ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

「風」の歌をあつめて

2015-10-29 20:35:20 | うた

歌が好きなので、何かテーマを絞って好きな歌を集めて1枚のCD-Rに詰め込む、ということを時々している。
以前は、「橋」にまつわる歌を集めたことについて紹介した。
「集める」と言っても、自分が歌を最もよく聴いていたのは学生時代である。
そして、その頃のレコードや今持っているCDに入っている曲たちが対象になる。

さて、先月、コスモスを見に行った際、感じたのは、「風」であった。
そこから、「風」に関する歌を集めてみようと思った。

「風」といえば、やはり「人は誰もただ一人 旅に出て」で始まる、ザ・フォーククルセダースの「風」だろう。
グループサウンズの「ザ・スパイダーズ」の「ゴ、ゴ、ゴー、風が泣いている」で始まる「風が泣いている」の方が出合いは古い。
風に関係した曲を集めてみる、というと、文字通り「風をあつめて」というはっぴいえんどの名曲があった。
では、風の歌をほかにも集めてみよう。
「風の街」。松本隆作詞、吉田拓郎作曲の、山田パンダが歌った、表参道、原宿が出てくる歌だった。
吉田拓郎と言えば、フォーライフレコードを立ち上げた時の、最初の新人、川村ゆうこのデビュー曲は、拓郎作曲の「風になりたい」だった。
シンガー・ソングライターという言葉が知られるようになってきたころ、やまがたすみこの澄んだ声は魅力的だった。「風を見たよ」という歌があった。
吉田拓郎の歌には、「風の歌を聴け」という曲もあるのだが、アルバム「無人島で…」に入っていた「風のシーズン」の方が耳にこびりついている。

風のシーズン 僕には四季がない
はしゃいだ夏と 沈みゆく冬だけ
あとはただの風のシーズン
あとはただの風のシーズン

ロックに転身したカルメンマキ&OZの、11分余りにも及ぶ「私は風」という荒々しい曲もあれば、さりげなくて力の抜けた佐々木幸男の「君は風」という歌もある。
私が風になったり君が風になったり、それだけでも面白い。
音楽用の言葉でいえば、「風のメロディ」もあれば(チューリップ)、「風のエレジー」(井上陽水)もある。
海に吹く風、ということで、「潮風のメロディー」(南沙織)や「海風」(風)、「埠頭を渡る風」(松任谷由実)などがすぐに浮かんでくる。
追い風、とか考えていたら、「風を追いかけて」(谷山浩子)を思い出した。谷山浩子には、「風になれ~みどりのために~」というのもあったな。
季節の風、を考えると、「弥生冷たい風」(NSP)、「南風」(太田裕美)、「南風の頃」(ふきのとう)、「サザン・ウインド」(中森明菜)、と南があれば、「北風~君にとどきますように~」(槇原敬之)と、北風もある。
木枯らしだって、冬の風だよなあ。
そう思うと、「木枯らしに抱かれて」(小泉今日子)、「恋に木枯らし」(ザ・リリーズ)などを知っている。
学生時代になぜか中古レコードで手に入れた、「白い木枯し」(フリーランサー)なんていうシングルレコードも、まだ手元に残っていた。
今井美樹の初期の曲「野性の風」、山本潤子に伊勢正三が曲を送って一緒に歌った「Wind knot」という曲も好きだ。
この10年の間だと、様々な災害でたくさんの人が亡くなったが、「千の風になって」(秋川雅史)の歌は、やはり心に響くものがある。

まだまだ、小椋佳には「風の鏡」、自分の好きだった小林倫博の「振り向けば風」「風の噂」、BUZZに「風のゆくえ」「風の盆」、中島みゆきの「夜風の中から」などと、風について思い浮かぶ曲は、ほかにもたくさん出てくる。

結局自分が持っているレコードやCDから選んで、80分のCD-Rに入れたのは、次の曲たち。

1 風(ザ・フォーククルセダース)
2 風を感じて(浜田省吾)
3 風の街(山田パンダ)
4 風になりたい(川村ゆうこ)
5 風を見たよ(やまがたすみこ)
6 風のシーズン(吉田拓郎)
7 海風(風)
8 埠頭を渡る風(松任谷由実)
9 風のメロディ(チューリップ)
10 風を追いかけて(谷山浩子)
11 風をあつめて(はっぴいえんど)
12 君は風(佐々木幸男)
13 白い木枯し(フリーランサー)
14 風のエレジー(井上陽水)
15 野性の風(今井美樹)
16 ウインド・ノット(山本潤子)
17 私は風(カルメンマキ&OZ)
18 千の風になって(秋山雅史)


