ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

集中豪雨を乗り越えて

2011-07-31 22:53:05 | 「育」業
自分の住むところは、幸い、大した被害はなかった。
しかし、福島・新潟ともに、集中豪雨のために、特定の地域が、相当な厳しい状況下におかれた。
今日、TVで見た映像によると、地域によっては、2mを越える水が出たところもあったようだ。
7年前に比べると、豪雨にさらされた時間がより長く、降った雨の量もより多く、被害を受けた地域もより広かった。
今日も、まだ川の水は濁ったままだが、幸い、水が引いて来ている。
豪雨の影響は大きかった。
今日でも、三条市全域では断水となっている。
TVでは、あちこちで、泥だらけになりながら、後片付けに追われている映像が映し出されていた。
これからも、まだまだ復旧には時間がかかることだろう。

犠牲者も出てしまった。
しかし、以前に比べて、人的な被害ははるかに少ない程度で済ますことができたように思える。
7年前よりも大量の雨が降ったということを考えると、被害を最少限度に抑えることができた、と言ってもいいのではないだろうか。
それができたのは、7年前の災害の時に比べて備えができていたからであろう。
7年前の惨事の後、あちこちの川の改修工事が行われた。
防災対策がしっかりしたから、豪雨時の避難勧告や避難態勢がしっかりとれていた。

だからであろう。
休日の土曜、早朝まだ寝ている時間だというのに、職場の全児童・全職員のすみやかな安否確認を求める知らせが入った。
安否確認!?
早朝とはいえ、さっそく勤務先にかけつけ、おもだった職員と対応策を検討し、すぐに実行に移した。
さすがに簡単にはいかなかったが、数時間後になんとかやり終えた。
これだけでも大変なのに、人的な被害が出たら…と思うと、さすがに緊張感があった。

今回の豪雨で、被害に遭った地域で、児童・生徒の犠牲の話を聞かずに済んだことを、最も喜んでいる。
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雨よ、これ以上降らないで!

2011-07-29 22:58:38 | 自然・季節

新潟県への集中豪雨がすごい。
昨日からの雨が、いったん降ると、その降り方が尋常でない。
ドドドドドドド…と音を立ててたたきつけるように降る。
日中、勤務先で屋上からの水がすごい勢いで落ちてきていた。

あっという間に、側溝を満たし、路上にあふれていた。


私の住む近くでは、今から12年前に水害が起こった。
中越地方への集中豪雨というと、7年前に中越地震の起こった年、その地震の3か月前に当たる、平成16年7月のこと。
7.13水害が起こっている。
あの時大きな被害を受けた三条市周辺。
五十嵐川が氾濫したのだったが、今回もまたその手前まで来ている。
三条市全域に被害勧告が出ている。
知り合いの方と電話で連絡をとってみると、五十嵐川の上流にある自宅に帰れなかったそうだ。
家の途中で、五十嵐川が氾濫していて、道路が冠水し、とても怖くて家まで車を走らせられなかったそうだ。
そこで、避難所で仕事に出ていた奥様と合流し、今夜は避難している公民館で一夜を過ごすそうである。
しかも、この川の水量は、7.13水害の時よりもすごいということであった。
7年前は、ダムからの放水はなかったと思うが、今回は3つのダムが満水となり、五十嵐川に放流されている。

雨は、まだ断続的に続いている。
三条市ばかりではない。
新潟県内各地ですごい量の雨が降っている。
どうかこれ以上被害が広がらないでほしい。
そう祈りながら過ごす夜である。
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少女漫画家、和田慎二さんの逝去を悼む

2011-07-28 22:42:01 | ひと
昔から、漫画が好きだった。
高校時代には、同級生にN氏という少し変わった漫画読みがいた。
男子であるが、女子漫画を結構愛読していたのだ。
月刊少女フレンド、月刊マーガレット、月刊少女コミック
などの月刊少女漫画雑誌を買っていたのだ。
N氏は、ちばあきおの「キャプテン」なども好んで読んでいたのだが。
そのN氏の影響で、私も、月刊マーガレットのファンになってしまった。
高校時代の後半から、大学時代の前期まで、好んで買って読んでいた。

