ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

あっという間のふた回り

2016-12-31 20:45:18 | 生き方
紅白歌合戦のプログラムが進んでいる。
こうして、2016年もあと3時間余りで終わる。
神棚をきれいにしながら、1年が過ぎることの早さを思う。
仏壇は、盆や秋の彼岸にきれいにしたばかりだと思っていたら、もうそれから3か月もたっている。
来年は年男となるわけだが、その前の年男の時よりも、さらにもう1つ前の年男の時の方が、印象に残っている。
その時は、36歳。
受け持っていた子どもたちが、12歳になる時。
そして、当時の勤務先の校長が60歳になる時だった。
校長60歳、私36歳、子どもたち12歳。
その時思ったのだ。
自分は、60歳で退職を迎える人と、これから大人になる子どもたちとのちょうど中間になるのだ、と。
まだそれまで24年もあるのだ、と。
あの時はそう思ったのに、あっという間にその24年がたってしまった。
今、あの時子どもだった人が大人になり、父や母になっている。
そして、子どもとやはり干支が同じ、親となっている。
私が60歳、子どもたちが36歳、その子どもが12歳。
あっという間のふた回りの年数経過。
これからの1年1年はさらに早く過ぎそうだ。
生きている時間を大切にしたいものだ。

今日は、まず1年無事に生きられたことに感謝。
では、よいお年を。
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2016走り納め

2016-12-30 18:21:18 | RUN
だいたい週に1~2回しか走っていない「なんちゃってランナー」の私。
今朝は、昨夜降った雪が道路にうっすらと積もっていた。

庭の畑の赤かぶにも雪が…。

昨日、午前中はよい天気であったが、暮れの大掃除の一環として、風除室のガラス磨きを行った。
午後からは、天気が急変し、大荒れとなったので走れずじまい。
元旦マラソン出場を考えると、走っておきたかったのだが…。
力を入れて走ると、ふくらはぎの痛みも出てくる。
今日は無理せず走らずにおこうと思っていたところ、晴れ間が見えて走りたくなってしまった。

痛みや疲れを明後日に残さないように気をつけてジョギングすることにした。
3kmを目安に走り出した。
完全ジョギングになるようにしながらも、気持ちがよいので、駆け出しはジョギングよりも速いペースとなってしまったり、結局4kmまで走ってしまったり。
やっぱり走るのは、いいなあ、と思った。
これが今年の走り納めとしておく。

さて、今年1年は、体調不良もあって、結構「へたれランナー」であった。
ランニングウオッチをして計測したものは記録してあるので、それを合計してみた。
走った総距離は、およそ650km余り。
走った歩数は、52万歩。
フルマラソンまで走った人間としては、今年1年間で練習やレースで走った距離としては多くない。
逆に言えば、練習量が少なくても、走ることが好きならば走れるということ。

来年は早々に60代を迎える年。
無理せず、気持ちよく走り続けたい。
明後日新年を迎えたら、村上市元旦マラソン大会で、よいスタートを切りたいものだ。
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コブのない駱駝(きたやまおさむ)を読む

2016-12-29 22:55:39 | 読む

「戦争を知らない子供たち」の作詞者であり、同名の著書もある北山修氏。
「戦争が終わって 僕らは生まれた」という歌い出しの通りであった北山氏も、もう70歳を越えている。
氏がメンバーだった、ザ・フォーククルセダーズが歌った、「オラは死んじまっただ」の歌い出しで始まる「帰ってきたヨッパライ」は、日本で史上初めてのミリオンセラーとなった。
約280万枚の大ヒットを記録している。
その歌は、本来解散記念で作ったはずのレコードだった。
それが大ヒットしたのでグループを再結成してプロになったが、1年で解散。
その後、氏は医大に復学し、その後精神科医となった。
かたわらで作詞家等としても活躍しながら、北海道やロンドンで医師としての修業をしたり、医院を開業した後には、九州大学で教えたりもした。
7年前には、ザ・フォーククルセダーズの盟友加藤和彦氏を失っている。
(2人で歌った「あの素晴らしい愛をもう一度」は本当に名曲である。)
現在は、精神科医として「北山修」、作詞家や物書きとして「きたやまおさむ」と名乗っている。
新刊「コブのない駱駝」(きたやまおさむ;岩波書店)は、そんな氏の自伝である。

