌である。
1976年の初めころに流行していた。
同じころ、「およげ!たいやきくん」が大ヒットしていたのも懐かしい。
その頃の私は、自宅浪人生の受験生。
こういう歌の女の子は可愛くていいなあ、と思っていたのであった。

2つ目は、1973年の「みずいろの手紙」。

あべ静江のデビューから2曲目の曲だった。
曲の冒頭で、「お元気ですか? そして今でも愛していると、言って下さいますか?」というセリフが入っているのが、とても心をくすぐるのだった。

「お元気ですか」といえば、3つ目が、1977年に、「スター誕生」を経てデビューした清水由貴子の「お元気ですか」。

「お元気ですか 幸せですか」と語りかけるように歌い始める1番の歌詞。
でも、2番には、「だけど私は ちょっぴり不幸」と歌う。
手紙が来ないので、不幸だという訳だ。
清水由貴子さんは、8年ほど前早逝してしまったのだった。

この「みずいろの手紙」と「お元気ですか」は、前後で4年の間が空くのだが、面白いことに、どちらも、阿久悠作詞、三木たかし作曲となっている。
アイドルの歌を作るのに、詞をかく人も曲を作る人も、売れっ子の人は忙しくてきっと大変だった時代だろうと思う。

そんな時代から、はや40年。
時代がすっかり変わった。
SNSが発達している現在では、手紙で思いのやりとりをする時のドキドキ感というのはなかなかないのだろうなあと思う。
私たちが若かりし頃は、遠く離れた場合は、何と言っても手紙だった。
電話で声を聴きたいという願いはあったが、なかなかかなわないことであった。
通話料は結構高価であったし、こちらが仮に公衆電話からかけていても、相手の方は固定電話であったから、周囲に気づかいしながら話すことが必要であった。
だから、自分の思いを伝えるためには、必然的に手紙という手段を取らざるを得なかった。
ところが、手紙は相手に届くまでも時間がかかるし、相手から返事が返ってくるまでも時間がかかる。
不安な気持ちを増長することが多かったから、相手から返事の手紙が返ってきたとき、開封するときのドキドキ感は半端ではなかった。
そんなときめいた経験を有することができたあの時代の私たちの方が、喜びも悲しみも、今の若者たちよりずっと濃く味わえたのではないかなあ、などとも考えてしまうのである。
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うれしい言葉をいただいて

2017-01-28 22:50:20 | 生き方
定年退職まで残りおよそ2か月となってきた。
会った人が、そのことを知って惜しんでくれる言葉をいただくことは、うれしいと思う。
おおかたは外交辞令かもしれない、と知りながら、聞いてはいる。
が、その言葉をくれた人が、こういうことがああいうことが、とその証拠を示すように話してくれると、真実味が増してうれしさが増す。
やはり人は、人からの評価に喜んだり肩を落としたりするものだな、と改めて思う。

よく、「世のため人のため」と言う。
私利私欲のためではなく行うことが大切だということだ。
このとおりで、結局自分が評価されるのは、世のため人のためになることを実践してきたから、ということが多い。
これを積み重ねていると、「情けは人のためならず」ということが事実だなあと感じる。
それだけではなく、そういう言葉をかけてくださる方々が、よく見ていてくださったのだなあと思う。
ということは、それらの方々が、私のことを陰ながら支えていてくださったということである。

今日の研修会後にあった懇親会でも、私の考えや行動を支持していてくださった方が多くいたことに気付かされた。
私自身は微力であっても、思いを一にするこういう方々の働きによって、様々な成果が生まれ、効果が高まっていく。
それを実感できている現状は、きわめて幸せなことだと思うのである。
さて、あと2か月余り、世のため人のために働くことにしよう。
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雪の毎日

2017-01-25 21:52:21 | 新潟
日本各地で豪雪のニュースが入ってきている。
翌朝までの降雪・積雪予想を聞くと、いつもその1位が新潟県と表示されていた。
幸い、新潟県内でも、自分の住むところは、その予報ほどの降雪・積雪はない。
そこは、ラッキーだと思う。
昨日の鳥取県など中国地方の雪の災害のニュースは、こちらでは聞かれなかった。

