ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

定年退職の日

2017-03-31 21:40:44 | 生き方

正式にはまだ数時間残っているが、本日をもって、私は定年退職となった。

常々仕事が遅く、子どもの頃から片付けが苦手な私は、今日は、片付けというより自分の物を持ち帰り可能なように、もっぱら段ボール箱に詰め込む作業。
4月から私の後任となる方が、室内バラバラ状態のところを訪ねてきた。
数日前に引継ぎをしたのだが、その時不十分だった鍵の開錠・施錠の方法を教える時間がなかった。
そこで、今日の伝達となったしだい。

午前中は、辞令交付があり、会場へ出かけた。
辞令の文章は、単純だ。
「定年により退職した」
そっけないが、その9文字の通り。

戻ってからは、せっせせっせと片付け作業。
最初に、パソコンのデータを分類したり処理したりする。
これはそんなに難しくなかった。
時間も惜しく、昼食はサンドイッチとヨーグルトですませた。
机の中には、意外と細かいものが多く、小箱にごそっと入れて突っ込む。
2年間に配られた書類の多いこと。
大雑把な分け方しかしていないのに、すごい量になる。
個人情報の入っている文書は、簡単にごみとして出せないので、分別していく。

結局、いくつもの箱に、手あたりしだいに詰め込む。
あー。なんと片付けの下手なまま還暦を迎えてしまった私。

そうこうしているうちに、転出する職員が、時間休をとって次々に別れを告げて出ていく。
私は、そうはしない。
定年退職なのだから、最後の1日を勤務時間終了まで、きちんと勤め上げたい。

片付け下手でも、時間をかければ、物はなくなっていく。
やがて、室内に掃除機をかけ、机の中や上、棚の中などは雑巾で水拭きをする。
水切り籠と急須、ふきんは、前日から漂白剤を使って水につけておいた。
あちこち、今まで使わせてくれてありがとうの心で、次の人が気持ちよく使えるようにと、心をこめてきれいにした(つもり)。

作る必要のあった文書を1つ作り、よし、いざ帰る支度だ、と思ったら、決裁印の必要な書類がどっさりとはいかないまでも、たっぷり待っていた。

それも終えると、勤務時間終了まであと5分となった。
かけ足で、職場の建物内を次々と回る。

かつて、ここで教え、ここを管理し、ここで多くの時間を過ごした。
もう、この建物内を見て回ることは、ない。

少しさびしさを感じた。
看板の前で写真を撮ってもらった。


いざ、別れの時がきた。
口では、明るく言おうと思うが、涙腺は緩もうとする。
カラッと話そうとするが、声が震える。
ありゃ。くつ箱掃除を忘れていたことに気付いた。
すみません。誰かきれいにしてください、とお願いする。
一番の若手二人が、用意された花束を私に手渡してくれた。
「奮闘せよ」「昇れ」
などと、今まで付き合って来た本人たちでないとわからないような言葉をかける。
「本当に、皆さん、ありがとうございました。」
「ありがとう」しか言う言葉が出ない。
それ以外の言葉を言おうとすると、涙声になってしまうのが怖くて、そそくさと駐車場に向かう。

Good luck & Good bye ―…

そして、この別れは、今の仕事・今の役職との別れということ。
おかげで、ここで、よい仕事ができた。
子どもたちのために。みんなのために。
それは、皆さんの協力のおかげ。
本当にありがとう。

