ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

50代最後の誕生日~ゆるい決心「日々是充実」~

2016-02-29 22:33:28 | 生き方
50代最後の誕生日を迎えた。
当ブログも、2008年7月に始めてから足掛け8年になる。
あの当時、ブログ名をどうしようかなと考えた結果、50代前半そのものなので、これからの人生を刻んでいこうかなと思って、「五十路ON MY WAY」と名付けたのであった。
そのわが五十路も、残りあと1年となってしまった。

前日のアルビレックス新潟の開幕戦勝利も祝って、祝杯。

誕生日に選んだ祝い酒は、新潟の銘酒「久保田」の「碧寿」。
久保田には、百寿、千寿、万寿、碧寿、紅寿などがある。
「碧寿」は、「あおいとし」とも読める。
「青い年」つまり「青年」に通ずる。
50代最後となっても、ちっとも落ち着きが出てきているような気がしない。
万年青年の私!?
だから、「碧寿」がちょうどいい、という訳だ。


娘が太り気味ということもあって、今回の誕生日ケーキは、質素に。
シュークリームに、スフレのチーズケーキを半分に分けたもの。
私としては、これでも十分。


50代最後になったということは、定年まであと1年ということ。
私の父は、定年3年前に勧奨退職でやめようという時に急死した。
幼少の頃体の弱かった私が、すでに頑強だった父より多く働いているなんて信じられないところもある。
首、歯、ふくらはぎ、肩甲骨…、あちこちに痛みのある今の私だが、これは金属疲労で仕方ないこととしておこう。
本来なら、誕生祝いに走りに出るところだ。
今は、最もだめなのがふくらはぎ痛。
これが回復していないので、走りに出るのはしばらく「自宅謹慎」状態。

定年までのあと1年をどう生きるか。
こっちの方を充実させていきたいものだ。
「日々是好日」という禅語があったが、それをもじって、「日々是充実」を心がけていきたいと思う。
この1年があっという間だったように、次の1年も、きっともっと早く過ぎていくことだろう。
日々是充実。
59歳のゆるい決心である。
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痛みに包まれつつ、誕生日前日

2016-02-27 14:55:05 | 生き方
あまり天候はよくないし、体調もよくないけど、と思いながら、やっぱりストレスがたまる。
たまに休日で天候のよい日があると、走りたくなる。
そんなことで、2週間前の週末に12km走った。
青空と白い雪がまぶしくて、気持ちよかったのであるが、少し右足ふくらはぎ内側に痛みが出た。
先週も走りたくなって、走り出して2kmもすると、またそこが痛くなった。
痛みに負けるというのもしゃくなので、少し走り続けたら痛みが強くなってきた。
まだまだと思いつつ、無理をしてがんばるようになってきた自分を、危ないと感じた。
そこで、やっぱり走り続けるのをやめようと決め、家に戻った。
いつもなら10km以上12kmくらい走るのだが、7kmでやめた。
家でゆったりと過ごしていて、立ち上がって歩き出したら、「い、痛い!」
おそらく、肉離れを起こしたのだろうと思う。
右足を引きずらないと歩けない有様となってしまった。
夕方、ある会に出席しなくてはいけないので、困ってしまった。
湿布をして、足を引きずりながら外出してきた。
幸いにも、翌日から普通に歩けるようにはなったのだけれど、今週1週間はずっとふくらはぎの違和感や痛みが伴っていた。
少しでも運動に近いと、違和感が痛みに変わる。

それにしても、頭痛・首痛が出てからもう3か月余りである。
あの頃のように頭痛がたまらん、という状態ではないが、首痛が残っている。
右を見ようと首を右の後方に回すと、首筋に鈍い痛みが走るのである。
昔から頸椎がよくないので、久々にそれが出ているのかと思っているが、ここまで長引いたりしたことはなかったので、やっぱり齢かなあと思う。