興味深かったのは、ただの思い出話を語るのではなく、精神科医として、精神分析の視点から自らの人生を語っているところである。
分析的に語られる氏の人生を知り、彼の語る1つ1つが納得できる言葉として私の中に入ってくるものだった。
「ピエロとして生きる」とか「女性的であること」などは、その時代特有のあるいは青年期特有のものとして、自分も味わったことだなあ、と共感したりした。
そして、氏がザ・フォーククルセダーズを1年で解散したのも、空しさを感じたからだったという。そして、次のようなことを言っている。

もともと人の心には、どこかに空間、あるいは空洞があるのだと思う。その空間を埋めることができた時、人は満足が得られるものなのだろうけど、空しさを覚えたとき、人はこの心のスペースをなかなか埋めることができないでいるのではないか。あるいは埋められない穴ぼこが露出して、人は空しさを感じるのかもしれない。

氏は、自身が感じた巨大な空しさに向き合うためにも、精神医学の道を選ばざるを得なかったのだと思う、と語っている。

旅に出ても、探し物をしても、確実な答えは見つからない。でも、一つの答えを人は求める。仮にその答えが見つかったとしても、すぐまた別の問題が現れ、答えは消え、空しさが訪れる。それが人生。
どれほど意味がないと思った空虚でも、意味が見つかり有意味となるかもしれない。そうして気がつけば、空虚は部分であり、全部ではなくなる。

…このような言葉が綴られた、氏の文章は、本当に自分の中にスーッと入ってくるものだった。

まもなくの還暦を迎える。
ここ数年、高校の同級生たちが何人かバタバタと人生を終えていることや、自分の仕事に関しても定年退職が近づていることなどを考えると、人生について考えることも時々ある。
そして、まだまだ悩むこともあるのだ。
自分の人生の意味なども考えたりするし、空しさに支配されることも数多くあったりする。
だが、「あれか、これか」迷いがないのがよいという価値観を脱して、「あれも、これも」というのも自分だということを認めて生きていくことでもよいのではないか。
そういうことを、氏は、この本で私に教えてくれたように思っている。
数年前から、「迷わずに生きたい」という気持ちから、「迷いながら生きるのが自分」と思うようになってきていた私だが、この本によってまたさらに少しふっ切れたような気がしている。

私にとって、久々にいちいちうなずける、読後感のよい一冊だった。
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娘よ(82)

2016-12-28 10:35:24 | 生き方

12月もいよいよあと数日。
今日、娘は、妻と共に、今年最後の通院に出かけた。
淡々とした毎日が進む。
そのことが、うれしくもあり、つらくもなる毎日。

この1年、娘は、毎日ステッパーを400~500回踏んだり、3000歩以上の散歩をしたリ、多少なりともストレッチをしたりしているせいで、足腰が安定してきている。
ふらつくこともほとんどなくなった。
急激な運動はできないが、今年はジョギングをしたり卓球をしたりすることもできた。
言語能力については、以前より声を少し大きく出せるようになったかなと感じる。
性格的には、もともと明るかったことから、今も自分から冗談を言ったり、オヤジギャグに笑ってくれたりしている。
私や妻は、それによって、少しは心和む。
感情面では、もともと人と言い争うようなことは好きではなかったことがあるせいか、相手に強く言われると、言い返さず押し黙ってしまうことが多い。
病気以前は、それでも黙り込む前に言い返したりもしたのだが、今は自分の弱みを知っているせいか、黙ってしまう。

