ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

日曜日は、5年ぶりの笹川流れマラソン大会

2023-03-31 21:46:01 | RUN

今週月曜日、遅れていた大会要項がやっと届いた。

次の日曜日、4月2日にまたハーフマラソンを走る、その要項だ。

今度は、第35回となる笹川流れマラソン大会。

自分にとっては、この笹川流れマラソン大会は、12年前の26回大会に初めてハーフマラソンを走った大会なのである。

そのときには、2時間を切って1時間57分台でゴールできたのだった。

ただ、そのときには、年輩の方や若い女性に抜かれたり、最後の「ま坂」を走って上れずに歩いたりして、やっとゴールにたどり着いたのだった。

でも、今思うと、最初5分台の前半で走れていたのでよかったじゃないか、と思う。

毎年の4月の第1日曜日に行われるこの大会には、毎回いろいろなことが起こった。

翌年27回大会は、当日爆弾低気圧の通過により中止。

 

14年28回大会は、エントリーしながらも、ふくらはぎ痛で出場断念。

 

15年29回大会は、小雨の中、苦戦。

 

16年30回大会は、首痛・頭痛・ふくらはぎ痛をもちながらのRUN。

 

17年31回大会は、定年退職記念レースながら、大会後気分が悪く大変になった。

 

18年32回大会は、桜満開なのに雪が降って、雨・雪。みぞれだったが、1時間51分59秒と、この大会での自己ベストを出すことができたのだった。

 

雨、雪、みぞれ、…悪天候ほど燃える!?~笹川流れマラソン2018(下)~ - ON  MY  WAY

折り返し点過ぎでは、少し向かい風になったので、下を向きながら走っていた。いつも近隣の大会で会うSNさんが、声をかけてくれた。私より速い人なのに、今回は私の方が数百...

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…とまあ、こんな具合だった。

完走の上、大会自己ベストで走れた2018年の大会以外、満足な走りができたことがない。

天候や体調の問題があるというわけだ。

今回もそう体調がいいわけではないが、ファンランで行こうと決めているから、まあそれなりに完走できればいいと思っている。

 

5年ぶりに走ることを決めて、とどいた要項等を見て驚いた。

あの「ま坂」がコースに入っていないのだ。

最後の200メートルほどの急激な上りは、「ま坂」(魔坂・まさか)の命名にふさわしかったのだが。

その名物の「ま坂」を走れないのは残念(?)な気さえする。

 

ところで、参加賞は、今までもらったことがない、この黒い袋に入ったものだった。

それは、ポンチョ。

けっこう、デカい。

こんな参加賞は初めてだ。

だが、活用できそうな品物ではある。

使わせていただこう。

 

さて、5年ぶりの海岸のコース、景勝を愛でながら走ってくることにしよう。

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NPB、新球場「エスコンフィールドHOKKAIDO」で開幕戦

2023-03-30 22:11:03 | スポーツ

WBCで盛り上がった野球。

あれから8日しかたっていないのに、NPB日本のプロ野球は、もう開幕だ。

パシフィックリーグの開幕戦は、まずは日本ハムファイターズ対東北楽天ゴールデンイーグルスの1試合。

この試合は、日本ハムの新しいホームスタジアム「エスコンフィールドHOKKAIDO」のこけら落としの一戦。

世間の注目を浴びるためにも、1試合だけ他より1日早く試合を行う。

なかなか味なことをする。

NHKは、BS1で試合開始の1時間前から放送して、スタジアムの施設設備について紹介したりしていたのだから、なんというか、NHKもよくやるよ、という気持ちだった。

 

始球式。

ヒルマン元監督、役割を代えて、栗山前監督をピッチャーに変更するなんて、なかなか配慮が細かく、すばらしい。

 

試合は、日ハムがエースに育てたい加藤、楽天が日本のエースに君臨していたマー君こと田中将大の先発。

こけら落としにふさわしい投げ合いで始まった。

 

この一戦は、なかなかしぶい展開になったと思う。

マー君が力投しヒットを打たせず、ホームの日ハムに点が入らない。

ホームラン1本で、楽天が先制した。

日ハムの初ヒットは、今季注目、清宮のフェンス直撃の2塁打だった。

しかし、次も楽天の1発、それも2ランで3-0。

そこから日ハムもマー君から1点を取り、マウンドから引きずり下ろした。

日ハムの加藤も、7回まで投げ切り、3点の失点に抑えたのは上出来だろう。

だけど、マー君ら楽天投手陣を打ち崩せなかったのが敗因ですな。

最後を締めたのは、WBCでは出番が少なかった松井。

日ハムの中軸を、連続三振など3人で打ち取り、実力あるところを見せつけた。

 

