ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

平成27年度最後の日に思う

2016-03-31 21:49:54 | 生き方
3月31日。
今日で平成27年度が終わる。

今日は、退職・転出の方々へ辞令が交付される日。
40人余りの勤務者がいる今の職場だが、今回の年度末で、仕事を辞める方が6人、転出される方が5人。
4分の1強の方々が、この職場を去って行く。
思い思いに、それぞれが人生の節目を迎えている。
去年、自分もそうだった。

今年は、また一味違う思いで、今日の日を迎えた。
何が違うのかというと、自分の思いである。
やめていく方々が、退職辞令を受け取る姿を見て、来年は自分だ、と実感した。

明日からの1日1日が、定年退職までの最後の1年となる。
カウントダウンの毎日になる。
職場での、毎年毎年の当たり前だった出来事が、「今年で最後」の出来事になる。
複雑な気持ちである。

まずは、明日からの日々を充実させていこう。
明日は、新しい方々が着任される。
今年度のように、素晴らしい職場となるように努めていきたいと思う。


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雪割草咲く季節

2016-03-30 20:53:26 | 草木花

職場の同僚の方が、
「今は、弥彦山や角田山で、オオミスミソウがいっぱい咲いていてきれいなんですって。」
と話しかけてきた。
「すっごい群生になってきれいなんだって、知り合いの方が教えてくれたけど、今私らは年度末で忙しくって、とっても見に行けないわねえ。」
と、グチりながら。

弥彦山や角田山は、新潟市からほど近い南西部にそびえている山である。
弥彦山は、634mの標高なので、東京スカイツリーができたころは同じ高さだと話題になったものである。
だから、初心者でも登るのに手ごろな山なのである。
この時期は、オオミスミソウの群生が見られたり、様々な種類が咲いていたりするので、またいいのである。

さて、オオミスミソウ。
言い換えれば、「雪割草」である。

たしかに小さくて、可憐で可愛い山野草である。
花弁の色もいろいろあり、園芸種でまた多様に美しく咲いているものもある。
結構希少価値のあるものがあったりするせいか、野に咲いているものを盗掘する人も多いらしい。
わが家でも、数種類の雪割草が咲いている。

これらは、もちろん野生のものを盗掘してきた訳ではない。
数年前、五泉市・村松公園に出かけた折、近くのビニルハウス内で栽培されていたので、気に入ったのを少し買って来たのである。
鹿沼土に植え替えて、そのままにして玄関入口前に放置してあるのだが、毎年咲いていてくれている。

家庭の事情で野生のものを見に行けていないのは残念なのだが、玄関の足元を飾ってくれている。



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福寿草咲く季節

2016-03-28 22:03:52 | 草木花

自分のプロフィールの写真をこの1年間、ずっと福寿草にしていた。
この明るさ、黄金色のこの輝き。
とても暖かく感じられ、やっと待望の春が来た、と感じる。
春先に最も美しく輝く花だと感じる。
漢字で書いた時の字も、福に寿。
めでたさに満ちあふれている。
「福は内、鬼は外」という訳ではないが、福がやってきそうな気がする。
この花の写真を飾っているだけで、幸福が舞い降りて来そうな気がするのである。

わが家の福寿草も咲いた。
たった2輪に過ぎないけど。

この福寿草は、5年程前だったかな?
群馬・秋間梅林に行った際、売っていたのを買って来たもの。
わが家で地植えして生き延びてはいるが、土地がやせているせいか、年々咲く花の数が減り、さらに細くなってきているのが、ちょっぴり不安。
何らかのお世話をしないと、なくなってしまいそうだ。

今日見ていたら、同じように黄色い花でも、草ではなく庭木のレンギョウのつぼみがふくらんできていて、驚いた。
福寿草の季節もあっという間に終わろうとしているなあ…。
でも、今年もわが家の庭に咲いてくれて、ありがとう。



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2016ナビスコホーム開幕戦、完封勝利!

