ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

「踊り子」4曲

2025-01-11 21:28:24 | うた

年が明けて10日余りがたった。

年が明ける前夜、恒例の紅白歌合戦があった。

元旦マラソンに出なくなったから、ゆっくり見ることはできる。

でも、遅くまで起きていると体調を崩すことが多いから、後半は録画して年が明けてから何回かに分けてゆっくり見た。

全体を通して、昔の曲や何十年ぶりの出演者なども多く、われわれ年配者にも楽しめる楽曲の構成になっていたのはうれしかった。

 

それとは別に、今はやりの歌で「いいね!」と思える歌に出合うのも楽しい。

われわれには、カラオケでとても歌えないような、Creepy Nuts の「 Bling‐Bang‐Bang‐Born」やこっちのけんとの「はいよろこんで」などは、やっぱりパワーを感じ、売れるだけあるな、と思った。

 

ほかに気に入ったのが、Vaundyの「踊り子」という曲だった。

YOUTUBEのプロモーションビデオで、こんな歌。(なお、出てくるこの女性は、VAUNDYじゃないからね。VAUNDYは男性だから。)

 

回り出した あの子と僕の未来が止まり

どっかで またやり直せたら

というフレーズが何度か繰り返されるところをみると、これもきっと失恋の歌なんだろうな。

とぅるるる とぅるるる とぅるる」のくり返しもいろいろ思わせてくれる。

これを擬音だと仮定すると、まるで何度鳴らしても出てくれない電話のようでもある。

まあ、最近のスマホだとどう感じるか、分かんないけどね。

そうなら、いささかつらいなあ…。

でも、この曲はメロディも口ずさみやすく、紅白の番組の中で一番気に入ったのだ。

 

ところで、「踊り子」という曲名を聞いたときに、私は、懐かしいな、と思ったよ。

なぜかと言うと、ほかに3曲知っているからね。

まずは、学生時代に聴いた歌に、同名の曲があったのだ。

それは、下田逸郎の「踊り子」(1974年)。

恋の終わりはいつも同じ 

だけど今度だけ違うの なにかが

まわる人生のステージで

踊るあなたの手震えて きれいね

…と始まる歌。

あなた愛して気づいたことは

そうね私もいつかは死んでゆくこと

…という部分には、愛と死がくっついていて、暗さがあり、メロディーからもこの歌は悲恋を歌っているのだと感じていた。

震えるような声で歌う下田逸郎の声が好きだった。

 

1976年に4人組が歌った曲にも「踊り子」はあったのだ。

その曲は、フォーリーブスが歌った「踊り子」。

私は踊り子よ 振る舞いのお酒にも

気軽く酔うような 浮草の踊り子

阿久悠の作詞、井上忠夫の作曲だった。

この歌は、まさしく踊り子を職としている女性の歌。

1番でも2番でも、「このまま別れて行きましょう 短い夢と割り切って

というフレーズがある歌だから、やはり別れを歌った歌。

 

私自身としては、一番せつなかった「踊り子」は、1983年に出た村下孝蔵の曲。

同年に「初恋」がヒットした後に出た曲がこの「踊り子」。

私はこの歌が好きで、よくカラオケで歌ってきた。

 

答えを出さずに いつまでも暮らせない

バス通り裏の路地 行き止まりの恋だから

…と始まるが、のっけから「行き止まりの恋」なものだから、せつなさが歌われている。

つまさきで立ったまま 二人愛してきた

狭い舞台の上で ふらつく踊り子

…と歌っていたが、そのあとは、

若すぎたそれだけが すべての答えだと

気づいた

…と歌っている。

「若すぎた」と結論を出しているから、これまた悲恋だということか。

 