一番か二番のお気に入りに、和田慎二氏の漫画があった。
なかでも、「超少女明日香」シリーズや「わが友フランケンシュタイン」などは、私のお気に入りであった。

最も有名なのは、テレビ化された「スケバン刑事」かもしれないが、私はあまりそれは見なかった。

受験に行った先で本屋に寄ったら、和田慎二氏の漫画を見つけ、受験勉強よりも漫画読みの気分転換の方が先になってしまった、という苦い(?)思い出もある。
確か、その時に買ったのは、「呪われた孤島」や「銀色の髪の亜里沙」だったと思う。

今も、わが家のどこかにあるはずだ。
当時は、少女漫画雑誌に連載する男性漫画家は、結構少なくなっていた時であった。
特徴あるタッチで描かれ、社会性やストーリー性も高い氏の漫画には、引きつけられるところが多かった。

あれから、30数年。
先日、和田氏の訃報が報じられた。
青春時代の貴重な思い出が、また一つ消されてしまったようで、とても寂しく思った。
少女漫画史に貴重な歩みを残した、和田慎二氏。
その冥福を祈りたい。
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アナログ放送の終了に思う テレビの思い出2

2011-07-26 17:25:22 | 生き方
白黒テレビを購入したのは、父だけではない。
その10数年後、私も買ったのだ。
大学入学時のことである。
カラーテレビの時代になってはいたが、2万3千円くらい出して買ったのが、ポータブルの(と言っても少し重いが)白黒テレビであった。

このテレビは、新婚時代も使っていた。
アパートに、「カラーテレビはない」というのに、疑い深いNHKの集金員が何度も訪ねてきた。
果ては、窓の外からのぞき込んで、「テレビがある!」と見つけて、うれしそうに叫んでいた。
そのあげく、
「今どきカラーテレビでないなんて。」
と、ぶつくさ言いながら、しっかり毎月白黒テレビの受信料は徴収していったのであった。
白黒テレビにも受信料、NHK恐るべし!

わが家で初めてテレビを買ったのは、日本中がそうだったように、東京オリンピックの前の年であった。
しかし、それから20年たって、あの華やかだったロサンゼルスオリンピックの開会式。
オリンピックが商業主義に変わったオリンピックと言われている。
が、はでな演出も何も、すべて私が見たのは白黒の画面だった。
でも、なぜだろう。
東京オリンピックも、ロサンゼルスオリンピックも、白黒のテレビで見ていたというのに、思い出すと、それは色が付いている。
きっと、その後様々な雑誌等の記事やTVで、カラーの写真・映像で見たからなのだろう。

この学生時代に買った白黒テレビ、新婚時代も使っていたテレビ。
実は、昨日のアナログ放送終了の日も、わが家に残っていて、しかも、ちゃんと(?)映っていた。
このように。

買ってから35年以上もたつのに、である。
処分代がかかる前に、捨てればよかったのかもしれない。
あまりにも昔が懐かしくて、白黒テレビ自体が珍しくなって、逆に捨てられなくなってしまったのである。
さて、7月24日をもって、本当のガラクタとなってしまった…。
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アナログ放送の終了に思う テレビの思い出1

2011-07-25 22:27:28 | 生き方
昨日の日曜日、ちょっと懐古的な気持ちに陥った。
正午を目前にしていた時である。
そう言えば、大半の方は、何のことか察しがつくと思う。
テレビのアナログ放送の終了である。

わが家は、昨年の晩秋、ようやく地デジ化に対応したテレビを購入した。
それまで、ずっと古いブラウン管のTVを見ていたわけである。

私が生まれ育った家で、初めてテレビが映ったのは、昭和38年6月9日、日曜日のことであった。
時間は、午後7時10分過ぎ。
映っていた番組は、「隠密剣士」。
主役の大瀬康一が、たいまつを点けて、洞窟の中を歩いている場面だった。

