ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

「カンパリソーダとフライドポテト」(吉田拓郎)を聴きたくなって

2025-03-06 21:07:46 | うた

なぜか自分でもよく分からないけれど、しばらく聴いていないけれど、先日、なんだかとても懐かしくて聴きたくなった歌があった。

その歌は、「カンパリソーダとフライドポテト」。

1977年11月に、吉田拓郎が出したアルバム「大いなる人」からシングルカットした曲だ。

その頃学生だった私は、このLPを買って、その曲をよく聴いたのだった。

今回、久々に自分のもつLPレコードでこの曲を聴いた。

あとで調べると、YOUTUBEにも上がっていたので、そこで聴けばよかったかな!?

 

 

「カンパリソーダとフライドポテト」って、一体何なんだ?この曲名?

当時は、フライドポテトは知っていても、カンパリソーダはどんなものか、わからない私だった。

おそらく、フライドポテトと合う炭酸で割ったアルコールの類なんだろうな、と思いはしたのだが、実物は知らなかった。

その曲の歌詞カードを見ても、どこにもカンパリソーダもフライドポテトも出てこなかった。

なんか、わけのわからない歌だな、と思いながら当時は聴いていた。

 

だが、曲のイントロに使われている笛のような音色が妙に懐かしいような気がする歌だった。

今にして思えば、「はっぴいえんど」のギタリストをしていた鈴木茂のアレンジだったんだね。

さすがにいい効果を生んでいた。

 

さて、曲名について。

後年、どこかで見たのは、カンパリソーダは、都会的な女性をたとえたものらしいということ。

そして、フライドポテトは、イモだけに田舎っぽい男性ということらしい。

そんなふうなものに男女を形容して、一緒に生きていこうということを歌ったものだということを読んだ。

そうだったのか。

そういえば、その頃の吉田拓郎は、2回目の結婚相手として浅田美代子と生活を始めていたころだったか、と納得。

歌詞の1番にも、「男と女が暮しを始めた」と言う部分があるからね。

 

改めて思い出してみると、この歌には自分の思いと共感できる部分が多かったから、懐かしさや心に残るものがあったのだろうなあ。

2番の「淋しさ寄り添い 温めあえば 人と人とは一つと信じて」

3番の「一人がいやで 肩よせた筈 子どものようにはしゃいだ日々もいい」

「風にまかれる人生がある たくましいだけで疲れるよりはいい」

5番の「くずれかけた砂の家で 木の葉のように舞うだけ舞えばいい」

「朝陽を見たかい 嵐の中にも 懐かしい歌が聴こえてくるだろう」

…こんなところを歌で聴いていると、人生のいろいろを感じてしまう。

だから、きっと、この歌を聴いてみたくなったのだろうな、と思った。

 

ところで、アルバムだとこの歌の次に、吉田拓郎がキャンディーズに作った「アン・ドゥ・トロワ」が流れてくる。

当時「普通の女の子に戻りたい」宣言があって、解散が予定されることになったキャンディーズのために作曲者だった吉田拓郎が歌ったという訳だ。

曲名も「アン・ドゥ・トロワ(ばいばいキャンディーズ)」となっている。

2番の部分だけを歌い、最後に「さよならキャンディーズ」と付け加えているのが、あの頃、拓郎なりの感謝を伝えているような気がしたっけ.

これもYOUTUBEにあった。

 

 

 

「カンパリソーダとフライドポテト」。

改めて聴いてみても、結構いい歌だと思うけど、ライブ盤やベスト盤などには入っているのを見かけなかった。

ひょっとすると、吉田拓郎は、その後森下愛子と3回目の結婚をしたから、2番目の結婚の時の歌は歌いたくなかったのかもしれないな…なんて思ったりもしている…。

 

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下条アトムさんの訃報に、「春秋暑寒」という名曲を思い出した