みんなが玄関に出て、私の車が動くのを待っていた。

さあ、行こう。
車を動かす。
本当にありがとう。
今までとは違う別れ。
皆さん、お元気で―。


終わった…。
責任の重い職務が、―。
次週からは、また新しい私の人生が始まる。




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母校を訪ねてきた若者たち

2017-03-25 22:18:42 | 「育」業
卒業式前日、先日成人式を終えたばかりの、私の勤務先を母校とする20歳のOB・OG4人が、訪ねてくれた。
私が教頭時代、彼らが3年生の時までこの小学校に勤務していたのだった。
成人式を終え、何かの話から、当時教頭だった私が、今度は母校の校長をしていると聞いて(それも3月いっぱいまでだと聞いて)、行ってみようということになったようだ。
前日に一応アポをとって、昨夕訪ねてきた。
「誰だかわかりますか?」と言われても、当然分からない。
当たり前だ。小学校3年生以来の11年ぶりの再会なのだから。
おまけに、彼らとは、1・2年生時に週に1回書写の指導をしただけだったのだから。(自己弁護)
それでも、名前を聞くと、電話をかけてきた女の子(成人したのだから女性と言うべきか?)のほかに、1名の男子(男性)のことは、思い出した。
名前の漢字2文字が、なかなか凝った読み方をする名前だったからだ。
高校では別れたが、4人とも、今は関東の別々の大学に通っているとのことだった。

最初は、必然的に小学校時代の話、しかも私が知っている低学年時代の話になった。
その頃の担任の女の先生が怖くて厳しかったことの話になると、一番静かにしていた女性が、一番よく話していた男の子に言った。
「あなたのせいで、私は、生涯たった一度の廊下に立たされた経験をしてしまったのだから。」
「えー、うそぉ。」
「おしゃべりなあなたが、後ろを向いて話しかけてくるから、仕方なしに聞いてあげてたのに、先生から、『そこの2人、うるさいから、教室の後ろに立っていなさい。』って言われて。
教室の後ろに立ったけど、またあなたがこりずにぺちゃくちゃ話しかけてきたら、ついに先生は、『廊下に立っていなさい!』ですもん。とばっちりをくらってしまって、人生一度の廊下に立たされる経験をしてしまったのよ。」
「へえー、ごめんなさい。おぼえてないよ、オレ。(笑)」
「ずいぶん決めつけが強い先生だったからね。」
「あの先生が今もここにいるのなら、オレ来たりしないよぉ。」
…なるほどねえ。熱心な先生でも、決めつけが強い人は、やはり嫌われてしまうようだ。

いろいろ話をした後、校舎内を回ると、非常に懐かしがっていた。
「私の暮らした、6年の教室がない!」
聞けば、改築工事でなくなってしまった教室が、その子の6年2組としての教室だったようだ。
「校舎が広くなって、別の学校みたいだね。」
「グラウンドの、あの正面の木の下やベンチの下に、タイムカプセルが埋めてあるのです。30年後、そして50歳になったら開けることになっています。」
…そんなことは、きちんと語り継いでいかないといけないな。
 
校舎内を回りながら、各教室で、彼らは思い出話を盛んに交わしていた。
「ヤバイ、ヤバイ」を連発しながら、それがすごく楽しそうだった。
そういう彼らの姿を見て思ったた。
ああ、ここは、彼らにとってかけがえのない母校なのだなあ、と。
私たち教員にとっては、職場、勤務先でしかないのだけれど、彼らにとっては、ほかにない大切な小学校なのだ、と。
そんな大切な学校を、いつまでも懐かしく、誇りに思えるような学校にしてあげたいな、と。
そういう思いにさせてくれた彼らに感謝したいと思った。
まだ大学生2年生だと言う彼らの若さが、うらやましく思えもした。

単なる教頭-低学年児の付き合いでしかなかった私と彼らの関係。1,2年生の時に書写を週に1時間もっていただけの私を訪ねてくれた心の中には、「この小学校が大好きだ」というものがあったからであろう。


こうして、脈々と生き続ける学校の“絆”…。
翌日、卒業していった6年生たちにとっても、きっと「かけがえのない母校」となることだろう。
すばらしい職員たちが、子どもたちの母校を、いっそうかけがえのないものとして、輝かせてくれているのだ。
いつでも帰って来られる「心のふるさと」の学校でありたいものだ。
今年の職員集団の働きなら、きっとそうなるよなあ、と確信した。

定年退職の日が近づくが、よい学校づくりができた、という満足感が広がっている。
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黄色い花たちが春を告げる