当時幼い子どもであった私が、月日、曜日、番組、場面まで覚えている。
これは、よっぽどのことだと思う。
ここまでよく覚えているできごとは、ほかには、ない。
あるとすれば、長子である娘が生まれた日や、父や母の亡くなった日ぐらいである。
それだけ大きな出来事だったというわけだ。

もちろん、白黒テレビであった。
当時は、父の月給何か月分、という高価なものであった。
それでも、父が、何か月もローンを組んで買ったテレビであった。
そのせいもあって、そのテレビは、長く使った。
反対方向に回そうとすると、チャンネルが取れてしまうというくらいにもなった。
昭和40年代、カラーテレビ全盛の時代になっても、わが家はその白黒テレビを大切に(?)使っていた。
そのせいか、一度、夢を見たことがある。
わが家で白黒のテレビを見ていたら、急に色が付いてカラーテレビになった夢である。
無邪気な夢であった。
しかし、色がついている夢を見たと明らかに自覚したのは、この時が最初であった。
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川崎戦、快勝!

2011-07-24 14:22:07 | アルビレックス新潟
勝利の味は、いいものだ。
J1新潟、これでホーム川崎戦に13戦連続負けなしとなった。
内容は、12勝1分けである。

その汚名返上を期して、川崎サポーターも大挙して新潟に乗りこんできた。
去年、一昨年と、どういうわけかスプリンクラーが誤作動し、川崎サポーター席に水が降りかかるという珍事が起こっていた。
2度あることは3度ある…という言葉がある。
まさか、3年連続して冷水を浴びせる訳にもいかない。
冷水を浴びた気分にさせるのは、試合に敗れさせることだけでいい。
ただし、前節は主力の中村憲剛を欠きながら、首位柏に勝った川崎だ。
そう簡単にはいかないだろう、という感じはあった。
まして、新潟は前節清水に屈辱の逆転負けをくらって、15位と残留争いに後がない。

この日は、夏休みに入った学校もあり、スタジアムには、親子連れで自由席で観戦する人たちが多かった。
このくらい自由席が埋まると、3万人くらいはいくのだがなあと思った。
ところが、試合の後半に発表された観客は、2万5千人余りであった。
ぐるりとスタンドを見ていたら、その理由は明白だった。
確かに自由席は埋まっている。
しかし、シーズンパスなどで入れる指定席が空いているのだ。
そこだけぽっかり空いていて、違和感があった。
その座席の多さに、これが、3万人に届かない訳か、と納得した。

試合は、互いに厳しくチェックし合い、すきあらば鋭く攻め入るという様相。
新潟には惜しい場面もあったが、前半30分過ぎくらいからは、もっぱら川崎の攻勢に守備に追われる。
それを示すように、この日の川崎のコーナーキックは12本。
ハラハラしたが、ディフェンス陣がよくふんばって、後半へ。
後半8分、ついに得点が入る。
亜土夢→ミシェウ→ブルーノ・ロペスとつながって、新潟先制!
今年、何度も追いつかれたり逆転されたりしているのを見ている終盤・ロスタイム。
気を抜けなかったが、守り切った。

特に、GK、最年長小澤の冷静なプレーは、光っていた。
雨あられと降り注ぐ敵のボールに、パンチングばかりではなく、キャッチも多用した。
ゴールキックにいくときも、わざとゆったりしてみたりと工夫して、チームに落ち着きを与えていた。
さすがに、長年の経験はだてではない、というところを見せてくれた。
勝利した後は、ゴールポストに感謝している姿も見せてくれた。
場内のヒーローインタビューは、小澤。
受け答えも堂々としていて、さすがであった。