2025-02-19 20:15:37 | うた

先日、俳優の下條アトムさんが1月29日に死去していたという訃報が流れた。

なくなった時に初めて知ったのだが、「アトム」は、手塚治虫の「鉄腕アトム」付けた芸名だと思っていたのだが、実は本名だったと知った。

俳優だった両親の命名だったという。

生まれたのが終戦の翌年の1946年。

GHQの占領下にあったから、父が「将来は日本でもアメリカ同様“名前・苗字”の順に読むようになるだろう」と考え、「A」から始まる名前をつけたということだ。

「アトム」は原子力の意味。日本は原爆の被害にあったが、原子力は本来戦争ではなく平和のために使われるはずだ…という願いも込められているという。

 

その下条アトムの名前を初めて知ったのは、高校の同級生からだった。

高校3年の冬、同級生のN男が、やたらに、「森本レオ~、下条アトム~」とつぶやいたり落書きしたりしていた。

それはどうやら、当時(1974年11~12月)NHKで放送されていた夜の銀河テレビ小説「黄色い涙」が、彼の心の琴線に触れたかららしい。

「黄色い涙」は、永島慎二原作のマンガ「若者たち」をもとにした全20話のドラマだった。

偶然知り合った夢を抱く若者たちが、狭いアパートの一室で共同生活をする。行きつけの喫茶店や食堂の人々の日常とともに若者の夢と現実が織りなす、青春の歓びと苦味がたっぷりつまった群像劇。

…と、紹介されている。

原作マンガを描いた永島慎二の作品はどれも、N男に限らず多感な高校生だった私にも、すごく響くものがあった。

若者の心が感じる孤独をマンガで描けたのは、彼ならではのものであった。

今でも、彼の描いた絵や作品を見ると、当時の感覚がよみがえってくる。

残念ながら、永島氏は、今から20年も前に亡くなってしまったのだが…。

その縁があったのか、下条アトムさんが1975年に「春秋暑寒」というシングルレコードを出したとき、そのレコードジャケットのイラストは、永島慎二氏によって描かれていた。

この曲を知ったのは、私の弟がこのシングルレコードを購入して聴いていたからだった。

この曲の作詞は、下条アトムさん本人によるものだった。(作曲は、さいとうあきひこ氏)

 

田舎の縁側 睦月には 何をか語らん 我一人

遥かな学舎 如月は 戻らぬ想い出 我一人

行くあて知らぬ 彌生には 何処へ歩まん 我一人

想いは淡き 卯月には 流れる河原の 我一人

 

見知らぬ貴女に 皐月には 愛を探した 我一人

貴女が窓辺の 水無月は 心に雨だれ 我一人

めざめて苦しき 文月に 何処へ船出の 我一人

海を抱きし 葉月には 浮かぶ波間の 我一人

 

つかれた都会の長月に 遠き鄙歌 我一人

かすかな調べは 神無月 生きる足音 我一人

生きる証を 霜月に 求め求めて 我一人

一年過ぎし 三冬月 何をか答えん 我一人

 

生まれる運命は人の世の 消えゆく運命も人の世も

永遠にめぐりてめぐりめく 永遠にめぐりてめぐりめく

 

12か月を、旧暦の呼び名で表して、それぞれの月に関わるエピソードを短く1行で描いて歌っている。

そして、それぞれの月の最後は「我一人」だ。

孤独感を味わう若者にとって、このフレーズは響いた。

下条アトムさん、といえば、こうして私にはこの「春秋暑寒」の曲が一番の思い出になっているのである。

YOUTUBEで、この曲を見つけることができた。

レコードからの音源のようだが、気になった方は、ぜひお聴きください。

最後に、下条アトムさんの冥福を祈ります。

合掌。

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雪消し、雪降り、のくり返しから、NSP…(!?)

2025-01-29 20:12:32 | うた

いたちごっこ?追いかけっこ?

 

雪が降って、積もった雪を消す作業をして、そしてまた雪に降られて…。

そんな冬の生活を思っていたら、そんな言葉たちが浮かんできた。

 

当地でまともに(?)雪が降って積もったのは1月16日が最後だった。

それ以降、たまには晴れ間の多い日もあったが、天気はそんなによくなかった。

気温が少しだけ高いので、降ってくるのは雪ではなく雨。

冬に雨は似合わないけど、よく雪をとかす。

だけど、積もって締まった雪だと、とける速度はおそい。

だから、雨などが降ってさえいなければ、外に出て雪を崩し、雪が早くとけるようにする。

これは、運動不足の解消にもなり、一石二鳥だ(と思うことにしている)。

ご近所さんも、晴れていれば、日中外に出てこの雪消し作業をがんばっていた。

 

そんなことで、わが家のすぐ外の道路の雪の状態の変遷を見てみよう。

 

【1月19日】

 

【1月22日】

こんなふうに雪を崩して路上に散らして、雪消しの作業を毎日のようにしていた。

 

【1月24日】

ついに、道路の雪をすべて崩した。

 

【1月25日】

朝、見てみると…やった。

ついに全部とかしたぞ。

春に近づいた気がするぞ。

…っと、思って数日たった今日は、また雪に降られてしまった。

【1月29日】

まあ、3,4cmの積雪だったけどね。

また寒波が来るそうだから、もう少し積雪は多くなるのかね。

 

雪が降って、積もった雪を消す作業をして、そしてまた雪に降られて…。

なんか、終わりのない追いかけっこみたいだな。

春はもうすぐみたいに感じていたのに。

 

こう思っていたら、NSPの故天野滋氏の顔が浮かんだ。

そうか。彼がソロで出したアルバムに「恋は終わりのない追いかけっこ」という曲があったな。

ついでにいえば、自分でここまで書いてきた文中にあった言葉たちの中には、NSPの曲名にあったよなあ。

NSPの初期には「雨は似合わない」とか「春はもうすぐ」という曲もあったっけ。

彼も東北人だったから、雪に対する感覚は似ていたんだな。

…と、そんなふうに心の中の思いが勝手に進んで行った。

 

雪が降って、積もった雪を消す作業をして、そしてまた雪に降られて…。

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「踊り子」4曲

2025-01-11 21:28:24 | うた

年が明けて10日余りがたった。

年が明ける前夜、恒例の紅白歌合戦があった。

元旦マラソンに出なくなったから、ゆっくり見ることはできる。

でも、遅くまで起きていると体調を崩すことが多いから、後半は録画して年が明けてから何回かに分けてゆっくり見た。

全体を通して、昔の曲や何十年ぶりの出演者なども多く、われわれ年配者にも楽しめる楽曲の構成になっていたのはうれしかった。

 

それとは別に、今はやりの歌で「いいね!」と思える歌に出合うのも楽しい。

われわれには、カラオケでとても歌えないような、Creepy Nuts の「 Bling‐Bang‐Bang‐Born」やこっちのけんとの「はいよろこんで」などは、やっぱりパワーを感じ、売れるだけあるな、と思った。

 

ほかに気に入ったのが、Vaundyの「踊り子」という曲だった。

YOUTUBEのプロモーションビデオで、こんな歌。(なお、出てくるこの女性は、VAUNDYじゃないからね。VAUNDYは男性だから。)

 

回り出した あの子と僕の未来が止まり

どっかで またやり直せたら

というフレーズが何度か繰り返されるところをみると、これもきっと失恋の歌なんだろうな。

とぅるるる とぅるるる とぅるる」のくり返しもいろいろ思わせてくれる。

これを擬音だと仮定すると、まるで何度鳴らしても出てくれない電話のようでもある。

まあ、最近のスマホだとどう感じるか、分かんないけどね。

そうなら、いささかつらいなあ…。

でも、この曲はメロディも口ずさみやすく、紅白の番組の中で一番気に入ったのだ。

 

ところで、「踊り子」という曲名を聞いたときに、私は、懐かしいな、と思ったよ。

なぜかと言うと、ほかに3曲知っているからね。

まずは、学生時代に聴いた歌に、同名の曲があったのだ。

それは、下田逸郎の「踊り子」(1974年)。

恋の終わりはいつも同じ 

だけど今度だけ違うの なにかが

まわる人生のステージで

踊るあなたの手震えて きれいね

…と始まる歌。

あなた愛して気づいたことは

そうね私もいつかは死んでゆくこと

…という部分には、愛と死がくっついていて、暗さがあり、メロディーからもこの歌は悲恋を歌っているのだと感じていた。

震えるような声で歌う下田逸郎の声が好きだった。

 

1976年に4人組が歌った曲にも「踊り子」はあったのだ。

その曲は、フォーリーブスが歌った「踊り子」。

私は踊り子よ 振る舞いのお酒にも

気軽く酔うような 浮草の踊り子

阿久悠の作詞、井上忠夫の作曲だった。

この歌は、まさしく踊り子を職としている女性の歌。

1番でも2番でも、「このまま別れて行きましょう 短い夢と割り切って

というフレーズがある歌だから、やはり別れを歌った歌。

 

私自身としては、一番せつなかった「踊り子」は、1983年に出た村下孝蔵の曲。

同年に「初恋」がヒットした後に出た曲がこの「踊り子」。

私はこの歌が好きで、よくカラオケで歌ってきた。

 

答えを出さずに いつまでも暮らせない

バス通り裏の路地 行き止まりの恋だから

…と始まるが、のっけから「行き止まりの恋」なものだから、せつなさが歌われている。

つまさきで立ったまま 二人愛してきた

狭い舞台の上で ふらつく踊り子

…と歌っていたが、そのあとは、

若すぎたそれだけが すべての答えだと

気づいた

…と歌っている。

「若すぎた」と結論を出しているから、これまた悲恋だということか。

 

紅白歌Vaundyの「踊り子」から、過去の3曲を思い出した。

このように、「踊り子」という曲を4曲知っていることになるが、不思議なもので、すべて別れにつながる悲しさのある歌だという共通点がある。

「踊り子」=「悲恋」ですか…。

まあ、恋や愛を歌う歌には別れがつきもので、それがあるから歌がインパクトのあるものになるのだけどね。

下田逸郎の曲のように「まわる人生のステージ」で生きている私たちは、

村下孝蔵の曲のように「狭い舞台の上でふらつく踊り子

でもある。

あぶなっかしくても、自分の人生という舞台を踊るように生きていかなくては、ね。

 

「踊り子」というと、このドガの絵も連想してしまう…。

 

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「12月22日」というお気に入りの歌があったなあ ~泉谷しげる「12月22日」~

2024-12-23 19:33:17 | うた

今日は、12月23日。

あと1週間余りで今年も終わりだ。

実は、昨日の日付になるのだが、

「12月22日」

というタイトルの歌がある。

歌っていたのは、泉谷しげる。

あのフォーライフレコードに移ってから初めて彼が出したLPが「家族」というアルバムだった。

その中に入っていたのが、この「12月22日」。

その曲を聴くと、これは泉谷がどこかの会場でギター1本で歌っていたのを録音したものらしい。

アップテンポで、乗りやすい曲だ。

だから、ギターストロークに合わせて、聴衆も拍手をして、会場が非常に盛り上がっているのが分かる。

曲の最初から最後まで、泉谷の元気なボーカルで盛り上がりが続く。

このアルバム「家族」の中で、私はこの「12月22日」が一番好きだった。

アルバムに入っていた歌詞を見てみる。

だが、歌詞を見ても、なぜこの曲が「12月22日」というタイトルなのかは分からない。

当時のラジオ番組では、「12月22日に歌ったから」と、泉谷本人が言っていたように思う。

当時の私の友人の一人は、「別なタイトルを付けて泉谷が歌っていたぞ」と教えてくれたこともあった。

 

もう真偽のほどは分からない。

なにしろ、もう半世紀近くも前に出されたアルバムの中の1曲に過ぎないのだから。

 

まあ、それはともかく、

「良い時ばかりの夢を追うから 隙間だらけのつきあいになる」

「笑うことだけをほしがる人って それほどにやさしくない人さ」

「迷わずに愛せるなんて あまりにも欲がないよ」

このヘンのフレーズ、好きだなあ。

だから、50年近くも前の(1976年のだからね)若いときに聴いていた曲を、それこそ「迷わずに歌えるなんて」、われながら笑ってしまうよ。

 

…ということで、「12月22日」という曲の話でありました。

ところで、この「12月22日」、YOUTUBEで「12月22日 泉谷しげる」で検索してみたら、本人歌唱ではないが、頭部は似ているオッサンがカバーして歌っている映像を見つけた。

だけど、う~ん、これでは乗れないなあ。

今イチなんだけど、泉谷本人ではなくても、どんな歌か分かるから、ありがたい…ということにしておこう。

気になった方は、興味本位でどうぞ検索を。

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X'mas曲集を作る

2024-12-14 22:07:53 | うた

12月と言えば、クリスマス。

この時期になると聴きたくなる歌といえば、山下達郎の「クリスマス・イヴ」

…ついこの前にもこんなこと書いたばかりだな。

今度は、クリスマスソングに焦点を当ててみよう。

 

去年、松任谷由実と桑田佳祐が、「Kissin' Christmas(クリスマスだからじゃない)」なんて曲をデュエットでリリースしたことがあったなあ。

 

せっかくだから、それ以外に自分が知っていて聴きやすいクリスマスソングを集めて、80分のCDにまとめてみよう、と思い立った。

 

この2曲の他に、何を入れよう?

桑田佳祐なら「白い恋人達」、松任谷由実なら「恋人がサンタクロース」は外せないな。

この前、ここで書いた佐藤隆の「12番街のキャロル」もいいなあ。

その歌は、ちょっと悲しいから、「クリスマスが今年もやってくる」と明るく歌う、竹内まりやの「すてきなホリデイ」も入れておきたいな。

「12番街のキャロル」から、「キャロル」と聞くと、稲垣潤一のヒット曲「クリスマスキャロルの頃には」も定番でしょう。

 

クリスマスを陽気に過ごす歌より、悲恋に終わる歌の方がヒットする歌になるのだな。

そんな歌が、辛島美登里の「サイレント・イヴ」だとか、浜田省吾の「MIDNIGHT FLIGHT」だ。

この2曲は、悲恋だけど好きだね。

 

こうやって、書いていると、さすがジイサンの選曲だね。

最初の1曲はともかく、「サイレント・イヴ」を除いて、みんな昭和の曲じゃないか!!?

まあいいや。

 

その時代で探せば、オフコースの歌にも、「Christmas Day」というのがあったな。

ふきのとうのデビューアルバム「歳時記」の中に「メリー・クリスマス」という曲があったのも思い出したぞ、懐かしいなあ。

そして、働き出したころ、何度も聴いた原由子の「はらゆうこが語るひととき」というアルバムの最後の曲は、「Last Single X’mas」という曲だった。

 

同様に、その3年後に「恋におちて」の大ヒットを飛ばした小林明子の1stアルバム「FALL IN LOVE」のラストには、曲名の長いクリスマスの歌があった。

それが、「あなたに素敵なクリスマスプレゼントあげたいな」という曲。

 

昭和でなく平成の時代に出された曲で気に入っているのも入れておこうか。

朝ドラ「舞い上がれ」の主題歌「アイラブユー」を歌ったbacknumberの「クリスマスソング」、いいよね。

安室奈美恵も「Christmas Wish」という曲を歌っていたな。

槇原敬之の「雪に願いを」は何度も聴いたなあ。

ユニコーンの「雪が降る町」も、クリスマスの時期だなと感じさせる歌だ。

 

このくらいでちょうどいいのではないかな、80分のCD-Rに。

そう思って、編集してみたら、残念。

1曲分、容量オーバー。

槇原の「雪に願いを」をカットしたら、今度は2分近く空いてしまった。

そこに、「FOR LIFE CHRISTMAS」から、泉谷しげるがふざけて歌っていた「きよしこの夜」を入れちゃえ。

泉谷は、この歌を

♬きよしこの夜 星は光っちゃう

と歌って終わってしまったから、何秒もかからない。

 

そうやってできた、自作のX’mas曲集の完成。

自分の好みだから、古い曲に傾いているけど、まあいいでしょう。

この齢だから、もうクリスマスだからってときめくこともないんだからね。

1曲1曲に、自分なりの思い出があるから、それを懐かしく思い起こしながら聴くことを楽しむとしよう。

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12月になって聴きたくなる歌たち

2024-12-04 21:34:58 | うた

12月だというのに、雪ではなく雨が降っている。

12月の雨、だね。

 

12月の雨」といえば、ユーミンの楽曲にそういうのがあったよね。

♬雨音に気づいて 遅く起きた朝は まだベッドの中で 半分眠りたい

小学生のころ、当時通っていた小学校で12月1日は、毎年学芸会の日と決まっていたのだが、いつも寒い日だった。

その日は、なぜかいつも雪が降った。

冬になるのだなあ、といつも思っていた。

 

そう言えば、槇原敬之の「冬がはじまるよ」という歌もあったな。

♬冬がはじまるよ ホラまた僕のソバで すごくうれしそうに ビールを飲む横顔がいいね

…この歌が流行っていた頃は、12月になると、ビールじゃなく、うまいのは熱燗でしょ…なんてヤボなことを、私はぶつぶつ言っていたっけ。

 

さて、「12月の雨」「冬がはじまるよ」と歌のことを書き始めたら、毎年12月の今ごろに自分が聴きたくなる歌が、いくつかある。

私でなくても日本で代表的なものには、山下達郎の「クリスマス・イブ」だよなあ。

毎年年末になると、今でもヒットチャートを駆け上がるのだから、大したものだ。

それ以外の、好みの曲を上げてみる。

 

前にも書いたことがあるけれど、この時期ぴったりだと思うのは、「一緒に…」だなあ。

♬偶然の帰り道 意味のない言葉と 白い息の横顔 思い返してる

靴紐のとれた坂道 粉雪が落ちて 君の背中光っていたね

…寒さの中、粉雪が降り始め、歩いている若い二人の情景が目に浮かぶ。

そして、「一緒にいたいとはじめて思った」と、自分の恋心に気づく。

12月この道で 手を繋いで歩きたい

好きだなあ、この歌。

 

俗にいう裏日本の冬の始まりは、雷だ。

太平洋側に人には理解しがたかった、アリスの「冬の稲妻」。

これも前に書いたことがあったな。

関東の人たちには、空気が乾燥して毎日が晴れるのが冬。

だけど、こちらでは、「雪起こしの雷」が鳴ると、雪が降る。

♬あなたは 稲妻のように 私の心を 引き裂いた 蒼ざめた心 ふるわせて 立ちつくすひとり 立ちつくす

「冬の稲妻」は、雨から雪に変わっていくことを告げるのだよな。

今年はまだだけど、雪起こしの雷の音は近いうちに聞くことだろう。

 

12月といえば、クリスマスの月だ。

山下達郎の「クリスマス・イブ

稲垣潤一の「クリスマスキャロルの頃には

辛島美登里の「サイレント・イヴ

この3曲は、私にとってクリスマス3大名曲だなあ。

 

あともう一曲、私の心に残っている曲が、佐藤隆の「12番街のキャロル」だ。

この曲の詩は、谷村新司によるものだった。

谷村新司が歌うバージョンのものもあるのだが、私は佐藤隆が歌う方が気に入っている。

♬あなたのために歌う 想い出のキャロル あなたに聞こえるかしら 私のために歌う 別れのキャロル  12番街に消えてゆく

 

この歌のサビでは、「もっと」が8度も繰り返される。

そこに、思いがあふれてくる。

せめてもっともっともっともっと もっともっともっともっと あなたに甘えたかった 

けれどきっときっときっときっと 希望のない愛だからこそ 噓だけはなかった愛だと信じてる

…うーん、なんだかとても心を打つんだよなあ。

 

こんな歌たちを聴きながら、また今年最後の月、12月が過ぎていくのだなあ…。

 

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美しい夕焼けに、懐かしいうたを思い出す~「幸せになるため」(ハイファイセット)~

2024-06-18 22:23:23 | うた

関東方面では夕方も豪雨で大変だとニュースで言っていた。

だが、当地では、美しい夕焼け空を見ることができた。

夕焼けが燃えて落ちていく…。

夕焼けの美しさに、ふと、若い頃に好きだったハイファイセットの「幸せになるため」という曲が浮かんできた。

 

夕焼けが 燃えて落ちてゆくよ

山並みのむこうへと 馳せる想い

あの人がくらす町もやがて

薔薇色の輝きに染まるころ

 

あの人も仕事を終えて

今ごろ家路をたどっているだろう

離れてるけど 同じ愛見つめ

 

なんてことのない、この歌が好きだった。

そのせいか、こうやって1番はすらすらと思い出せた。

作詞荒井由実、作曲村井邦彦、という当時売れていた二人による歌だった。

編曲は、松任谷正隆であった。

離れて暮らす二人の思いが描かれていた。

 

生きていて ひどく淋しい時

よみがえる横顔が ゆれている

川面に広がる黄昏

もう一度二人で歩いてみたい

迎えに行こう 幸せになるため

 

離れてるけど 同じ愛見つめ

 

曲をよく見てみると、1番と2番では思いを抱いている人や居場所が違うのではないかと思えてきた。

だけど、感傷的になる夕暮れ時に同じ思いを抱く歌なのじゃないかな。

1番では、故郷にいる人が都会にいる人のことを思っている。

2番では、都会にいる人が田舎にいる相手とのことを思っている。

そうやって、「離れてるけど 同じ愛見つめ」ている。

そんな考え方もできる歌だ。

 

ゆったりしたメロディーと歌い上げる山本潤子さんの声、なんとなくしみてくるアレンジ。

懐かしい歌を思い出させてくれた今日の夕焼けだった。

 

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「あゝ上野駅」を井沢八郎の娘、工藤夕貴が歌っている

2024-05-20 20:54:44 | うた

いろいろな人に元気を与える歌って、あるよね。

以前、ここでは「イノキ・ボンバイエ」の曲で元気を出していたと書いたことがあった。

 

苦しいときは、心の中でいつも「イノキボンバイエ」を流してきた ~アントニオ猪木氏の逝去を悼む~ - ON  MY  WAY

30代の働き盛り(?)の頃、仕事上いやなことがあっても、自分ががんばらないといけない場面では、自分の頭の中に、いつも自分を励ます音楽を流していた。その音楽の曲名は...

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ほかにも、元気が出る歌の中に、この歌がある。

それは、井沢八郎が歌った、「あゝ上野駅」だ。

 

どこかに故郷の香りをのせて

入る列車のなつかしさ

上野は俺らの心の駅だ

くじけちゃならない 人生が

あの日ここから 始まった

 

地方から東京に出てきた人間にとっては、望郷の思いがありながらも、前を向いて生きていかなくちゃ、という思いが湧いてくる歌だ。

だが、田舎から都会に出た人でなくても、この歌を聴くと、元気が出るのはなぜだろう。

「くじけちゃならない 人生が」と聴くと、「そうだ。くじけてなんかいられない。とにかく生きていかなくちゃ」と勇気が出てくるのだ。

聴くたびに元気や勇気をもらってきたこの歌を、昨夜、久々に聴いた。

テレビもつまらんものしかないから、とBS1の演歌番組を見ていたら、この曲が流れてきた。

しかも、歌っていたのは女性歌手。

それは、なんと井沢八郎の娘、工藤夕貴であった。

 

工藤夕貴は、かつて歌も歌っていたけれど、俳優のイメージが強い。

近年では、山ガールとして登山番組で見ることの方が多い彼女が、亡き父の大ヒット曲を歌っていることにびっくりした。

そして、その歌をあまりにもうまく歌っているので、二度ビックリした。

曲間のセリフもしっかり感情を込めて言っていた。

なぜ、彼女がこの歌を?

その疑問に応えるように、その歌番組でいきさつを語ってくれていた。

 

歌うきっかけは、一昨年、歌を歌いたくなって、日本歌手協会に入ることになったとき、理事長の合田道人氏から、父井沢八郎の歌を歌うのがいいんじゃないかと課題曲でもらったのが「あゝ上野駅」。

そして、昨年、日本歌手協会のステージに出て歌うと、五木ひろしが思いのほか私の歌を感動してくれたのだそうだ。

五木ひろしは、「あゝ上野駅」が発売された年に上京したから思い入れもあったらしい。

彼は、「この歌は、お嬢さんが歌い継ぐべきじゃないか」と言ってくれた。

そこから、「あゝ上野駅」とカップリング曲「父さん見てますか」を発売する運びとなって今に至っているということだ。

この「父さん見てますか」は、父井沢八郎を歌った歌で、五木ひろしが作曲し、作詞は合田氏なのだそうだ。

本音を言えば、カップリング曲には申し訳ないが、彼女が歌った「あゝ上野駅」の方が、聴きごたえがあって、すばらしい。

あの「あゝ上野駅」が、こうして発売から60年たって、まさか当時の青年歌手井沢八郎の、今や50代になった娘が歌うことになるとは、驚き以外の何物でもないなあ。

でも、それに値する名曲なんだな、やっぱり。

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このごろ「くらし」(小林倫博)という曲が自分の脳内を巡る

2024-05-05 19:52:43 | うた

このところ、自分の体調不良や、若いころから今まで影響を受けたたくさんの有名人の訃報などから、「生きる・死ぬ」ということについて、考える機会も多くなった。

今まで出会った人とのことをいろいろと考えたりする中で、やはり結論は命には限りがあるのということも思う。

 

学生時代に好きだったミュージシャンに小林倫博氏がいる、とはだいぶ前にこのブログに書いたことがあった。

 

小林倫博氏の歌が好きだった - ON  MY  WAY

古いレコードの山の中でも、廃盤になってしまってCDとしての復活もなく、とても残念だったのが、小林倫博氏の曲だった。氏は、鹿児島県出身で、東京の美大を卒業している...

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特に、彼のデビューアルバム「第一印象」が大好きだった。

11曲入ったその1stアルバムの最後の曲に「くらし」というのがあった。

近ごろ、この曲が自分の頭の中でよく流れるのだ。

どんな歌かというと、こんな歌詞の歌だ。

 

   くらし  詞・曲 小林倫博

思い出が一つ消える 月日のせいにする

別れて行ってしまえば なつかしいだけの人

悲しみいっぱい 喜びいっぱい

頭に飾り付け 体で支え くらしていくさ

自分を責めぬよう

 

みんな死ぬ、君も死ぬ 父も母もみんな

ホントに何も 何も残らない

生まれて生きるってこと

 

さみしさはいつも背中にある

風が吹き抜ける

腕伸ばし抑えくらしていくさ 寒くないよう

 

自分がいる 人がいる

季節と時節がある

止めるもの 貧しいもの

暮らしと夢が 

 

両手広げても 飛べはしないよ「

失くすだけだよ

黙り込んでいても 誰一人 救われないよ

いつも笑っていては 君に会ってもつらくなるだけ

いつまでも僕を 疑っていておくれ

それが本当のこと

 

逃げていたって 流れはいつも追いかけてくるさ

言葉はいつも一人ぼっちの首を絞めるさ

さみしさはいつも背中にある

風が吹き抜ける

腕伸ばし抑えくらしていくさ 一人なんだよ

 

…とまあ、こんな歌。

若かった学生時代には、自分だけが一人ぼっちであるような感覚がよくあった。

だから、少しでも自分をわかってくれる人を求めていたような気がする。

それでも、最後に部分に「一人なんだよ」と歌われることによって、最終的には誰でも一人であることを認識させられた。

一人で生きていくという決意をさせてもらえたような気がした。

 

さて、最近この歌が頭の中で流れるのだが、その流れるフレーズは、

みんな死ぬ、君も死ぬ 父も母もみんな

ホントに何も 何も残らない

生まれて生きるってこと

という部分。

みんな死んでしまって何も残らない、なんて歌う人は、当時なかなかいなかったように思うが、それにもまして今になり感じることも多い。。

 

すでに私の父も母も、皆亡くなっている。

歌のとおりになってしまって久しい。

そして今、生まれてきて生きてきて、高齢者の身になって、人生本当に何も残らないのだなあ、ということを結構実感するときがあるのだ。

それでも、自分なりに生きてきた跡があり、その跡のことは自分にしか分からない。

だから、ほかの人には分かってもらえなくても、そうやって生きて命が亡くなるまで生きよう。

さみしさはいつも背中にある

風が吹き抜ける

腕伸ばし抑えくらしていくさ 一人なんだよ

この歌のとおりなのだ。

 

なお、この曲は作者の小林倫博氏が、氏のブログで聴けるように公開している。

1stアルバム(第一印象」)の最後、11番目の「くらし」をポチッとクリックすると、曲を聴くことができます。

コメント (2)
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