ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

川又堅碁選手の活躍を楽しむ

2013-10-27 18:26:20 | アルビレックス新潟

日本代表監督、ザッケローニ監督が、新潟まで来て、試合を観戦したとのこと。
その試合で、PK2本を含む3得点。
今季2度目のハットトリックとなった。
川又堅碁の今季の得点は、これで背番号と同じ20に達した。
現在得点王は、川崎の大久保の22点である。
一気に得点王に迫ってきた。
シーズンの開始当初はレギュラーではなかったのだ。
そう考えると、すごいものだ。
5月の試合で、J1初ゴールを決めてから、一気に得点を積み重ねてきた。
新潟の今までのJ1での1シーズン最多得点は、エジミウソンの19得点だから、それも抜いたことになる。
新潟のJ1リーグ10年間で、待望の日本人ストライカーだと言える。
一昨年は、試合に使ってもらっても、ゴールポストやバーをたたくシュートばかりで、なかなか得点を上げられなかったのだった。
去年は、J2の岡山へレンタル移籍。
そこで、J2で得点ランク2位となって、自信をつけてJ1新潟へ復帰してきたようだ。
あの、なぜゴール内に入らない、と不思議だった川又の昔の面影はない。
サッカー選手としての成長を感じる。
今日は、ハットトリックと言っても、PK2本を含むものだったし、そのうち1本は譲ってもらったものだった。さらに、試合も、3-0から3-2と、あわや追いつかれそうな展開だったから、喜べないのも道理。
ただ、彼のプレーの中で、最も気に入っているのは、プレーする中で、審判に抗議することが少ないこと。
ファールをくらっても、相手選手に対し、苦情を言うことは少ない。いつも堂々としていること。
言い訳のないプレーぶりが、非常に好ましい。

そして、勝利試合後の彼独特の観衆とともに行うガッツポーズがなんとも頼もしい。

風格も感じる。


これで、新潟は、ホーム戦7連勝。
今年は、スタートダッシュはできなかったが、試合は見ていてとても楽しいものが多い。
残りは、4試合のみとなってしまった。
私は、あと2試合ホーム戦が残っているが、残念ながら仕事等の都合で、観戦は今日でおしまい。

川又のゴール量産を含め、残り4試合、楽しい試合を見せてほしいと願う。
何とか、勝ち点をあと7以上積み上げ、50以上にしてほしい。
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娘よ(19)~認識の違い

2013-10-26 20:45:35 | 生き方
娘に、―もう何度目になるのだろう―ひどいけいれんが起きてから、1週間余りが経過した。
眠ってばかりいた数日から、今は、だいぶ普通に起きているようになった。
ただ、言動は、不思議な言葉が多い。

娘の様子を見ていると、私たちが、こうして普通に生活して、毎日のことを覚えているという当たり前のことが、ものすごくすごいことだと思ってしまう。
朝、何を食べて、何をしたか、何を見たか、何を聞いたか、何を経験したか…。
こんなことが、自分の意思がなくとも、記憶に残っていく。
そんなことは、われわれにとって、ごくごく当たり前のことなのだ。
ただ、娘にとっては、そうではない。
つい今しがた娘がしたことも、話したことも、不思議なことに娘の記憶に残らない。
娘の脳の中は、どうなってしまっているのだろう?

今日また不思議だなあ、と思ったことがあった。
夕食の食事中、ふと目を上げるたびに、「景色が変わった」というのである。
特に、目の前には、折り紙等を使って作ったリースの飾りが壁に掛かっているのだが、その飾りが見るたびに「変わる」というのである。
色や形が変わって見えるらしい。
本人は、大真面目に言っているのだ。
リースを見た後には、目の前に置いてあるペットボトル紅茶の色も変わった、と言う。
注目して見るものがすべて、目を外した後再び見ると、変わって見えるらしい。
この認識の違いは、どこから来るのだろう?

