暖かくなって、娘がまた困る季節となってしまった。
花粉症である。
目はかゆくて仕方ないし、鼻水が止まらない。
通院している病院で目薬を処方してもらったが、点眼してもなかなか効き目がない。
せっかく暖かくなってきたので、寒さや雪の心配がなくなり、外を歩かせて足腰を丈夫にしたいところなのだが、外に出ると花粉症の症状がひどくなる。
だから、あまり外に出せなくなってしまっているのである。
うまくいかないものだ。
そうやって甘やかしてばかりもいられないから、買い物に出る時などを使って少しは娘を歩かせるようにしていた。
ところが、足腰が弱っている娘は、先日、ちょっとした段差につまずき、左ひざを打ち、かばって出した右手から倒れてしまった。
手首も強く打ちすりむき、そこが青くなってしまった。
首から上は花粉症、首から下は打撲傷。
散々な状態となってしまった娘なのであった。
その翌日、娘は電話しながら、泣いていた。
もう高校を卒業してから10数年になるのだが、電話をしてきたのは、高校の同級生だった。
先日、案内のはがきが届いていたが、欠席と書いて出していたのだった。
その案内は、高校時代の担任が勤めを辞め、東京へ行くことになったので、その惜別の会を行う旨の連絡だった。
娘は、その担任の先生の教官室に仲間と入り浸っていたのだった。
そんなによくしてもらっていた先生との惜別の会が開かれたのに、出席のない娘だった。
なので、会の幹事を務めた同級生が電話をくれたのだった。
件の先生も、会では娘の名をあげて「どうしてるのかな?」と心配してくれたとのこと。
そのくらい、娘は人懐こく印象深い生徒だったようだ。
幹事の方も、今まで何度かケータイに連絡をくれたようだが、つながらないので(日頃は電源を切ってある)、今回家の電話に連絡をくれたのだった。
最近や近年の記憶はなくとも、高校時代の記憶は残している娘である。
電話するうちに、声が涙声になった。
柱につかまりながら、顔を向こう側に向けていた。
両目からは涙がこぼれていた。
「今度、ショートメールで連絡をくれるって。」
そう言って話す姿は、何ともない普通の姿に見えた。
彼岸の連休ということもあり、埼玉からまた伯父ちゃん(私の義兄)が訪ねて来てくれた。
「伯父ちゃんと会うのは久しぶりの気がする。」
と言っていた娘であった。
去年の11月にも来てもらっていたのだけど、それが久しぶりなのか、それともそんなに久しぶりでないのか、は、判断に迷うところだけれども。
彼岸なので、墓参りにも行った。
墓は斜面にあるので、2日前に転んで打撲したひざなどを痛がりながらの上り下りではあった。
ただ、転んだばかりとはいえ、足元は以前に比べて力強い。
後ろから妻が支えていたが、体重が増加した娘と妻の体重差は、今や23,4㎏。
娘が転べば、妻が巻き添えになることは間違いない…?
丸一日滞在して伯父ちゃんは帰って行った。
来る前に車の話をしていた時、その車のナンバーを聞いてみた。
「(ナンバーは)覚えていない。」と答えていた娘だが、「伯父ちゃんちの猫の名前は何だっけ?」「ヒントは、タイガーマスク」と、2つヒントを出してあげたら、見事正解!
…思い出すことができていた。
確かに、まだまだ「全く」に近いような短期記憶なのだが、この猫の名前は、病気以前は知らなかったはず。
それが思い出せたことは、うれしかった。
また、今朝話してみても、伯父ちゃんが来ていったことは覚えていた。
少しは短期記憶が残る時もあるのはよいことだと思えた。
朝起きて、2階からから階段を降りてくる時、「左・右、左・右」と声を出しながら歩くことにしている。
毎朝指示しなくても、「左・右」の声を出すことは、習慣化してきている。
ほかにも、毎朝連続テレビドラマ「あさが来た」を見ながら、その主題歌「365日の紙飛行機」を声を出して口ずさんでいることが多い。
習慣化すれば意識して行うことができる、ということも少しは増えてきている。
「私が、いつ、どこで倒れたか、まったく覚えていないけどね。」
今もそう言う娘ではあるけれど。
あと2か月余りで、倒れてから3年になるのだなあ…。