2017-03-21 22:39:38 | 草木花
黄色い花たちが春を告げる。
以前も書いたことがあるが、冬に雪が降ると、白と黒だけの世界になってしまう。
それが、こうして春になってくると、暖かい陽射しに心が落ち着いてホッとしてくる。
そこに、春先の黄色い花々を見ると、さらに気持ちがゆったりと豊かになってくるのを感じる。


土曜日、通りかかったところに、このようにマンサクの花が咲いていた。

これだけたくさんの花がついているのは、きっと野生のものでなく園芸種のものなのだろうな、と思った。

わが家にも黄色い花々が咲き始めた。
以前、群馬に行った時に購入した福寿草は、土の養分がなくなっていくのか、年々小さくなってきている。

ついに、2株ほどしか花が咲かなくなり、しかもちいさく可愛らしい花を咲かせるだけになっている。

そのうち、土に肥料を施さなくてはなあ、と思いながら、毎年忘れている。

クロッカスも、オレンジ色の花を咲かせ始めた。
いっせいに咲き出すのは、小さい花だが、壮観だ。

この暖かいオレンジ色、いいなあ。
チームカラーがオレンジのアルビレックス新潟も、そろそろ花を咲かせ(試合に勝利)ないかなあ、などと考える。

わずか3輪でしかないが、オウバイ(黄梅)も、花をつけた。

亡くなった母が買って来たものだったと思うが、最近はちゃんと世話をしないせいか、あまりたくさん花をつけなくなってしまった。

それにしても、このような明るい黄色の花々は、いいなあ。
開放的になれる。
春の訪れを感じさせる、心を温かくしてくれる、黄色い花たちである。
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春RUN20km

2017-03-20 22:16:24 | RUN
暖かい陽射しが心地よい。
今日は、新潟では第1回となる「新潟ハーフマラソン2017」が行われた。
ビッグスワン発の初のこの大会にうちの息子は参加してきた。
農村地帯が走るコースの中心のようで、結構いい記録で走り切れた息子は、結構いい気持で帰ってきた。

私は、今は年度末であり、定年退職間近の身には、31日まで現職最後の仕事がいろいろと待ち構えている。
そんな事情で、今回の新潟ハーフマラソンは不参加。
だが、4月2日の笹川流れマラソン大会(ハーフ)に備えておきたい。
1週間前には16kmを走ったので、今日の目標は20kmを走ること。
そして、走りやすいイーブンペースを通すこと。

入りの1kmがちょうど6分だったので、1km6分を目途として、疲れない走りで通すことを考えて走った。
塩飴系の3種の飴を6個もち、少しずつなめながら、サイクリングロードを走る。
2日前には、6kmを走ったのだが、疲れをためないことが大事。
だから、脚に無駄に力を入れないようにして走る。

それにしても、まだ雪が残る山がきれいだ。

コース上や周辺には雪はない。
しかし、山が近づき、コースの8km地点近くには、こんなに雪の塊が残っていた。

駅名を表す標示は、かつてこのサイクリングロードが、国鉄赤谷線だったことを示すもの。

そして8km地点から先は、まだ雪が残っていた。

8.7kmでは、ついに道一杯に雪が広がり、そこから先に行くのはあきらめた。

8.8km辺りの地点で折り返した。

サイクリングロードに入るまでに、1.2kmほどをすでに走っていたので、折り返しは10kmということになる。

ここから帰ると、緩やかな下り。
それに助けられて気持ちよく走った。

夕陽が沈んでゆく。

その後も、6分弱を守り、20kmを走り切った。
そのタイムは、1時間57分34秒。
平均の速度は、1kmあたり5分53秒。
無理のない走りでは上々。
太もも辺りは疲れを感じたが、無理をしなくとも6分弱で走り続けられたのはうれしかった。

いろいろと忙しいが、4月2日にハーフマラソン21kmを走る準備は、しっかり整えていきたい。

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娘よ(83)

