ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

走ると感覚が鋭敏になるような気がする

2011-09-27 18:09:13 | 生き方
自分の中の生き生きした感覚、というものがさすがに50代になると落ちていると感じる。
ものごとの一つ一つに対して、純粋な感覚で受け取れなくなっているというか、新しい発見をした喜びというものがなくなっている。
実は、五感で感じるものを、新鮮に感じ取れなくなっているだけなのかもしれないが。

そんな中で、時々感覚が呼び覚まされたように感じることがある。
それは、どんな時かというと、走っている時、あるいは走り終わった時である。
苦しい中、走っている自分や走り終わった自分の中の、ものごとを感じ取る感覚が研ぎ澄まされているように感じる。
当たり前の物事の見方が、少し変わって見えるのだ。

走りながら、見るものや、考えることなどがある。
走りながらでなければ考えないようなことも、不思議に考えるのである。
走り終わったときは、達成感・充足感があり、非常に心地よい気分になっていて、目に映るものや周囲の景色が新鮮に映るような感じがする。

その感覚が、50代の今は、とても大切なような気がしている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サイクリングロードを10km走る

2011-09-25 22:28:26 | RUN
いつも走っている7kmコースを少し変えて走ってみることにした。
10kmくらい走ってみようかな、と。
サイクリングロードになっている道があるので、そこを走ってみようか、と。
その道を行くと、サイクリングロードなので自転車に乗っている人は、もちろんだが、歩く人あり、
犬を散歩させている人あり。
はたまた、一輪車に乗っている年配の女性までいた。
さすが、人それぞれに楽しみ方はあるものだ。

さて、走り出してみると、すぐに膝や股関節に響くのを感じた。
そんなにスピードを出しているわけでもなんでもないのだが。
理由は、道にあった。
サイクリングロードなのだが、したが石やコンクリートでできている道なのだ。

もったいないと思った。
3kmまでは、100mごとにスタート地点から何kmの標示がある。
どれだけ走ったかわかる。
ちなみに、100mを32,33秒くらい、200mだと70秒くらいかかっていたのがわかった。
そういう意味ではいい道なのだ。
それでも、道の硬さに負けず、10km走ることを目標にした。

夕方の走りなので、うかうかしていると、日が暮れる。
5時半を過ぎ、5kmの標示のあるところまでを目安にして走った。
その標示にタッチして、夕暮れる道をスタート地点目指して走った。

およそ走った時間は1時間と8分あまり。
12,13km走ったのだろう。
左の股関節は痛くなるわ、脚が上がらなくなるわ、であったが、まずは気持ちよく走れた。
ただ、股関節や膝にダメージが大きいので、このコースを走るのはやめることにしよう。
この調子で行くと、今年目標にしている、マラソンのハーフくらいは走れるだろうか?
年齢に伴う肉体のダメージとの戦いだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

またしても、悪夢のロスタイム

2011-09-24 21:33:27 | アルビレックス新潟
またしてもロスタイムの失点。
今季、何度こういうシーンを見たことだろう。
これで7試合連続勝ちなし。
下から、ハーフナー・マイクの甲府が、首位のガンバ大阪に勝って、ついに新潟と勝ち点差2まで迫ってきた。
完全に残留争いに巻き込まれてしまった。

今日のアウエー磐田戦。
危ない場面もなんとか守り切り、今日は引き分けかと思ったら、ロスタイムにポストに当たったはね返りを、決められた。

なぜ、敵のボールはそういうラッキーなところにはね返り、新潟のボールはそうならないのだろう?
不思議でたまらない。
今季はそういうことが多すぎる。

下位にいた浦和が引き分けて、同勝ち点ながら、順位が上に行った。
浦和・新潟・大宮が勝ち点29で並んだ。
すぐ下に勝ち点27で甲府が迫って来た。
まずい!
やばい!
この調子で行くと、甲府には勢いがある。
新潟は、2試合連続無得点。
ブラジル人3トップも、残念ながら、得点につながらなかった。

新潟は、人がいいというか、真面目な選手が多い。
それが、今一つ苦戦につながっているような気がする。
どんな形でもいいから、勝利につなげてほしいのだが…。

テレビで見ていたら、磐田まで行ったサポーターたちは、試合後「アルビレックス、アルビレックス。」と連呼し、今回も励ましていた。
応援する者たちよりも、選手たちの方がつらいはず。
勝利と、残留を切に願う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蔵王エコーラインで出合った花々

2011-09-23 22:41:10 | 草木花
先日、仙台戦に行ったはいいが、仙台市内に宿を見つけることができなかった。
「じゃらん」で見つかったのは、遠刈田温泉の宿。
仙台戦の会場、ユアスタから、56kmもあった。


遠刈田温泉は、仙台や福島方面から蔵王に行く人の通り道。
翌日は、われわれ夫婦も、蔵王エコーラインをドライブして行った。

今回は、もう9月も半ばを過ぎたし、ドライブして通り過ぎるだけのつもりだった。
エコーラインの途中で、「駒草平」なるところを通った。
駒草平、ねえ。
コマクサの花が咲くのは、7月から8月。
今は、季節外れだなあと残念に思った。
しかし、「狂い咲き」しているものがないかなあ、と期待しながらきょろきょろしながら歩いてみた。
すると、あった!
咲いているコマクサが!!!