2016-03-27 21:33:08 | アルビレックス新潟

ナビスコ杯今季第2戦。
4日前には、アウエー仙台戦で、ボールをずうっと支配しながら、1点も取れずに敗れた新潟。
対するは、サガン鳥栖。

前節は試合がなかったため、新潟に比べて体力は温存されている。
おまけに、今節の新潟は、ラファエル、指宿、山崎と、相手に脅威を与えられるFWが皆負傷欠場。
ベンチ入りすらしていない。
FWは、平松と田中達也しかいない。
0-3くらいで負けるんじゃないか?
という予感めいた感覚を持ちながら、試合開始。
不安視していたとおり、前半は、鳥栖の選手の出足が良い。
何度も枠内にシュートを打たれた。
今季1試合も0で終えたことがない新潟なものだから、先制されるのは時間の問題かと思っていた。
ところが、今日のGK守田は、文字通り守護神。
神の対応。
鳥栖の決定的な枠内シュートを3本、4本と止めまくった。
いい出来だった。
また、田中達也も、相変わらずキレのいい動きで、相手の隙間を駆け回っていた。
後半は、鳥栖に対し新潟が動き負けしなくなった。
互角の展開ながら、局面局面で負けなくなった。
そして、ボールの支配率が上がり、チャンスも多くなってきていた75分だった。
「チームの心臓」レオ・シルバが走り込み、加藤のスルーパスを受け、見事にゴールを決めた。

田中達也に代わって、ケガの癒えた成岡も出場。

相変わらずの安定感のあるプレーを見せていた。
結局、新潟は、1-0で今季初完封勝利!

レオとコルテースは、愛想よく手を振ってくれていた。


久々のバンザイは、気分がいい!\(^o^)/
今日のヒーロー車に乗ったのは、守護神守田。

ヒーローインタビューも頼もしかった。


攻撃の主力選手たちがいなくても勝利をつかむことができた新潟。
シーズンが始まってまだ日が浅いこの時期、勝利は何よりのエネルギー源となる。
今後の試合も、楽しみだ。
次の試合も勝利しよう。
新潟、LET’S GO !
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桜うた

2016-03-26 22:29:41 | うた

桜の開花が年々早くなってきているなあと思う。
以前は、関東中心に、「桜の花の下での入学式」と言われていた。
私たちが若い頃は、桜が咲くのは、3月末から4月初旬というイメージだった。
新潟県で私の住む辺りでは、桜が咲くのは、4月の半ば過ぎが普通だった。
それが、近年は4月の7日ごろにもう咲いていることがあるようになってきた。
桜前線が北上するのがずいぶん早くなってきている。
ただ、今ではまだ、新潟では桜の開花まではまだ時間がかかりそうだけれども。

J-pop系の歌では、1990年代の前半に出された、渡辺美里の「さくらの花が咲くころに」ぐらいしか思い浮かばないのだが、福山雅治が「桜坂」をヒットさせた2000年頃からのおよそ10年間、毎年のように「桜」の名の付く歌が流行ってきたように思う。
代表的なもので言えば、
・桜坂(福山雅治)2000年
・さくら(独唱)(森山直太朗)2003年
・サクラ(ケツメイシ)2005年
などが思い浮かぶ。
「さくら」(桜、サクラ、sakura)を曲名あるいは曲名の一部に使われているもので、自分が聴いたことがあるものを整理してみることにした。

2000年 桜坂(福山 雅治),桜の雨いつか(松 たか子)
2002年 SAKURAドロップス(宇多田ヒカル)
2003年 さくら(独唱)(森山直太朗),桜(河口 恭吾)
2005年 さくら(ケツメイシ),桜(コブクロ)
2006年 SAKURA(いきものがかり)
2008年 桜ノ雨(初音ミク)
2009年 桜(ファンキーモンキーベイビーズ),Sakura(レミオロメン)
2010年 桜雨(JUJU),サクラサク(北乃きい),桜(Instrumental)(浜田省吾)


いくつもの桜の歌を聴いていたら、だいたいいくつかのパターンに分かれることが分かった。
①桜の下での卒業・別れだが、また会おう
②桜と別れの思い出
③桜のように美しい愛を育てる決意
こんな類型分けができるかな?と思った。

せっかくだから、これらを、80分間のCD-Rに編集してみた。
ついでに、さくらの花の咲くころに(渡辺美里)も、1991年の曲だけど、入れることにした。
1さくら ケツメイシ2005
2Sakura レミオロメン2009
3SAKURAドロップス 宇多田ヒカル2002
4桜 ファンキーモンキーベイビーズ2009
5SAKURA いきものがかり2006
6さくら(独唱) 森山 直太朗2003
7桜  河口 恭吾2003
8桜坂  福山 雅治2000
9サクラサク 北乃きい2010
10桜 コブクロ2005
11桜の雨いつか 松 たか子2000
12桜雨 JUJU 2010
13桜ノ雨 absorb 2008
14さくらの花の咲くころに 渡辺美里1991
15桜(Instrumental) 浜田省吾2010