2017-03-19 21:57:53 | 生き方

埼玉から、久しぶりに娘にとっては「伯父さん」(私にとっては、義兄さん)が来てくれた。
彼岸なので、こちらの墓参りもしてくれたのだった。
今回はお土産に持って来てくれたのは、テレビ画面並みのディスプレイ。
パソコンとつなげて、画面が大きく見えるという。
さっそくつなげてもらって、サッカーJ1第4節の横浜-新潟のLive映像を見たのであった。


ま、それはそれとして、娘の様子を見て、「半年前に比べて、うんと良くなっている。」と言ってくれた。
自分ちの子どもの成長には気がつかないが、人様の子どもの成長には驚く、とはよく言われることである。
残念ながら、うちの娘は、確かに私の子どもであるが、成長する時期はもう20年以上前に終わっている…。
それでも、「よくなっている」ということに気付くのは、久々にあった人ならではの感覚。
伯父さんにそう感じてもらえるのなら、確かな事実だと思える。
歩き方やしゃべり方にそれが感じられるということだった。

記憶に関しても、多少残るものがある時もあるようだ。
先月下旬、娘は、妻と共に、4年前の病気の発症以来初めて講演会のようなものに出かけて行ったのだ。
その内容は、真打ちとなっている若手落語家を招いてのものだった。
実は、その招かれた落語家は、幼稚園以来の娘との同級生(?)だったのである。
今は、立派な落語家「○○亭◆◆」となっているが、娘にとっては、今でも「Sくん」であり、そう呼んでいる。
講演と落語の双方を聞いてきたのだが、娘は、3週間たった今でも、その話を聞きに行ったことを忘れていない。
「Sくんがかんだり、話をとちったりしないか、ドキドキした」とは、娘の弁である。
そのドキドキがあったから、忘れていないのかもしれない。

今日、息子が例のディスプレイ画面で新潟のサッカーの試合を映していたら、「ああ、昨日の試合ね。」と娘がつぶやいていた。
ということは、前日のことを覚えているということになる。

こんなふうに、印象的だったものが、少しにせよ記憶に残る時もある。
そんな姿も見られることは、確かによい兆候だと言える。
ただ、そんなによく覚えていられることがたくさんになったわけではないのだが…。

ほかには、妻に対して、ちょっかいを出したりからかったりすることもあるようになった。
その言い方が、ずいぶん回復傾向にあるなあと感じさせる時がある。
そんな娘の話の仕方や対応の仕方に、伯父さんは、よくなっているものを感じてくれたのだと思う。
ただ、結構ボケボケな状態であることの方がまだまだ多いのだけれど。
それでも、客観的に見られる人から、娘がよくなっていると言われるのは、実にうれしい。
伯父さんは、娘の毎日の習慣である昼寝の時間の前に、帰って行った。


夕方、家に帰り着いたと、伯父さんから電話があった。
高速の事故で帰着が遅れたとのことだった。
その電話に最初に出て話したのは、娘だった。
そんなところにもちょっとした回復ぶりが見られると思ってもらえたなら、うれしいものである。

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春RUN16km

2017-03-13 21:06:42 | RUN
暖かい陽射しに、わが家の福寿草のつぼみも膨らんできた。
日曜日、いい天気。
山の雪が白くまぶしく光っている。
走りに出よう。
できれば、15,16kmくらい。
今年は1月のまだ雪が積もっていない時に、一度走ったことがあった。
その後、積雪と自分の体調不良で最高でも10kmくらいしか走っていない。
でも、春の雰囲気、そろそろ4月2日の笹川流れマラソンでハーフマラソンを走る準備をしなくては。
ただ、先週久々に10km走れたばかりだから、今回は、15kmを一つの目安としたい。

準備運動をして走り出すと、1kmで6分2秒のペース。
まあ呼吸にふくらはぎに支障の出ない、楽なペースはこれくらいかな、と6分弱を目安に走ることにした。

なるべく地面を強く蹴らずに、滑らかに走る。
午後の日射しが気持ちいい。

サイクリングロードを歩いている人は多いが。走ってきた人とすれ違うこともある。
「こんにちは」と、向こうから先に言ってもらうのは、うれしい。
仲間だ、と思う。
こちらが言っても、何も答えてくれない人も結構いる。
まあ、返事が戻って来ないのが当たり前、と思いながらすれ違う。