これは、うれしいことだった。

そして、次に、刈田岳の登山口でも車を止めたら、その道沿いには、たくさんの高山植物を見つけることができた。
シラタマノキの実。
文字通り白い玉の形をした低木の実だ。


エゾシオガマでしょうか?


言わずと知れたオヤマリンドウ。


われわれは、日頃見られない草花に会えれば、それでうれしいという、単純な夫婦である。
楽しい瞬間だった。
道路沿いにそれらの花々が咲いていたのだから。

この後、緑色の水が美しい蔵王の御釜も見ることができた。

あまり会わない山の花々と会えるのは、心が洗われる気がする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

九月を歌うなつかしい歌たち

2011-09-22 20:39:05 | うた
彼岸を迎えた。
9月になってすでに3週間になる。
9月の声を聞いてから、ラジオから太田裕美の「九月の雨」が流れているのを何度か聴いた。
自分が学生時代のころの歌なので、懐かしさをもって、聴いている。

面白いもので、昭和50年代のその頃は、この曲以外にも9月を題名とする歌が多く聴かれたものだった。

・「9月には帰らない」松任谷由実。
アルバム「紅雀」は、物憂げな曲調の歌が多いのだが、その最初に流れる歌。

・「九月の色」は、久保田早紀。
「異邦人」が大ヒットした後の3枚目のシングルとして出された曲。
「雨の歌は 恋の歌 恋の歌は 別れの歌…」と歌い出すテンポのよい曲。
残念ながら、あまりヒットはしなかった。
でも、それが収められているアルバム「サウダーデ」は、とてもすばらしい出来だった。

・「September 9月になれば September 君を思いだす」と歌うのは、チューリップの「セプテンバー」。

・「September」なら、竹内まりや。
「September そしてあなたは September 秋に変わった」という繰り返しが懐かしい。

・佐々木幸男の「セプテンバー・バレンタイン」。
「ひとり歩きに何もいらない 夢だけ食べても 生きてゆける と 精一杯の強がり言って  そんなに悲しいひとみを  誰にむけるつもり(略)September Valentine 嫌いさ こんなさよならはUnhappy Valentine もう後ろは 振り返らないよ」
という歌詞に、へえー、女性から別れを告げるそんな日があるのか、と感心して聴いていたっけ。
この曲は、安部恭弘作曲で、結構いろいろな人がカバーする佳曲。

・題名にないけど、時々フレーズが繰り返して浮かんでくる歌もある。
「ああ はやく 九月になれば ILOVE YOU ILOVE YOU…」
なぜ「早く九月になれば」なのか、なぜ「ILOVE YOU」なのかもわからない、オフコースの「ILOVE YOU」。
でも、この曲には、アルバムに収められたものは、ジョン・レノンの暗殺報道のニュースを入っているので、忘れられないインパクトがあった。


先日の日曜日まで、30度を超える猛暑・残暑だったのに。
翌日から、あっという間に気温が10度以上下がった今週だった。
今日は、冷たい雨の降る一日だった。


September Rain  9月の雨は冷たくて…。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

勝利を見たくて、アウエー仙台戦に行ってみたが…

2011-09-19 20:30:16 | アルビレックス新潟
ここのところ、しばらく新潟が勝つのを見たことがない。
1か月半も勝っていない。
私自身は、山形戦以来なので、もう2か月勝ったのを見ていない。
9月10日、鹿島戦に引き分けた後、次の試合予定を調べてみると、ホームでの残り試合も少なくなっていた。
勝つのを見たい。
9月17日は、アウエー仙台戦。
仙台は、地図検索してみると、山形を経由して200km強。
山形まで国道を行く。
そこから、山形自動車道へ。
村田ジャンクションから、東北自動車道へ。
なるほど。
結構行けそうだ。
あとは、チケットがあるかどうか?
ネットで調べると、チケットは、ビジター自由席は完売。
他の席も、残り少なくなっている模様。
急いでローソンに行き、ビジター指定席ゲット!
ただし、自由席に比べて倍額であった(少々、涙)。