娘には、「ペットボトルは商品だから、商品が変化するはずはないだろう?」
と話して、納得させる。
「だから、ものが変わって見えるのは、脳の病気のせいだよね。」
と説明している。
「何も変わって見えないようになったら、病気がよくなってきている、ということかもしれないね。」
と、教えてもいる。
もっとも、何度教えても積み上がらないのだから、教えるのは、根気のいる仕事であるが。

人間の脳の働きの不思議さを非常に感じる、娘の不思議な認識である。



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ヨモギ~毎日祈りを込めて通り過ぎる

2013-10-21 22:23:43 | 草木花

毎朝、通勤路の道端に、気になる植物があった。
あった、と書いたが、今も健在である。
その植物の名前は、ありきたりの「ヨモギ」だ。

生まれ育った新潟では、ヨモギと言えば、新潟名産の「笹団子」の原材料の一つである。
笹団子は、草餅の一種であるから、そこに入れるのだった。
かつて、自分が生まれ育ったところでは、旧節句の頃、笹団子を作る習慣があった。
ヨモギの若芽を摘んでおいて乾燥させたものを入れて作るのだった。

また、ヨモギは、薬草としても重宝されてきたようだ。
旧節句の頃、しょうぶ湯にする時、菖蒲にヨモギも添えて束ねたものを湯船に浮かべておくのだった。
その他、切り傷の血止めに使ったり、煎じたものは下痢や腹痛などにも効くと聞いたりしたことがある。

さて、そのヨモギの話だ。
毎朝、通勤路の、ある田んぼの道端に生えていたものがあった。

それが、ある程度大きくなってきたのだが、ここの田んぼでは他の雑草は刈られていたのだが、どういう訳かこのヨモギは刈られずに残っていたのだった。
それが、夏の暑さで、伸びた茎の先端に葉を残すばかりになってしまっていたのだ。
今にも枯れそうな中で、ヨモギはしっかりこらえていた。
猛暑で茎の表面は枯れてしまっているのに、末端で緑の葉を細々と茂らせていた。
「枯れるな、枯れるな。」
と祈っていた。
猛暑という厳しいコンディションに負けないヨモギの姿が、難病に絶対負けてほしくないという娘の姿と重なった。
枯れるな、負けるな。
そう願って、毎日通り過ぎてきたのだった。
願いながら、祈りながら通るようになって、3か月がたつ。
今やヨモギは、強い地下茎をもとに、猛暑を乗り越え、青々と葉を茂らせている。

もうすぐ寒さの厳しい冬を迎えるだろう。
だけど、猛暑を乗り越え、たくましく生き抜いたヨモギだ。
また来年、同じところに同じように生えてくるだろう。
娘も、同じように、病に負けず強くなっていってほしい。
様々な困難を乗り越え、病を克服してほしい。

明日も、私は祈りを込めて、このヨモギの横を車で通り過ぎる。
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次に向かって走る

2013-10-19 22:54:43 | RUN
娘が倒れたことでのもやもやを少しでも晴らしたい。
また走ることに気が向いた。
新潟マラソンから6日。
体の痛みもようやく癒えて、また走り出したくなった。

次のレース予定は、来月3日の胎内市ロード20キロ。
マイナーな大会だが、このレースの厳しいところは、15キロで1時間20分の時間制限があること。
1キロを5分のペースで進んでも、15キロだと時間15分かかる計算。
56歳の私には、かなり速いペースなのだ。
去年も出たが、その時は、15キロの関門を突破するために、前半から突っ込んだ。
疲れの出てきた13キロからの1キロはかなり無理をして、若い女性ランナーに付いていき、なんとか関門を突破することができた。

今年は、ただでさえ練習不足であり、しかもフルマラソン完走の目標のために、1キロ6分30秒のペースで走るようにしていたので、キロ5分は非常に速いのだ。
果たして走れるものやらと思い、本日新潟シティマラソン以降初練習。
とりあえず、10キロをキロ5分で走ろうと考えた。
走り出して、結構向かい風が強いことを感じ、予定を10キロ一気ではなく、間に休みを入れて5キロ×2に変更。
タイムを見ると、最初の2キロは、ジャスト5分。
その後の3キロは、5分4秒,5分11秒,5分21秒…と、さすがに風のせいで遅くなった。
さすが向かい風。

中間地点の5キロで5分休んで、復路に出発。
初めは足がもつれる感じだったが、それでも200mを1分で行けてることがわかり、追い風だし、ならばということで、キロ5分を目指し走った。5分00秒、4分48秒、4分59秒、5分3秒、4分55秒…。
結構走れるものだとうれしくなったが、余力はなかった。