今日も、新潟は青空が見えたりうす曇りだったり。
寒くないから、走りたい。
だが、右脚ふくらはぎは明らかに故障中で、走れない。
ストレスがたまるが、今日開幕するサッカーJ1リーグで新潟が勝利することによって、少しは晴れるだろう。
新潟の勝利に期待しつつ、早く春が来て、自分の体の痛みが癒えていくことを期待したいという、誕生日前日である。
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歌で日本縦断(4)~西日本編~

2016-02-21 14:12:24 | うた
西日本は、新潟からすれば遠いせいなのか、地元を歌い上げる歌がなかったのか、よくわからないが、ご当地ソングは少ない。
京都や大阪、広島などについてはいくらか思いつくとして、そのほかは、なかなか思い浮かばない。

最も多いのは、京都なのだけど、1つにするとしたら、「なのにあなたは京都へ行くの」(チェリッシュ)。

京都は、18歳の頃、私は4か月間住んだところだから、思い入れの多い曲。
下宿でこの歌をよく聴いていたその頃の私だった。
本で当時読んで衝撃的だったのが、「二十歳の原点」「二十歳の原点序章」(高野悦子)であった。
部屋で読みながら、当時私は、深い「孤独」を感じたのが忘れられない。
ま、それはいいとして歌に戻ると、京都には、うめまつりの「北山杉」やかぐや姫の「加茂の流れに」などの歌も懐かしいと思う。
音源をもっていないので今回は入れられなかったけれど、小室等の「比叡おろし」も、
  うちは比叡おろしですねん
  あんさんの胸をゆきにしてしまいますえ
と歌い上げるのが印象的な曲で懐かしい。


大阪は、今の時代なら、ドリカムの「大阪LOVER」なんだけど、昭和50年代の前半の頃なら、BOROの「大阪で生まれた女」しかない。

この歌は、萩原健一も歌っていた。

京都、大阪と関西の大都市を行けば、神戸も存在感の大きい都市である。
神戸を歌った歌では、内山田洋とクールファイブの「そして神戸」の存在がでかい。
ただ、フォークやニューミュージック調の曲を探す。ゴダイゴの「ポートピア」があった。
けれども、それよりもずっと後のことになるけれど、浜田省吾の「恋は魔法さ」を入れたい。
阪神・淡路大震災があった後、浜田省吾は、「我が心のマリア」をA面とする12cmシングルCDを出したのだ。

そのB面にこの「恋は魔法さ」があった。
「六甲アイランド」や「神戸ボーイ・神戸ガール」が歌詞に出てくるのは、震災後の励ましの意味もあったようだ。

中国地方からは、存在の大きな広島が外せない。
吉田拓郎が、「アジアの片隅で」というアルバムを発表した時、2曲目に入っていた「いつも見ていたヒロシマ」を入れたい。

「子どもらに俺たちが与えるものはあるか」
「安らかに笑う家はいつまであるか」
というサビの部分が忘れられない。
これは、「竜飛崎」同様に岡本おさみ作詞・吉田拓郎作曲の歌。
吉田拓郎が出身地広島を歌ったものだから、意味が深いものがあると思う。
その岡本おさみ氏は、昨年11月逝去。
中国地方の鳥取県米子市の出身。
「襟裳岬」、「落陽」、「竜飛崎」、「おきざりにした悲しみは」、「ビートルズが教えてくれた」…など、吉田拓郎との作詞作曲のコンビは、名曲が多かった。
改めて、冥福を祈りたい。合掌。

四国を舞台にしたフォーク系の歌は、思い浮かばなかった。
「松山行きフェリー」という村下孝蔵の佳曲があるのだが、「歌謡曲日本一周」に入っている。
うーん。ごめんなさい。

九州は、最初に「博多っ子純情」が浮かぶ。
「歌謡曲日本一周」に入ってはいるけれども、姫野がボーカルで歌った「THE ALWAYS」の歌であった。
ここでは、チューリップの「博多っ子純情」が大好きなので、やっぱり入れたい。
学生の頃、古レコード屋で「WELCOME TO MY HOUSE」のアルバムに入っていた。