開幕戦は、少ない得点差で終盤までいき、どちらが勝つか分からない展開の好試合だった。

両チームともファインプレーが飛び出したり、盗塁を刺したり、守備のいいプレーも見られた。

選抜高校野球と比べると、やっぱり技術が高いなあと思う。

新球場にふさわしい、開幕にふさわしい試合だった。

本音を言えば、できればホームの日本ハムに勝ってほしかったけどね。

 

明日は、日本のほかのチームも登場し、開幕戦が行われる。

プロらしい熱の入った試合やすばらしい技術を見せてもらおう。

WBC日本優勝の後だけに、大きな盛り上がりを期待したい。

どのチームもがんばれ~!!

(…と言いながら、阪神を一番応援してしまうのだが…)

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早春の庭を明るくしてくれたヒマラヤユキノシタ

2023-03-29 20:31:29 | 草木花

毎年、雪がとけて花の少ない時期に、わが家の庭で咲いてくれる貴重な花。

それが、ヒマラヤユキノシタの花。

薄いピンクの花が連なって咲いているさまは、にぎやかで、枯草色のわが家の庭でそこだけ明るく見える。

おまけに少しだけ長く咲いてくれている。

その存在感がありがたい。

今年も、がんばって咲いているうちにその近くでスイセンが開花し始めた。

 

わが家には、ユキノシタも咲くのだが、いつも比べて疑問に思ってしまう。

ヒマラヤユキノシタとユキノシタって、まったく違って見えるのに、なぜどちらもユキノシタというのだろう、ということ。

 

まあ、ヒマラヤユキノシタは、冬のすぐ後の2,3月に咲くから、雪の下でもがんばって生きているのはわかる。

調べてみると、原産地はやはりヒマラヤ山脈周辺なのだという。

 

それに対して、ユキノシタは、日本原産らしく、白い花を咲かせるが、その時期は6月ころである。

わが家では、雪がとけた今、地べたに近いところでその葉が少しずつ増えてきてはいる。

季節を思うと、こちらも雪の季節の終わりと同時に勢力を広げようとしているから、たしかに雪に負けずに育とうとしている。

そんなところが共通点には思える。

だからきっと、どちらもユキノシタと呼ぶのだろうと、そこで納得するしかないようだなあ。

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「さつよ媼(おばば)おらの一生、貧乏と辛抱」(草思社・石川純子著)

2023-03-28 22:04:54 | 読む

図書館で、これまた懐かしい本があるのを見つけた。

その本の名前は、「さつよ媼(おばば)おらの一生、貧乏と辛抱」(草思社・石川純子著)という。

懐かしい冒頭に、すのすべてが表れている。

 

おらは生まれたまんま―まえがきにかえて

 

おらは生まれたまんま

九十六になっても生まれたまんま

なんじょに学校しないもの

だから話をするたって、まっすぐに正直に語るの

嘘の語りようも知らないもの

 

おらは貧乏の生き証人

明治も末の貧乏盛りに生まれて  

国も貧乏、村も貧乏

なかでもわが家は貧乏者の一等賞

 

九つで子守りに貸され  

十六で製糸場に売られ

二十一で嫁にくれられ  

あとは土方ひとすじ

汗水たらして土を背負い  

いくら骨揺って稼いでも

いつでも貧乏真っ最中  

テレビの「おしん」どころでなかったよ

一番楽だったのは製糸場

テレビの「野麦峠」どころか、なんと別天地だったね

 

おらは貧乏したから

ひもじい人の気持ちがわかるよ

かなしい人の気持ちもわかるよ

だからどんな人にも親切にしたよ

お母つぁん、教えてくれたもの

「人を助けてわが身助かる」って

 

おらは人と比べないもの

おらは欲濃くしないもの

うらやましがったり、うらんだりして

心荒らしていられないもの

昔の人たち、教えてくれたよ

「雪と欲ぁ、積もるほど道忘れる」って

 

そうやって百歳ちかくまで生きてきたら

みんな、おらのこと

「さつよさんはいいなあ、入り日明るくて※」って

おら、もとは地獄、いまは殿様だよ

世の中平らだね

人は生きてるんでなくて生かされてるんだって

             ※=若いとき苦労しても老いて幸せなこと。

 