終わってから1km余りを、肩で息をしながら歩いて帰った。
でも、まあいいや。走れたから。
目指せ、11月3日。

走り終わって1時間余りのち、夕方訪ねると、娘はやはり眠っていた。
現在の場所も、すぐに病院とは認識できなかった。
ただ、話の対応はできていたのが救いだった。
夕食を食べると、またすぐに眠りに落ちていった。
ダメージが深いのだろう。
今日は一日ひたすら眠っていた娘。
また回復に向かってほしい。
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娘よ(18)

2013-10-18 23:22:28 | 生き方
いつものように夕方6時半過ぎに病室に着くと、そこにはいつものように妻が付き添っていたが、その目は赤くなっていた。
さては―…。
という思いの通りだった。
娘の口には、酸素吸入のマスク。
ベッドの横には、心電図を示すモニター。
娘の両腕には、抑制ベルトが…。
それらを見れば、すぐにわかる。
久々のけいれんが、娘を襲ったのだ―。

30分ほど前に、娘の、今日2度目のけいれんが、妻の目の前で起こったのだと言う。
小さなカップのバニラアイスを食べようとしたが、今日は小さなスプーンを使いにくく感じ、大きなスプーンを使って食べようとしたら、「手が動かない。」「口も変。」と言ったという。
慌てて妻が寝せて、ナースコールを押すと、娘は、白目がむいていた。
看護師の皆さんが、大勢病室に入ってきて、妻は室外に退去するように命じられたのだ、とのこと。

実は、今日は日中、午後2時ごろ、けいれんが起きていたとのこと。
久々に今日の担当となった、ある看護師さんは、娘と午前中に話をしたら、すごく顔つきもいいし、話の内容もしっかりしていたので、「よくなりましたね。」と私たち家族と話をするのを楽しみにしていたのだそうだ。
だが、昼頃から頭がぐらんぐらんする、と主張していたのだが、ついに2時過ぎ、娘は具合が悪くて自らナースコールを押したらしい。
自分で押せたのはよかった。
看護師さんが病室に行ったら、もう娘は反応がなかったらしい。

…私の目の前で、娘は、目を開けた。
動かないで、と言うのだが、上体を起こそうとしたり、手を動かし続けたりしようとしている。
その動きを止めようと、手を握ってあげたら、熱のあることがよくわかった。
娘は、頭が痛い、と額の中心辺りをたたいて言う。
生あくびを繰り返す。
「眠いのなら、ゆっくり目をつぶって眠っていいんだよ。」
「じゃあ、10分間寝る。」
そう言った娘は、それから1時間たっても目を覚まさなかった。

状態がよくなると、こうして頭痛を訴えたりして、また悪くなる。
この繰り返しだ。
なんとかならないものか。

私は、面会時間を過ぎたので、8時15分過ぎに妻よりひと足早く家に帰った。
月が煌々と明るい夜であった。
しかし、外気温は、12℃。
自転車を走らせると冷たい空気が、身を切った。
6月はホタルが、今月は満月に近い月が、私に光を見せてくれた。

私より30分以上遅れて、9時近くになってから、妻が帰ってきた。
帰ろうとして、娘の額に手を当てたら、目を覚ましたのだとか。
また、10年近く前の専門学校時代の寮だと勘違いした言葉を聞かせたようだ。
やはり、意識が乱れているようだ。
トイレの用を足させ、痛み止めの薬を飲ませ、「薬も飲んだし、トイレも大丈夫だから、ゆっくり寝なさい。」と妻が言うと、娘は、
「ごめんなさい。ごめんなさい。」
の言葉を繰り返したとのことだった。
謝る必要はない。
お前が一番大変で、十分がんばっているのだから。
娘の、親に迷惑をかけているという気持ちが伝わる。
そのけなげさに、胸の奥でじんとするものがある。

せっかくよくなってきていたのにな…。
一番つらいのは、わからなくなってしまうお前だよ。
だけど、また明日から、前を向いて生きていこうな。

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娘よ(17)

2013-10-17 22:45:07 | 生き方
その後、娘の点滴だが、少しずつD剤の濃度をまた下げてきている。
一気に1.0下げると急な変化となって、けいれんが起こってきた。
そうなると悪いのは明白である。
主治医は、0.2ずつ下げるようにさせている。
何日かかけて、やっと3.0が2.0、そして、今日は1.8まで下がってきた。
このままけいれんが起きずに、点滴が取れるようになるとよいのだが。