そのアルバムの中で、一番好きだった曲だ。


最後に、沖縄。
「島唄」とか、BEGINの歌だとか、いろいろな歌はあるが、沖縄ソングの先駆けとなったのは、喜納昌吉とチャンプルーズの「ハイサイおじさん」。

昭和50年代前半にヒットしたと歌なので、今回は、これを選択。

1 オホーツクの海
2 北海道に帰りたい
3 竜飛崎
4 田吾作音頭
5 ああ宮城県
6 私の街酒田
7 お前まだ春らかや
8 東京
9 江古田スケッチ
10 追いかけてヨコハマ
11 北鎌倉  
12 勝手にシンドバッド
13 どうしても信濃ゆき
14 上野市
15 なのにあなたは京都へ行くの
16 大阪で生まれた女
17 恋は魔法さ
18 いつも見ていたヒロシマ
19 博多っ子純情
20 ハイサイおじさん

こうして、20曲を選曲。

北海道から沖縄までたどり着いた。
とりあえず歌で日本を縦断することができた。

これらを編集してみると、80分のCD-Rにぴったりと収まった。
「恋は魔法さ」以外は、だいたい学生時代及びその前後に好んで聴いていた曲たちである。
そんな時代が、もう40年も前になるとは―。
ああ、爺さんになったもんだ…。
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歌で日本縦断(3)~中部地方・関東地方~

2016-02-20 13:39:36 | うた
関東地方の前に、わが新潟県のことは外さずに考えたい。
今、私は、新潟の地元アイドルグループNEGICCO(ねぎっこ)の3人娘が大好きなのだ。
でも、さすがに40年前、彼女らは生まれていなかった。
彼女らの「サンシャイン日本海」を考えてみたが、いざ入れてみると、昭和の歌の中には合わないなあ。
美川憲一の「新潟ブルース」や、小林幸子の「雪椿」という演歌ならヒット曲はあるのだが。
昭和50年代前半、新潟県内でレコードも発売されていなかったのに、当時のわれわれ若者に大ヒットしていた曲があった。
「お前まだ春らかや」(富所正一)である。

地名が出てきたりはしないが、曲名で分かるように新潟弁の曲なので、この歌を入れておこう。
自主制作盤のレコードから拾って、この曲を入れることにした。
富所氏は、デビュー目前だったのだが、若くして川に投身して自らの命を終えてしまったのは、本当に惜しまれる。

北関東方面の曲は、思い浮かばない。
「渡良瀬橋」は名曲なのだが…。
さいたまんぞうの「なぜか埼玉」は、一度聴いておかしかったけど、繰り返し聴きたい歌ではないなあ。
音源もないので、パス。

避けては通れない、日本の中心地、東京。
その名をそのままヒット曲にしたのは、「東京」(マイペース)だった。

「東京へはもう何度も行きましたね 君が住む美し都」と繰り返す歌詞は、田舎の若者が都会への憧れを秘めているように聴こえる。
「マイペース」は、秋田県の出身だったはずだ。
地方に住む者にとっては、東京は「美し都」と憧れを持つことも多かった。
そして、東京で過ごす4年間。
学生時代を過ごした者には、青春時代の懐かしい思い出でいっぱいだろう。

そんな学生街での生活を歌ったのが、「江古田スケッチ」(竹内緑郎と旅行かばん)という歌だった。

私自身、江古田には友達がいて、よく訪ねたものだった。
この歌には、いかにも実話のように「はまだしんじ」とか「さのきょうこ」とか名前が出てくる。
歌を聴いて、学生時代は、私の周囲にも今は行方も分からなくなっているけど、いろいろな奴がいたよなあ、と思い起こす。
いかにも昭和50年代の学生時代なので、この歌を代表にしたい。

東京の隣の大都市は、横浜。
「追いかけてヨコハマ」は、桜田淳子のヒット曲だが、作者の中島みゆきの曲の方が楽しい。
当時のインベーダーゲームのヒュンヒュン言う音も入っているからだ。