ホームでの勝利は、さすがに気分が爽快だ。
勝った選手たちが、こんなにうれしそうなのを見るのは、本当に久しぶりだ。

一緒にバンザイをしながら、喜びを分かち合える。
地元にJ1のプロチームがあると、こんな楽しみが味わえる。
ずっと、この楽しみが続くように、と願う。
…ということで、次節は、山形だな。
天童には、行ったことがある。
ということで、この予定である。
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自然豊かな花の百名山 4度目の月山 その3

2011-07-23 10:50:09 | 自然・季節
月山の驚きの3つ目は、真夏というのに、雪渓がトレッキングコース上に残っているところがあり、その上を何度も歩いたこと。

この日は暑かった。
下界では、35℃を越える暑さとなっていた。
月山も、山とはいえ、陽射しが結構強かった。
帽子をかぶり、タオルを首に巻き、長袖で歩いていたのだが、翌日は体の一部に日焼けが痛くて悩まされた箇所があった。
どこかというと、耳の後ろと耳たぶである。
そんなに強い陽射しのもとで、雪の上を何度も歩くというのは、今まで経験がなかった。
往路での雪渓は、まだ上りやいくらか平らなコース上だったので、気をつけて歩くだけでよかったのだ。

しかし、帰路の、牛首から下っていくところにあった雪渓には困った。
勾配が急で、いくら気をつけて歩いていても、足をとられ、滑ってしまったのだ。

周辺が岩場ではないから、滑って転んでも笑い話ですむが、不意に滑ると肉離れを起こしそうでこわかった。

何度かこわさを味わいながらも、雪渓の近くには、早春の花々が咲いているのを見ることができたのが何よりも喜びであった。

ヒナザクラとバイカオウレン(と思われる)は、初めてみることができた。

初夏のニッコウキスゲもあり、秋に多いミヤマリンドウもあった。

春から秋の花まで楽しめるのが、この月山のトレッキングの最高の楽しみである。
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自然豊かな花の百名山 4度目の月山 その2

2011-07-20 22:14:24 | 自然・季節
7月の月山の驚きの2つ目は、スキーである。
7月の中旬にして雪渓の上、雪上でスキー。信じられない光景でもあった。

雪渓の上を、登山者が登る。
その雪渓で、滑りを楽しむ人たちが同居していた。
行くときは、姥ヶ岳の斜面で楽しんでいる人たちがいるのを見た。

この人たちは、スキーが好きでたまらない人たちが楽しく滑っている感じに見受けた。

帰りの牛首の下の方にも雪渓があった。

そこでは、下山する人々の通る脇で、
ポールを立てて専門的に滑る少年たちや指導している人たちがいた。
ポールを倒して滑って行くその姿は、回転等スキー専門の選手たちの育成なのだと思った。

ここまでスキーや道具を持ってくるだけでも大変だろうに…。
スキーができるのも、あと何日かの月山の雪渓だろうと思いつつ、好きなことがあるということは、いいなあ。
そして、そのスキーが夏でもできる環境があるっていいなあと思った。
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自然豊かな花の百名山 4度目の月山 その1

2011-07-19 21:32:41 | 自然・季節
今まで月山には3度行ったことがあるが、いずれも8月や9月だった。
7月の今頃行ったら、どんな花が見られるだろう?
そういう期待を持ちながら、いつものように姥沢からリフトを使って登って来た。
登りは、リフト→姥ヶ岳→金姥→牛首→山頂。
下りは、山頂→牛首→下のコース→リフト

驚きは、いくつかあった。
まずは、ニッコウキスゲの多いこと!

