ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

今が最盛期、生命力の強い外来種~セイタカアワダチソウ~

2011-10-26 22:59:44 | 草木花
このところ車を走らせていると、いたるところに、上部を黄色く染めた花が茎を長くして咲いている。

しかも、1本だけではなく、概してかなりたくさんの株が林立して立っている。
特に多いのは、休耕田となって久しい土地。
田んぼの中の用水路沿いや川の土手などにも、密集して繁茂している。
この時期、いっせいに花を咲かせ、あたり一面を黄色の世界に変えている。
種子だけでなく、地下茎でも増えるというその生命力。
おまけに、根から化学物質を出して、周囲の植物の成長を抑制するのだそうだ。
どうりで、すごい勢いでその勢力を伸ばす訳だ。


この花の思い出は、2つある。
大学の時の生物の教授。
あの頃、“Discover Japan”とやらで使われていた1枚の写真ポスターを、最寄りの駅からもらって来た、と言って持ってきた。
写っていたのは、遠景に五重塔、近景に密集して咲いているこの秋に咲く黄色い背の高い野生の花々。
「この写真は、おかしいのですよ。」
「五重塔といかにも秋らしいこの黄色の花が合うと思ったのでしょうね。」
「でも、この組合せは、おかしいのですよ。」
「日本古来の五重塔ですから、手前に咲いている花も、昔からのものであるべきだと思いませんか?」
「ところが、この花は、『セイタカアワダチソウ』と言って、帰化植物。外来の雑草なのですよ。」
「しかも、明治以降に入って来た植物なんですね。五重塔のできた時代とまったく合わないじゃないですか。」
「そのうえ、このセイタカアワダチソウは、他の植物に対して強い毒性を出して駆逐するのですね。日本古来の植物にとっては、まったく困った存在なのです。」
「だから、こんなポスター貼っておいてよいのですか、“Discover Japan”の精神に反していると思いませんか?と、言ったら、駅員さんは、すぐにはずすと答えたんですね。」
「それで、じゃあ、いらないなら、そのポスターいらないなら私にください、と言ってもらってきたのがこれなんですよ。」

…と、話しながら笑っていたその先生のことが思い出される。

また、その1年後くらいに、NHK「みんなのうた」で、十朱幸代さんが歌っていたのが、「セイタカアワダチ草」という歌であった。
なぜか、「あたしにゃ、沖縄遠すぎる」と繰り返すその歌詞とセイタカアワダチソウがどうつながるのか、何度聴いてもわからなかったが…。

とにもかくにも、今はセイタカアワダチソウの最盛期である。
秋の紅葉・黄葉に混じって、黄色のじゅうたんのように、荒れ地で土手で道端で、セイタカアワダチソウが咲き誇っている。
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福岡に快勝→思い出からたどる、残り4試合の明るい展望

2011-10-23 20:50:17 | アルビレックス新潟

終盤に1点を返されたものの、3-1。
優勢の予想が伝えられてはいたものの、油断ができない試合であった。
この試合に負けたら、J2に降格が決定するという状況だ。
福岡の反骨心が最も怖かった。
しかし、試合は開始わずか2分、主将本間勲のゴールで、新潟が試合の主導権を握った。
多少は危ないところもあったが、無事に勝利し、勝ち点3を積み上げた。
これで、降格圏16位とは勝ち点で8の差。
残り4試合で、新潟が全敗し、16位の甲府が3勝1敗以上の成績を収めない限り、新潟のJ2降格はない。
ひとまず、ほっとする。


だが、残り4試合、新潟にとっては、非常に厳しい相手ばかりが続く。
順に、アウエー・柏戦、ホーム・ガ大阪戦、アウエー・甲府戦、ホーム名古屋戦。
4試合のうち、3試合が優勝を争っている、1位柏、2位ガ大阪、3位名古屋との対戦である。
そしてあと1試合は、残留争いの当事者である、甲府との対戦である。
まさに、優勝の鍵も、降格の鍵も、新潟が握っているのである。
すごい戦いが続く。