中島みゆきが他者に提供した曲ばかりを集めたアルバム「お帰りなさい」に入っていた。

神奈川県が続くが、「北鎌倉」(岡本正)は、「北鎌倉で降りて歩いてみませんか」と何度も繰り返すフレーズが心に残る。

そこまで来たら、湘南の海を避けて通れない。
当時のアイドル岡田奈々が「湘南海岸通り」を歌っていて、「エマニエル夫人にはなれないけれど」なんて部分が歌詞の中にあって、時代を感じるのだ。
これもいいのだけど、湘南といえば、やっぱりこの時代にこの曲でデビューしたサザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」が外せない。

改めて聴いてみると、岡本正の「北鎌倉」が発表されてから、サザンが「勝手にシンドバッド」でデビューするまで、わずか3年しかない。
比べて聴いてみると、ずいぶん音楽的に違いがある。
このすばらしくテンポのよいリズムに日本語の歌詞を乗せられたというのは、このサザンが日本では初めてだった。
サザンのデビューで日本の音楽シーンは大きく変わったということが、改めて分かる。

中部地方なら、信州を入れておきたい。
私が好きだったのは、わさびーず。
民謡調の曲もあり、「木曽の花嫁さん」がよかった。
デビューアルバムも「木曽の花嫁さん」だった。

木曽や信濃の暮らしもわかるような素朴な歌が多くて好きだった。
「木曽の花嫁さん」よりも、アルバムの最後に入っている「どうしても信濃ゆき」という歌が、冬には合う。
SLの汽笛や汽車の動く音などが入っていて、曲の中には松本城などが出てくる。

名古屋方面等、中京方面の歌は残念ながら思いつかない。
ただ、「上野市(うえのまち)」(西岡たかし)は、聴いていてとても軽快で、気持ちのよい歌だ。

伊賀の街に行ってみたいと思わせる歌だった。
でも、初めて聴いてから現在まで私は行ったことがないので、いつか一度は訪れてみたいと思う。


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歌で日本縦断(2)~北海道・東北編~

2016-02-19 18:37:33 | うた
歌で日本縦断。
昭和50年代前半の歌。
北から行くと、松山千春。
そのデビューアルバム「君のために作った歌」の中にある、『足寄より』とか「オホーツクの海」とかがすぐ思い浮かぶ。

ここは、ゆったりした「オホーツクの海」を選んでおく。
吉田拓郎の「襟裳岬」は、「歌謡曲日本一周」に入っているから、除外。
シングルレコードで「北海道に帰りたい」(弦てつや)がわが家に残っている。

私が買ったのか、弟が買ったのか覚えていないが、歌自体がノリがよくて、コミカルでいい。
これは、昔NHKでやっていた素人が作った歌を、プロ歌手が歌ってくれるという番組「あなたのメロディ」で採用されたもの。
「北海道に帰りたい」「室蘭のけいこちゃん」「網走のふじこちゃん」「旭川のじゅんこちゃん」…に会いたい、と歌い上げるのが楽しかった。

さて、東北には、入れておきたい歌がいくつかある。
青森県は、よしだたくろう&かまやつひろしの「竜飛崎」。

この歌は、「シンシア」のB面だ。
A面同様に、二人で歌っている。
しかも、詞は、「襟裳岬」同様に岡本おさみだ。

秋田県には、強烈な「田吾作音頭」(田吾作)がある。

田吾作は、フォーク・デュオで、甲斐バンドが優勝した音楽祭で2位になったという。
「田吾作音頭」は、本当にパンチ力のある音頭であった。

山形県には、「私の街酒田」(中沢厚子)という歌がある。

これも「あなたのメロディ」に応募され、採用された作品。
若いお坊さんが作った酒田の春夏秋冬を歌った歌だったが、非常にシンプルで素直な歌だった。
それがよく、地味だが好む方は多い歌だった。
ただ、この歌はCD化されていないし、レコードも持っていない。
カセットテープに録音していたものしかないが、入れておきたい歌だ。