上記の文は、9つで子守りに出され、3年生で学校はおしまい。それ以後も、苦労に苦労を重ねながらも、96歳まで明るさを失わずに生きてきた「さつよ」というおばあさんの語った話の一部である。

この本は、2006年の発行であった。

その2年ほど後、当時の勤務先の児童のおばあさんから貸してもらって、繰り返し読んだのだった。

世代としてみると、われわれの祖父母世代に近い話になるのかもしれない。

冬の寒さに凍えながら我慢する話。

子守をしていた赤子のおしっこが背中を伝う話。

読んでから15年ほどたっても、忘れていない。

今の時代からはとうてい想像できない生活の連続で送ってきた人生。

次々と苦労を経験してきた、さつよおばば。

苦労に負けず生き抜いてきた、その強さはどこから来るのだろうと思うほどたくましかった。

 

つらいとか厳しいとか言わずに、とにかく生きる。

それが人生で一番大切なことだ、と当時96歳を超えたさつよおばばが教えてくれている。

 

 

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ぜいたくな春の野の花花見RUNで足取りも軽く

2023-03-27 19:39:42 | RUN

前週の日曜日に新潟ハーフマラソンを走ったリカバリーを考えていたら、水曜日には卓球をして、その後はまたまたリカバリー。

そうしたら、今度は気温が低くなって雨降り。

まあ、そんなことを自分に都合のいい言い訳にしてダラダラしていたら、もう8日も走っていなかった。

来週の日曜日には笹川流れマラソン大会に出て、ハーフマラソンを走る予定なのに、これではちょっとだらけ過ぎ。

いくらなんちゃってランナーでも、少しは足慣らしをしておかないと。

そんなつもりで、10kmくらいはジョギングをしておこうと走り出した。

 

行先は、いつもの潟のある公園。

春の花々に会えるといいなあ、と思いながら出発した。

走り出すと、久々のせいか足が重い。

リズムもよくない。

2kmくらい走って、もう脚が疲れた感覚だった。

 

3km余り走ったところに梅の木があった。

白い花満開。

ちょっと気分をよくしたまま、潟の周辺を走る。

すると、ミズバショウが美しい時期を迎えていた。

その近くでは、暖色冷色取り混ぜて、ショウジョウバカマが美しさ全盛期。

もう咲いているかな、と思いつつ目で探しながら走ると、すぐにかわいいピンクの花が見つかった。

イワナシだ。

今年は咲くのが早いし、たくさん咲いているのを見て、なんだか胸キュン。

 

ピンクの次は、少し青系統の花を見たい。

あった、あった、咲いていた。

キクザキイチゲの青花。

 

午後3時過ぎなので、もうちょっとしぼみ加減だけど、会えてうれしや花いちもんめ。

雪割草も咲いているかもしれないな、と思いその場所へ。

枯れ草や枯葉で汚れた場所のものはなくなっていたが、斜面でしぶとく生き残ったものが咲いていた。

 

足元の野草ばかりに目が行ったが、頭上の木にも花はいっぱい。

まず咲くマンサク、まだ残っているものもある。

「馬酔木」をどうして「アセビ」と呼ぶのかわからんが、小さな花の集合体はかわいいもんだ。

ヤマザクラは、ソメイヨシノよりひと足早く開花中。

影響を受けたか、ソメイヨシノ(おそらく)でも一本だけ気の早いものがつぼみを開かせ始めていた。

レンギョウも、黄色があざやかだ。

サカキは、小さな花がすずなり。

ツバキも赤い花いっぱいだ。

次から次へと花に会える。

う~ん、なんとぜいたく(?)なRUNだろう!!?

 

こうして、開花中の花を見つけるたびに足を止めて撮影する春の野の花花見RUN。

走っては止まってパチリ、走っては止まってパチリ。

こんなことを繰り返していたら、重かったはずの足取りが変わっていた。

いいリズムで走れるようになっていた。

たくさんの花見で、身も心も軽くなったということだ。

 

11km。ぜいたくな春の花見RUNだった。

ただ、笹川流れマラソンでは、今日の倍の距離走るんだよな…。

…と、ちょっぴり不安なのは変わらないけど…。

 

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大幅なターン・オーバーながら、レギュラー中心の鹿島に見事な勝利! ~2023ルヴァン杯ホーム鹿島戦~