一日中付き添っている妻は、娘本来の明るさにいやされながらも、時々落ち込む。
自分が記憶障害を伴う病気だということを、娘本人も意識しているようにはなったが、何回も同じような質問を口走るからだ。
「それ、さっき言ったばかりでしょ。」
「何回言ったら、わかるの?」
ということを思わず言ってしまう。
そのような繰り返しに、妻は思わずため息をついてしまうのだ。
いつになったら、もっと確実によくなったと言えるようになるのだろう。
このままよくなることはないのだろうか。
そんなことを思ってしまうのだ。
「あ、最近いい調子だな。少し物を覚えているようになったし、話す内容もちょっと違っていいなあ。」と思っていると、「あれ、今食べたみそ汁の具って、なんだったっけ?」などというように、ガクンと下がってしまう時は、がっかりしてしまう。
だいたい、そのように状態が落ち込むのは、月のものが来たときである。
その頃は、活動量は当然であるが、記憶力も落ち込む。
前は覚えていたことまで忘れてしまう。
その後、また回復するまでに少し時間がかかる。
だいたいこんな繰り返しが現状である。

でも、らしさが復活している時は、うれしい。
一昨日は、結構好きだったスマップが解散するというので、娘は、テレビ番組の録音を私に頼んだ。
先日糸魚川で大火があったので、娘は、結婚して糸魚川に住んでいるはずの、専門学校時代の友人の安否を気づかっていた。
ケータイ(スマホ)の暗証番号を病気によって忘れてしまったため、使える機能が制限されてしまったりしているが、なんとかメールを送り、友人の無事を確認できて喜んでいた。

心配になるのは、たまに頭痛を訴えることがある時だ。
入院中は、それが発作の前ぶれであったりした。
だから、そばにいる我々は、怖さを感じる。
今はその際には、早く休ませたり、肩から背中をもんで筋肉をほぐしたりしてあげたりして、痛みの軽減を図っている。
幸い、痙攣の発作と確認できたのは、2年前の11月以来は、ない。
だから、なんとかこのままを維持し、さらに記憶力等を改善できれば、と思っている。

今月は、誕生日があり、娘はまた1つ年をとった。


以前勤めていたところの上司の方や伯父、親類などの皆さんから、祝いのケーキや花束をいただいた。
ありがたいことだ。
娘のことを忘れずに気にしていてくださる方々がいることは、娘にも私たち家族にもとてもうれしく勇気づける励ましになっている。

とりあえず娘の体調が安定してこの1年を無事に過ごせたことを、一番の喜びとしておきたい。
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紙一重の敗戦~よくがんばった、アルビレディース~

2016-12-25 22:30:05 | アルビレックス新潟
あそこまで行ったのに、惜しかったなあ。
惜しいという言葉だけでは言い表せないくらい。

皇后杯サッカー決勝。
アルビレックス新潟レディースは、INAC神戸に得点を許さなかったが、自らも得点を挙げることはできなかった。
結局、0-0で延長戦。
そして、延長戦も0-0。
残念ながら、PK戦でも勝利の女神は微笑まず、7人目までの激戦で敗れた。

4度目の正直ならず。
4度目も準優勝。
でも、選手たちはよくがんばった。
準々決勝からの3試合で、相手に1得点も許していない。
しかも、相手は、なでしこリーグの3位、1位、2位だ。
そこに3試合連続で得点を許さなかったのに、優勝できないなんて、なかなかないことだ。

引退する4人に、優勝を味わわせてあげたかった。
でも、負けなかったのだ。
今年の戦いを終えたが、誇りをもってよいのだ。
すがすがしい笑顔は、一服の清涼剤。

俺たちの誇り、新潟。

来季こそ男女とも今年を上回る成果を示そう。

2016シーズン、新潟のサッカー終了。
選手の皆さん、かかわった皆さん、応援した皆さん、大変お疲れさまでした。
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アルビレックス新潟レディース、2年連続4度目の決勝進出!~皇后杯サッカー~

2016-12-23 22:01:17 | アルビレックス新潟
女子サッカーのなでしこリーグで優勝したのは、日テレ・ベレーザ。
圧倒的な攻撃力で、優勝を果たした。
そして、なでしこカップ戦でも優勝したのが、日テレ・ベレーザ。
今季最後の試合が、トーナメントで行われる皇后杯サッカー。
日テレ・ベレーザは、順当に勝ち上がり、準決勝に進出。
3冠をねらう。