けいれんの防止だけでなく、手や脚、脳の働きの復活も課題となっている。
脚は、弱ってしまったのか脳炎のせいなのか、よたよたのつかまり立ちでないと歩けない。

先週までは、よく耳がキーンとするとか吐き気がするとか言っていたのだが、ここ3日間ほどはそれもないのは、幸いである。
だが、時折、体がぐらぐらすると言って、体を揺らしていることがある。
吐き気を訴えることも、結構ある。

また、テキパキと会話が弾む訳ではなく、結構ぼうっとしているように見えることが多い。
そういう時の娘の脳は、いろいろなことをすごくたくさん考えを巡らしているようだ、ということが、見ていてわかってきた。。
そして、そういう事態に陥っても、娘は、今だと、どれが現実でどれが妄想なのか、見極めることがだいぶできるようになってきている。
時折は、現実と違う物言いをすることもあるが、だいぶまともになってきている。

ただし、相変わらずまだ記憶が積み上がらない。
2日前のことを覚えていることもあるようになったが、3日目には忘れてしまっている。
それは残念なのだが、自分でもそのことが意識できるようになってきたのは、よいことだと言える。

今日、娘は、主治医が病室に来た時に聞いたらしい。
「先生、私、誕生日までに退院できるかなあ?」

娘の誕生日は、12月。まだまだ遠い先、とは思わない。
すぐ先と思える。
Because われわれは、今まで5か月も娘の病気と付き合ってきたのだ。
12月など、2か月しか先でない。

果たして、娘が30歳の誕生日を迎える日までに、回復の程度は、どこまで進んでくれるのだろうか?
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37km手前で、リタイア…2013年新潟シティマラソン

2013-10-14 18:15:01 | RUN
疲れに疲れた。
昨日の新潟シティマラソン、37kmの前で、時間切れ。
ついでに言えば、今年は、ゲストランナー高橋尚子さんと、ハイタッチもできなかった。

朝は雨も降り、レース直前でもくもり空だった。

しかし、高橋尚子さんが出席する開会式では、急に、すっかり晴れたのだった。


号砲を待っているうちに、首筋が熱くなるくらい日差しも強くなってきた。
花火が上がる。
出発だ。


スタートして新潟の街なかを抜けていく。
萬代橋を渡っていくと、2km地点。
4kmあたりを行くと、以前一緒に勤めた若い職員が沿道で応援していて、互いにびっくりした。
「いってらっしゃ~い」と声をかけてくれた。

去年同様、前半は6分30秒前後のタイムを刻んでいき、後半は7分台に落ちてもよいように、と考えて走っていた。
だが、10kmを過ぎ、やがて海岸道路に出ると、なんと向かい風。
目に砂が飛び込んでくる。
おまけに日差しが強すぎる。
それでも、帰路には追い風になるはずだと考えながら、それを楽しみに走っていた。
しかし、6分台を維持するのに、予想外の体力を使ってしまった。
おまけに、前日書いたように、練習不足、風邪から回復して多く時間がたっていない、などの要素も自分を苦しめる。
折り返し点から、中間点でタイムは、2時間21分。
単純に倍にすれば、制限時間の5時間に間に合いそうだが、スピードがこれ以上上げられない。
6分台など、楽に維持できるはずのペースなのに…。
後ろから来る人々に次々に抜かれていく。
それはいいのだが、脚がまともではない。
右脚の太もも、ひざ。左脚のふくらはぎ。
今にもつりそうなひどさ。
それでも、なんとか6分台を維持してきたのだが、ついに25km地点では7分台に。
自分を励まし、歩き出す人が多くいたが、28kmを過ぎたあたりで、右太ももが悲鳴を上げた。
ついに歩き出してしまった。


31kmの手前では、2年前同様、「5時間ペース」を示すたすきをかけたランナーたちに抜かれてしまった。
付いていこうと、数十メートル走ったが、上り坂できつく、脚が痛くてだめだった。
今年もダメか…と、悔しさでいっぱいになった。
でも、31kmの関門でリタイアするのは、嫌だった。
体は限界に達していたが、2年前とほとんど同じところでリタイヤするのは、進歩がないようで嫌だった。
意地になって、31km関門を突破した。