宮城県は、なんといっても、「ああ宮城県」(吉川団十郎)。

歌詞の後半「がんばれ宮城県  負けるな宮城県」というセリフは、東日本大震災後はよく似合うと思っていた時があった。

震災後といえば、福島県には、猪苗代湖ズの『I love you & I need you ふくしま』という名曲がある。
しかし、昭和50年代から遠く離れているので、今回は、パス。
岩手県は、千昌夫や新沼謙治という昭和50年代前半にヒットを飛ばした歌手がいるが、演歌である。
また、何といってもNSPの3人組がいるのだが、ご当地ソング的なものがなかったので、パス。

結構懐かしいご当地ソングが見つかったのであった。

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歌で日本縦断(1)

2016-02-18 22:45:41 | うた
「歌謡曲日本一周」という企画もののCDが手元にある。

2004年に出たもので、東日本編と西日本編に分かれ(DISC1&DISC2)ている。
曲名は、以下の通り。
ディスク:1
1. (オープニングテーマ) SLの汽笛 (C-57)
2. いい日旅立ち(山口百恵)
3. 知床旅情 (加藤登紀子:北海道)
4. 襟裳岬 (吉田拓郎:北海道)
5. 北上川 (岡崎友紀:岩手)
6. 青葉城恋唄 (さとう宗幸:宮城)
7. 渡良瀬橋 (森高千里:栃木)
8. 秩父・夜祭り・音楽寺 (橋本清二:埼玉)
9. とりあえず NARITA (ハイファイセット:千葉)
10. 東京ららばい (中原理恵:東京)
11. ビューティフル・ヨコハマ (平山美紀:神奈川)
12. 横須賀ストーリー (山口百恵:神奈川)
13. 縁切寺 (バンバン:神奈川)
14. ロマンスカー (村下孝蔵:東京~神奈川)
15. 中央フリーウェイ (荒井由実:東京~甲信越)
16. あずさ2号 (狩人:東京~信州)
17. 避暑地の恋 (チェリッシュ:長野)
18. FUNK FUJIYAMA (米米CLUB:静岡・山梨)
ディスク:2
1. DA.GA.NE( CHUBU END × SATO :愛知)
2. 金沢の雨 (城之内早苗:石川)
3. 悲しい色やね (上田正樹:大阪)
4. 京都の恋 (渚ゆう子:京都)
5. 比叡おろし (岸田智史:京都)
6. 旅愁 ~斑鳩にて~ (布施明:奈良)
7. 琵琶湖周航の歌 (加藤登紀子:滋賀)
8. 霧にぬれても (紙ふうせん:兵庫)
9. 広島の川 (中山千夏:広島)
10. 瀬戸の花嫁 (小柳ルミ子:瀬戸内海)
11. 松山行フェリー (村下孝蔵:広島~愛媛)
12. 砂丘 (鈴木雅之:鳥取)
13. 都万の秋 (よしだたくろう:島根)
14. 博多っ子純情 (THE ALWAYS:福岡)
15. 佐賀県 (はなわ:佐賀)
16. 精霊流し (グレープ:長崎)
17. さとうきび畑 (森山良子:沖縄)
18. (エンディングテーマ) ロックンロール県庁所在地(森高千里;47都道府県)

なかなか楽しい選曲だ。
昭和40年代の後半から平成10年代の半ばまで、およそ30年余りの間の歌が集まっている。
そうは言っても、昭和50年代の前半の曲が多いとは思う。
こうして、歌が結構好きな自分なら、日本各地を結んで、ご当地ソングのような歌ばかり集めてみても面白いのじゃないかなと考えた。
そこで、80分間のCD-Rに入るご当地ソングを集めてみようと考えた。
名付けて、「好きな歌で日本縦断」。
「日本一周」はできなくても、「日本縦断」くらいの歌なら集められると思ったのだ。
しかも、昔風に言えば、フォークソング調の歌を7中心に集めたら楽しいだろう、と。
自分が最もよく歌を聴いていた学生時代の、昭和50年代の前半を中心に、自分が知っていて好きな歌を選曲し、歌で日本を縦断してみることにした。
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「私以外私じゃないの」