強い日テレ・ベレーザに、今年勝利した数少ないチームが、アルビレックス新潟レディース。
リーグ戦の戦績は1勝1敗。
もっとも、勝ったのはホーム戦で、1-0。
アウエー戦では、レギュラーで出られなかった選手がいたせいもあって、0-6で敗れている。

今年の準決勝の組合せは、日テレ・ベレーザ対アルビレックス新潟レディース。
この組合せは、2年連続である。
去年は、PK戦にもつれ込み、新潟がGK福村の活躍で勝利している。
日テレとしては、去年の雪辱を果たし、3冠に王手をかける決勝進出を決めたいところ。

だが、新潟は、2010年代になってから、2011年、2013年、2015年と決勝に進み、そのたびにINAC神戸に敗れ、3たび準優勝となっている。
新潟としては、今年も日テレを破り、今度こそ優勝を果たしたいところだ。

準決勝の試合が始まると、圧倒的な日テレの攻勢となった。
新潟は、組織的な守りとGK福村の好守で、得点を許さない。
そして、時折の攻撃でいい場面も作ったりもした。
前半は、新潟の思惑通り、0-0で終えた。

後半になると、新潟が前から攻守に渡って積極的な姿勢を見せた。
そして、FW大石が倒されながら頭でつないだボールを、キーパーが腕を伸ばしても届かないようにMF八坂がうまくカーブをかけて蹴る。
ボールは、ゴールポストをかすめて、ゴールネットを揺らした。
新潟先制!
勝つなら、このパターンだ。

思った通り、新潟の選手たちの動きはますますさえてくる。
日テレの選手たちには次第に焦りが生まれてくるのを感じた。
そして―。試合終了のホイッスルが鳴る。
勝った!
アルビレックス新潟レディース、2年連続で、準決勝で日テレ・ベレーザを撃破!
「糸魚川市の火災を見てショックを受けたが、被災された方も含めて新潟のサポーターに少しでも元気を感じてもらえたら嬉しい。」
試合後のインタビューに答える選手の話には、昨日の大火事にふれたコメントがあり、新潟を代表している意識があることもうれしかった。

さあ、2年連続で決勝へ。

そして、決勝の相手は、去年と同じINAC神戸と決まった。
去年は、引退する澤選手に花をもたせる決勝ゴールで、0-1で敗れた新潟だった。
今年は、神戸に遠慮する理由は何もない。
ぜひ勝って、新潟に初のタイトルを持ち帰ってもらいたいものだ。
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お帰り、イサオ!

2016-12-17 22:29:48 | アルビレックス新潟
おかえり~。
おかえりなさい。

サッカーJ1新潟を応援する人は、今日のそのニュースを聞いて、喝采を叫んだことだろう。

新潟、栃木SC本間勲を完全移籍で獲得。

そう来たか!
実にうれしい!
新潟がJ2にいた時から在籍し、J1に昇格してからは中心選手として活躍してきた彼。
15年間の在籍を経て、途中から主将としても存在感を示し、2012年の奇跡の残留ではチームを精神的に支えてきた彼。
ただ、その翌年以降は、現在の中心選手レオ・シルバやジュビロ磐田から来た小林裕紀の控えに回ってしまった彼。
出番を求めて2年前のシーズン途中に栃木SCに期限付き移籍し、その後完全移籍となっていた彼。
栃木でも、J2からJ3への降格を経験し、今季は残り2試合まで自動昇格の首位だったのに、そこから2位転落。
J2金沢との入れ替え戦でも敗れて、若手の抜擢もあり、来季彼はどうなるのだろうか、栃木と契約してもらえるのだろうか、と思っていた。

それが、まさかの新潟復帰。
本間勲は、新潟県胎内市の出身。
前にここで活躍に心躍ることを紹介したこともあった。
同じ強度ということもあって、わが家の茶の間には、移籍していってしまった後も、彼のポスターは外さないままだったのである。