紅白歌Vaundyの「踊り子」から、過去の3曲を思い出した。

このように、「踊り子」という曲を4曲知っていることになるが、不思議なもので、すべて別れにつながる悲しさのある歌だという共通点がある。

「踊り子」=「悲恋」ですか…。

まあ、恋や愛を歌う歌には別れがつきもので、それがあるから歌がインパクトのあるものになるのだけどね。

下田逸郎の曲のように「まわる人生のステージ」で生きている私たちは、

村下孝蔵の曲のように「狭い舞台の上でふらつく踊り子

でもある。

あぶなっかしくても、自分の人生という舞台を踊るように生きていかなくては、ね。

 

「踊り子」というと、このドガの絵も連想してしまう…。

 

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「12月22日」というお気に入りの歌があったなあ ~泉谷しげる「12月22日」~

2024-12-23 19:33:17 | うた

今日は、12月23日。

あと1週間余りで今年も終わりだ。

実は、昨日の日付になるのだが、

「12月22日」

というタイトルの歌がある。

歌っていたのは、泉谷しげる。

あのフォーライフレコードに移ってから初めて彼が出したLPが「家族」というアルバムだった。

その中に入っていたのが、この「12月22日」。

その曲を聴くと、これは泉谷がどこかの会場でギター1本で歌っていたのを録音したものらしい。

アップテンポで、乗りやすい曲だ。

だから、ギターストロークに合わせて、聴衆も拍手をして、会場が非常に盛り上がっているのが分かる。

曲の最初から最後まで、泉谷の元気なボーカルで盛り上がりが続く。

このアルバム「家族」の中で、私はこの「12月22日」が一番好きだった。

アルバムに入っていた歌詞を見てみる。

だが、歌詞を見ても、なぜこの曲が「12月22日」というタイトルなのかは分からない。

当時のラジオ番組では、「12月22日に歌ったから」と、泉谷本人が言っていたように思う。

当時の私の友人の一人は、「別なタイトルを付けて泉谷が歌っていたぞ」と教えてくれたこともあった。

 

もう真偽のほどは分からない。

なにしろ、もう半世紀近くも前に出されたアルバムの中の1曲に過ぎないのだから。

 

まあ、それはともかく、

「良い時ばかりの夢を追うから 隙間だらけのつきあいになる」

「笑うことだけをほしがる人って それほどにやさしくない人さ」

「迷わずに愛せるなんて あまりにも欲がないよ」

このヘンのフレーズ、好きだなあ。

だから、50年近くも前の(1976年のだからね)若いときに聴いていた曲を、それこそ「迷わずに歌えるなんて」、われながら笑ってしまうよ。

 

…ということで、「12月22日」という曲の話でありました。

ところで、この「12月22日」、YOUTUBEで「12月22日 泉谷しげる」で検索してみたら、本人歌唱ではないが、頭部は似ているオッサンがカバーして歌っている映像を見つけた。

だけど、う~ん、これでは乗れないなあ。

今イチなんだけど、泉谷本人ではなくても、どんな歌か分かるから、ありがたい…ということにしておこう。

気になった方は、興味本位でどうぞ検索を。

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X'mas曲集を作る

2024-12-14 22:07:53 | うた

12月と言えば、クリスマス。

この時期になると聴きたくなる歌といえば、山下達郎の「クリスマス・イヴ」

…ついこの前にもこんなこと書いたばかりだな。

今度は、クリスマスソングに焦点を当ててみよう。

 

去年、松任谷由実と桑田佳祐が、「Kissin' Christmas(クリスマスだからじゃない)」なんて曲をデュエットでリリースしたことがあったなあ。

 

せっかくだから、それ以外に自分が知っていて聴きやすいクリスマスソングを集めて、80分のCDにまとめてみよう、と思い立った。

 

この2曲の他に、何を入れよう?