であるが、私は、優勝争いの3チームとは、よい勝利の思い出を思い出すことで、新潟の明るい展望を開きたい。
①新潟がJ1に上がって、初めて勝利したのが、アウエー・柏戦であった。
雨の中、0-1の劣勢から、アディショナルタイムに、鈴木慎吾、エジミウソンが連続して得点し、逆転勝利を収めたのだった。
②2008年、この年も残留争いに巻き込まれていた。
そのホーム最終戦は、ガ大阪戦。
2-2の同点で迎えた89分、当時の精神的支柱DF内田のミドルシュートが見事に決まり、勝利したのだった。
ホームのガンバ戦というと、まずその試合が思い浮かぶ。
③ホーム名古屋戦は、相性がいい。
昨年も4-1で勝利し、ストイコビッチ監督に「新潟は、嫌いだ。」と言わしめたのであった。

福岡戦の勝利でJ1リーグ戦3連勝。
この勢いで、残る4試合の健闘と勝利を期待したい。
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薬味に使うものの花です

2011-10-22 22:04:49 | 草木花

少し前まで、わが家の庭には、こんなに小さくたくさん花が咲く植物が元気だった。
庭のあちこちに種を飛ばすせいか、日当たりのよいあちらこちらで、緑色の鮮やかな葉を広げていた。
わが家では、特に夏などは、そうめんやそばなどをいただくときに、その葉を刻んで薬味として入れることが多かった。
また、一枚の葉をそのまま天ぷらにして食べるのも、大変おいしかった。
数週間前まで、青々とした葉を広げ、白い小さな花をたくさん咲かせていた。
だけど、今日は、もう葉の色もあせて、枯れてきていたのでぬくことにした。

この植物、何だかわかるかな?
上にヒントが多くあったからわかるでしょう。

正解は、青ジソ。
オオバとも呼ばれる。

種をたくさんとばしているようなので、来年も、わが家の庭のあちこちに生えてきてくれることだろう。

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夕陽の沈んだグラウンドを40周

2011-10-20 22:50:47 | RUN

久々に走った。
200mトラックを40周。
8kmになる。

走ったのは、あの新潟シティマラソン30kmでリタイア以来である。
先週末は風邪をひいたし。
今週になったら、薬指を金属で切ってしまったし。
復活が遅れてしまった。

今日は、1日青空のよい天気だった。
夕陽が沈む時間も早くなった。
ちょうど日が沈み始めるのと同時に走り始めた。

気持ちよかった。

最初のうちは、ロードと違うので、1周1周がまどろっこしく感じた。
走り始めてから、今日は40周にしようと思ったのだ。

10周ずつ走るたびに左回り右回りを変える。
20周に達するまで、およそ1周200mを1分ペース。
その後は、数秒ずつ遅くなった。
20周を過ぎたら、不思議なことに、体がそんなに苦しくなくなった。

しかし、日が沈むと、辺りはどんどん暗くなっていく。
近くの道を走る車のヘッドライト・テールランプだけが明るく感じられるようになっていく。

41分17秒かけて40周走り終わった。
走り終わって、歩き始めると、急に脚の付け根が少し痛んだ。
しかし、気分は心地よさに包まれていた。

空には、1番星、2番星、3番星まで輝いていた。
空を見上げながら、久しぶりの走りに満足した。
42.195kmに再挑戦する第一歩を踏み出した。
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本屋、子どもの頃の体験話

2011-10-17 22:32:44 | 生き方
つい先日、本屋のことを書いた。
本屋については、子どもの頃には、こんな思い出もある。

小学5年生の頃、私は、毎月発行される漫画雑誌を楽しみにしていた。
自分の住む集落には本屋がない。
最も近い本屋は約2.5km離れた少し大きな集落にあった。
毎月、発売日になると、漫画雑誌を買うために、往復5kmの砂利道を歩いていくのだった。