そのように言っていても、毎日雪が降っていることには変わりがない。
新潟県の平野部に住む私にとっては、山間部と比べて雪の被害は少ないはずなのだ。

だが、今回の雪は、交通などに多少の影響を及ぼしている。
一気に大量の雪が降ったが、公的なその除雪の仕方がよろしくないのだ。
こちらでは、道路に消雪パイプという仕組みが備わっているところが少なくない。
地下水などを道路に噴出させて、路上の雪をとかす仕組みなのだ。

それはよいのだが、一気に多くの雪が降ると、路上にとかしきれない雪が残ってしまう。
そうすると、除雪車が頼りなのだが、消雪パイプが通っている道は、除雪車で除雪しない決まりになっているのだ。
だから、結構たくさん車が通る道でも、両脇に相当な量の雪が高くなっているのである。
そのために、道幅は狭くなり、右折しようとする車でもいようものなら、後続車はずっとつながってしまうのだ。
渋滞を招いてしまうのだ。

今の雪は、こうして、人々を困らせている。

もっとも、路地にあるわが家は今は普通に毎日雪が降るために、除雪車が通ればもちろん、通らなくても毎日のように除雪の必要がある。
だから、毎日妻と娘が除雪にがんばっている。
負担にならないように、妻が気づかいながら、娘にもさせている。
汗をかくほどの運動量になっている。

ようやく少し寒波が弱まるようだ。
最厳寒期を迎えている新潟。
雪のある冬の毎日である。
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「手紙」のうた~①「手紙」(本田路津子)

2017-01-22 22:25:41 | うた


いつか二人が年老いてしまって 時計の針も見えなくなる頃
もう一度読んでみたい あなたへあてた手紙
もう一度読んでみたい あなたへあてた手紙

一つ残らず嫁いでゆく時 海越え届いた手紙をもってゆこう
愛の言葉あふれる あなたがくれた手紙
愛の言葉あふれる あなたがくれた手紙

窓辺にうつる夕日を なつかしく思う時がくる
その時子どもたちが愛に苦しむ時だったら 
読ませてあげたい 私たちの手紙
読ませてあげたい 私たちの手紙

ただひたすらに生きてる今 時計の音が耳もとをすぎる
ペンを走らせるのは あなたへ届く手紙
ペンを走らせるのは あなたへ届く手紙


これは、かつて本田路津子さんが歌った「手紙」という歌。
自身の作詞で、チューリップの財津和夫さんが曲をつけている。
1975年に出たから、もう40年以上も前の歌だ。
学生の頃、なんとなくいい歌だなと思ったから、45回転のEPレコードを買って持っていたのだった。
この歌をレコードから録音し直して、また聴くようになった。」

前回、浜田省吾の歌った「てがみ」という歌を載せたが、本田路津子さんのこの「手紙」も、最近自分で改めてよく聴いている。
それは、この歌の始まりにある、「いつか二人が年老いてしまって 時計の針も見えなくなる頃」に自分が近づいているからかもしれない。
でも、ここに至るまで、「ただひたすらに生きてる今 時計の音が耳もとをすぎる」という瞬間、瞬間を重ねてきたことは、間違いない。
だから、きっとこの穏やかなメロディーが、透明度の高い本田路津子さんの声でいっそう引き立ち、繰り返し聴きたくなるのだろう。

携帯、スマホ、ライン…いつでも連絡ができる今の時代。
現代では、手紙なんて書く機会が本当に少ないだろうなあ、と思う。
それがなかった時代は、手紙に関するいい歌がいろいろあったなあ、とも思う。
自分がレコードやCDで持っている、手紙に関する歌について、何回か書いてみたい。
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てがみ feat.浜田省吾

2017-01-21 11:16:47 | うた

何年か前、中古CDショップで、「Fairlife」というグループの「みちくさ日和」というアルバムを買ったことがあった。
もう7年も前に出たCDではある。
1曲1曲が比較的短く、たわいもない日常を描いたりしていて、肩の力を抜いて、気持ちよく聴いていると、あっという間に終わってしまう。

改めて聴いてみると、最後の「てがみ」という歌が心に残る。
この曲は、「feat.浜田省吾」が歌っているのだが、独り言のようにゆったりと語りかけるように歌われている。
春嵐という人の作詞で、こんな歌詞で始まる。


しあわせに暮らしているのですか? あなたは今
愛する人と出会い にこやかに生きていますか?