2023-03-26 21:36:05 | アルビレックス新潟

あいにくの雨…。

JリーグYBCルヴァンカップ グループステージ 第2節。

第1節でアビスパ福岡に負けた新潟は、鹿島アントラーズとホームで対戦。

 

先発メンバーを見て、ああなるほど、と納得。

今はけが人が多い事情もあって、先日のリーグ戦浦和戦の先発メンバーからなんと、10人がターン・オーバー。

 

8日前の浦和戦にも先発したのは、星のみ。

あとのメンバーは、控えもしくはベンチ外だった顔ぶれ。

鹿島も、アウェイでの戦いになるし、同様にメンバーを変えるのかと思っていたら、なんと。

先日の横浜F・マリノス戦とほぼ同様のガチの布陣で、3人しか代わっていない。

ガチガチのレギュラーメンバーじゃありませんか!?

でも、このメンバーの鹿島と互角に戦えたら、新潟の日ごろは控えだったメンバーやチームにとっては素晴らしい自信になるのでは?

なんて考えたりもしたが、相手は鹿島、そう簡単じゃないだろうなあというのが本音のところだった。

 

試合が始まると、予想どおり鹿島の猛攻にさらされた。

ほとんどが自陣に釘付けにされての展開。

ボールは奪取できないし、つなげない。

さすがレギュラーメンバーの鹿島だ。

 

だけどね、新潟の今日の出場している選手たちだって、そうそうレベルの低い選手たちではないはずだ。

「全員が戦力」とは、よく監督も言っていること。

こういう試合は、最初の15分くらいを耐えきれれば、まったく違う展開になることもあるのを、今までよく見てきた。

コーナーキックも何本かしのぎ、がまん、がまん。

 

そうやっているうちに、耐え忍んだ15分が過ぎた。

すると、少しずつボールを保持する場面が増えてきた。

選手たちが鹿島の戦い方に慣れてきたのだ。

25分には、攻め込んだ小見からゴール前に早いクロスを送ると、2年目で出場機会の少ない陣平がヘディングでシュート!

惜しくも枠の外だった。

そんなふうに、シュートシーンやコーナーキックのシーンも見られるようになって、前半を0-0で終えた。

 

後半になると、選手たちの動きが明らかに変わった。

非常に積極的にボールに絡むようになったのだ。

相手陣に攻め込む時間が長くなった。

前半と違って、新潟の選手たちの方がボールを保持するようになっている。

セカンドボールも、よく回収できるようになった。

なぜこうも大きく変わった!?

ロッカールームで松橋監督の激が飛んだか!?

などと、ニヤニヤしながら雨中の選手たちのがんばりを見ていた。

 

すると、53分だった。

秋山がペナルティエリアの手前から低く放ったシュートが、ゴールネットを揺らした。

どうやら、相手DFに当たって、少しコースがずれたらしい。

でも雨に濡れてスリッピーなこのピッチなら、シュートを打つと何かが起こりそうだった。

とにかく、新潟先制!

 

この後も、新潟は全員がよく動き、ボールを追った。

鹿島に絶対的なチャンスを与えなかった。

 

後半15分以降は、うまく選手交代も使いながら試合の主導権を渡さなかった。

まず、若い二人をレギュラーの伊藤や太田に交代。

72分、ワントップでがんばって走ってきたシマブクも松田と交代。

鹿島も、次々に選手を代えながら、同点にしようと攻めてくる。

だが、新潟は、さらに選手を代えていく。

87分、最後に、星、早川に代えて、島田、舞行龍を投入。

選手を代えるたびに、新潟の戦い方の安定感は増した。

それはそうだ。

控え中心のメンバーから、より力量のあるレギュラーメンバーたちが、満を持して登場するのだから。

特に、伊藤涼太郎の味なプレーは、新潟に落ち着きと自信をもたせるのに十分だった。

攻撃が活性化するとともに、攻めと守りのメリハリがさらにはっきりして、チーム全体が戦いやすくなっているのがよく分かった。

 

結局、鹿島相手に、後半は危なげなく勝利することができた。

滑りやすいコンディションであったが、雨の中ホームで応援した新潟の観衆に歓喜の時を与えた。

それに比べて、鹿島のサポーターたちの目には、自分たちのチームがよほどふがいなく見えたのだろう。

試合後の挨拶に整列した選手たちに対して、容赦ない罵声やブーイングの声が浴びせられていた。

J2からようやく上がってきたチームから1点も取れずに零封されて負けたのだから、憤懣やるかたないだろう。

スタッツも、前半と比べてみると、新潟は、ボール保持率も落ちているが、そんなイメージはなく、シュート数に見られるように大幅に改善されているのが分かった。

 