その月も、財布の中には230円あると確認し、小学1年生の弟と二人で定価220円の雑誌を買いに出かけた。
汗をふきふきようやく本屋にたどり着いた。
「あった。」
1冊残っていた目的の雑誌、今月号を買おうとしたが、本屋のおばさんは言った。
「今月号は、240円だから、220円じゃ買えないよ。」
「え?240円?」
雑誌の裏表紙の片隅に、「特価240円」と赤い字で書いてあった。
そんな。
いつも、特価であっても230円と、定価より10円高いだけですむのに…。
改めて財布の中を見ると、233円あった。
でも、7円不足だ。
それを話したが、おばさんは、「まけてあげる訳にはいかないね。」と言うのだった。
仕方がない。
「家にお金を取りに行って来ます。財布と弟を置いていくので、この本とっておいてください。」
そう言って、家までの道のりを往復することにした。

うかうかしていると、帰りが遅くなり、真っ暗になってしまう。
だから、砂利道を走りに走って家を目指した。
家にたどり着くと、自分の貯金箱(十円玉や一円玉が数枚入っているだけだったが)から、十円玉1枚を取り出し、それを握って再び本屋へと走ったのである。

往復5km余り。
体は汗びっしょりになり、手のひらの汗がじっとりとにじんだ十円玉を本屋のおばさんに差し出し、ようやく望んでいた雑誌の今月号を手に入れることができた。
待っていた弟は、マンガを見て時間をつぶしていた。
無邪気な顔をした弟と、苦労して手に入れたマンガ雑誌をかかえ、さっき走って往復した道をもう一度とぼとぼと歩いて帰ったのだった。
 
子どもの頃のこんな経験があるせいか、1円や2円でもすごく大切だと今も思う。
また、自分が金を出して買った物は、簡単には捨てられないのである。
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新潟、川崎に気迫の勝利!

2011-10-16 19:10:31 | アルビレックス新潟
新潟が、川崎に勝った。
前日、J1残留争いの厳しい中、新潟と勝ち点で並ぶ大宮が浦和に勝った。
甲府も勝って、降格圏を脱出した。
代わりに16位に落ちたのは、浦和。
昨季までの新潟の中心選手だったマルシオ・リシャルデスと永田充の2人を、金の力で取ったはずの浦和が、苦しんでいる。

ただこれで厳しくなったのは、新潟。
16位浦和とは勝ち点3差ながら、15位甲府とは勝ち点2の14位。
今日の川崎との試合で勝たないと、後が厳しい。
残り5試合のうち、3試合が優勝争いをしているチーム(柏、ガ大阪、名古屋)との対戦なのだ。

わが息子は、休みを利用して、今朝新潟を出発。
川崎・等々力のスタジアムまで、新潟の応援に出かけて行った。
試合前、その息子からは、「今日はよく晴れて、相当暑い」という連絡が入った。


川崎は、先日日本代表として活躍した中村憲剛が好調ということで、不安があった。
試合が始まると、確かに押され気味だが、チャンスがない訳ではない。
結構チャンスもあった。
前半終了間際にPK獲得。
ところが、ミシェウの蹴ったボールは、キーパーに止められてしまった。

失意の後半開始だが、そのミシェウが、アシストして、ブルーノ・ロペスが2点を決めた。
今日は、勝てる!
と思っていたのに、新潟菊池がこの試合2枚目のイエローカードをつまらないことでもらってしまった。

残りの時間を10人で必死で耐える新潟。
アディショナルタイム直前に、ジュニーニョにすばらしいシュートを決められてしまった。
その後、6分間、耐えに耐えて、川崎のシュートミスもあって、逃げ切った。

この勝利は、大きい。
勝ち点が浦和と6、甲府と5離れた。

まだまだどうなるかわからないが、よく勝った。
体調不良も、これで、気分の方から少し回復。
さて、来週(今週)も予定はいろいろ入っている。
忙しいが、アルビレックス新潟の勝利でもらった元気を出してやっていこう
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体調不良が情けない

2011-10-15 21:54:17 | 生き方
体調不良。
火曜日からのどが痛くなった。
水・木と痛みが増し、夜もよく眠れなくなってしまった。
金曜日は、情けなくも仕事を休み、通院し、寝ていた。
今日土曜日は、処方してもらった薬が効いているせいか、のどの調子はだいぶよくなった。