春の山は美しい。
青空をバックに、白く輝き、まぶしく光る。
あの向こうの山を目指して行けたら楽しいだろうなあ。


そんなことを思ってまもなく、ランニングウオッチが8kmを走ったことを知らせた。
折り返すことにして、持って来た「小梅ちゃん」を1個口に入れた。

残り5kmくらいになったところには、雪山の列。

住宅街の路地から除雪されて出た雪山は、まだ残っている。


ところどころで立ち止まって、飴をなめたり、写真を撮ったりしながら、帰ってきた。

1km6分弱の走りで、16kmを1時間33分余りで走ってきたことになる。
ふう、気持ちいい。

これから暖かくなれば、体をケアしながらもう少し走ってみたいと思った、日曜日の16kmだった。
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開幕戦敗戦。しかし、そこにはサッカーのある日常という幸福が。

2017-03-12 20:16:01 | アルビレックス新潟
いよいよ始まったなあ。
スタジアムに向かう途中に、ビッグスワンの大きな建物が遠くからも見えると、うれしいなあと思った。
また、サッカーのある日常が始まった。
駐車場、なるほど少し早く来てみたけど、やや多めの車。
いざ、スタジアムへと、息子と2人で速足で歩く。

スタジアム前の観客も多い。

ゲートをくぐって、選手の等身大のバナー写真の前を通る。

懐かしき、矢野貴章の姿に足を止める。

ゴール裏のNスタンドは、1階はサポーターであふれかえって、試合開始1時間半前で入る余地なし。
Nスタンドの2階からの観戦を決めた。

Sスタンドには、懐かしき、本間勲の肖像フラッグが。


選手紹介も、今年は、余計なこと(例えば、「越後の壁」とか「ゴールハンター」とか)は一切言わない。

その前の清水の紹介では、「野津田岳人」の紹介に、新潟の観客からは拍手が起こった。

彼は、去年新潟の一員としてがんばってくれたからなあ。

ベンチにはさりげなく早川史哉の背番号入りのユニフォームが掛かっていた。


試合前には、以前と同じ矢野貴章のチャントが流れた。
懐かしくも、活躍を祈る気持ちが場内にあふれていた。

それゆえに、早く先制点がほしかった。
そして、勝利が。

前半は0-0で折り返した。
後半も重苦しい展開が続いた。
時折見せる攻撃は、ゴールの枠のはるか上を行くものが続く。
2戦連続ゴールの田中達也が交代出場し、期待も高まった。
観客数の発表も、去年はなかった3万人越えで、31,014人。
今年のチームに期待している人が多いということであり、人集めもなされたということ。
どちらかというと新潟が押し気味な展開だったのに、後半初めての清水のチャンスで鄭大世のヘッドで先制された。
まだ時間は15分ある。
今まで第1戦、第2戦とも先制されてから追いついている。
今日も―…という期待はあり、新潟の猛攻が続いた。
しかし、アディショナルタイムで攻撃中、ボールを失うとそのまま決められ、0-2。
ここで勝負あった。


ゴール裏のサポーターは、選手たちにブーイングを浴びせたが、そこまでするような試合ではなかったと思う。

ただ、3試合戦って、1分け2敗の勝ち点1のみ。
相変わらずの決定力不足でもあるし、非難したくなるのもわかる。
まだシーズンは長い、と言っても、J2上がりの清水に完敗しては、先行きが不安になることも確かだ。
次戦は、何かを変えなくてはいけないだろう。

でも、この日は3・11。
6年前のこの日の惨禍を思うと、サッカー観戦が当たり前のようにできる日常に幸せを感じる、その気持ちの方が、私には多かった。
清水には、福島県出身の選手も出場していたという。
あの日から6年を迎え、改めて福島原発の処理が進んでいないことが話題となっている。
試合は負けたが、アルビレックス新潟というJ1チームの存在と、その戦いぶりに一喜一憂できる日常の幸福を確かにかみしめた、ホーム開幕戦であった。
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いざ!ホーム開幕戦!!