桑田佳祐なら「白い恋人達」、松任谷由実なら「恋人がサンタクロース」は外せないな。

この前、ここで書いた佐藤隆の「12番街のキャロル」もいいなあ。

その歌は、ちょっと悲しいから、「クリスマスが今年もやってくる」と明るく歌う、竹内まりやの「すてきなホリデイ」も入れておきたいな。

「12番街のキャロル」から、「キャロル」と聞くと、稲垣潤一のヒット曲「クリスマスキャロルの頃には」も定番でしょう。

 

クリスマスを陽気に過ごす歌より、悲恋に終わる歌の方がヒットする歌になるのだな。

そんな歌が、辛島美登里の「サイレント・イヴ」だとか、浜田省吾の「MIDNIGHT FLIGHT」だ。

この2曲は、悲恋だけど好きだね。

 

こうやって、書いていると、さすがジイサンの選曲だね。

最初の1曲はともかく、「サイレント・イヴ」を除いて、みんな昭和の曲じゃないか!!?

まあいいや。

 

その時代で探せば、オフコースの歌にも、「Christmas Day」というのがあったな。

ふきのとうのデビューアルバム「歳時記」の中に「メリー・クリスマス」という曲があったのも思い出したぞ、懐かしいなあ。

そして、働き出したころ、何度も聴いた原由子の「はらゆうこが語るひととき」というアルバムの最後の曲は、「Last Single X’mas」という曲だった。

 

同様に、その3年後に「恋におちて」の大ヒットを飛ばした小林明子の1stアルバム「FALL IN LOVE」のラストには、曲名の長いクリスマスの歌があった。

それが、「あなたに素敵なクリスマスプレゼントあげたいな」という曲。

 

昭和でなく平成の時代に出された曲で気に入っているのも入れておこうか。

朝ドラ「舞い上がれ」の主題歌「アイラブユー」を歌ったbacknumberの「クリスマスソング」、いいよね。

安室奈美恵も「Christmas Wish」という曲を歌っていたな。

槇原敬之の「雪に願いを」は何度も聴いたなあ。

ユニコーンの「雪が降る町」も、クリスマスの時期だなと感じさせる歌だ。

 

このくらいでちょうどいいのではないかな、80分のCD-Rに。

そう思って、編集してみたら、残念。

1曲分、容量オーバー。

槇原の「雪に願いを」をカットしたら、今度は2分近く空いてしまった。

そこに、「FOR LIFE CHRISTMAS」から、泉谷しげるがふざけて歌っていた「きよしこの夜」を入れちゃえ。

泉谷は、この歌を

♬きよしこの夜 星は光っちゃう

と歌って終わってしまったから、何秒もかからない。

 

そうやってできた、自作のX’mas曲集の完成。

自分の好みだから、古い曲に傾いているけど、まあいいでしょう。

この齢だから、もうクリスマスだからってときめくこともないんだからね。

1曲1曲に、自分なりの思い出があるから、それを懐かしく思い起こしながら聴くことを楽しむとしよう。

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12月になって聴きたくなる歌たち

2024-12-04 21:34:58 | うた

12月だというのに、雪ではなく雨が降っている。

12月の雨、だね。

 

12月の雨」といえば、ユーミンの楽曲にそういうのがあったよね。

♬雨音に気づいて 遅く起きた朝は まだベッドの中で 半分眠りたい

小学生のころ、当時通っていた小学校で12月1日は、毎年学芸会の日と決まっていたのだが、いつも寒い日だった。

その日は、なぜかいつも雪が降った。

冬になるのだなあ、といつも思っていた。

 

そう言えば、槇原敬之の「冬がはじまるよ」という歌もあったな。

♬冬がはじまるよ ホラまた僕のソバで すごくうれしそうに ビールを飲む横顔がいいね

…この歌が流行っていた頃は、12月になると、ビールじゃなく、うまいのは熱燗でしょ…なんてヤボなことを、私はぶつぶつ言っていたっけ。

 