試合中に修正をはかることができたということだ。

 

お決まりの勝利パフォーマンスも、WBCに関係させたものをやっていて、笑えた。

ヒーローインタビューの秋山も、堂々としていたし、ずいぶん骨太なプレーヤーになってきたなあと思ったよ。

とにもかくにも、試合前に感じた「控えメンバー中心で…」の思いは、本当に勝利につながったから自信になる以外の何物でもないことになったよ。

せっかくU-22の代表になったのにけがをして途中離脱し、ヨーロッパから帰国せざるをえなくなった三戸をはじめ、けが人が多くて、困っているアルビ。

だけども、さすが「全員が戦力」。

今日の、吉田もシマブクも小見も含めて、みんなでチームの目指す戦い方をやり通すことができているのは自信になる。

J1で旋風を巻き起こしていこう!

 

Visca Albirex !!!

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前川清の「昭和から」が気に入っている

2023-03-25 21:34:38 | うた

過日、NHKの歌番組「うたコン」を見ていたら、前川清が歌っていた歌が気になった。

その曲名は、「昭和から」という。

歌唱する前川清本人の声が少しかすれたりしていたけれども、なんだかいいな、と思った。

YOUTUBEで何度か聴いた。

 

歌は、

電話のダイヤル回す指が震えた 声を聞くだけで幸せだった

駅の伝言板に君の名前を書いた 君はやがてそこにサヨナラと書いた

…と始まる。

 

ダイヤルを回す電話、懐かしい。

家の電話だけはもちろん、赤色の公衆電話も、緑色の公衆電話BOXの電話も、電話は皆ダイヤルを回してかけるものだった。

10円玉を貯めて、情け容赦なく落ちていく硬貨の音を聞きながら好きな子に電話していた時代が確かにあったなあ、と思った。

 

あの頃は、私鉄でも「国鉄」でも、駅に伝言板はつきものだった。

そこにはいろいろなことが書かれていたっけ。

駅や伝言板が男女のすれ違いや別れの場所になったことも、たしかに多かった。

今は、伝言板はなくなって久しい。

 

あの日貧しかったけどあきらめなかった

あの頃夢は次々と生まれては消えてった

僕は昭和から来て 今未来にたどり着いた

まだ終わらない物語を も少し読んでみようか

 

あの頃の思い出をたどりながら、「僕は昭和から来て 今未来にたどり着いた」と人生を歩んできて今があることを歌っている。

 

2番の出だし。

手紙の下書き書いては消して 出せないまんまちぎって捨てた

原っぱに仲間とごろりと寝転んで 星を見てたら涙がこぼれた

苦しかったけど自分を捨てずに済んだ 

誰かがそっと遠くで支えてくれてた

好きな人へ思いを表そうと思って手紙を書いてみるが、やはり思いをうまく書くことができない。

やっとの思いで書き上げた手紙も、こんなのではダメだ、と結局、破いて捨てる。

そんな経験、たしかにあった。

そして、なんだかんだ言っても、自分の周囲にいた友だちが自分の悩みや辛さをわかってくれた。

そのことに救われて生きていられたこともあった。

 

遠くから支えてくれたのは、友人ばかりではない。

僕は昭和から来て 今未来を生きているんだ

故郷行きの夜汽車は消えて ああ故郷がほどけてゆく

昔はあった故郷行きの夜汽車。

その向こうには、父や母、家族や友人がいた。

ひと駅ひと駅と故郷の駅に着くのを待ち遠しい思いで、ガタンガタンと揺られていたっけ。

今も走っている夜汽車は少ない。

 

3番は、昭和を共に過ごしたが、令和の今では亡き友人に向けて語る内容だ。

亡き友の懐かしい声が聞こえる

まあお前は慌てず急がずのんびり来いと

僕は令和まで来て まだ少し未来があるようだ

お前の分まで生きてやるよと 一人で酒を酌む

お前の分まで生きてやるよと 二人で酒を酌む

 

かつて何度も酒を飲み語ったのに、今は故人となってしまった友人がいる。

そいつを思い出しながら飲むと、声が聞こえるような気がしてくる。

心の中に、そいつが話しかけてくるような気がして、対話を繰り返す。

そして、「お前の分まで生きてやるよと」一人つぶやきながら飲むが、気分は二人で飲んでいるつもりになって酔いに落ちている。

 