完成!
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慌ただしき年度末よ

2016-03-24 22:24:34 | 生き方
心を亡くす、と書いて、「忙しい」
心が荒れる、と書いて、「慌ただしい」

本当に、毎年のことだが、3月の今の時期は、忙しく、慌ただしい。

彼岸の3連休の後、勤務先では、終業、卒業、離任と、「式」が付く毎日。
様々に準備するものがあり、様々な気遣いが要求される。

今日は、その中日。
夕方は、すごい疲労感であった。
しかし、目途が立たないのに家に帰るわけにはいかない。
毎日、3時間~4時間の残業をしているが、なかなか処理できないで帰ってくる。
驚くべきは、私が帰る時、まだまだ結構な数の職員が残って仕事をしていることだ。
皆、疲弊しなければいいけどな…と心配する。
皆、本当に熱心に手を抜かずに仕事をする。
がんばらないとやっていけない仕事だが、がんばりすぎる職員に、がんばるな、とは言えない。

3月。年度末。
まあ、やるしかない、と気合を入れる毎日である。
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娘よ(77)

2016-03-21 18:04:31 | 生き方
暖かくなって、娘がまた困る季節となってしまった。
花粉症である。
目はかゆくて仕方ないし、鼻水が止まらない。
通院している病院で目薬を処方してもらったが、点眼してもなかなか効き目がない。
せっかく暖かくなってきたので、寒さや雪の心配がなくなり、外を歩かせて足腰を丈夫にしたいところなのだが、外に出ると花粉症の症状がひどくなる。
だから、あまり外に出せなくなってしまっているのである。
うまくいかないものだ。
そうやって甘やかしてばかりもいられないから、買い物に出る時などを使って少しは娘を歩かせるようにしていた。
ところが、足腰が弱っている娘は、先日、ちょっとした段差につまずき、左ひざを打ち、かばって出した右手から倒れてしまった。
手首も強く打ちすりむき、そこが青くなってしまった。
首から上は花粉症、首から下は打撲傷。
散々な状態となってしまった娘なのであった。


その翌日、娘は電話しながら、泣いていた。
もう高校を卒業してから10数年になるのだが、電話をしてきたのは、高校の同級生だった。
先日、案内のはがきが届いていたが、欠席と書いて出していたのだった。
その案内は、高校時代の担任が勤めを辞め、東京へ行くことになったので、その惜別の会を行う旨の連絡だった。
娘は、その担任の先生の教官室に仲間と入り浸っていたのだった。
そんなによくしてもらっていた先生との惜別の会が開かれたのに、出席のない娘だった。
なので、会の幹事を務めた同級生が電話をくれたのだった。
件の先生も、会では娘の名をあげて「どうしてるのかな?」と心配してくれたとのこと。
そのくらい、娘は人懐こく印象深い生徒だったようだ。
幹事の方も、今まで何度かケータイに連絡をくれたようだが、つながらないので(日頃は電源を切ってある)、今回家の電話に連絡をくれたのだった。
最近や近年の記憶はなくとも、高校時代の記憶は残している娘である。
電話するうちに、声が涙声になった。
柱につかまりながら、顔を向こう側に向けていた。
両目からは涙がこぼれていた。
「今度、ショートメールで連絡をくれるって。」
そう言って話す姿は、何ともない普通の姿に見えた。

彼岸の連休ということもあり、埼玉からまた伯父ちゃん(私の義兄)が訪ねて来てくれた。
「伯父ちゃんと会うのは久しぶりの気がする。」
と言っていた娘であった。
去年の11月にも来てもらっていたのだけど、それが久しぶりなのか、それともそんなに久しぶりでないのか、は、判断に迷うところだけれども。