さて、「12月の雨」「冬がはじまるよ」と歌のことを書き始めたら、毎年12月の今ごろに自分が聴きたくなる歌が、いくつかある。

私でなくても日本で代表的なものには、山下達郎の「クリスマス・イブ」だよなあ。

毎年年末になると、今でもヒットチャートを駆け上がるのだから、大したものだ。

それ以外の、好みの曲を上げてみる。

 

前にも書いたことがあるけれど、この時期ぴったりだと思うのは、「一緒に…」だなあ。

♬偶然の帰り道 意味のない言葉と 白い息の横顔 思い返してる

靴紐のとれた坂道 粉雪が落ちて 君の背中光っていたね

…寒さの中、粉雪が降り始め、歩いている若い二人の情景が目に浮かぶ。

そして、「一緒にいたいとはじめて思った」と、自分の恋心に気づく。

12月この道で 手を繋いで歩きたい

好きだなあ、この歌。

 

俗にいう裏日本の冬の始まりは、雷だ。

太平洋側に人には理解しがたかった、アリスの「冬の稲妻」。

これも前に書いたことがあったな。

関東の人たちには、空気が乾燥して毎日が晴れるのが冬。

だけど、こちらでは、「雪起こしの雷」が鳴ると、雪が降る。

♬あなたは 稲妻のように 私の心を 引き裂いた 蒼ざめた心 ふるわせて 立ちつくすひとり 立ちつくす

「冬の稲妻」は、雨から雪に変わっていくことを告げるのだよな。

今年はまだだけど、雪起こしの雷の音は近いうちに聞くことだろう。

 

12月といえば、クリスマスの月だ。

山下達郎の「クリスマス・イブ

稲垣潤一の「クリスマスキャロルの頃には

辛島美登里の「サイレント・イヴ

この3曲は、私にとってクリスマス3大名曲だなあ。

 

あともう一曲、私の心に残っている曲が、佐藤隆の「12番街のキャロル」だ。

この曲の詩は、谷村新司によるものだった。

谷村新司が歌うバージョンのものもあるのだが、私は佐藤隆が歌う方が気に入っている。

♬あなたのために歌う 想い出のキャロル あなたに聞こえるかしら 私のために歌う 別れのキャロル  12番街に消えてゆく

 

この歌のサビでは、「もっと」が8度も繰り返される。

そこに、思いがあふれてくる。

せめてもっともっともっともっと もっともっともっともっと あなたに甘えたかった 

けれどきっときっときっときっと 希望のない愛だからこそ 噓だけはなかった愛だと信じてる

…うーん、なんだかとても心を打つんだよなあ。

 

こんな歌たちを聴きながら、また今年最後の月、12月が過ぎていくのだなあ…。

 

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美しい夕焼けに、懐かしいうたを思い出す~「幸せになるため」(ハイファイセット)~

2024-06-18 22:23:23 | うた

関東方面では夕方も豪雨で大変だとニュースで言っていた。

だが、当地では、美しい夕焼け空を見ることができた。

夕焼けが燃えて落ちていく…。

夕焼けの美しさに、ふと、若い頃に好きだったハイファイセットの「幸せになるため」という曲が浮かんできた。

 

夕焼けが 燃えて落ちてゆくよ

山並みのむこうへと 馳せる想い

あの人がくらす町もやがて

薔薇色の輝きに染まるころ

 

あの人も仕事を終えて

今ごろ家路をたどっているだろう

離れてるけど 同じ愛見つめ

 

なんてことのない、この歌が好きだった。

そのせいか、こうやって1番はすらすらと思い出せた。

作詞荒井由実、作曲村井邦彦、という当時売れていた二人による歌だった。

編曲は、松任谷正隆であった。

離れて暮らす二人の思いが描かれていた。

 

生きていて ひどく淋しい時

よみがえる横顔が ゆれている

川面に広がる黄昏

もう一度二人で歩いてみたい

迎えに行こう 幸せになるため

 

離れてるけど 同じ愛見つめ

 