いい感じの歌だなあ。

そう思って、少しだけ調べてみると、作詞作曲は、前川清と同郷長崎のさだまさしだった。

なるほどなあ。

さすが、さだまさし。

いい詩を書くよ。

曲調も、前川清の歌唱にぴったり合っている。

 

そうだ。

自分も、まぎれもなく昭和から来た人間なのだ。

だからこそこの共感なのだな。

私も昭和から令和まで来た。

「まだ少し未来がある」

しっかり生きていかなくちゃな。

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Aさんと13年ぶりに卓球をする

2023-03-24 21:00:21 | 生き方

Aです。ご無沙汰しています。

要件は、卓球の誘いです。時間があったら、卓球しませんか?

こんなメールが届いた。

おお、いいねえ。

そう思ったけど、このメールを受け取ったのは、先日19日の新潟ハーフマラソンの直前。

駐車場に車を止め、これからスタジアムに向かおうとする時だった。

だから、そのことを告げ、とりあえず「また後で」とした。

翌20日に再び連絡すると、

22日(水曜)、WBCが終わる午後3時頃どうです?

「鉄は熱いうちに打て」

とのこと。

 

快諾のOKを送り、卓球をすることにした。

だけど、日曜日に21km余のレースをした私の体は、まだ筋肉痛に関節痛が残っていた。

おまけに当日朝は、右膝痛まで加わっていた。

困ったもんだ。

 

そんな体調に加え、娘との「ピンポン」以外の卓球をするのは、何年ぶりだろう?というくらい本当に久しぶりだから、まああまりうまくできないなあ。

ところで、卓球するって、ひょっとすると同じAさんと卓球した、この記事の機会以来で13年ぶり?

 

卓球。40年近く前の大逆転負け(2) - ON  MY  WAY

20-14からの逆転負け。その試合を戦った彼と、こうして40年近くたって、あの試合のことを肴にして飲むことになるとは思わなかった。人生は不思議なものである。彼の...

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Aさんは、私と違って、週に3回は練習をしているのだそうだ。

そして、新潟県内・県外のマスターズの試合に出ているという話をしていた。

だが、東京の方に行って試合をすると、さすがに向こうの選手にかなわず、その実力はそうとう高いらしい。

でも、そう話しながらボールを打って来る彼の表情は実に楽しそうだった。

 

前陣のペンホルダー攻撃型で腕を磨いているAさんとの実力は、大きく開いていた。

特に、バックハンドから繰り出されるロングサーブは速くて種類が豊富で、ほとんど返せなかった。

こっちは、ラケットのラバーも張り替えていないから、表面のゴム部分がだいぶ劣化して摩擦が少なくなっていた。

なにより、ボールがセルロイドからプラスチックに代わってから久しいが、私がプラスチック球を打つのは初めての経験であった。

そんなではあったが、威力ある彼のボールを返したり、ラリーで勝利できたりするのは、非常に楽しかった。

自分より少し強い人とやるのは、本当に楽しい。

 

やっぱり卓球はいいねえ!!

オリンピックや全日本選手権等、最近は見るばかりになっていたけれど、やっぱり卓球は自分がやることが一番楽しいよ。

 

2時間ボールを打ち合い、借りていた会場が時間切れとなって、楽しい時間が終わってしまった。

最後に、Aさんからお誘いを受けた。

マスターズの試合に出ない?

団体戦は4人以上いないとできないので、高校時代地区チャンピオンだったBさんにも働きかけているんだが、あいつもまんざらじゃないみたいなんだよ。

卓球協会に登録しなくちゃいけないけどさ、50foxさんも、やらない!?

…と、うれしいお誘いも受けたけど、細々とRUNもやっているし、家庭事情もあるし今はそこまでのめり込めないなと思ったので、やんわりとおことわりすることにした。

 

「でも、また機会を見て卓球に誘ってよ」

と、わがままを言いながら、Aさんに、今回卓球に誘ってくれた礼を言った。

相手がいるからこそ楽しい卓球。

その楽しさをたっぷりと味わった2時間であった。

(2日たって、右腕は完全に筋肉痛なのだ…)

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天上のT君がいたずらして、K君に会わせてくれたのだろうか!?