2017-03-11 11:50:52 | アルビレックス新潟
今日は、午後から(15:30~)待望のJ1リーグ新潟の開幕戦。
楽しみだなあ、とWAKUWAKU。
去年までのチームとは違うチームになっていて、どんなプレーを見せてくれるのかが楽しみで仕方がない。

先日の新聞では、昨年のJ1の観客の平均年齢は、新潟が最も高い、と書いてあっていたが、そこには2つの意味を感じる。
1つは、新潟という、冬の厳しい季節の県で、サッカーという屋外スポーツのプロチームがある、ということを誇りに思うこと。
冬には積雪・荒天で、屋外でほとんど練習ができないという事情から、野球やサッカーなどの各種大会で全国優勝したことがほとんどない県なのだ。
それが、今はサッカーのJ1のチームがある、ということは、そこで生きてきた人たちには、とてもうれしく誇れることなのだ。

もう1つの理由は、昨年は、降格の危機にさらされたことだ。
J2からJ1への昇格を目のあたりにし、喜びを爆発させた人たちにとって、やはりアルビレックス新潟というチームは、かけがえのない存在なのである。
勝ちを祈りながら、なかなか勝てないチームだが、試合の勝敗にハラハラできることが、こんなにも楽しい。
だからこそ、J2に落とすわけにはいかない。
自分たちにできることは、応援することだけだから、と年齢の高い人たちが応援に訪れた結果なのだと分析する。

そして、今日の開幕戦。
矢野貴章や本間勲の復帰もあってか、かつて応援していた人たちの期待度も高まったようだ。
駐車券がどうやらよく売れているらしい。
臨時駐車場まで準備されている。
十年ほど前のように4万人まで観客が入るとは思えないが、スタジアムにたくさんの観客が来てチームを、新潟を応援するというのは、本当に一体感があって楽しい瞬間なのだ。
また、新潟の選手のゴールが決まると、知らない人同士でも大いに喜び合うことができるのだ。
今日は、そんな歓喜の瞬間があることや最高の気分での帰宅となることを期待したい。

VAMOS NIIGATA !

今年のチームスローガンを、会場で確かめよう!
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「手紙」のうた~③親心の歌 「案山子」

2017-03-06 22:08:24 | うた

以前、手紙の歌について書いていたが、親心での手紙、というのが昔はけっこうあったものだ。
親からの手紙の歌で代表的なものと言ったら、さだまさしの「案山子」だろう。

元気でいるか 街には慣れたか 友達できたか
寂しかないか お金はあるか 今度いつ帰る

こういう歌い出しで始まる。
若い時は、単に親心をうまく歌った歌だなあ、という感じがしたものだった。

子どもの身にしてみると、確かに親はそんな心配しているのだろうなあ、と思ったものであった。
その心配が、元気でいるか、から始まって6つも並んでいる。
この歌は、父親が子どもを心配して歌ったものだ。
その子どもが息子か娘かは知らないが、歌としては娘の方がよいのだろうな、なんて思ったりもした。

ただ、その当時の20代前半の子どもとしての自分の気持ちは、歌詞の一つ一つについては次のように思ったものであった。

元気でいるか → 元気に決まってるじゃん
街には慣れたか → ああ、意外と気楽なもんだよ
友達できたか → まあね、いるよ、友達
寂しかないか → 寂しくなんかないさ、せいせいしてるよ
お金はあるか → それがねえ、意外と早くなくなるんだよね
今度いつ帰る → そんなのわかんないよ、知るもんか