前の週の金曜日の山登り。
一日おいてのマラソン30km。
連続して行ったのは、50代の体力の一種限界だったようだ。
特に、マラソンでは、陽射しが強い中だったとはいえ、汗のかいた体で浜風に吹かれながら何キロも歩いたことが、体調を崩すことにつながったのだろう。
あの日は、30kmで棄権した後、寒気を感じた。
だから、600円出して日帰り温泉に行き、体の疲れをいやしに行ったのだが。
2日たって、前週からたまった疲れがどっと出たようだ。

やるべき仕事も多々あるのだが、休んでしまった。
情けないなあ。
体調管理がなってないなあと思うとともに、50代の自分の体力をしっかりつかんでおかないといけないことを改めて思ったしだいであった。
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読書の秋…なのに、行きつけの本屋が閉店とは…

2011-10-12 06:31:50 | 生き方
「家の近くにほしい店は?」
と聞かれたら、子どものころから、答えは一つ。
「本屋!」
だった。

昔自分が住んでいるところには本屋はなく、最も近い本屋でも3kmくらい先にしかなかった。
中学生になって、自転車で出かける範囲が広がると、よく8km先の本屋で立ち読みをして帰ったものだ。
まあ、ご想像のとおり、マンガの立ち読みが多かったのであるが…。

今住んでいるところは、近くに本屋があった。
数百mの距離にある、本屋が気に入っていたのだ。
大きなスーパーに隣接するその書店は、結構行きやすくて、適度に広くてよかった。
買物のついでに寄ることもできたし、その存在はとてもよかったのだ。

ところが、その本屋が、この秋に閉店してしまった。
なんと寂しいことだろう、行きつけの本屋がなくなるということは。
空っぽになったその建物の内部には、1冊の本もなくなった。
ただ、広い空間だけである。

まもなく閉店して1か月になるが、自分の中で、本屋を求める気持ちは高い。
本屋をうろつくことで気分転換にもなっていた。
目に留まる雑誌や本を手に取って、別な世界に入り込むこともできたのだ。
だが、今は、そういうことがなくなり、なんだか心が落ち着かない。
読書の秋が遠ざかっていく、本屋の閉店である。
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花言葉ほど昔を懐かしんじゃいないが~イヌサフラン~

2011-10-10 22:12:55 | 草木花
今、わが家の庭では、イヌサフランの花が美しい。

植えた覚えがないのに、年々花が増えている。
ということは、球根だが、繁殖力が強いということだろうと思う。

花が、こんなふうに地中からニョキッと出て、咲いている。
ヒガンバナと同様に、花だけが秋に咲く。

春には、こんなところに何の葉が出ているのだろうと思うくらいに、葉だけが元気に茂っている。
秋には、こんなところでなぜ花がさくのだろうと思うくらいに、たくさんの花が咲くようになった。

花言葉は、なんと「懐かしい青春」なのだそうだ。
昨日、50代半ばでフルマラソンに初めて挑戦した私としては、まだ青春時代を懐かしむほどには老いていないけれど、忘れられない花言葉だ。

イヌサフラン。
「イヌ」が名につく植物は役に立たないというが、それなりに美しく、私の心を和ませてくれている。

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30kmで「強制収容」~新潟シティマラソン~

2011-10-09 21:11:35 | RUN

新潟シティマラソン。
しっかりスタートラインに立った。
しかし、ゴールラインを通過できなかった。
30kmで、時間制限に引っ掛かり、走るのをやめさせられた。
…と言えば、いくらかは格好がつく。
しかし、悔しい悔しい途中棄権となってしまった。

もともと、予定は、20kmだった。
正確に言うと、今年中にハーフマラソンの距離を走りたいと思っていたので、22kmは通過するのがとりあえずの目標だった。
だから、それはクリアしたのだが…。

スタートラインには立ったが、不安は3つあった。
① 新潟市体育館のトイレの水が流れなくなったので、「大」を使用できず、腹具合が微妙におかしいままだったこと。
② 手荷物預かり所の手際の悪さと人手不足で、荷物を預けるのに30分近くかかり、ウォームアップがしっかりできなかったこと。
③ 2日前に山登りをしなくてはいけなかったせいで、まだ足の上がりがよくないのだが、まだ走ったことがない16km以上の距離に挑戦するということ。