2023-03-23 21:05:54 | 生き方

先日、新潟ハーフマラソンを走り終えてから、行きたいところがあった。

この時期は彼岸の期間に当たっていたからだ。

行きたい場所は、今年の初めに訃報が届いたT君の家だ。

 

新潟から、途中の道では、久しぶりに弥彦神社の大鳥居もくぐって行った。

昔、家庭訪問をしたことがあったとはいえ、さすがにそれから40年もたつと、家がどこにあるのかは忘れてしまっていた。

調べ直さないとわからなかった。

家の近くで、畑作業をしていた人に尋ねて、彼の家にたどり着くことができた。

 

仏壇に飾られた彼の遺影や位牌に、彼が亡くなったという実感がわいた。

焼香させていただいて、彼のお母さんと話をすることができた。

そこでは、去年の夏に亡くなった彼についてのいろいろなことを聞くことができた。

若いときにバンドのドラムをたたいていた彼が亡くなって遺された箱に、何十本ものスティック(ばち)があったこと。

意外にもハローキティが好きで、古いものから新しいものまでたくさんのキティーグッズがあったこと。 など。

 

そんな話から、小中学生だった頃のことにも話が飛んだ。

小学校時代のあの学級に欠かせない、リーダー的な存在だったこと。

スポーツ、特に野球が好きで、毎日素振りやトレーニングを欠かさずにしていたから、細身ながらガチガチの筋肉の体になっていたこと。

中学時代には、不登校が続いた同級生にも卒業証書を出してもらえるよう、校長先生に何度も談判に行ったこと。などなど。

そんな話をしながら、彼のことを偲んだ。

彼と過ごしたのは、わずか3年だったかもしれない。

だけど、新採用の20代の私には、非常に大きな存在の彼らだった。

一緒に時間を過ごした彼は、間違いなく私たちの人生に欠かせない存在でもあった。

 

1時間ほどお邪魔して、辞去した。

帰るときに、お母さんは「Tが好きだったから」と、仏壇に飾ってあったウイスキーの瓶の1つを私に手渡して寄越した。

いずれ彼を偲びながら、少しずついただくことにした。

 

 

かつてT君たちが通い、私が勤めた建物はすでになくなっている。

でも、そこに行ってみたくて、かつてあった場所の高台に上って行った。

長い階段の上にその場所はある。

二宮金次郎の像や石碑が、そこに学校があったことを物語っている。

かってT君たちが夏には毎日泳いだプールは、コンクリートの箱に過ぎず、周りには生えた木や草でおおわれてしまっていた。

時の流れをいやおうなしに感じた。

しみじみと感傷に浸った後、高台から下の道に降りた。

 

その時だった。

目の前を右から歩いてきて立ち止まった男性に見覚えがあった。

「K!」

車の窓ガラスを開けて、思わず名前を呼んだ。

すでに50歳を過ぎているがその顔には、40年前の面影がたっぷり残っていた。

彼も私の名前を呼び、私は急いで車から降りた。

K君は、先ほど焼香してきたT君の同級生。

つまりT君同様、私の教え子だったのだ。

小学校時代は、T君の友だちであったK君。

 

彼らが20代後半の頃に呼んでもらった同級会で会って以来だから、およそ四半世紀ぶりの再会だった。

T君のことや現在のこと、昔の小学校時代のことなどを、いろいろと話した。

当時の彼らに私が話していたことを、彼はとてもよく覚えていた。

私が大学を1つやめて、2つ目の大学に入り直した話で、2つの大学名まで覚えていたことには、恥ずかしさも感じた。

学校の教師が、小学生にそんな話をしていたなんて…。

 

K君と別れて帰路に着いたときに思った。

学校跡地の近くでK君との再会…これって、天に上ったT君が仕組んだいたずらじゃないのか?
と。

40年前に「育」業についてまだ日が浅い若者だった時代。

彼らと、互いに互いの人生に影響を与え合っていたのだ、と今思う。

 

午前はハーフマラソン、午後は人生を考える機会となった。

貴重な一日であった。

【学校跡地に咲いていた花】

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昨日今日、準決勝決勝を信頼感に基づく、強固なチーム力で勝利し、WBC日本代表3度目の優勝を勝ち取る

2023-03-22 22:00:08 | スポーツ

昨日の準決勝といい、今日の決勝といい、すばらしい試合をした。

もちろん、これはWBCの準決勝メキシコ戦、決勝のアメリカ戦のことである。

 