彼岸なので、墓参りにも行った。

墓は斜面にあるので、2日前に転んで打撲したひざなどを痛がりながらの上り下りではあった。
ただ、転んだばかりとはいえ、足元は以前に比べて力強い。
後ろから妻が支えていたが、体重が増加した娘と妻の体重差は、今や23,4㎏。
娘が転べば、妻が巻き添えになることは間違いない…?
丸一日滞在して伯父ちゃんは帰って行った。
来る前に車の話をしていた時、その車のナンバーを聞いてみた。
「(ナンバーは)覚えていない。」と答えていた娘だが、「伯父ちゃんちの猫の名前は何だっけ?」「ヒントは、タイガーマスク」と、2つヒントを出してあげたら、見事正解!
…思い出すことができていた。
確かに、まだまだ「全く」に近いような短期記憶なのだが、この猫の名前は、病気以前は知らなかったはず。
それが思い出せたことは、うれしかった。

また、今朝話してみても、伯父ちゃんが来ていったことは覚えていた。
少しは短期記憶が残る時もあるのはよいことだと思えた。


朝起きて、2階からから階段を降りてくる時、「左・右、左・右」と声を出しながら歩くことにしている。
毎朝指示しなくても、「左・右」の声を出すことは、習慣化してきている。
ほかにも、毎朝連続テレビドラマ「あさが来た」を見ながら、その主題歌「365日の紙飛行機」を声を出して口ずさんでいることが多い。
習慣化すれば意識して行うことができる、ということも少しは増えてきている。
「私が、いつ、どこで倒れたか、まったく覚えていないけどね。」
今もそう言う娘ではあるけれど。

あと2か月余りで、倒れてから3年になるのだなあ…。
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2016J1ホーム初観戦

2016-03-20 17:03:59 | アルビレックス新潟

2016J1リーグも第4節。
新潟のホーム開幕第2戦は、対柏レイソル戦。

私にとって、今季初参戦―初観戦。
しかし、3月中旬で年度末も近いし、雨の影響もあって、観客の出足も鈍い。
これでは、1万5千人もいかないだろう…。
なんだか寂しいな…とも思った。(後の公式入場者数発表は、14,627人)
でも、まずは新潟のB級グルメ「イタリアン」のカレー味大盛りを食べて気合を入れた。

今季は、開幕戦こそ勝利したもののその後連敗で、新潟は、1勝2敗。
第2戦で神戸に3-6で大敗したことが響いて、借金3。
しかし、今季のアルビは、失点も多いが得点も多い。
3試合で得点6、失点9。
6得点のうち、4点をたたき出しているラファエル・シルバが、前節2枚のイエローカードをもらったため、今節は出場停止。
得点源となる選手がいなくても、何とかなるだろうと思わせてくれるのが今季のアルビである。

2戦連続先発出場の田中達也が、キレキレの動き。
試合開始9分で、見事に先制ゴールを決めてくれた。

前半は、圧倒的な新潟のペース。
ボールはよく奪うし、よく支配している。
この調子なら、今日は勝てる、と思いつつ前半が終わった。

勝負の後半が始まってからあまり多くの時間がたたないうちに、今日すばらしいプレーを見せていた田中達也がケガで退場。
これが潮の変わり目となったか、やがて同点弾そして逆転弾を食らった。

その2発は、いずれもこちらの右サイドを破られたもの。
右サイドバック本職のプレーヤーがケガをしている新潟。
そこを守っている小泉としては、つらいところだ。
同様に、決定弾を打たれたのは、ゴール前のヘディング。
センターバックの守備が同じやられ方をしているのも悪いのじゃないか、とDF陣が批判をされても仕方がない。
ところが、最後に同点に追いついたのは、そのDF陣の活躍によるところが大きいのだから、なんとも…。
小泉に代わった酒井がゴール前にボールを上げ、セットプレーで残っていたCB増田がヘディング。
シュートを試みたのだが、ボールはゴール方向には向かわずに流れていく。
そこに追いついたFW平松がシュートしたボールは、相手にはばまれた。
だが、ゴール前に高くバウンドしたボールに、DF大野和成が体ごとゴールに飛び込むヘディングシュート。