ここからは、すぐ左が海になる。

歩きながら海を見ていると気持ちがいい。
しかし、少しでも走り出すと、100mくらいしかもたずに走れなくなる。
突然、
「50foxさん。」
と、私の名前を呼ぶ声がした。
近寄ってきたのは、長岡のIさん。
この大会目指して、9月にはひと月に150km走ったのだそうだ。
「調子がいい、と思っていたら、今日は風が強すぎた。海岸を行くとき、砂は飛んでくるし、スピードは上がらないし、気温も高くなって、日差しもきつかった。折り返せば、追い風にもなるから楽になると思っていたんだけど、だめだった。30kmで、心が折れたよ。」
Iさんと話をしながら、歩いた。
32km付近では、カメラマンが写真撮影をしていたので、「走るか。」とIさんが言うので、10mほど走ってカメラマンにポーズをとって走った。
カメラマンから、なぜか「ありがとうございま~す。」と声が返ってきたのには、2人で笑ってしまったけれど。
その後、Iさんは、救護の方を見つけて、走る(歩く)のをやめた。
私は、もう少し前に行きたかったので、「もうちょっと、歩くわ。」と言って別れた。
後で、この地点には、数分前まで高橋尚子さんが応援していたことを知った。

海岸をひたすら歩く。
係員の人は、がんばってください、と声をかけてくれる。
しかし、「走る気力はあるのですが、走れる足がなくなりました。」と言うばかりであった。
海岸の風は気持ちがいい。
だが、走ろうとしても足が動かない。
不思議なことに、かろうじて歩くことはできる。
青い空、強い潮風、そんな中を、次の関門通過はだめとわかっているのに、ただただ歩いた。


そして、スタートから4時間29分後の午後1時直前、後ろの車から、「制限時間を過ぎました。歩道に移ってください。」との言葉。
記念に海岸に咲いていた黄色い花を写して、バスの待つ場所まで、さらに歩いた。

37kmの手前で、バスに収容された。


ちなみに、息子は、ハーフで自己新記録を更新したとのことだった。
前半を抑え、後半追い込んでスピードを上げたとのこと。
よく練習していたから、よかった×2。
2週間後の大阪マラソンにいい弾みになった、と言える。
抽選にせっかく当たったのだから、がんばってほしい。
大阪マラソンは、制限時間が6時間だとのこと。
5時間の新潟に比べて、いいなあ、とは思ったぞ。

私は、ちゃんと鍛える練習をしていないと、ハーフマラソンは走れても、フルマラソンは走れない、ということが改めてよくわかった。
今年は、平日走ることが少なかった。
走るより、娘の病院へ行くことが多かったから。
走っているときも、娘の快復の願いを込めながら、そのためにもがんばるぞ、と思って走ったのだが、気合だけで走れるほど甘くはなかった。
さすがに厳しかった。

さて、今後はどうする?
いや、夢は持っておくことにしよう。
いくつになっても、夢に向かっていくこと、夢をかなえることは、続けていきたい。
人間にとって一度しかない人生だもの。
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三度目の正直なるか~不安ながら挑戦する新潟シティマラソン

2013-10-12 16:27:02 | RUN
10月の3連休を迎えた。
真ん中の日が、新潟シティマラソンの日。
一昨年の30kmでの途中棄権

昨年の制限時間わずか18秒オーバー
など、なかなかうまくいかな結果となっている。

今年も、7月上旬にしっかりエントリーを済ませ、今までの雪辱に燃えていたのだが…。
娘の入院する病院通いに時間を割くことが多く、圧倒的な練習不足。
そのうえ、9月下旬に風邪をひき、仕事を1日休む始末。
その後の回復も思わしくなく、夜中にふくらはぎがつったりしている有様…。
なんともはや…。
不安だらけである。
しかし、その日は来てしまった。

今年は、今や私よりRUNおたくとなっている息子が、初出場。
ハーフの部に参戦。

今日は、2枚の参加証を提示し、受付を済ませてきたのだ。


さて、新潟は、今日は冬型の気圧配置らしく、しぐれていた。
気温も低かった。
明日はどうだろう?
去年は、スタート前に雨が降り、折り返し点付近でも雨が降り、体が冷えてしまったのだけれど…。

年々、体力は下っていくのだが、経験は増えているはず。
3度目の正直、といきたいところだなあ。
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新潟は、2日間で夏と冬!?

2013-10-10 22:48:08 | 新潟
昨日は、10月だというのに、真夏日以上の猛暑日にあたる気温が記録された。
日本で初めてだとのこと。
西日本や太平洋側ならわかるが、それが日本海側で!
それも、なんと、わが新潟県で!