曲をよく見てみると、1番と2番では思いを抱いている人や居場所が違うのではないかと思えてきた。

だけど、感傷的になる夕暮れ時に同じ思いを抱く歌なのじゃないかな。

1番では、故郷にいる人が都会にいる人のことを思っている。

2番では、都会にいる人が田舎にいる相手とのことを思っている。

そうやって、「離れてるけど 同じ愛見つめ」ている。

そんな考え方もできる歌だ。

 

ゆったりしたメロディーと歌い上げる山本潤子さんの声、なんとなくしみてくるアレンジ。

懐かしい歌を思い出させてくれた今日の夕焼けだった。

 

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「あゝ上野駅」を井沢八郎の娘、工藤夕貴が歌っている

2024-05-20 20:54:44 | うた

いろいろな人に元気を与える歌って、あるよね。

以前、ここでは「イノキ・ボンバイエ」の曲で元気を出していたと書いたことがあった。

 

苦しいときは、心の中でいつも「イノキボンバイエ」を流してきた ~アントニオ猪木氏の逝去を悼む~ - ON  MY  WAY

30代の働き盛り(?)の頃、仕事上いやなことがあっても、自分ががんばらないといけない場面では、自分の頭の中に、いつも自分を励ます音楽を流していた。その音楽の曲名は...

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ほかにも、元気が出る歌の中に、この歌がある。

それは、井沢八郎が歌った、「あゝ上野駅」だ。

 

どこかに故郷の香りをのせて

入る列車のなつかしさ

上野は俺らの心の駅だ

くじけちゃならない 人生が

あの日ここから 始まった

 

地方から東京に出てきた人間にとっては、望郷の思いがありながらも、前を向いて生きていかなくちゃ、という思いが湧いてくる歌だ。

だが、田舎から都会に出た人でなくても、この歌を聴くと、元気が出るのはなぜだろう。

「くじけちゃならない 人生が」と聴くと、「そうだ。くじけてなんかいられない。とにかく生きていかなくちゃ」と勇気が出てくるのだ。

聴くたびに元気や勇気をもらってきたこの歌を、昨夜、久々に聴いた。

テレビもつまらんものしかないから、とBS1の演歌番組を見ていたら、この曲が流れてきた。

しかも、歌っていたのは女性歌手。

それは、なんと井沢八郎の娘、工藤夕貴であった。

 

工藤夕貴は、かつて歌も歌っていたけれど、俳優のイメージが強い。

近年では、山ガールとして登山番組で見ることの方が多い彼女が、亡き父の大ヒット曲を歌っていることにびっくりした。

そして、その歌をあまりにもうまく歌っているので、二度ビックリした。

曲間のセリフもしっかり感情を込めて言っていた。

なぜ、彼女がこの歌を?

その疑問に応えるように、その歌番組でいきさつを語ってくれていた。

 

歌うきっかけは、一昨年、歌を歌いたくなって、日本歌手協会に入ることになったとき、理事長の合田道人氏から、父井沢八郎の歌を歌うのがいいんじゃないかと課題曲でもらったのが「あゝ上野駅」。

そして、昨年、日本歌手協会のステージに出て歌うと、五木ひろしが思いのほか私の歌を感動してくれたのだそうだ。

五木ひろしは、「あゝ上野駅」が発売された年に上京したから思い入れもあったらしい。

彼は、「この歌は、お嬢さんが歌い継ぐべきじゃないか」と言ってくれた。

そこから、「あゝ上野駅」とカップリング曲「父さん見てますか」を発売する運びとなって今に至っているということだ。

この「父さん見てますか」は、父井沢八郎を歌った歌で、五木ひろしが作曲し、作詞は合田氏なのだそうだ。

本音を言えば、カップリング曲には申し訳ないが、彼女が歌った「あゝ上野駅」の方が、聴きごたえがあって、すばらしい。

あの「あゝ上野駅」が、こうして発売から60年たって、まさか当時の青年歌手井沢八郎の、今や50代になった娘が歌うことになるとは、驚き以外の何物でもないなあ。

でも、それに値する名曲なんだな、やっぱり。

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このごろ「くらし」(小林倫博)という曲が自分の脳内を巡る