そして、今、親としての時代も過ぎて思ったことがある。

「元気でいるか」~「今度いつ帰る」までの6つの質問で、
この6つは、同じ重さで質問しているものではない、ということだ。
親を経験して言えるのは、「元気でいるか」~「お金はあるか」までは、実はどうでもいいことなのではないか、と考えるようになった。
一番聞きたいのは、最後の「今度いつ帰る」なのだ。
いかにも子どものことを考えているようで、「元気でいるか」~「お金はあるか」は、「今度いつ帰る」だけ聞くのは恥ずかしいので、それを悟られないようにするための前置きに過ぎないのだ。
…と。

さらに、歌は、次のような部分もある。

手紙が無理なら 電話でもいい
「金頼む」の一言でもいい
お前の笑顔を待ちわびる おふくろに聞かせてやってくれ

これも、母ごごろをおもんぱかってのようだけど、実は父である自分が声を聞きたいのだと、わかる。
今は、間違いなくそうだと思える。
そう思うようになってから、この歌のよさがさらにわかるようになってきた。

自分も、初めて家を離れた時、一度父から手紙をもらったことがある。
40年以上も前なので、もうどんなことが書いてあったかは忘れてしまった。
でも、手間をかけて書いてくれた手紙をもらったことは、本当にありがたく思ったのであった。


さて、…。
こんなことを書きたくなったのは、数日後に亡父の誕生日が近づいたせいだろうか…。
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春感RUN

2017-03-05 21:03:00 | RUN
3月になり、陽射しが強くなってきたなあと感じる。
雪が降っていた頃に、たまたま晴れたのとは違う明るさだ。
そして青空の色が濃くなっている。
明るさ、青の濃さ。いよいよ春が来たかな…とうれしくなる。
3月1日の朝は、いくつもの白鳥の群れが、次々と北の空を目指して飛んで行った。
白鳥も3月になったのがわかるのか?などと軽口をたたいた私であった。

走るのにもいい季節になってきた。
ところが、体調は、そんなによくない。
以前から、首痛(頭痛)やふくらはぎ痛があったのに加え、1週間前の土日は左の肩甲骨周辺が痛くて、困ってしまった。
痛みの多い状態なので、当然走ることも控えていた。
だが、土曜日の朝の光のまぶしさに、体を動かさないことがもったいなくなってしまった。
午後からは、新潟まで行かなければならない会合(懇親会付き)があり、その後昔共に勤務した人たちとの飲み会も予定されていた。

飲み会のダブルヘッダーで、こんな明るくいい日を不健康に過ごすなんて、もったいない!
そう思って、無性に走りたくなった。
娘のために一緒に散歩して帰ってから、30分間ほどを使って、軽く走りに出た。
ゆっくりめに5km走った。
それでも、1kmあたり5分45秒ほどのペース。
その後あせってシャワーを浴び、あわただしく準備をして、例のダブルヘッダーに出かけたのであった。
(そのおかげで、アルビレックス新潟のアウエー神戸戦敗戦を見なくてもすんだのであった…よいのか、悪いのか…???)

今日は、朝はくもっていたがしだいに天気は回復。
そして、今日も良い天気になった。
前日の飲みのダブルヘッダーの影響で、ちょっと頭と体が重い。
びわ湖毎日マラソンを見終えた後、刺激を受け、昨日少なかった走りにプラスして、さらにゆっくりなジョギングに出発。
雪のため行くことのなかった、自然豊かな公園を回る8kmコースを久々に走った。
春に「まず咲く」マンサクの花は、未だ咲いていなかったけれども、
公園内の潟には、わずかながら、まだ北へ旅立たない白鳥たちの姿もあった。

帰路、道ばたには、「春の雑草四天王」の花たちの姿を認めながら、ゆっくり帰ってきた。
春だなあ、と思う。

ただ、住宅街の一角には、今年降った雪がまだこんなにたくさん残っていた。


これから、まだまだ雪も降ることもあるだろうけれど、天気のいい日を見つけて走っていきたいなあ。
昨日5km、今日10kmを走り終えて、体の痛みは逆に薄れている気がした。
ほどほどに体を動かし、痛みと付き合いながら走って、痛みを忘れていくのがいいかもしれないな、と確認した。
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