新潟は、これから雨風の強い時季を迎える。
「風」は今回集めたので、そのうち「雨」の曲でも集めてみようか。

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20kmに慣れてきた

2015-10-26 22:33:27 | RUN


今日は、土曜日に勤務した代わりの休み。
こういう日は、また例によって、家事をがんばる。
午前中は、娘の通院に付き添って妻たちが出かけて行った。
それ、とばかりに家中を掃除機をかける。
障子のさんなども気になって、結構細かくがんばった。

そして、米がなくなったので、いつも購入している農家の方のところへ車を飛ばして行って来た。
昼食後は、例によって、カレー作り。
今回は、サツマイモも入れてみた。
ジャガイモとサツマイモと両方を入れたが、ちょっとレンチンで温め過ぎたようで、完成した頃には、双方とも形がなくなってしまった。
そのかわり、カレーの量はいっぱいになった。

カレーが完成した後、走りに出た。
塩飴を4個持って。
16km走ろう、と思って出たのに、走り出したら、今日も20kmまで行こう、と考えを変えた。
ただ、今日は、気持ちよく走ることを20km続けること。
走っているうちに、夕陽が傾いた。
東側にそびえる山、二王子岳は、夕陽を受けて赤くなっていた。


山のふもとの方に近づくと、急に空気が冷たくなった。
空気が違った。
半袖で走ってきたことを後悔した。
でも、あと2kmも走れば10km地点になる。
そう思って、2km走って折り返した。
夕陽はすでに落ちていた。

往路で赤く染まっていた二王子岳の上に、月が出ていた。

秋を黄色に染める、セイタカアワダチソウが両側に立ちあがっている道を、かけ続けた。

脚が痛くならないように、スピードは出し過ぎずに走り続けた。
飴を4個なめつくし、無理しないで走った。
20kmを1時間47分34秒。
平均すると、キロ5分23秒。

心地よかった。
これで、この1か月間に20kmあるいはそれ以上を4回走ったことになる。
次の胎内市ロード大会のためにも、自信になった。
気持ちよく走れる距離が長くなると、フルマラソンも、あんなに苦しくはなくなるのだろうなあ、と思う。
少しずつ、気持ちよく走れる距離を長くしていきたい、と思う今である。





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亡母の誕生日

2015-10-21 22:33:26 | 生き方
母が亡くなってから、この2月で丸10年だった。
命日ばかりに気をとられていたけれど、もし母が生きていたら、今何歳なのだろう?
そう思って、数えてみた。
昭和4年生まれだったから、1929年生まれ。
2015-1929=86
そうかあ、86歳になっていたのか。

父を亡くしたのが、20代の後半。
その時、父はまだ56歳。
母が亡くしたのが、40台の後半。
その時、母は75歳。
二人とも、短命というほどではないかもしれないが、長生きではなかったことは確かだなあ。
だからこそ、自分がやりたいことをやって、やり残したと思うことはなるべくないようにしたいなあ、そう思う。

子どもの頃は、体が弱かった自分。
小さい頃は、月に2回くらいは熱を出し、医者に行っていた。
小学校1年生時代に海に行くのを医者に止められ、許可が下りたのは小学5年生の時だった。
そんなふうにひ弱だった自分が、父よりも長く生きている。
ただ、両親とも長命ではなかったことを胸に置き、しっかり生きたいものだと思う。

仏壇には何も供えなかったけれども、夕方13km走ってきた。
あのひ弱な子が、今こうして50代後半になっても、こうして走って体を鍛えられていますよ。
子ども時代は、迷惑をたくさんかけたけど、おかげで今まで、いや今も元気で生きていますよ。
仏壇に向かって手を合わせ、感謝の思いを伝えることで、特別何もしなかったことを許してもらうことにしよう。
これからも私と家族を見守ってくださいねっ

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なぜか咲いたハナカイドウ

2015-10-20 21:59:27 | 草木花

ハナカイドウ。
春4月に咲くこの花。

淡いピンクの花がとても可愛らしく美しい。
好きな花だ。
「ハナカイドウ」という名前が、
「花街道」という漢字を連想させる。
花いっぱいの道。いいじゃないか。
しかし、漢字で書くと、そういう字ではない。
「花海棠」と書く。
「棠」とは梨のことで、「海棠」とは「海外から来た梨」だとのこと。
それはまあ、どうでもよいとして、この時期にハナカイドウについて書くのは、咲いたからである。
今の職場には、ハナカイドウの木があるのだが、ここ数日、数輪の花が咲いているのだ。