昨日の準決勝メキシコ戦では、序盤に1発で3点を失い、そのまま後半の7回を迎えたから、もう負けるのかと思ったよ。

しかも、2死ランナーなしになってからだった。

近藤がライト前ヒットで出ると、大谷も四球を選んで、2死一、二塁のチャンスを作った。

この時、私は車で移動中。

「次の吉田がホームランを打てば同点じゃないか」なんて思ったが、いくら吉田が当たっているとはいえ、そう甘いもんじゃないことはよく知っていた。

ところが、本当にホームランを打つのだから、すごい。

映像は見られないが、声だけで同点ホームランが生まれたことを知って、驚いた。

しかも、あとで映像を見たら、難しいコスのボールをほとんど片手で打った、技術の高いホームランだった。

 

直後の8回に2点をリードされても1点を返し、1点のビハインドで最終回を迎えた。

その9回裏の先頭バッターの大谷が、右中間に2塁打を放ち、ベース上で仲間を鼓舞する姿に感動した。

その姿は、吉田四球で無死1,2塁のチャンスにつながったが、迎えた打者は3三振4打数無安打の村上。

その村上が、右中間フェンス直撃の逆転サヨナラタイムリーを打つのだから、劇的だった。

不振の村上に託した栗山采配は、信頼感が感じられすごいと思った。

それに応える一撃を見せた村上、本当によかった。

すごい采配といえば、一塁ランナーを吉田に代えて快足の周東を起用したこと。

だからこそ、一塁走者がホームインでき、勝利できたのだった。

こんなスリリングな、鮮やかな逆転勝利を見ることができるなんて、なかなかない。

監督と選手、選手間の信頼感やチームワークのよさを感じることができた。

 

その信頼感やチームワークは今日の決勝のアメリカ戦でも十分に発揮された。

先発の今永がターナーに一発を食らうと、その直後に村上が一振りで同点に追いつくホームラン。

それをきっかけに、一死満塁からヌートバーの内野ゴロで逆転。

 

7回まで今永→戸郷→高橋→伊藤→大勢と、短いイニングで投手をつないでいく日本。

その投手たちの年齢は若い。

だが、多少のピンチを迎えても周囲からの激励を受けて、強打者ぞろいのアメリカに得点を許さないのがすばらしい。

 

8回には、ここまで投手陣を中心にチームを引っ張ってきたダルビッシュが登板。

ホームランを打たれて1点差になってしまい、見ているこちらはドキドキし始めた。

だけど、何とか抑えたのはさすがメジャーで長く投げているだけあった。

 

最後には、大谷を抑えに起用する栗山監督。

集中しきった大谷の表情には、怖さすら感じた。

その怖さが力みにつながったか、最初の打者を四球で出してしまった。

もう一人後にトラウトがいるから、逆転ホームランを打たれそうな予感すらした。

だが、大谷はその前に次打者を併殺打に打ち取り、トラウトの前にランナーを残さず最後の勝負をすることができた。

エンゼルスの盟友大谷とトラウトの対決は、フルカウントから大きなスライダーで空振りに打ち取った大谷が勝利した。

こんな最後に、二刀流の大谷のすごさを見せる展開になるなんて、なんという決勝戦だったことだろう。

 

もっとも、ダルビッシュにしても大谷にしても、自分から投げたいと主張していたのだそうだ。

そのメジャーリーガー2人が、「勝ちたい」「みんなの力を合わせて勝ちたい」という雰囲気を醸成していた。

それだけでなく、自分のもっている技術を伝えたり、チームメートを和ませたりということをすることにより、「野球を通じての強い仲間意識」を作っていった。

力が上の人たちが、自ら下りてきての働きかけは、強いまとまりを生んだ。

今日の試合前の大谷の言葉は、「今日一日はメジャーリーガーたちへの憧れを捨てて勝とう」と呼び掛けてもいた。

「憧れていたら、超えられない」

「今日は自分たちが、超えていくのだ」

と訴え、全員の気持ちを日本チームの力を勝利するための方向に向けていた。

それによって、日本の若手選手たちが委縮せずに自分の力を十分に発揮できていた。

 

信頼感に基づく、強固なチーム力。

それが、予選リーグの戦い以来一度も負けずに勝ち続け、日本代表に世界一のタイトルをもたらした。

3度目の栄冠といえど、過去2回以上にすばらしい戦いを見せてくれた。

日本代表の選手、監督やコーチ、チームスタッフ等関係者の皆さん、本当にありがとうございました。

 

そして、なにより優勝おめでとうございました!

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