2024-05-05 19:52:43 | うた

このところ、自分の体調不良や、若いころから今まで影響を受けたたくさんの有名人の訃報などから、「生きる・死ぬ」ということについて、考える機会も多くなった。

今まで出会った人とのことをいろいろと考えたりする中で、やはり結論は命には限りがあるのということも思う。

 

学生時代に好きだったミュージシャンに小林倫博氏がいる、とはだいぶ前にこのブログに書いたことがあった。

 

小林倫博氏の歌が好きだった - ON  MY  WAY

古いレコードの山の中でも、廃盤になってしまってCDとしての復活もなく、とても残念だったのが、小林倫博氏の曲だった。氏は、鹿児島県出身で、東京の美大を卒業している...

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特に、彼のデビューアルバム「第一印象」が大好きだった。

11曲入ったその1stアルバムの最後の曲に「くらし」というのがあった。

近ごろ、この曲が自分の頭の中でよく流れるのだ。

どんな歌かというと、こんな歌詞の歌だ。

 

   くらし  詞・曲 小林倫博

思い出が一つ消える 月日のせいにする

別れて行ってしまえば なつかしいだけの人

悲しみいっぱい 喜びいっぱい

頭に飾り付け 体で支え くらしていくさ

自分を責めぬよう

 

みんな死ぬ、君も死ぬ 父も母もみんな

ホントに何も 何も残らない

生まれて生きるってこと

 

さみしさはいつも背中にある

風が吹き抜ける

腕伸ばし抑えくらしていくさ 寒くないよう

 

自分がいる 人がいる

季節と時節がある

止めるもの 貧しいもの

暮らしと夢が 

 

両手広げても 飛べはしないよ「

失くすだけだよ

黙り込んでいても 誰一人 救われないよ

いつも笑っていては 君に会ってもつらくなるだけ

いつまでも僕を 疑っていておくれ

それが本当のこと

 

逃げていたって 流れはいつも追いかけてくるさ

言葉はいつも一人ぼっちの首を絞めるさ

さみしさはいつも背中にある

風が吹き抜ける

腕伸ばし抑えくらしていくさ 一人なんだよ

 

…とまあ、こんな歌。

若かった学生時代には、自分だけが一人ぼっちであるような感覚がよくあった。

だから、少しでも自分をわかってくれる人を求めていたような気がする。

それでも、最後に部分に「一人なんだよ」と歌われることによって、最終的には誰でも一人であることを認識させられた。

一人で生きていくという決意をさせてもらえたような気がした。

 

さて、最近この歌が頭の中で流れるのだが、その流れるフレーズは、

みんな死ぬ、君も死ぬ 父も母もみんな

ホントに何も 何も残らない

生まれて生きるってこと

という部分。

みんな死んでしまって何も残らない、なんて歌う人は、当時なかなかいなかったように思うが、それにもまして今になり感じることも多い。。

 

すでに私の父も母も、皆亡くなっている。

歌のとおりになってしまって久しい。

そして今、生まれてきて生きてきて、高齢者の身になって、人生本当に何も残らないのだなあ、ということを結構実感するときがあるのだ。

それでも、自分なりに生きてきた跡があり、その跡のことは自分にしか分からない。

だから、ほかの人には分かってもらえなくても、そうやって生きて命が亡くなるまで生きよう。

さみしさはいつも背中にある

風が吹き抜ける

腕伸ばし抑えくらしていくさ 一人なんだよ

この歌のとおりなのだ。

 

なお、この曲は作者の小林倫博氏が、氏のブログで聴けるように公開している。

1stアルバム(第一印象」)の最後、11番目の「くらし」をポチッとクリックすると、曲を聴くことができます。

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日報抄に、浜田省吾の「アジアの風 青空 祈り part2 青空」の歌

2024-03-11 18:04:29 | うた

昨日も少しふれたが、今日で東日本大震災からもう13年になる。

今日の新潟日報紙の日報抄は、浜田省吾の「アジアの風 青空 祈り part2 青空」の歌を取り上げていた。

その歌の一節には、

氷雨降る早春の午後

押し寄せる高波に砕けた未来

という部分がある。

その一節の前には、

透き通る真夏の青空を

切り裂いた白い光 黒い雨

あれはいつ?