そうだよなあ、こんな気持ちになる時があるよなあ…と思う。
この歌は、かつて愛し今は別れている人を思う歌である。
人はそれぞれ思い出に残り、どうしているかなあという人がいるものだ。


後半部分にも、心に感じる歌詞がある。


しあわせに暮らしているのですか? あなたは今
大切な家族を愛しながら 生きていますか?

一日に一度は 声を出して 歌ってますか?
誰かと手をつなぎ 夕暮れの道 歩いてますか?


誰かと手をつなぐ、その相手は夫かもしれないし、子どもかもしれない。
今の自分とは全く違うところで生きている人を思う。
自分とかかわったことのある、懐かしい思い出のある人を思う。
その相手は、性別を問わず、今はどこにいるのかわからない人もいる…。
こんな瞬間は、きっと誰にでもあるのではないかな。
この歌を聴いて、そんなことを思った。


冒頭の歌い出しのフレーズが、耳に残る。
そして、皆、同じ空の下、今を懸命に生きているに違いない。
それぞれの人の幸福を祈る。



しあわせに暮らしているのですか? あなたは今


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突然の豪雪

2017-01-14 19:18:34 | 新潟
昨日一日雪が降り続いた。
だから、朝・午後と2回も除雪車が出た。
朝も午後も、私ではなく妻と娘が、しかも娘が中心となって除雪したのだそうだ。

昨夜は金曜日の夜、私は、飲み会付きの研修会もあったのだった。
その会場は、幸い自宅から1.5kmほどのところで、歩いて20分程度で着くところのはずだったのだ。
しかし、この日の雪は、そこまでの道を簡単でない道に変えていた。
車道は、多くの車が行き交っているので、車の通行は可能になっていた。
ところが、歩道は人がそんなに頻繁に通らない。
だから、歩道は50cmくらいの積雪の中、何分かに一度人が通っただけの細い道の跡があるだけだった。
しかも、すぐにまた雪は降り積もり、私の足跡も隠していく。
ふうふう言いながら、予定よりたくさんの時間と体力を使って、会場になんとか着くことができた。
ここに集まった人たちも、きっと大変な思いをして着いたことだろう。
研修会と飲み会は、雪のため予定より1時間近く早くお開きとなった。
飲み会を終えて、帰る歩道は、来た時以上に細く、そして踏み込むと深く沈み込む雪に悩まされる場所となっていた。

この日、新潟に勤めている息子は、JRが雪のため電車が動かなくなり、なんとか帰って来たのは、いつもより3時間遅い夜10時15分頃であった。

翌朝、つまり今日は、早朝行き来する地響きで除雪車が来たとわかった。
休日で助かったなあ…と思いつつ。

雨戸を開けてみると、屋根には大量の雪が積もっていた。


玄関から外に出ると、目の前に雪の塊が。

これは、車。
その屋根の上にも50cm以上の雪が積もっていた。

屋根にせり出した雪庇どうしがもうぶつかりそうになっている。

今朝までに積もった雪の量は、平野部のこの辺でも1m近くになっていた。


車庫前は、車が出られない大きな壁になっていた。

仕方がない、除雪作業をがんばろう。

除雪を始めたら、運動不足の解消にと娘も出てきた。
無理がなければ大丈夫だろう、ということで車の屋根の雪落としや、スノーダンプによる雪運びを頼んだ。


2人で小1時間かかって車庫前と玄関前と車の上の除雪を行った。



今日は、その後の雪の降り方はさほどひどくはない1日だった。
寒さは、真冬日だったかもしれないほど冷えてはいたが。
しかし、予報によるとまだ予断は許さないようだ。
一昨日までは全く積雪がなかったのに、今は1m近くの積雪。
寒波はまだ続くようだ。
これも新潟の冬だなあ、と思ったしだいである。
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16kmのRUN