2016-02-16 10:18:04 | 生き方
「私以外私じゃないの」
…え!???…
突然娘がそう言うものだから、驚いた。


「私以外私じゃないの」
当たり前のことだけど、こんなこと言う奴はいないじゃないか、へんてこりんな曲名だと思っていた。
この歌を歌っていたのは、ゲスの極み乙女。
紅白歌合戦にも出て人気が出てきたと思っていたら、タレントのベッキーがそのボーカルと不倫。
大きな非難を受けたベッキーは、休業となってしまった。

「私以外私じゃないの」
と歌って、「…だからマイナンバーカード。」と続け、マイナンバーカードのPRを行っていた甘利前経済再生担当大臣。
自らの秘書が、建設会社の関係者から接待や現金を授受していたことが明らかになり、辞任してしまった。

「私以外私じゃないの」
をめぐって、いろいろとスキャンダルな話が起こるなあと思っていた。

「私以外私じゃないの」
今夜、風呂上がりの私に、「ねえ、父。」と呼びかけた娘が、突然言った。
…え!???…
頭の中に、甘利前大臣やゲス極、ベッキーなどがパパパッと浮かんだ。

「私だけ『私』で、父も母も弟も、みんな『秋』なんだよ。」
…え!???…
「私以外私じゃないの」と「みんな秋」がどうつながるの?

少し考えた後、意味が分かって、思わずふき出した。

私が風呂に入る前、娘と妻は前回話したように、部首の付いた漢字探しをしていたのだ。
今日は、「てへん」と「のぎへん」。
「てへん」は結構多いが、「のぎへん」の漢字はそんなに多く思い付かない。
私と妻は、「秋」という字を真っ先に思い付いた。
娘は、「私」という字だった。
私が風呂に入っている間に、息子が帰ってきた。
その息子に、
「ねえ、『のぎへん』の漢字って、最初に浮かぶのは何?」
と娘が聞いた。
即座に息子は、答えた。
「秋!」
それを聞いた娘が、言った。
「え~。私以外『私』じゃないの!?」

これを伝えたかったという訳だ。

「私以外私じゃないの」
こんな会話が実際に成立するとは思わなかった。
楽しい夜のひとコマだった。
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娘よ(76)

2016-02-13 14:54:28 | 生き方
娘が退院して家で暮らすようになってから、早いもので1年半になる。
退院した病院は、2つ。
総合病院とリハビリテーション病院の2つだ。
今も定期的にその2つの病院に通院している。
総合病院は、月に1度。
リハビリテーション病院は、月に4回、ほぼ毎週の通院である。
幸か不幸か、娘は、どちらの病院についても、入院していた記憶がないだと言う。
記憶がないのは悲しい。
だが、家族としてみると、体じゅうが拘束されるベルトをしていた時や、ICUでののどに管が通されていた時の姿の切なさは、思い出したくもない。
それを考えると、覚えていないのも、むしろありがたいくらいである。