当日は、車で意外に早く仙台到着。
試合までが待ち時間が長かった!!!
仙台をギュウの音も出ないようにしてほしいとの願いを込め、スタジアム内で売っていた牛タン弁当を平らげた。


試合は、いつものことながら、前半はかなり押し気味。
亜土夢のFKなど、迫力満点だった。
対照的に、仙台はほとんどノー・チャンス。

しかし、後半早々のアンデルソンとミシェウの2人で作ったチャンスをものにできないと、一気に流れは仙台に加速する。
ポイントゲッター赤嶺に先制点を決められると、守勢一方。
守備に走った亜土夢の手にボールが当たり、なんとPK献上。
これを梁に決められると、0-2。
はね返す力は、もう新潟には残っていなかった。
惜しいシーンもなかったわけではないが、1点も取れず、試合終了。


試合後半を振り返ってみると、仙台の攻守は、シンプルである。
全員で素早く動き、攻守の切り替えが速い。
一歩が速い。
だから、カウンターがなかなか迫力がある。
新潟は、きれいに展開しようとしすぎている。
相手の守備が整ったところで、攻撃をしかけようとする印象。
特に、攻撃のカギを握るミシェウにボールが渡ると、決定的なパスを出そうと、間をおいてしまう。
ペナルティエリア付近では、特にそうだ。
すると、一歩の足を伸ばす相手チームに、ボールを奪われてしまう。
ボールを奪ったら、なるべく早くゴールに向かってボールを運ぼうとする仙台の攻撃はわかりやすく、怖い。
反対に、新潟の攻撃は、ボールを奪っても、なかなかシュートにいかない。
シュートをうたなくては、点は入らない。
きれいにパスを回さなくても、とにかくゴールに迫るような迫力がほしい。
今の新潟には、大事に行こう行こうとしすぎている。

結局、今回も新潟が勝つのは見られなかった。
仙台くんだりまで行っても、負け試合を見せられ、トホホであった。

多くの新潟のサポーターは、ブーイングと「アルビレックス」の連呼で、選手たちを鼓舞していた。

引き分けもできず、勝ち点も伸ばせなかった。
甲府が勝って、じりじりと差が詰まって来た。
なりふり構わぬ勝利が必要だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヤハズソウ…グラウンドの草地に見つけた

2011-09-15 21:40:12 | 草木花
9月末から10月はじめにかけて、新潟県内では、6年生を対象として親善陸上大会や陸上記録会が行われるところが多い。
ところが、9月になってもこの頃は、残暑が厳しい。
毎日毎日蒸し暑い。
そんな中、毎日のように6年生はグラウンドを走って、大会に備えている。
私も、子どもたちに混じって、グラウンドに出ている。
グラウンドは、連日の真夏日で、土が固くなってカチカチの状態だ。
汗をしたたらせ、顔を上気させた子どもたちの姿は、いとおしい。

そんな暑さなものだから、日陰が、非常に心地よい。
暑い中だが、夏に比べ、風も少しは感じられる。
足元には、元気な雑草たち。
こんなに固い、乾いた土の上なのに、青々としてなんと元気なことか。
すごいなあ、とその生命力に目を見張る。

すると、地面にはうように生えている雑草たちの中に、赤紫色の小さな花を見つけた。

この色は、秋の花、萩に似ている。
ポチンとついた花がかわいらしい。
携帯では、うまく写真がとれない。
見事に花がぼけてしまった。

でも、いったい何という草なのだろう?
咲き方から、萩を思いながら調べてみた。
クサハギ?…違っていた。
紫色をたよりに調べていると、どうやら見つかった!


ヤハズソウ。

なるほど、ちぎってみたら、葉がこんな形に…
(ウィキにあったとおりだ)

「矢」の一部ですなあ。
ひょっとして、「ヤハズ」って、ここから連想できる矢のあの部分のこと?
なんて思った。

さらに、地面でも少しだけ湿った辺りに生えるのだとか。
そういえば、日なたではあっても、少し日陰になることもあるところに生えていたなあ。

ヤハズソウ。
また新しい雑草を一つ知った。
このことが、楽しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鹿島との差を感じつつ…ドロー