2017-01-09 21:59:39 | RUN
今冬は、ひどい雪はまだ1度降っただけ。
だから、走ろうと思えばもっと走れたはず。
なのに、元旦マラソンを走って以来、全く走っていない。
昨日も一昨日も走るのに絶好の天気だったのだが,酒を飲む会に参加となり、…。
今日は、朝から雨が降ったりやんだり。
それが3時半を過ぎると、陽射しも見えた。

走りに行こう!…という気分になった。
久々に長い距離を走りたくて、サイクリングロードへ。
くもり空ではあったが、東には月も見えていた。
気持ちよく5分30秒くらいで16kmを走れれば、と思いながら走る。

ここのところ走ると痛むふくらはぎは、今日も折り返す8kmが近づくあたりから気になるようになった。
痛むのは仕方ないので、あまり足に力を入れないようにしながら腕の力で進むようにと、腕ふりを意識して後半は走ることにした。
今日は、走るのが久しぶりのせいか、苦しいとは思わずに1kmを5分30~40秒で走れていた。

ところが、帰り道である西の空には、暗い雲が広がってきていた。
雲の広がりとともに、風も向かい風となって吹いてきていた。
ポツポツと水滴が落ちてきたと思ったら、帰り道は残り4kmから完全に雨。
でも、かえってふくらはぎを気にせず、雨に負けずに走ることができた。
なんと、家に着いたとたんに雨は大粒となり、風も強くなってきた。
ラッキーだった!?

16.1kmを1時間29分と3秒。
気持ちよく走って来れた。

それにしても、意を決して10kmのロードレースに参加を決めたのは8年前だった。
それが、今は、「ちょっと16kmを走ってくるか。」というくらいになっている。
人間、可能性を広げるって大切なことだなあと思う。

やっぱり走るのはいいなあ。
今年も、週に1度は走っていたいなあ、と思ったのであった。

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30年前の子どもたちとの同級会

2017-01-08 22:49:22 | 「育」業
もうすぐ定年退職だということもあって、昔の教え子が同級会を開いてくれた。
私と隣のクラス担任だった方を招いてくれた。
昭和から平成に変わる時の時の子どもたちだ。
彼らは、今年一般に40歳を迎える。
2つのクラスで50人ほどいたのだが、今日集まったのは10人ほどで、どういう訳かすべて男性だった。

あの頃は、小学校でも毎日部活動を行っていた。
今となっては信じられないが、あの頃は、県内では多くの小学校では、放課後に部活動をやるのが当たり前だった。
といっても、だいたいは野球、ミニバスケットボール、あるいは水泳などのスポーツが中心で、大きい学校だと合奏や合唱などもやっていたりした。
今回集まった人たちが小学校5,6年生の頃、私は、毎日野球部の活動の指導を行っていた。
毎日野球をやっていたが、この学年の子どもたちにはスーパースターはいなかった。
つまり運動能力の高い子はいなかったのだ。
だけど、野球の試合となると、みんなで力を出し合って、どことやっても結構いい試合ができるようになったりしたのだ。
なぜかというと、一人一人の個性をうまく生かせたからだ。
球を取るのはうまいが肩が弱い子を2塁手にしたり。
ランナーになった時に、相手投手がなぜかおちょくられた気分になるような不思議な子がいて、大相のスペシャリストにして起用したり。
練習してもうまくならない子を「お前は、5回振れば1回は当たっていい当たりをする。だから、3回全部思い切り振って来い。ただ5回に1回だから、当たらない時もある。そういう時は、三振しても胸張って帰って来い。」と代打に出したり。
5年生の時は、肥満気味で練習も不真面目だった子が、6年生ではチームの4番を任せ、第2投手として起用できるようにもなった。
練習試合をすると、勝ったり負けたりだったりはしたけれども、それでも大会では前年度優勝チームに勝って3位になった。
この代の子たちは、そういう夢のあるチームだったのだ。
「小学校の時は、本当に野球が楽しかった。」
そう言いながら、酒を酌み交わした。