今回の移籍は、新潟というチームにとって、大きい。
年齢的なこともあり、戦力補強というより、精神的な支柱が帰ってきた、という大きな意味をもつ。
新潟のサポーターにとっても、本県出身で実績のある彼の復帰は、もろ手を挙げて歓迎するだろう。
あれだけ一生懸命にサッカーに打ち込んできて、新潟への貢献度の高い彼だから、球団も彼の最後の活躍場所を与えよう、という配慮が感じられる。
故郷に帰って来て、やがては指導者として活躍してほしい、という期待も込められているのだろうと考えている。

来年、また本間勲の躍動する姿がビッグスワンで見られるかもしれない、と思うと、ワクワクする。
がんばってほしい。
大きなエールを送りたい。

がんばれ、イサオ!
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一気に…

2016-12-17 11:19:33 | 新潟
昨日の朝は、というかまだ夜中と言っていい午前3時過ぎ、近くの工場の駐車場で大型の車の音がひっきりなしに動く音がした。
ここに住んでいると、ああ、あれだな、と憂鬱になった。

その大型の車とは、除雪車である。
除雪車がその時間帯からひっきりなしに動いていないと、通勤してきた人たちの車が停められめられないのだ。
そのくらい駐車場の除雪は大変だ、ということだ。
除雪車が出ている、ということは、結構雪が降り積もったということだな、と寝床の眠い頭で考えた。

朝が来て、起きると間もなく、家のそばで地響きを立てて大型車が行きつ戻りつする音が…。
…ということは、除雪車が、道路を除雪している音ということだ。

急いで上着を着て(下は寝間着代わりのスエットのままで)、手袋をして外に出た。

…やっぱり!
20cm近い雪が積もっており、道路沿いにはさらに高い雪のかたまりが並んでいた。

除雪車が通って、道路を通行できるようにしてくれるのはありがたいが、通った後は、道路の両脇に雪をたくさん残していくのだ。
今度は、それぞれの家の前で、その除雪作業が必要になってくる。

仕方ない!やるか!!
車庫の後ろから、スノーダンプを取り出して、残された大量の雪を動かす作業を始めた。

さすがに冬の降り始めの時期だけあって、水分をたっぷり含んだ重い雪だ。
結構時間をかけ、うすら汗をかきながら、車庫前と玄関前だけは除雪した。

1日たち、少し気温が上がって雨になったせいで、雪は、前日よりも減っていた。

さて、雪が目の前にあると、いよいよ本格的な冬が始まったなあ、という気がする。

運動不足の娘は、しもやけになりやすい妻の体質の遺伝子を引き継いでしまっている。
体のために散歩できる環境がよいのだが、積もった雪の上を歩くと、しもやけになってしまう。
雪になると、困ってしまうのだ。

この雪が根雪にならないといいけどなあ。
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ついに里に雪が…初雪

2016-12-12 21:40:50 | 新潟
昨日日曜日、ついに雪が里に下りてきた。
昨日は、10時頃、娘の体力づくりを兼ねて、スーパーまで遠回りの散歩に出た。
その少し前から、天から降りてきていたのが、白い冬の使者。
あられは、今まで2,3回降ったことがあったのだが、それを雪とは呼ばないと考えると、昨日が初雪。
しかし、冬型の空は非常に目まぐるしく変わる。
青空も見えて、天気が少し回復したように見えたので、娘と買い物用のリュックをしょって歩き始めたら、なんと、ビュー………!!!!
風とともに、白い雪が吹き付けてきた。

「まあ、しようがないか。」
と娘と二人歩き続けると、まもなく雪はやんで、また青空がよく見える。
太平洋岸育ちの母はよく言っていた。
「冬の前の新潟の天気は、きちがい空。晴れたと思ったらまたすぐ雨や雪。嵐のように降ったと思ったら、また陽が出て青空になる。本当に信じられない、きちがい空!」
「ばあちゃん、よく言っていたよね。」
まさに、そんな空模様。

スーパーで買い物をして、家に帰ろうと思ったら、強風にあられがバチバチとたたきつけていた。
道があっという間に白くなった。
しかし、娘とめげずに歩いていると、その真っ白な道が、またもとの雨に濡れたような黒い道になるのだから、まだ気温がそこまで低くないということか。