職員の方が、手入れの一つとしてこの木の枝を剪定したのだが、数日後咲いたとのこと。
剪定されて寒くなり、秋晴れのいい天気が続いたせいで、春と勘違いしたのだろうか。
ひと枝に3,4個の花が咲いただけだが、この時期咲いたのなんて、初めて見た。

小春日和、というにはまだ早い時期ではあったが、春を感じさせる花を見ることができたのは、得をしたようで、とてもうれしかった。


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がんばらず気持ちよく走る

2015-10-19 21:34:50 | RUN
昨日の日中は、勤務先の代表ということで、そこで催された集まりに出席。
10年余り前に勤めていたこともあったので、時々懐かしさに出会う。
その会の進行をしていたのも知っている方だったし、会の終了後声をかけてくださった方は、以前の私を覚えていてくださった方だった。
それでも、この会が13時にはもう終わっていたので、帰宅。

昼食を食べてからは、なでしこリーグ、アルビレックス新潟レディース対INAC神戸のTV中継を見る。
アルビ新潟レディースは、攻守でINAC神戸を圧倒した。
2-0で勝利。
なでしこリーグ2位浮上。
J1新潟は、前日の試合で松本に2-0で勝利していたし、新潟のサッカー界には明るい話題が続いた。

気持ちがよかった。
気持ちもいいし、天気もいいので、16時を過ぎてから、走りに出ることにした。
今日は、15kmくらい走るか、という気分でスタートした。
サイクリングロードを走る。
ここは、行きは緩やかな上り、帰りは緩やかな下りとなる。
1kmごとに5分30秒かからずに無理なく走れた。
あまりにも気持ちよく走れたので、がんばる気もないのに「今日はもう少し行ってみよう。」となった。
10kmを走ってしまった。

帰りは、日没後。
あっという間に暗くなってきた。
でも、緩やかな下りだから、17kmまで1km5分30秒かからずに走れた。
ちょっと右脚の太ももに軽い痛みが来て、思った。
そういえば、1週間前にはフルマラソンを、42.195kmを、走ったばかりだったなあ、と、この時になって思った。
でも、そんなにがんばらず、痛くならないように気持ちよく走り続けよう、と思って家にたどり着くと、20kmが1時間49分で走れていた。
これは、2年前の胎内市ロード大会の1時間52分を上回る。
ありゃまあ、楽に走れたなあ。

懐かしさを覚える人々にあったこと、2日続いた新潟の勝利に気をよくしたことで、楽に走れたように思う。
がんばらずに無理をしないで気持ちよく走ると、楽に走れ、いいタイムで走り切れるのだなあ、と思った。

この走りを、11月3日の胎内市ロード大会20kmで生かしたいものだ。
がんばろう。
いや、がんばらずにいこう。




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「裏天王山」を制したのは、新潟!

2015-10-18 20:23:21 | アルビレックス新潟

「天王山」は、京都府の西部にある標高わずか270mの山である。
昔、織田信長を討った明智光秀とその仇討ちを果たそうとする羽柴秀吉が戦った山崎の戦い。その時、この山を制した方が天下を取ることになるとして「天下分け目の天王山」という言葉で表現されたという。
今でも勝負の世界では、よく雌雄を決する戦いの際などに、標高の低いこの山の名前が出てくる。
天下を取るための戦いに「天王山」はよく使われるようになったとわかる。
しかし、昨日行われたサッカーJ1新潟-松本の戦いは、「裏天王山」だと呼ぶ人がネット上で見られた。
15位新潟と降格圏16位松本との勝ち点差は3。
覇権を制するのが天王山。
天下を取るわけではないが、きわめて重要な一戦。
松本が勝てば、勝ち点で新潟に並ぶ。
負けた場合は、下のJ2が近づく。
そういう意味でも、「裏」の天王山。

会場のビッグスワン新潟の駐車場に着くと、近頃になく多い車の数。
松本から多数のサポーターが応援にかけつけたのか?
それとも、J1残留の願いを込めて、新潟の応援に県内から多数が詰めかけたか?
いつものゲートから入る時、あれっと思った。
今日は、JAサンクスデーで、新米のおにぎりがもらえるはず。
ところが、もらえなかった…。
ということは、入場者数が多くて、おにぎりはもう配り尽くされたということか?
スタンドに入ると、確かに観客は多い。
南側の1階スタンドは、ビジターに押されて、幅が極めて少なくなっていて、2階スタンドからの観戦。
4000人も松本からは応援に来ていたらしい。
熱心な松本の応援の声が響き渡っていた。