起死回生の同点ゴールとなった。

…試合終了間際の同点だったが、勝利とはならなかった。

が、グラウンドにへたり込んで立ち上がれない柏の選手たちの姿が印象的だった。

敗戦寸前に引き分けに持ち込んだのは、終わり方としては勝った気分。



こんなふうに、今年のアルビは、失点も多いが、得点も多い。
先行されたり逆転されたりしてもやり返すのが、今年のアルビレックス新潟なのだ。
4試合で8得点は、J1リーグ第2位の得点力。(1位川崎に4点差。3月19日現在)
ただし、11失点は、J1リーグダントツ第1位の失点力。(2位柏・湘南に3点差。3月19日現在)
でも、得点が入るサッカーは面白い、ということを教えてくれる今年の新潟だ。
守備力のアップはこれからの課題だが、攻撃力の向上は頼もしい。
吉田達磨新監督のサッカーは、面白い。
順位は簡単に上がらないかもしれないが、今季の新潟のサッカーは期待できる、と確信した今季初参戦―観戦であった。


駐車場までの道には、つくしがわんさかと…。
春だ。
これからもっと暖かくなる。
新潟のサッカーだって、きっともっと強く楽しくなる。
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風花舞う季節

2016-03-12 22:44:40 | 生き方
3月も中旬に入った。
東京大空襲の日、東日本大震災の日、と大きな災害のあった日が続く。
東京大空襲の日は、父の誕生日であった。
56歳で亡くなった父が生きていれば、88歳。
喜寿を迎えていたことになる。
その翌日が、5年を迎えた震災の日。
5年前に書いたことがあるが、いわき市は母の出身地である。
東日本大震災では、福島県沿岸の母方の親類たちが大変な被害にあった。

…こうして、3月のこの連続した日は、両親を思い出すことになるのである。
そして、もう1日、今日3月12日に関しても実は母の災難の思い出とつながる。

それは、2003年のその日だった。
母の手術日である。
11月に一時は余命1か月と言われた母が、つらい抗がん剤治療を乗り越え、さらに胃と胆のうを全摘し、すい臓も3分の2摘出という大手術をした日であった。
手術の日は、寒い日だった。
手術室の前でずっと待っていた時は、何も手がつかず外を眺めることが多かった。
はらはらと風花が舞っていた。
雪と呼ぶにはあまりにも少なく、あまりにも軽く空中を漂っていた。
がんと闘う母の命が、その風花と同じようにすごく軽く感じられた。

長い時間の胃等の摘出手術が終わり、ストレッチャーに乗せられて手術室から出てきた母は、意識があるのかないのかわからないが、目をつぶったまま、子どものように「痛でよ~、痛でよ~。」と繰り返しつぶやいていた。
そこから復活し、一時は退院して元気になったかと思われたこともあった母だったが、その手術の2年後に亡くなったのだった。

東日本大震災でも、被災したあちこちの地域でも、雪や風花が舞うのをよく見かけた。
今年の3月11日の朝も、こちらでは風花が舞っていた。
青空だというのに、空からはらはらと軽い風花が降りてくる。
この時期は、風花舞う季節だなと思う。

春が近づくことを感じもするのだが、災難の思い出とも重なる3日間である。



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白鳥たちが北へ帰って行った

2016-03-08 22:34:46 | 自然・季節
朝、勤務先の門に立っていると、コー、コー、コー、コーという鳴き声が東南の方から聞こえてきた。
おおっと思って、頭上を見上げると、白鳥の群れだった。
あまり多くない群れだったが、くずれかけた「くの字」の形で、北東の方へ飛んで行った。
そろそろ白鳥たちも北へ帰り始める時期なのだろうか、と思った。
しばらくすると、さらに大きな鳴き声が空の上から響き始めた。
今度は、50羽以上の大群だった。
列も「くの字」どころか、大きな「Wの字」を描きながら、一段と騒がしい鳴き声を響かせ、頭上を北へと飛んで行った。
まもなく、はるか東方の空にも、北を目指して飛んで行く白鳥たちの群れが見えた。

ひと月前の2月には、田んぼで群れていた白鳥たちだった。

いよいよ春が来ると感じたらしい。
今朝は、白鳥の集団疎開のような朝だった。
その後、建物の中に入ってからも、2,3度白鳥の群れが飛んで行くような鳴き声が窓の外から聞こえてきた。

私たちは、暖かい方が住みやすいのに、白鳥たちには、冷たい環境の方が住みやすいのだろう。
だから、これから寒い国へと帰って行く。
生きていく自然環境の違いを思った。

外を歩いてみると、足元には、数年前に春の雑草四天王、と言っていたオオイヌノフグリ、ハコベ、ヒメオドリコソウ、タネツケバナたちを、もう見ることができた。

待ち遠しかった、春が来るなあ…。
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