午後からは、仕事関係で研修会に出かけると、2階から見える屋根も白くなっていた。


今朝は、冷え込んだ。
とけた雪が一部では凍っていて危ないところもあった。
日中は、陽射しも出て、雪は日陰を除いてあっと言う間にとけてしまった。

とけ残りを日陰で発見。


さて、今年の冬はどうなるのだろう?
雪は多くなるのだろうか?
少ないといいねえ。
新潟に住む人の、今の時期に交わす話題の一つである。
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ダウン!…研修会幹事長を無事終えたのはよかったが…

2016-12-05 21:44:40 | 生き方
久々にダウン。
38℃近い熱が出て、頭痛とだるさに悩まされた。

風邪と思うが、たぶん疲労の蓄積が原因。
その前日、つまりこの土日には、同年代の人々が集う研修会の幹事長(?)として、土曜午後から朝の解散まで、少々気をつかった。
何せいろいろな仕事を一手に引き受けてやっていたものだから。

宿泊を伴う会でもあり、宴会までという参加者もいたので、研修会場となった宿との前々からの交渉も必要であった。
もともと還暦前後の人ばかり集まっていることもあって、会の参加率は50%以下ではあったのだが、直前になってからのキャンセルも相次いだ。
高齢となった親が倒れたとか、本人が体調を崩したとか、いろいろあるものである。
当日午後の研修会が始まっても現れない人からの連絡もいくつかあった。
体調不良者が「どうしても行かなくてはとは思ったのだが…。」という連絡には、思わず「いや、まずあなたの体調が第一ですから。」と答えて言うのみであった。
「忘れ物をしたから遅れる」という連絡もあった。
ひと手間かかったのが、「職場の若者の結婚式が早く終わったので、これから駆けつける。」という連絡をくれた輩。
ありがたいなあ、と思いながら、次に入った連絡が、「ところで、会場ってどこだったっけ?」というもの。
思わずふき出してしまった。

夜の宴会になってからもなかなか来なかった人がいた。
ようやく登場したのが、宴会が始まって30分以上もたってから。
冷めてきたごちそうをやっと二口三口食べ始めたと思ったら、電話が来て宴会場を出て行った。
戻ってきた彼は、宿泊をキャンセルして宴会もこのまま途中で抜け出して職場に向かう始末。
本当に大変な中を来てくれたのに、大事な仕事を持つ身はつらいものだなあ、と同情。

久々に姿を見せてくれた人の中には、癌から回復を果たした人もいた。
さすがに酒を飲まず、日帰りで帰ったが、前と変わらぬ様子で本当によかったと思った。

会計の人と相談して、二口三口の彼の負担を半額にできないかをあれこれ考えたり、二次会を11時ころまでやって最後まで面倒を見たり…。
温泉風呂につかって出ると、もう12時半近くであった。
朝も同室の方々が早くから動いていたりしたので、ぐっすり眠れないままだった。
だから、朝から寝不足で頭痛であった。
それでも、会に参加した人々が皆、翌朝一様に「よかったよ」と言って、会場を去って行くのを見送って、「大変だったけど、皆が満足してくれたので、よかったなあ。」と思ったのであった。

家に帰り着いたら、疲労感でいっぱいになってしまった。
昼食後は、とにかく寝ることにした。
ふとんの中に入ったら、寒くてガタガタ震えが来た。
寝不足のはずなのに、なかなか眠れずにいた。
ようやく眠れて、起きたら、頭痛はとれているものの、体じゅうが熱い。
熱を測ったら、38℃近くあった。
夕食後、7時半前から12時間、何度か目覚めながらも眠った。

そんなことで、今日も体調不良が続き、勤めを休んでしまった。
体調不良だと、よく眠れるものだ。
今日は、午前も午後も、たっぷり寝た。
幸い、熱は下がった。
明日は、勤務できそうだ。

研修会は、参加者が満足してくれたからよかったが、自分の体にはよくなかったようだ。
やっぱ、齢だなあ…と思ったしだいである。
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