リフトに乗って、その足元にもたくさん咲いていた。
また、姥ヶ岳山頂付近から牛首付近にかけても、たくさん見られた。
年輩のおばちゃんトレッカーは、
「月山でこんなにニッコウキスゲが咲いているなんて、初めて見たよ。」
と話していた。

青空にオレンジ色の花が映えていた。
そして、雪解け間もない頃に咲く花々を見ることができた。
平地でも見られるショウジョウバカマのほかに、
バイカオウレンかミツバオウレン。

ヒナザクラやトキソウは可愛らしかった。

満開だったのは、イワイチョウ。

葉がつやつやしていて、秋には黄色い葉になる。
イチョウに似ているからだろう。
高山植物と言えば、チングルマ。

そのそばによく咲いていたのは、コイワカガミ。
多く目についたのは、ハクサンチドリにヨツバシオガマ。

近寄らないとどっちかよくわからない。
ハクサンイチゲも多かった。

山頂近くでは、ミヤマキンバイやミヤマキンポウゲの黄色い花が多かった。

このほかにも、コバイケイソウやミヤマリンドウが咲き始めていたし、大好きなアカモノ

や、アオノツガザクラ

も目にすることができた。
さすが花の百名山、月山。
残念なのは、クロユリが見つからなかったこと。
少し前の週には咲いていたらしいのだが、…見当たらなかった。
まだ、さすがにウメバチソウやオヤマリンドウなど秋の花は見かけなかったけどね。
花見をたんのうできた。
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大和撫子が見せた大和魂

2011-07-18 08:38:18 | スポーツ
すごい。
どうして気持ちが折れないのだろう。
前半開始からの、あの圧倒的な守勢。
次々と相手方のものすごい運動能力から繰り出されるパスやシュート。
バーやポストに救われた場面もあったが、それは、自分たちなりに守備で相手十分の体勢にさせないから。
普通なら、前半の序盤で、今日はだめかも、と思ってもおかしくない。
しかし、耐えに耐えて、それなりにチャンスも作れるくらいになって、前半を終えた。

後半になって、一瞬のすきをねらわれ、先制された。
やっぱりアメリカは強い。
そう思ったが、逆襲に転じる。
あの宮間選手の左足首は、どうなっているのだろう。
こぼれ球を拾い、見事に左足を使い外側に強くけるシュートが決まる。
信じられないシュートだった。
その前には、ずっと走ってペナルティエリアまで詰めて来ていた。

延長戦。
前半終了間際に、ついにアメリカの主砲ワンバックに手痛い勝ち越し弾を食らう。
さすが世界のエースストライカー。
もはやここまでか。
延長後半があるとはいえ、両チームとも疲労が並ではない。
体力に勝るアメリカから点を取れるようには見えなかった。
なのに、コーナーキックから、澤の右足がボールを捕らえる。
はるかゴールの前方から、右後ろのゴールへ後ろ向きながらシュートが飛ぶ。
入った!
また同点だ!!
このあきらめない気持ち。
まさに、大和魂。
大和撫子とは、本来日本女性らしい奥ゆかしいイメージのある言葉。
それなのに、このなでしこたちのたくましさは、一体何だろう。
まさに、世界に誇るべき日本女性たちの集団だ。

PK戦になった。
あの世界1位のアメリカに負けなかった。
それだけでもすばらしい。
佐々木監督の笑顔も素晴らしかった。
笑って選手たちを送り出した。
恐れるものは何もない。
やがて、海堀選手のスーパーセーブが飛び出す。
反対に、「勝たなくてはいけない」アメリカ選手たちの動きがぎこちない。
3人終わって、アメリカの選手は、皆外したということになった。
なでしこたちは、冷静だ。
最後にDF熊谷選手が決め、日本がPK戦を制し、世界王者に輝いた。

日本の女子が世界一。
世界で最も人気のあるスポーツで、世界の頂点に立つなんて。
本当にすばらしい。
決して、日本の競技環境は恵まれているとは言えないのに。
人の力。
個の力を最大限にチームとして発揮した。
結集して本当に輝かしい成果を得た。
震災の復興支援に、世界中の人々への感謝のメッセージを送りつつ、世界一に輝いた。
おめでとう。
そして、ありがとう。
大和撫子という言葉を復活させたなでしこジャパン。
見せてくれた大和魂。
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