2011-09-11 23:31:26 | アルビレックス新潟

試合前には、花火も打ち上げられたホーム鹿島戦。
一時は、2-0とリード。
後半も、残すところ半分。
今日は、心地よくホームで勝利のバンザイをすることができる!
そう期待していたのだが、結果は2-2のドロー。
勝ち点1を上積みしたに過ぎなかった。
2点をリードして、余裕を持ってボール回しができていた時間も少しはあったのだ。
しかしながら、今季打ち続く、後半終了間際のどんでん返し。
今回の相手は、好調鹿島。
7戦連続負けなしの鹿島。
ほんの一瞬できたスキから得点された。
その1点から、新潟の余裕がなくなった。
あと1点ということで、なにやらカウンターの応酬という展開。
こうなると、悲しいことに、個々の技術のレベル、技術の確かさということで、差が出てきた。
鹿島のパスのスピードは速い。
そして、正確だ。
残念ながら、わがアルビレックス新潟の選手のパスは、スピードと正確さが足りない。
特に、鹿島の選手から強いプレッシャーを受けると、判断ミスやパスミスが出てくる。
必然的に、鹿島の方が優位に立ち、チャンスも多くなる。
それは、実はリードする前から、前半の立ち上がりからそうだった。
だが、そこをなんとか組織プレーで補って、最後のゴールは割らせないで来たのだが、やはりほころびを突かれた。
出場機会に飢えている、FW田代に同点ゴールを決められた。
いつものことではあるが、新潟の選手たちの足が止まったとき、相手のゴールがネットに突き刺さる。

悔しい引き分けではあるが、相手との差を認めつつ、勝つための試合ができるようでなくてはいけない。
差があるから、勝てなくても仕方がない、というのであれば、観客に見せるプロでは、ない。
選手たちの悔しそうな顔が救いだ。

残り試合が少なくなってきた。
中位になるか、残留争いに巻き込まれるか。
できれば前者であってほしいと思うが、こちらにできるのは、応援することだけ。
中位である7位までは、勝ち点の差は7。
残留県内の16位までは、勝ち点の差は、8。
次節は、東北電力圏内の、アウエー仙台戦。
厳しい戦いが続くが、勝利を信じたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まさか昔定食でよく食べていた野菜の花だったとは…

2011-09-10 12:44:10 | 草木花

夏の終わり、秋口に、あちこちの家の庭や道端などで、涼しい顔をして咲いている花を見かける。
何だろう、この白い花。


小さいけれど、花の部分が固まって咲いている。
一つ一つの花が星形のようでもある。
わりと可愛い花じゃないか、と思って好きになったのは何年前だろうか?

その後、意外なことに、この花を畑で見かけた。
おお、これって、食べられる野菜の花?
この野菜は…???
よく知っている野菜の花とわかった。
確か、われわれが、縦に長くすらりと伸びた葉を好んで食べているものだ。
レバーと一緒に炒められた定食は、よく食べられている。
学生時代は、安い中華料理店でこの名前の入った定食を結構食べたものだ。
レバー、定食、と言えば、「レバニラ定食」である。

つまり、このかわいい花を咲かせていたのは、ニラだったのだ。
それがわかって驚いたが、道端などでも咲いているたくましさがある。
そういうところが好きな花だ。


ニラの花とわかってから、自分の庭にも、いつ頃からか、同じ花が咲いているのを見るようになった。
しかし、花がきれいなので、わが家のニラは取ったり味わったりせずに、もっぱら観賞用になっているのである。
今、わが家の庭の一角で、涼しい顔をして咲いている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏休みの宿題が終わらない子…

2011-09-08 18:53:24 | 「育」業
夏休み終了後、子どもと先生の様子を見ていると、時代が変わったなあ、と思う。
 以前は、例えば、夏休みの宿題を忘れた子どもに対して、
「なぜ、全部やっていないんだ。さっさと全部やって出しなさい。」
と、先生がガミガミ言っていたものだが、今は、違う。
 先生が、
「やったところまででいいから、出しなさい。」
なんて言う先生や
「まだの分、分からなかったら聞いてきなさい。」
なんて言う先生がほとんどになっている。
 そこまで言っているのに、出そうとしないで、
「先生に怒られる。だから、学校に行きたくない。」
と言ったりする、粘りがなく、極端に気持ちの弱い子も結構いる。
 自分ができなかったことに腹を立てて、「どうせ自分はダメだから、もうやらない。」と当たり散らす子もいる。
 そういった一人一人の違いに対応して、子どもに働きかけていく力が求められるのが、今の教師である。
 大勢の前で、「ちゃんとやって来い!」と怒鳴ってさえいれば指導したことになった、昔の先生に比べ、今は一人一人の個性に応じて指導するということができなくては、教師が務まらない。
 たくましく生きていける子どもを育てるために、子どもの姿について、学校と家庭とが連絡を取り合っていくことが、昔以上に求められている。
 子どものことを考えたら、互いに、学校のせい、家庭のせい、などとは言っていられないのが現状なのである。
 しかし、学校を旧態依然の存在としてしか見られない大人も多いことには、困ってしまうのである…。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする