ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

最厳寒期

2011-01-31 19:33:42 | 自然・季節

久々の豪雪だ。
この冬、中越地方や上越地方は、2mをこえる豪雪に悩まされている。
それに比べると、新潟県内でも私の住む地方では、積雪は少ない方だ。
と言っても、積雪量は50cmよりははるかに多い。
これだけの雪は、太平洋側では考えられないであろう。
この冬は、昨年度末に雪が降ってからすぐ根雪になり、なかなか解けるくらいまで気温が上昇しない。
ずうっと寒さが厳しいのである。

まあ、当然のことだが、新潟県に住んで毎年を過ごしていると、ひと冬の間でいつ頃が一番寒くなるのか、最もひどく雪が降りやすいのかが、わかる。
もっとも、寒いから雪が降るのであるけれども。…。
それがいつかと言えば、この1月末から2月初旬なのだ。

寒さは仕方ないとは思うのだが、朝の冷え込みが厳しいと、怖いのが路面の凍結である。
先日は、その路面ではでに転倒した私であるが、何も転倒だけが怖いからではない。
それより怖いのは、運転中の事故である。
何しろ凍結した路面では、ブレーキを踏んでも車が止まらなくなったり、ハンドル操作がきかなくなったりする。
今朝も通勤途上、ゆるやかな坂道の交差点で、接触(衝突)事故を起こしている車を見た。
あれは、明らかに坂道を下っていた車のブレーキがきかなかったからであろう。
かわいそうに、と思いながらも、いつ自分も同じ目にあっても不思議ではないと思う。
自分が気をつけていても、車間距離をとらずにくっついて走る車は多い。
また、今朝は自分の車がカーブを通過し終わりそうなとき、ハンドル操作がまったくきかなくなり、くるりんと横を向いてしまった場所もあった。
幸いにもこの時は、前後に車がいなくて助かった。

冬用のタイヤで走行していても、これである。
TVのCMのようにピタッと止まったりはしない。
凍結した道路、圧雪でつるつるになった道路は、本当に怖い。
できれば運転したくないのだが。
…それじゃあ、運転しなければいいって?
とんでもない!
通勤手段が、ほかにない!
自家用車以外の交通手段がないところを20km近く通勤しているのである。
新潟県は、自家用車以外の交通手段をもたない広さをもった県でもあるのだ。

早く2月の10日過ぎになってほしい。
その頃になると、冷え込みが少なくなり、凍結することも少しずつ減っていくのだが…。
ああ、春が待ち遠しい。
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凍結路上の不覚…

2011-01-25 23:15:53 | 生き方
急に頭上の青空が目に入った。
…その瞬間、「倒れる!」と思った。
朝の冷え込んだアスファルト上には、雪から解けた水が凍結した面が一部に広がっていた。
そこに気付かない私がはでに転んだのは、2,3歩歩いたかという時だった。
滑ったのは、左足。
転倒したのは、左側からだった。
不覚にも、寒さのせいか何気なく左手をポケットに突っ込んでいた。
「危ない!」と思ったものの、倒れるしかなかった。
ポケットに手を入れたまま、左側から倒れる。
それでもとっさに受け身を取ろうとするのだから大したものだが、この態勢では無理というもの。
手首にかけての左ひじ周辺と、左腰を、硬い路面にしたたか打ちつけて倒れてしまった。
いたたたた…。
いてぇ…。
それにしても、いてぇ…。
ワイシャツには、血はついていない。
左ひじから手首にかけての半分近くの皮膚が、見事にずるっとむけていた。
さっそく保健室で手当てをしてもらった。
しかし、簡単に痛みは消えない。
時間がたつにつれ、強打した左腰の影響か、左の股関節が痛み始めた。
歩いたり階段を上ったりすると、そこがさらに痛む。
おまけに、ムチ打ち状態になったらしく、右の肩甲骨から背中・首にかけて重い。
時折痛みが走る。
ああ、なんてこったい!!
翌日、通院したが、ひじの治療がしみてなんと痛かったこと!
…何回か通院しなきゃなるまい。
数日たったが、左股関節痛や右肩痛は消えない。
しばらくは、週1回のランニングもあきらめなくては…。
冬の寒さは、これからの10日間くらいが最も厳しい。
車の運転に、歩行に、十分気をつけなくては…。

けがをしてから、夜見る夢は、なぜか走ることに関する夢ばかり。
ふー、まいったなあ…。
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小林倫博氏の歌が好きだった

2011-01-24 18:33:02 | うた

古いレコードの山の中でも、廃盤になってしまってCDとしての復活もなく、とても残念だったのが、小林倫博氏の曲だった。
氏は、鹿児島県出身で、東京の美大を卒業している。
氏が、デビューしたのは1977年。井上陽水、吉田拓郎、泉谷しげる、小室等のフォークシンガー4人が1975年に設立したあの伝説の(?)フォーライフ・レコードの何人目かの新人だった。
オリジナルアルバムは3枚、シングルレコードは、12枚出している。
私が買わなかったのは、LPに入っていたシングルレコード3枚だけ。
あとは、全部買ったのだった。
あの当時だから、愛や恋の唄が中心ではあるのだけれど、何気ない日常生活からの物語のような歌を作っていたアーティストだった。
美大ということもあり、独特のセンスのある歌が好きだった
最初のアルバム、「第一印象」では、私の一番のお気に入りは、2ndシングルになった「東京シティー」だった。
歌の内容で、

ここに一人来た頃(それだけで)
ねずみ色の街でも(ときめいた)
季節を伝える風に向かって
口笛鳴らせば 夢かなう気がした

という部分や、

だけどここを離れて 生まれた町へと
帰る気持ちになれないのはどうして
生まれた故郷(くに)を離れて 父や母もここで暮らすと
言い出したら それもまたいやだろ

などという内容も、自分の心境にマッチしていて、ずいぶん気に入っていた。
なお、繰り返される次のサビの部分

東京シティー 夢逃げる
東京ララバイ 寝つけない大人たち

ここに出た「東京ララバイ」は、その後松本隆氏がいただいて、中原理恵のデビュー曲名になったのだそうだ。

ほかに、「ローソク1本の話」も好きだった。
男同士が、安いウイスキーを飲みながら「世の中の女はみんな見る目がない」と歌う歌の内容も、当時の学生の身には、同感!だったのだ。

先日、レコードからCD化して繰り返し聴いている。
聴くたびに、学生の頃の自分やその頃の下宿、今は行方も分からなくなってしまった友人のことなどが思い出される。

最近、ネット検索していたら、小林倫博氏本人のHPを見つけた。
その中の「『鳴かず売れず飛ばず』の記録」では、「東京シティー」を含め、何曲か試聴できる。
うれしい発見だった。
コメント (11)
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古いレコードをCD化する

2011-01-19 22:21:53 | 生き方
さて、学生時代から「宝物」にしてきた「レコード」の曲を時々聴きたくなる。
CDで再発売されたものも多いが、あまり買わないでいた。
レコードがあるから、いいじゃないか。
そう思っていた。
本当にお気に入りのものは、カセットテープにとり込んで、繰り返し何回も聴いていた。
MDなんてものが世間を席巻(あ、これ、だじゃれです)するようになった。
それでも、録音したカセットテープで、お気に入りの曲はいつも聴いていた。
やがて、MDも、いつの間にか携帯の端末機に押しやられてしまった。
頼りにしていたカセットテープまで次々となくなっていくとは思っていなかった。
こうなると、アナログ世代の私はついていけなくなる。
おいおい…、ちょっと待てよ、と思うようになってきていた。
そんな3年前、パソコンにつないでCD-Rに直接録音したり、パソコンに曲を取り込んだりできるレコードプレーヤーがソニーから発売されると聞いた。
さっそく購入してみようと思った。
ところが、さすがに世の中には似たような人が多くて、ニーズが高かったらしい。
注文殺到のため、なんと3か月近く待つことになってしまった。
ようやく手に入れたものの、使い方がよくわからず、「宝の持ち腐れ」になってしまった。
何度か失敗しながら、少しずつ、曲の保存・録音ができるようになってきた。
今年になって、現有のプリンターがCD-R印刷もできると知り、印刷用のデザインも作って曲を入れたCD-Rに印刷してみた。
しばらく聴いてなかった曲を、再生することができた。
懐かしいメロディ。
忘れていた昔の思い出もよみがえってきた。
近頃は、昔気に入っていたレコードのCD化を少しずつ増やしているところである。
FOR LIFE CHIRISTMAS、みなみらんぼう、鴉鷺、岩崎宏美、中村雅俊、かぐや姫、小林倫博、小林泉美、GARO、北山修…。
自分の学生時代を支えてくれていた歌たちと再会を果たしているこの頃である。
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古レコードの山…

2011-01-12 20:25:12 | 生き方
学生の頃から買いためた“レコード”。
しかも、LPレコードが200枚近くある。
今も、捨てる気にはとうていなれない。
学生時代は、そんなにリッチな学生ではなかったが、Musicは好きだった。
当時は、フォークから“ニューミュージック”(この呼び名、好きではなかった)に移行していく時期だったから、様々な“アーティスト”が登場したものだった。
だから、曲を聴いて、「これいいじゃん!」という、他の人があまり知らないお気に入りの“ミュージシャン”を見つけると、喜んだものだった。
だいたいラジオがその情報源だったが、私は、もう一つ時々利用していたのが、古レコード店だった。
古レコード店は、他の人が聴いていたレコードとはいえ、2500円前後のLPレコードが半額以下で、場合によっては数百円で買えるので、私にとってはすごく魅力的だった。
気に入った人のレコードを見つけると、買っちゃおうかな、という気分になるのだった。
時には、数百円のレコードを見て、「この人、よく知らないけど、試しに買って聴いてみよう」と思って買ったのもあったのだった。
「ハズレ!」もあったけど、自分にとっては「アタリ!」も結構あったのだった。
それらの曲には、その後CDとして復活したものもあったけど、CD化されなかったものやCD化されても購入しないまま廃盤になったものも多くあった。
(当時は、故郷を出て仕送りを受けて下宿していた。決まったバイトもしていなかった。仕送りしてくれていたお父さん、お母さん、こんなお金の使い方をしてゴメンナサイ。)
ともかく、そうやって見つけた重宝なレコードは、自分だけの財産なのである。
鴉鷺(あろ)、小林泉美、ハミングバード、古井戸、唄の市、エレック社のレコードたち、エレック時代の吉田拓郎、初期の井上陽水、小室等、…などなど。
聴かれすぎていて、時に自分の持っているステレオ・プレーヤーだと針が飛ぶような時もあった。
しかし、安価で手に入れた曲は、自分にとって、「得」以外の何物でもなかった。
安価だから、安心して繰り返し聴けたのかもしれない。

時代は、やがてCD時代に移った。
レコードはほとんど見かけなくなった。
しかし、かような学生時代を過ごしていたせいか、CDの時代になっても、CDを買う時、中古のCDに引かれてしまうのである。
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東洋大・柏原選手の姿に感銘を受けて…

2011-01-05 19:13:35 | ひと
今年も正月2日・3日は、箱根駅伝をテレビで見ていた。
深く感銘を受けたのは、東洋大・柏原選手の3年連続の快走だった。
印象的だったのは、ゴール後の過去にない力を使い果たした彼の姿だった。
倒れてしまって立ち上がれない姿。
往路優勝のチームインタビューで、放心状態のような姿。
マイクを向けられて、「やったぞ、田中―!」と涙ながらに叫ぶ姿。
その姿は、「山の『神』」ではなかった。
本当に当たり前の人間、当たり前の一人の若者だった。

…どれだけの重圧が彼を支配していたことだろう。
そして、その重圧に打ち勝つために支えになったのは、チームメイトの存在だったのだなあと、改めて思った。
 
そんな彼を見ていたら、次のようなチームメートとのやりとりが頭に浮かんできた。
以下は、まったくの物語である。
フィクションを書いてみたくなった。


 精神的にとことんまで追いつめられた心情を、だれがわかってくれると言うのだろう。
 周囲からの期待と、それとは正反対の、自分だからこそわかる現状での力のなさと。
 だれも、自分が今、これほどまでにダメになっていると思うだろう。
 現実、今の自分はダメだ。
 走っても、勝てる自信がない。
 それどころか、走りとおせる自信がない。
 チームは優勝を争っている。
 チームメイトも、優勝目指し、厳しい練習を重ねてきた。
 しかし、自分の調子はなかなか上がらない。
 オレが走らない方がよいのじゃないか。
 こんな自分なら、走ったって、大した記録は出せない。
 みんなの迷惑になるだけだ。