そして、何よりうれしかったのは、彼らのほとんどがよいオヤジになっていたことだ。
彼らの今の職業は、会社員や自営業であったけれども、皆自分のしていることに自信を持ち、がんばっていることがわかった。
そして、家族に対しても、ただ優しいだけの物わかりのいいオヤジではなく、一家の家長らしい貫録をもっていた。
彼らの子どもたちも、上の子どもたちは高校生や中学生が中心である。
自分の子どもの進路について考える時も、単純に親の考えを優先するのではなく、子どもに本当にどうしたいのか、とことんまで考えさせ決めさせている。よその親が、うちの子はダメだからとか言って、勝手に決めつけているのを見ると腹が立つ。
そんな風に話したのは、小学校時代は、わんぱくで遊んでばかりいた子だ。
言うことに太い芯が通っていた。
その成長ぶりが頼もしかった。

こんなふうに10人と話し、本当に楽しい時間を過ごした。
3時間があっという間に過ぎてしまった。
もう、彼らが中心となる時代だ。
私にとって目指しているのは、「将来の自立」だ。
だからこそ、現在しっかりした社会人となって生きている彼らに会えたのは、最大の喜びであり、うれしかった。


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2017年 幸先よいスタート~村上市元旦マラソン~(2)

2017-01-02 14:45:51 | RUN

今年の富士山くんは速い。
スタートすると、あっという間に、私の前方へ前方へと遠ざかっていった。
去年は、ほとんど同じ速さで走っていたのになあ。
今年の天気は、小雨がポツポツ。雪が降っている訳でも大雨が降っている訳でもない。
かと言って晴れてはいない。でも、走りやすい。
1kmは4分39秒。そんなに速く走っているつもりはないが、気持ちよく速いスピードで走りたい。
2kmあたりから、目の前に走る女性ランナーのスピードがちょうどよく、目安にして付いて行った。
すると、スピードは、1kmあたり4分52秒、4分49秒、4分45秒といい感じで進んだ。
10kmは、5kmのコースを2周する。
1周を終わったところで、さっき会った6年生親子が、「がんばれ!」と声援を送ってくれていた。
うれしくて、思わず左腕を上げた。
目の前の女性ランナーは、手袋をとると、ここで待っていた人にポンと投げ渡した。
すると、軽くなったのかスピードを上げ、私はついていけなくなってしまった。

6km地点では1km5分ジャストとなったが、次の7kmに向かうあたりで、急に少し楽になった。
この後、腕を振ることだけを考えながら進んでいくと、4分53秒、4分51秒で8km、9kmを行くことができた。
残り1kmともなると、後ろからラストスパートをかけて私を抜いていく人がいる。
うらやましくなるが、かまわずにマイペースを貫くことにする。
ただ、腕を振ることだけは思いつつ、ゴールを迎えた。 
記録は、48分と1秒。
おお、なんと10km走の自己最高記録ではないですか。
49分30秒、48分29秒、48分13秒、48分01秒。
過去の覚えているだけの記録と並べてみる。
だんだんよくなってきているではないですか。
入賞したりできる記録とは大きく離れてはいるものの、元旦マラソン自己記録が出せたのはうれしいなあ。
今年は、きっとよい年になるぞ!?


その後ゴールしたSIさんを迎えた。
振舞われている鮭汁を、今年もいただいた。

しかし、鮭のカスも入っていない、ハズレの汁で残念。
鮭汁をすすりながら、SIさんと話した。
やはり今年は走っていなかったのでダメだ、と言っていた。
週に1度新潟市内を走る時には、二つの川に挟まれた、俗に言う「新潟島」を1周するなどの話も聞いた。
ただ、お互いこうして年の初めに元気で走れたことが何よりだね、また次、どこかの大会で会おう、と言って別れた。

車を走らせ帰る時には、すっかり青空になっていた。
レースの時にこんな陽射しだったら暑く感じただろう。
雪ではない元旦。
青空、好記録。
申し込むのを迷った元旦マラソンだったが、出場してよかったなあ、と思いながら家路についた。
2017年元旦、50代最後のレースで納得の走りができ、いいスタートが切れたぞ、と。


【大会要項と記録証がデザインが似せてあり、こっていた】
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