しかし、今日の新潟のゴール裏のNスタンドは、松本に負けず気合が入っていた。
選手入場時には、「アイシテル ニイガタ」のコレオグラフィを見せる。

そして、試合が始まると、「アイシテル ニイガタ」を歌い上げる。
オレたちがついてるさ 新潟 
やけどさせてくれ このゲーム
そう、やけどするくらい熱い思いのあふれた試合を見たい。

試合は、前半互角で進む。
ただし、ナビスコ杯も天皇杯も先週敗退してしまい、もう残るは残留争いしか残っていない新潟は、気合が入っているのがわかる。
水曜日の天皇杯の試合に出場せず、今日の試合にかけてきた選手たちの動きはすこぶるよかった。
相手のエースにボールを持たせない。
徹底的につぶす。
決定的な場面では、新潟の方が多かったが、シュート数では松本の方が多い前半であった。
そして後半へ。
今季を象徴するような、チャンスに決めきれない展開か?
そうこうしているうちに、ワン・チャンスを決められて負けてきたのが、今季の試合。
だから、こんな下位にいる。
ボール支配率は高いのに。
今日も、選手たちは相手のエリアには迫るのに、シュートが打てない。
…そう思っていた時、突然、シュートが決まった。
強化指定選手として、来季に正式入団の予定の端山のシュートだった。
けが人が多い新潟で、9月からの数試合、ずっと先発出場していた。
慶応大学4年。FC東京からドイツ・マインツへ移籍した日本代表武藤の後輩だ。
さわやかなイケメン顔の彼が、見事に決めてくれた。

その3分後、今度はセットプレーから、主将であるDF大井のヘッドから追加点が決まった。
2-0。

久々に空席が少ない場内全体が、大揺れになった。
来場者数の発表では、31,324人。

今季初めて、3万人を超えた。
見たかったのは、こういう試合。
新潟が、攻守にわたってイニシャチブを握り、試合を支配する。
焦ってきたのだろう、松本の攻めが雑になってきた。
油断せずに守れば大丈夫。

決定的に危ないような場面はなく、タイムアップの笛が鳴った。

勝った!

新潟、裏天王山に勝利!!
残り3試合で、松本に対し、勝ち点6の差になった。
そして、順位では、神戸を勝ち点1上回り、鳥栖と勝ち点では並びながら得失点差で上回り、順位は13位に上昇。

だが、ヒーローインタビューでも、責任感の強い主将大井の表情に笑みはなかった。

オレたちは、もっとできたはずだ、というプライドがにじむ。


そう。われわれもタイトルを期待していた。
だが、もう残るは、J1リーグ戦の3試合しかない。
タイトルはもう望みは絶たれている。
ただ、“PRIDE OF NIIGATA”…選手たちの誇り…をもっと見たい。
残り3試合、勝利で2015シーズンを締めくくろう。

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再開RUNNING

2015-10-15 22:39:06 | RUN
新潟シティマラソンから4日が経った。
そろそろ脚の各所の痛みもおさまったように思えた。
新潟マラソンから帰宅した日には、体重は普段より5キロも減って、ついに体重が1年前よりも10kgも減ったことになる、という71.6kgであった。
それも、3日間あまり動かなかったら、昨夜の体重は74.9kgにまで戻っていた。

今日は、秋晴れの青空がきれいな一日だった。
夕方、早めに帰宅し、久々に走った。
走る前のストレッチでは、まだ少しだけ筋肉痛が残っているのを感じた。
走り始めてみると、まだまだ脚には筋肉痛が残っているのだなあ、と実感した。
気温14℃。少し肌寒い。
だから、体が温まるまで寒さは我慢して走る。
そうこうしているうちに、筋肉痛は感じなくなってしまった。

最初の1kmが5分28秒だった。
次から、5分2秒、4分54秒と、だんだん速くなってきた。
この辺りから、気持ちよいスピードで走りたくなった。
「走っている」というのが心地よい、そう思うスピードで走っていたら、4分45秒、4分45秒、4分46秒、4分42秒。
こんな速さで走ったことは、フルマラソンに備えていたこともあって、しばらくなかったことだった。
少し息は荒くなるが、走ることが気持ちいい。
最後の1kmは少しペースを落として、5分20秒。
あっという間に8km走ってしまった。

