50代最後の誕生日を迎えた。
当ブログも、2008年7月に始めてから足掛け8年になる。
あの当時、ブログ名をどうしようかなと考えた結果、50代前半そのものなので、これからの人生を刻んでいこうかなと思って、「五十路ON MY WAY」と名付けたのであった。
そのわが五十路も、残りあと1年となってしまった。
前日のアルビレックス新潟の開幕戦勝利も祝って、祝杯。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/64/ac71e89b7180d310b403257b27d3dc07.jpg)
誕生日に選んだ祝い酒は、新潟の銘酒「久保田」の「碧寿」。
久保田には、百寿、千寿、万寿、碧寿、紅寿などがある。
「碧寿」は、「あおいとし」とも読める。
「青い年」つまり「青年」に通ずる。
50代最後となっても、ちっとも落ち着きが出てきているような気がしない。
万年青年の私!?
だから、「碧寿」がちょうどいい、という訳だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/88/96ceffb49f8179e90185e24cce47d8d0.jpg)
娘が太り気味ということもあって、今回の誕生日ケーキは、質素に。
シュークリームに、スフレのチーズケーキを半分に分けたもの。
私としては、これでも十分。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/83/099818cf09cd7a037a9d26db79872511.jpg)
50代最後になったということは、定年まであと1年ということ。
私の父は、定年3年前に勧奨退職でやめようという時に急死した。
幼少の頃体の弱かった私が、すでに頑強だった父より多く働いているなんて信じられないところもある。
首、歯、ふくらはぎ、肩甲骨…、あちこちに痛みのある今の私だが、これは金属疲労で仕方ないこととしておこう。
本来なら、誕生祝いに走りに出るところだ。
今は、最もだめなのがふくらはぎ痛。
これが回復していないので、走りに出るのはしばらく「自宅謹慎」状態。
定年までのあと1年をどう生きるか。
こっちの方を充実させていきたいものだ。
「日々是好日」という禅語があったが、それをもじって、「日々是充実」を心がけていきたいと思う。
この1年があっという間だったように、次の1年も、きっともっと早く過ぎていくことだろう。
日々是充実。
59歳のゆるい決心である。
当ブログも、2008年7月に始めてから足掛け8年になる。
あの当時、ブログ名をどうしようかなと考えた結果、50代前半そのものなので、これからの人生を刻んでいこうかなと思って、「五十路ON MY WAY」と名付けたのであった。
そのわが五十路も、残りあと1年となってしまった。
前日のアルビレックス新潟の開幕戦勝利も祝って、祝杯。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/64/ac71e89b7180d310b403257b27d3dc07.jpg)
誕生日に選んだ祝い酒は、新潟の銘酒「久保田」の「碧寿」。
久保田には、百寿、千寿、万寿、碧寿、紅寿などがある。
「碧寿」は、「あおいとし」とも読める。
「青い年」つまり「青年」に通ずる。
50代最後となっても、ちっとも落ち着きが出てきているような気がしない。
万年青年の私!?
だから、「碧寿」がちょうどいい、という訳だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/88/96ceffb49f8179e90185e24cce47d8d0.jpg)
娘が太り気味ということもあって、今回の誕生日ケーキは、質素に。
シュークリームに、スフレのチーズケーキを半分に分けたもの。
私としては、これでも十分。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/83/099818cf09cd7a037a9d26db79872511.jpg)
50代最後になったということは、定年まであと1年ということ。
私の父は、定年3年前に勧奨退職でやめようという時に急死した。
幼少の頃体の弱かった私が、すでに頑強だった父より多く働いているなんて信じられないところもある。
首、歯、ふくらはぎ、肩甲骨…、あちこちに痛みのある今の私だが、これは金属疲労で仕方ないこととしておこう。
本来なら、誕生祝いに走りに出るところだ。
今は、最もだめなのがふくらはぎ痛。
これが回復していないので、走りに出るのはしばらく「自宅謹慎」状態。
定年までのあと1年をどう生きるか。
こっちの方を充実させていきたいものだ。
「日々是好日」という禅語があったが、それをもじって、「日々是充実」を心がけていきたいと思う。
この1年があっという間だったように、次の1年も、きっともっと早く過ぎていくことだろう。
日々是充実。
59歳のゆるい決心である。