糸魚川市 35.1℃
すごいじゃないか!!!
真夏でもあるまいし、10月だよ、10月。
…私の住む方では、30℃は超えたようだが、そこまでは至らなかった。

台風一過とはいえ、今日も暑い日であった。
午前中の出張に出た帰り、田んぼの中の農道を通って、勤務先に急いだ。

秋だなあ。ほとんどの田んぼが、もう稲刈りを終えている。
見渡すと、まだ刈られていないのは、ごくごくわずかである。
青空。刈られた田んぼ。

すっかり秋だなあ…と思っていた目に飛び込んできたのは、刈られた後に水がたまったところにいた鳥の群れ。

サギ???
いや、違う。
この白さは、この首の特徴は、この体の大きさは、白サギとは違う。


白鳥だ!

へえ~!!!
もう白鳥が飛来しているのか!!!?

びっくりした。
冬よりの使者が、もうここまで来ている。


猛暑日の翌日に、冬の使者を見るなんて、なんてこったい!!!

2日間で夏と冬。
恐るべし、わが新潟…!!!
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娘よ(16)

2013-10-01 22:32:10 | 生き方
10月を迎えた。
入院125日。
娘の病室を訪ね、夕食の終わりから、面会時間終了時間の夜8時過ぎまでいて、娘に「おやすみ」を言って帰る。
それが、私の日常になっている。

娘は、2週間前のよかった状態になかなか戻らない。
普通の応対はできるのだが、今いる場所が病院と分かっていたのに突然わが家になったりカラオケ店になったりすることでわかるように、現実に空想(妄想?)が入り込んでしまうことが多いのだ。
だから、そのことを自覚させようと、毎日こんこんと話をするのである。
「けいれんを起こして入院した。」
「けいれんが起きるたび、脳に影響が出て、記憶が悪くなり新しいことが覚えられなくなるんだね。」
「この2つを治すために、入院しているんだよ。」

娘は、自分の両腕にできた無数の「あざ」のようなものを気にする。
「それは、点滴のあとなんだよ。4か月も入院して病気と闘ってきたんだ。だから、両腕のいろいろなところに点滴をしてきたんだ。それは、おまえががんばって、病気と闘ってきた証拠なんだよ。」
「点滴を腕にしていたけど、脳に障害が起こると、時々その点滴を抜いちゃうことがあるんだ。だから、今は、胸にしているんだ。」
「腕や足や体がベルトで締められてしまうのも、そのためなんだ。無意識のうちに点滴を抜いたり暴れたりしないようにしてあるんだ。」

娘に、入院は4か月に及んでいることを告げる。
救急車で運ばれてきてから、何度かけいれんを起こし、そのたびに具合が悪くなったこと。
ICUで、血液の入れ替えのような血しょう交換を行って、約3週間も麻酔で眠らされていたこと。
人口呼吸器をつけていたから、のどが管で影響を受けて、しゃべれない時、食べられない時もあったこと。
2か月半もICUに入っていて、9月9日にやっと一般病棟に戻ったこと。

そうすると、娘は、だいたいポロリポロリと涙を流す。
そんなに大変だったのに、自分が何も覚えていないことが悔しいのだ。
「ここまでこうしてがんばって病気と闘ってきたのだから、元気になろうな。」
そう言って娘を励ます。
娘はうなずく。

話もすんなり聞けるわけではない。
時々、ぼうっとしている。
「頭がぐちゃぐちゃする。」と、時々娘は言う。
考えたくなくても、様々なことが勝手に娘の頭の中を巡るらしい。
そうこうしているうちに、またいつの間にか現実と妄想が混在し始める。
そういう娘の大変さを思う。
どれが現実だか、よくわからなくなるのだから。
そして、わかったと思っても、また翌日は、もう忘れてしまう。
忘れてしまうから、やっていられるのかもしれないが…。

涙をこぼす娘のつらさが伝わってくる。
「でも、本当のことを教えてもらう方がいい。」
と、娘は言う。

こんなふうに、毎日8時過ぎまでを娘と過ごし、帰宅の途につく私。
夕食を食べると、9時を回る。
でも、娘のために時間を使っているのは、とても貴重な気がしている。
また明日も、娘に会いに行く。
少しでもよくなっていることを願いながら…。

10月。
今年、夏を知らなかった娘は、秋を迎えている。
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