やっぱり走ることは気持ちいいなあ。
フルマラソンなんて、これのわずか5倍でしかない、とは思うのだが、肉体に消耗度は何倍も大きい。
風を切って走ることが気持ちいい、ということを改めて思い出す今日の走りだった。

走り終わってから、しだいに両太ももの前側が筋肉痛になってきた。
それでも、軽い気持ちで8km走れた。
フルマラソンで打ちのめされたような気分にはなったけど、やっぱり走るのは気分がいいなあ。
いつまでも走れる自分でいたいなあ。
改めてそう思った、今日の再開RUNであった。


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1つの夢の実現~新潟シティマラソン、5時間内で完走達成!(3)

2015-10-14 20:32:22 | RUN
34kmを過ぎた。
あとわずか8kmだ。
なのに、この辺りから、ガクンと来た。
下りがあってもペースを上げられない。
むしろ体がブレーキをかける。もどかしい。
息子に、再び追い抜かれた。
ついていきたい気持ちはあるが、体がきつくなっているから、いけない。
頭を前方に傾け、その重みで体が前進するようにする。
これは、ずっと心がけて走ってきたことだ。
苦しくて、道端で応援する人たちの方を見る余裕はなくなった。
ただただ前傾姿勢をとることに努める。
34kmから36kmまでキロ7分43秒、7分34秒。
自分が、心の中で最低限と決めていた7分よりもうんと遅くなっている。
しかし、計算上は25km以降は、キロ8分でもいい、としていたはずだ。

ただ、急激な体のダメージが焦りを生む。
背筋が痛い。
走っているのを維持するのがやっとの体の動きのまま、一昨年リタイアした36km過ぎのポイントを過ぎ、第8関門の37.2kmポイントを過ぎた。
さらに、3年前はここからキロ10分以上を要したことを思い出した。
今年は、まだ走るんだ、と心に強く思ったが、なんとも情けないスピードになっていた。
この1km8分34秒。
38kmで、8分3秒。
少し持ち直した。
だが、この苦しさはどうだ。
足が上がらない。
腕も筋肉痛だ。
息苦しさも感じる。

38.2kmポイントの第9関門を突破。
あと3kmとなった。
信濃川に沿ってたった3kmを走るだけだ。
しかし、走れない。いや、走っても全然速くない。
速足で歩いているランナーとほぼ同じ速さだ。
これなら、いっそ大股で歩いてしまえ。
そう思って、歩いては走っては、を繰り返した。
後方のランナーの会話が聞こえた。
「フル(フルマラソン)を甘く見ていたよな。」
「ホント、その通りだよ。」
…そう。甘く見ていたつもりはないけど、最後の3kmでこの苦しさを味わうか、というくらい苦しくなった。

39kmでキロ8分39秒、40kmで8分29秒。
歩きたい。ただ、歩いてばかりいると、制限時間に間に合わなくなることだってありそうだ。
何度も何度も、もう歩かない、と心に決める。
だけど、脚を中心に体の厳しさを思う。
40kmを越えて、5個ポケットに入れておいた飴の最後の1個をなめる。
ところが、口の中がざらついて、飴が異物を入れているような感覚だ。
なんだか吐きっぽい感じもする。
41kmでの1kmはついに、9分13秒もかかった。
ダメだ、走れない。

ゴールが近づき、ランナーたちはスピードを上げる。
だけど、自分は歩きが中心で走りが中心ではない。
悔しい。
だけど、どうしても制限時間内にゴールするんだ。
歩きが中心になってしまっても仕方がない。
今の自分は、ゴールに向かって、精一杯がんばっているんだ。
そう自分を励ます。
形なんか、もうどうでもいい。
そう思いながら、走り・歩きを繰り返していた。

通りの最後の曲がり角に来た。
そこに高橋尚子さんが、「おかえり~」と言いながら、ランナーたちと次々とタッチをしているのが目に入って来た。
私は、「ただいまー。ありがとう。」と思わず声を出して、ハイタッチをした。

角を曲がり、100mほど走ると、陸上競技場入口。
帰って来た。あと150mだ。
競技場のレーンの柔らかさを感じながら走る。トラック沿いに並んだ日本文理高校のチアリーディング部の女の子たちが、「もう少しです」と励ましてくれる。
「ありがとう。」と答える声を出すこともできず、目で感謝の気持ちを表す。
そして、「FINISH」と書かれたアーチの下をくぐった。