娘の1日は、朝7時30分近くに起床することから始まる。
それから、顔を洗って朝食となる。
行動がスローモーになっているものだから、朝食を食べ終わるのも8時を過ぎてしまう。
朝の連続テレビ小説を見て、薬を飲み、コーヒーを飲み終えると、もう9時近い。
それから、歯みがき、着替えをして、体温・血圧を測定する。
血圧の測定では、左腕で測ることになっているのだが、以前は、反対の腕を出すことが頻繁にあって、そばに付いている妻に注意されることが多かった。
その後、地元紙の「日報抄」(朝日新聞なら『天声人語』にあたるコラム)を声を出して読み、書いてある内容の概要を話す。
ただし、このコラムの内容は、娘にとって難しい。読むには読めるのだが、中身はまだよく要約できないことが多い。
その内容は、妻が一つ一つ確認して、伝えることになってしまうことが多い。
まあ、文章を読むのがもともと苦手だった娘にとって、病気になってなおさら、難しく感じているようである。
それでも、まあ、正確な意味理解までは難しくとも、漢字交じりの文章は普通に読める訳だし、以前に比べたら読みも正確になってきたかな、とは思う。
ここまでで、だいたい午前10時近くになってしまう。
通院する予約時間が9時30分となっている時などは、結構慌ただしくて大変である。
行動の遅い娘を急き立てているものだから、妻の心中は穏やかではない。
平日なら、10時頃から買い物に出かけたり、体調や天気さえ良ければ散歩したりして、午前中が過ぎていく。
出られなければ、ステッパーで足腰の運動。
200歩くらいから始めたが、今は400歩くらいを常としている。

午後は、12時半に昼食。
食後1時半過ぎから3時過ぎまで昼寝。
起きたら、おやつ。
ただし、最近は太り過ぎているので、その量は妻が少なくしている。
そこからは、だいたいテレビで刑事ものなどの再放送ドラマを見て過ごすことが多い。
途中で夕方のステッパーは必ず行う。
また、ここら辺で、「脳トレ」の雑誌があるので、それを日に1ページだけ進めるようにしたりしている。
夕方6時半に夕食。
食後は、朝も同じだが、10錠前後の薬を飲む。
あとは、テレビを見て過ごす。
途中、ナンプレをやり始めることが多い。
そして、午後9時半過ぎ就寝となる。

毎日、判で押したように同じ生活が続く。
毎日同じような「ルーティン」の繰り返し。
なのに、記憶の障害があるものだから、なかなか定着しないことが多い。
やっとできるようになったと思ったのにまた忘れてしまったりという娘に、妻は時々ガックリしてしまったり、プッツンとしてしまったりすることもあるのだ。

でも、冗談の切り返しなどは、以前に比べて鋭くできるようになっている、と私は思う。
妻が毎日見ている中で感じるものと、日中は仕事に出かけていて帰って来てから見て感じるものとでは違うものがあったりする。

ここ数日間、妻が出した脳トレ問題で、「○○」の部首が付く漢字、というものがある。
例えば、「りっしんべん」とか「さんずい」、「きへん」や「くさかんむり」などの付いた漢字をいくつ書けるか、という問題である。
これを、母娘2人でやっている。

これに、娘が結構はまっている。
勝てるはずはないのに「母に勝ちたい」と言って、一生懸命思い浮かべている。
ただ、記憶の障害だから、いくつも書いていると、また同じ漢字を書いていたりすることがある。
「△って漢字、書いたっけ?」
「それ言うの、もう3回目!」
などという会話が飛び交っていたりするのである。
している行動は何かわかっていても、少し前にしたことを忘れてしまうから、同じ漢字をまた書こうとしたりするのである。

このような言動に、娘の今があると感じている。
判断力や思考力等はだいぶ回復してきているが、記憶力はなかなか回復してこないということ。
それでも、繰り返す回数が多くなり、習慣化に近い所まで高まると、動きは速くないが、やるべきことは自分でかなり自然とやれるようになってくる。
そんな娘の今である。

今日は、そんな娘のばあちゃんの(つまり私の母の)祥月命日。
「(娘が)さらによくなるように見守ってくださいね。」
仏壇に線香をあげ、祈ったのであった。
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久々にジョルジュ・ムスタキの歌を聴きたくなった

2016-02-09 21:08:35 | うた
2月になって、自分の誕生日のある月。
今年ではないが、60歳が近づくなあ、と思う。
急に、20歳を迎えてから、その倍の40年近くが経過するのだと思えた。
うわあ、40年近いのか。
ある種の感慨である。