 何を言ってるんだ。
 みんなで、箱根で優勝しようと言っていたじゃないか。
 そのために、皆、一人一人ががんばってきたのじゃないか。
 オレだって、お前だって、そうやって練習してきたんじゃないか。
 今になって何を言い出すんだよ。

 いや、今の自分じゃダメだ。
 ダメなことは、自分が一番よくわかっている。
 去年の今とは、全然違う。
 こんな調子じゃ、走ったって、チームのために何の力にもなれない。

 バカ野郎。
 何が何の力にもなれない、だ。
 オレは、お前に追いつきたくて一生懸命練習してきたんだよ。
 一生懸命練習して、練習して、練習して、やっとここまできたんだよ。
 やっと、今年も、復路を走ることになったんだよ。
 でも、そんなオレでも、調子が悪いって言うお前に、まだ勝てないんだよ。
 調子の悪いお前に勝てないオレの悔しさがわかるか。
 でも、オレは、オレの走る区間、自分の持っている力を全部出して走ろうと思う。
 オレは、走ることが好きだ。
 走ることは、誰よりも好きなつもりだ。
 でも、大学に入ってお前が走るのを見て、うらやましくなった。
 お前が走っている姿を見ていたら、お前はただ速いだけじゃなく、オレの何倍も楽しそうなんだ。
 練習の時、表情は苦しくなっても、走ることが楽しくて楽しくてしょうがないっていうことがお前の姿から伝わって来るんだ。
 オレたちは、山を登るときは苦しいだけなのに、お前が山を登っていく姿は、苦しさなんて感じさせないんだ。
 軽々走って登っていくお前の姿に、「ああ、こいつ、なんて走るのが好きなんだろう」って思ったもんだよ。
 だいたい、オレたちは、もともと単純に走ることが大好きだっただけじゃないか。
なあ、お前、走ることが好きだろう。
 優勝とか名誉とか自信だとか言う前にさ、走ることを楽しもうぜ。
 走っていく先のゴールを目指すんじゃなく、一歩一歩走っている瞬間を楽しもうぜ。
 オレたちは、走り出したら、一人一人がただの「ランナー」にすぎないんだ。
 走りたいから、走る。
 好きだから、走る。
 余計なことは考えず、走ることが好きだから走る、それでいいんじゃないか。
 けがをして走れないこともあったじゃないか。
 あの時に比べたら、今は走れるじゃないか。
 走りたいけど走れなかった苦しさを考えたら、今は走れるじゃないか。
 好きなように走れよ。
 たとえお前が途中でつぶれてしまっても、だいじょうぶだ。
 復路で、オレが取り返してやるよ。
 そのために、オレが復路にいるんだぜ、ハハハ。
 やろうぜ、リュウジ。
 思いっきり走ってみようぜ。

 肚(ハラ)は決まった。
 途中で足が止まるかもしれない。
 今までになく惨めな姿をさらすことになるかもしれない。
 でも、大切なことを忘れていた。
 オレは、走ることが好きなんだ。
 走ることを自分から取ってしまったら、何も残らない。
 1年前までの自分のようには走れないかもしれないけど、ただ前を向いてひたすら走ってみよう。

【山登り】
やっぱり、タナカ、苦しいよ。
走ることは。
でも、この苦しさも、今自分が走っている証拠だ。
この苦しさは、体の苦しみ。
この前までの、あの追いつめられた心の苦しみに比べたら、体の苦しみは、いくらでも耐えることができる。
苦しいのは走っているからだぜ。
一番好きな走っているときの苦しみを味わえるなんて、幸せなんだよ。

【終盤】
くっ。
やっぱり足が思った通り動かなくなってきた。
足が前に進んでいる気がしない。
でも、今はもう前に進むしかない。
前へ、前へ、前へ。
少しでも早く、前へ―。

【ゴール】
やった。
ゴールが見えた。
ついにここまで来た。
あのゴールラインですべてが終わる。
あんなに追いつめられていたオレが、ここまでやれた。
タナカ、やったぞ、オレは。
お前のおかげで、ここまで走れた。
やったぞ、―ゴール。
走り切った。
やったぞ、やった。
やったぞ、オレは。
―急に目の前が真っ白になった…。
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