ほとんどのランナーが両手をあげ、やったというポーズをとりながらゴールする。
自分もそうした。

やった!
ついに5時間の制限時間内にゴールしたぞ!
グロスタイム4時間51分台。
ネットタイム4時間48分台。
グロスタイムでもクリアして、正式記録として認められる。
人生の、50歳からの、目標としていた大願成就。
電光掲示板の方向を見て、涙がこぼれた。

本当に疲れた。
150mを6分もかかって記録証の発行所のテントをくぐった。


息子がそこに待っていてくれた。私よりも7分ほど早くゴールしたとのこと。
すると、ここで大雨になった。
天は私を祝福せず、逆になんとむごい仕打ちをなさるのじゃ…。
役に立ったのは、大会のスポンサーであるサトウ食品のこのクリアファイル。
「サトウ食品様」は、記録証をこのファイルとともに渡してくれるようにサービスしてくれていたのだ。
大好きな(?)NegiccoのCM写真が載っているクリアファイル。

雨に当たっても、少しぐらい汗にまみれても、このファイルに入っていれば、記録証は濡れない。大丈夫。
ありがとう、Negiccoそしてサトウ食品。
大雨を避けるために入ったテントは、農協の特大おにぎりかサトウ食品のパックごはん。
息子は前者を、私は家へのお土産に後者を選んだ。

着替えた後、誘いに乗ってサトウ食品のテントから、焼いた切り餅をいただいた。
レース直後の大雨で、たくさんの餅を焼いて待っていたサトウ食品ブースでは、あてが外れたらしく、1コップに2本を入れて配ってくれた。

「おかわりもあります。」と勧められたが、内臓が疲れ切った私には、もう結構ですと答えるしかなかった。

その近くにあったボードを背景に、記念写真。


走り切った、とは正直言い難いが、とにかくゴールにたどり着いた。
このことを素直に喜びたい。
人生の大きな目標として、50代になってから意識して走り始めた。
今回もフルマラソンの過酷さを、いやというほど味わった。
だからこそ、やり遂げた喜びは大きい。

両膝や太ももの筋肉がつらくて、その夜は寝る時も寝返りをうつのに、手の力を借りないとだめなほど。
立つ時、座る時も気合を入れて、ゆっくりでないとできないほど。
でも、痛みは、がんばってやり遂げた証拠。


サッカー新潟は、ガ大阪に敗れてしまい、がっかりだった…が、自分の中では、達成感でいっぱいであった一日であった。


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1つの夢の実現~新潟シティマラソン、5時間内で完走達成!(2)

2015-10-13 20:11:15 | RUN
さて、関屋分水路岸を離れ、浦山、青山の街中を抜けると、国道402号線に出る。
ここからの往復約20kmは、海沿いの砂地の中を舗装された国道の道である。
最初に参加した4年前の大会では、陽射しをさえぎるものもなく、その強さが身にしみた。
2年前の大会では、向かい風が強くて、負けずに走るだけで疲れてしまった道でもあった。
今年は、気温も高くなく、風もさほどでない。

12km地点を過ぎたあたりで、急に呼びかけられた。
なんだ、この蛍光色の赤いヤツは?
誰かと思ったら、ほかでもない。
一緒にこのレースに参加している息子であった。
てっきり私の先を行っていると思っていたら、後ろを走っているとは。
「ゆっくり走ってきて、ストレスもない。これから上げていくよ。」と言いながら、彼はペースを少しずつ上げて前へと去っていった。


13km地点を過ぎて、最初にフルマラソンに挑戦した時、あと先考えずに走ってきて、最初に脚に痛みを感じたのが、この13kmであった。
そのことを思い出した。
ここで、もう1位の選手たちが反対側の道を走ってきていた。
なんて速いんだ。まだ折り返し地点まで7kmもあるのだ。
13km地点で、14kmも差がついているということか!?
でも、こっちは我慢、我慢。

ゆるやかなあるいは細かいアップダウンがあるものの、道は大きな風景の変化がなく進む。
15kmまでのタイムは、6分9秒、19秒、5分54秒、6分7秒、16秒。
まあ、順調だ。

次々と、速いランナーたちが折り返してすれ違ってくる。
16km付近で、前の前の勤務先で知り合った方とすれ違った。
この方は、私にマラソンを走りたいなあ、と思わせてくれた若い方だった。
この人のおかげで、私も自由に長距離を走ってみたい、やってみたいという決心に至ったのだ。
「○さん、ガンバです!」
と声をかけると、大きな目をさらに見開いて、「おお!」と右手を上げてみせた。