うだうだ考えても仕方がないので、なんとかなるだろうと腹をくくった。
8時30分。
新潟市長の鳴らす号砲の合図で、一斉に出発。
…のはずが、なかなかスタートラインにたどり着かない。
さすが、1万人の参加者。
自分の前に並んだ人が多すぎる。

10kmもフルマラソンも同時スタートだから、人が動かない。
スタートラインにたどり着いたのは、およそ4分後だった。

街に走り出たのはいいが、目の前を走る人が多い。
なかなか走りやすいペースで走れない。
でも、その方が、長続きするペースのはずだ。
そう思いながら、柾谷小路、萬代橋、新潟県庁、千歳大橋と行く。
ここまで、1kmを5分強から6分強で走れている。
いい調子だ。

県庁付近で、10km種目とはコースが別れる。
やがて、関屋分水堤の10km地点を、とりあえず1時間は切ったタイムで通り過ぎることができた。
ここから、海岸沿いの道になる。
ただただ果てなく(果てはあるけど)砂浜の中のアスファルトの道を進む。

ここで、自分の体に異変が。
急に足が前に伸びなくなった。
まだ15kmに達しないうちに、1位の選手が折り返して走って来た。
すばらしいスピード感だ。
それにひきかえ、こちらは、1kmを7分以上かかるようになってしまった。
給水所で、スポーツドリンク、水、バナナ、オレンジ、塩飴と、何にでも手を伸ばし、口にした。

脚はさらにおかしくなった。
膝から上のところが、ヒクヒクしている。
しかも、両脚だ。

それでも、折返し点に達した。
2時間17分。

中間点あたりに、チェックポイントがあった。
まだ2時間20分ぐらい。
本来、このくらいなら、倍にしても5時間にはならない。
フルで5時間の時間制限には、ゆうゆう間に合うはずだ。

しかし、両脚の太もも、膝の上あたりがまともじゃない。
完全に疲れていて、力を入れると、痙攣する。
だから、走るのをやめる。
時折、ふくらはぎも、ツンとした痛みが来て、つりそうになる。
仕方なく、走るのをやめて、歩く。
その繰り返し。
後ろから来た人々に、次々と抜かれて行く。

25kmで、2時間46分。
もう走れなくなった。

救護所で、他のランナーたちがしているように、スプレーを借りて脚に吹き付ける。
だが、すぐにまた脚の痙攣が始まる。
だめだ。
悔しいが、もう走れない。
あとは、歩くしかない。
最低限度の目標、20kmは達成した。
行けるところまで、いや30km地点まで歩こう。

道端で応援する人たちは、「がんばれ!」と声をかけてくれる。
とてもうれしいのだが、脚がいうことをきかない。

28kmの手前で、「5時間ペース」の目安を示す大会関係者が、私を抜き去って走って行った。
ついに、抜かれてしまった。
だが、もう関係ない。
自分の今の目標は、完走ではなく、30km地点にたどり着くこと。

周囲にも、歩く人が多くなってきた。
不思議なもので、歩くことならできる。
ただ、走り出すと、両脚の筋肉が悲鳴を上げる。
限界だ。
25kmから30kmは、ほとんど歩きだった。
この5kmの所要時間は、なんと52分。
脚が元気だった序盤は、30分かからずに、20数分で走れていたのに。


とうとう、30.2kmの関門で、3分足らずに、時間制限にひっかかった。
走ることをやめさせられて、バスに「強制収容」された。
ここだって、少しでも走れれば、制限にわずか3分くらい届かないことはなかったのだろうけど。


でも、自分としては、もう走れず、前半の貯金だけでたどり着いた30kmだった。
8kmも歩いてたどり着いた30kmだった。
よしとしよう。

ただし、50歳以上で走り切れた人は何人もいた。
同様に、18~39歳の人々でも、「強制収容」された人だって、何人もいた。
何が違うのだろう?
どこをどう鍛えればよいのだろう?

そのあたりをさらに検討しながら、50歳代でもう一度フルマラソンに挑戦してみたい。
ぎりぎりであったが、ハーフマラソンの距離は走り通せることがわかったのだから。
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