20歳の誕生日、学生でバイトをしていた私は、自分にプレゼント、ということで、LPレコードを買ったのだった。
それは、私には珍しく、日本のミュージシャンのものではなかった。
Georges Moustaki の「Ma Solitude ~ Best of Moustaki 」というベストアルバムであった。

「 Ma Solitude 」という題でわかるように、Georges Moustaki(ジョルジュ・ムスタキ)は、フランスのシンガーソングライターだった。
フランス人ではなく、エジプト出身のユダヤ人だとのこと。
ムスタキのことを初めて知ったのは、ラジオから流れてきた「HIROSHIMA」という歌だった。
淡々と歌いながら、広島の悲しみを歌っているように聞こえ、もっとこの人の歌を聴きたい、と思った。

その後、FMの番組でムスタキの歌の特集をやると知った日には、友人の家に出かけて行く用があったので、ラジカセを持って行き、録音したこともあった。
そこで録音したテープでムスタキをずっと聴いていた。
そして、バイトで入った金で、自分の20歳の誕生日のプレゼントとして彼のベストアルバムを買うことにしたのだった。

彼の歌の魅力は、語りかけるように落ち着いた歌声だ。
低い声で、聴きやすい。
歌の意味は、フランス語なのでわからないが、こちらの心が穏やかになっていく気がするのだ。

ただ、しばらくムスタキの歌を聴いていなかった。
レコードの時代でなくなったせいもある。
ウイキペディアで調べてみると、ムスタキは、今から3年前の2013年に、79歳で亡くなっていることが分かった。
あの声を聴きたくなって、CDを購入した。

ベストものであったが、残念ながら40年近く前に購入したレコードには入っていたが、今回購入したものには入っていない曲も数曲あった。
それはそれとして、久々にムスタキの歌声を聴いた。

やはり、いい。
よく聴いていた場所―学生時代に住んでいた部屋の風景を少し思い出した。
この落ち着いた歌声のごとく、心を平らにして穏やかに毎日を送っていたいと思った私であった。

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雪の中でつぼみを見つけた

2016-02-06 18:29:51 | 草木花
立春を過ぎ、日本の各地から春先の花だよりが届けられている。
ロウバイが咲いたとか。
福寿草が咲いたとか。
河津桜が咲いたとか。
いいなあ、と思う。
新潟では、今が最厳寒期である。
来週を過ぎれば、少しずつ雪の降りやすさも変わってくる。
日中降る雪も、湿気の多いものに変わってくる。
それにしても、毎日が灰色の空や白く付けたい雪に囲まれていると、モノクロの世界の中にいるような感じである。
明るい天然色の世界にあこがれる。
暖かい金色やピンクの花々が咲いているところがうらやましい。
家庭内全員が皆健康だったときは、この時期にはもう我慢できなくなって太平洋側の土地へと出かけていたものなのだが、今はそれができなくなっていて、ストレスがたまる。

たまったストレスを少しでも解消するために、雪が降っていない今日の午前中は、スコップを持って除雪作業に出た。
家の前の道の雪を、路上に広げ、少しでも早く雪が解けるようにするのである。

がんばって除雪した後、庭に足を向けた。

家の庭は、まだ40cmくらいの積雪がある。

庭の植木は先日来の降雪で枝が垂れ下がっているものがある。
例えば、ユキヤナギ(雪柳)の細い枝。

ところが、その細い雪柳の枝のところどころに、白いものを見つけた。

よく見たら、確かにつぼみだったり開いている花だったりした。

すごいねえ、こんなに寒いのに。
満開になるのは4月下旬のはず。
なのに、2か月以上も早くつぼみを開かせたものがぽつぽつとある。
ふと見上げると、木瓜(ボケ)の枝にもつぼみがふくらんでいる。

つぼみは、一部ピンクに染まっている。

少しでも暖かくなれば花が咲きそうだ。

ちょっぴりだけど、ストレスが飛んだ。
がんばれ、雪柳!
がんばれ、木瓜!
やがて、もっと美しく花を咲かせる日が、少しでも早く来る日を待ちたいと思う。
コメント
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