このころ、ちょっと不安が生じていた。
着地する足のつき方によっては、左膝に違和感があることがあった。
が、まだ痛みはないので「楽な走り」を心がけて、走り続けた。
しかし、折り返し点は遠い。なかなか近づかない。

そうこうしているうちに、どんどん「対向者」が多くなってきた。
サブ3やサブ4ランナーたちは、こんなペースで走っているのだろうなあ。少しうらやましい。
それよりも、まず自分はこの6分台のペースで走ること。それが、完走への第1条件。

内野新川大橋を渡って、やっと20kmポイントへ。
そして、ここには、初めてのフードが。
スポーツドリンクや水のあと、バナナ、トマトをいただいた。
さらに、塩を振っていただいたら、なんと左手に山盛りの塩をかけられてしまった。
どっさり。振り払ってもたっぷりついたまま。何度もなめてしまった。
結局22km過ぎのスポンジエイドまでしょっぱい左手をなめていたのであった。
25kmのエイドでは、新潟で限定販売されている米菓「サラダホープ」(亀田製菓)が、塩分補給にどうぞ、と配られていた。

1個いただいて、ポケットに入れた。

折り返し点前での「給食」で7分6秒かかってしまったけれど、その後の5kmは、6分14秒、18秒、17秒、38秒と善戦している。
ずっとずっと続く、長い変化のない海岸の国道を行く。
抜いていく人を見ていると、自分が遅くなっているような錯覚を覚える。それが自分の焦りを誘うのだ。
でも、ウオッチを見て、自分の速さを確認すると、確かに決して遅くなっていないのだ。
28km付近の松林では、最初に挑戦した時は脚がつっている自分だったなあ、などと思い返すこともできる。
タイムは落ちてきているが、まださほどではない。計算通りだ。仮に少しタイムが落ちていっても、キロ8分台でよいというレース前の計算通りなのだ。
そして、今日までの自分は、30km以降を走るために、練習をしてきたのだ。まだまだいけるはずだ。

そう思って苦しくなってきた中を走っていたら、目の前に、蛍光色の見覚えのある赤いランナーが。

おお、息子だ。

なぜか知らんが、追いつけそうな所まできてしまったぞ。
あまり調子が良くないのか?
(後で聞いたら、トイレに寄ったそうだ。)
そこで、30kmポイントの坂を迎える。
実は、自分も25km以降、6分35秒、27秒、35秒、37秒、47秒と、6分台後半になっていたのだった。
4年前の初挑戦では、関屋分水路を渡るこの浜浦橋を渡れず、バスに乗った。
2年前は練習不足もあって、この近くで5時間ペースを示すランナーに抜かれた。
これらの屈辱を経て、今度こそは5時間以内に完走するのだ。
浜浦橋の橋上にいる蛍光色の赤いユニフォームの息子を追いかける。

浜浦橋を渡り終え、息子に追いついた。
「行ける所まで行くから、先に行くよ。」と告げ、息子を追い越した。
31kmのフードエイドでは、バナナを1本渡され、サラダホープもいただいた。
さあ、これからもがんばるぞ。

2年前は、時間制限で止められるまで歩こう、と歩き続けた道を、今年は走っている。
自分の練習の成果を見たような気がした。
34kmまでは、キロ6分45秒、46秒、49秒でいけた。
しかし、ダメージが広がってきていた。
それは、急激に、そして、ガクンと自分の力をなくしていくのだった。

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1つの夢の実現~新潟シティマラソン、5時間内で完走達成!(1)

2015-10-12 20:24:15 | RUN

やった!
ついに、制限時間内に、フルマラソン完走を果たした。
数年来の夢を果たすことができた!
3年前に、ゴールしたことがあったと言っても、グロスタイムでは制限時間の5時間を超えてしまっていた。
制限時間オーバーとして扱われるので、喜べないままだったのだ。
いつかこの雪辱を。
そして、走り始めてからの夢の達成を。
心に期していた。

10月11日(日)新潟シティマラソン。
フルマラソン一般男子50歳代の部にエントリーしていた。
結果は、
グロスタイム4時間51分台。
ネットタイム4時間48分台。
総合順位は、5464人中3700位近い。
50歳代男子では、1131人中800位近い。
それでも、制限時間の5時間以内をクリアできたのだ。
喜びは、人生の中でそう多くないほどの大きいものであった。

当日の気温は、16℃。
天気は、雨だった。
レース前、朝早く4時半に起き、始発から2番目の電車に乗って会場に到着したものの、マラソンの出発時間まで意外と短かった。
出発の前に、まずトイレ。
この大会は、12,600人も参加するのに、トイレが少なすぎる。
陸上競技場や体育館のトイレ、外の簡易トイレの前に並ぶ人の多いこと多いこと。
7時35分から開始式だというが、始まった時には、私は、外の簡易トイレの前で雨に打たれながら、トイレのドアが開くのを立っていたのであった。
陸上競技場内に入れたのは、開始式も終了しそうな頃。

すでに、地元新潟のアイドルグループ、Negicco(ねぎっこ)のあいさつは終わっていた。
ゲストランナーの尾崎好美さんや高橋尚子さんの話の一部を聞くだけで終わってしまった。
スタート地点の最後尾、Dブロックからスタートする私は、Dのさらに後ろからになってしまった。

でも、うれしいことが2つ。
1つは、陸上競技場からスタート地点に移動する際、先日飲み会で隣り合って知り合った方から名前を呼ばれ、激励を受けた。
もう1つは、競技場から道路上に出たら、そこにNegiccoの3人組が激励で手を振っていた。
これと同じ服装をしていたのだ。

うれしかったので、つい前の人と同様に、3人と握手に出てしまった。
「がんばってください。」と言われ、メンバーのKaedeさんには、「CDよかったです。」と言ったら、「ありがとうございます。」と返してくれ、さらに好感度が増したのであった。
最近買ったアルバムは、本当に良い出来だったのである。(シングルも出ているけど)

スタート地点は、市役所前なのだが、われわれDブロックの出発地点は、300mほど後方からの出発。

8:00に出発の号砲が鳴ったが、私がスタート地点にたどり着いたのは、8:03過ぎ。
さあ、ここからが本当の出発。
今回は、ランニングウオッチが強い味方として頼りにしている。機能として、1km走るごとにどれだけのペースで走ったのか、速さが表示される。
レース前日、計算してみると、自分が走りやすい1km6分30秒ペースで25kmまで走ると、残り17kmは、1km8分ペースで走っても、5時間の制限時間内にゴールできるという計算になった。 
まず、この計算を自分の強みにして、6分30秒までのペースで30kmまで行ければ、残り12kmを8分台ペースになっても、ゴールにたどり着けるはずだ。
そう考え、体に無理がない余裕の走りで30kmまで行きたい。
今まで3回のフルマラソン挑戦で、30km以降は、脚が棒になる経験をしている。
だから、なるべく楽な走りをしながら30kmを迎えたい。
そう考えたのだった。

スタートしてから、広い西堀通から柾谷小路交差点へ。
いかにも地方の都会的なビル街である。
最初の1kmは、6分と1秒。初めは速く行き過ぎる時もあるのだが、まあまあだ。
古町から駅方面に向かって行くと、新潟市の象徴のような万代橋を渡る。
橋の上で2km地点を迎えたが、キロ6分20秒ペース。悪くはない。
ここから先は、しばらく信濃川の川沿いを行く。
といっても、土手を越えた道なので川は見えず、しかも道幅が狭いので前の人が邪魔になることがよくある。
ペースを変えることは、疲れにつながるので、我慢、我慢。
6kmの県庁まで、6分2秒、10秒、11秒、15秒と悪くはない。予定通り。
やがて、千歳大橋を使って信濃川をまた渡る。
橋を渡る時、上りは無理せず目線を下にして着実に歩を進める。下りは、歩幅が大きくならないようにしながら、気持ちよく下りのスピードに少しだけ乗って進んでいく。
9km辺りで関屋大橋、関屋分水路を渡る。
早くも3つ目の大きな橋渡りである。
10kmの手前で、後方から30分遅れでスタートしたハーフマラソンの先頭の選手が来た。速い!
9.5kmに、ドリンクエイドがある。ここで、息子からもらったアミノ酸の粉末3本のうち1本を、水で飲んだ。
10kmまで、6分15秒、8秒、15秒、9秒。
10kmは、日頃普通に走っている距離だったので、不安なく来れた。
ここから先の1kmほどは、関屋分水路堤錠を行くが、走路としては狭い。
そこにフルマラソンの遅い選手たちでいっぱいになっているところに、次々とハーフの速い選手たちが来てしまう。
「通ります。」と大声を出すのに、前方には走路をふさぐランナーたちがたくさんいる。
ハーフに出場している速い選手たちが気の毒に思えた。
まだまだレースは、全体の4分の1を過ぎた程度に過ぎない。
とりあえず、冷静に入れた前半であった。
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