という詞がある。

 

この歌の盛り上がりでは、

あまりに多く血が流された

とてつもない悲しみが襲った

あまりに尊い犠牲払った

充分過ぎるくらい学んだ…違うか?

と歌い上げる。

戦争と原爆、東日本大震災の津波・原発被害が歌われ、おごれる権力者たちの愚行を訴える。

 

日報抄の文章では、浜田省吾(以下、浜省)が広島出身で原発や原爆を取り上げた曲もいくつかあることにもふれながら、大震災による津波で多くの死傷者が出たことや、東京電力福島第1原発の事故で多くの人が被ばくを避けるために故郷を追われたことなども書かれていた。

13年前に原発事故の恐ろしさも思い知ったはずなのに、国は原発を積極的に活用する方針に転換した。

そしてまた、能登地震が起こり、原発事故に対する不安が改めて鮮明になった。

浜省は、「充分過ぎるくらい学んだ…違うか?」と叫ぶように歌っているのが切ない。

そのような内容が書いてあった。

 

そうか。

この日報抄の執筆者も浜省のファンだったのか、と思った。

この曲は、2015年に発表されたアルバム「旅するソングライター」に収録されている。

15のタイトル曲があるが、その中で、14番目が「アジアの風 青空 祈り」で、それは

「アジアの風 青空 祈り part1 風」

「アジアの風 青空 祈り part2 青空」

「アジアの風 青空 祈り part3 祈り」

という3部構成になっている。

日報抄に取り上げられたのは、2つ目の曲だった。

アルバムの中の1曲なんて、ファンでもなければ知らないだろう。

しかも、筆者は、毎年今頃になると、この歌詞が頭に浮かぶのだそうだから、よく聴き込んでいると分かる。

 

さて、浜省は、為政者を糾弾するためだけにこういう歌を歌っているのではないだろう。

そのベクトルは、自分にも、向けられているのが、他の曲を聴いていると分かる。

 

その前のアルバム「僕と彼女と週末に」

で、そのタイトル曲では、

この星が何処へ行こうとしてるのか もう誰にもわからない

権力と権力のSee-Saw=Gameから降りることさえ出来ない

と歌い出すが、後半では、

いつか子供達にこの時代を伝えたい

どんなふうに人が希望をつないできたか

君を守りたい ただひとりの 君を守りたい この手で

愛を信じたい 人の心の 愛を信じたい いつの日か

君を守りたい ただひとりの 君を守りたい この手で

愛を信じたい 人の心の 愛を信じたい 今こそ

…と自分の決意を繰り返し歌っているのだ。

困難な状況に陥っても、自分は、希望をつないで生きていくぞ、と。

人としての愛を信じて生きていくぞ、と。

この力強さが浜省の歌の魅力でもある。

 

件の日報抄は、最後に、

浜田さんの歌声が切ない。まだまだ学ばねばならないのか。

という文章で締めくくられている。

権力のある人たちも、市井の私たちも、学ばねばならぬことがたくさんあることを常に忘れてはいけない。

単に自然災害の恐ろしさを思うだけでなく、3月11日は、確かにそんな意識をする必要のある日だ。

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「大雪のあとで」という古井戸の歌を思い出す

2024-02-06 20:46:17 | うた

昨日から今日にかけて、関東方面での「大雪」のニュースがかけめぐった。

各局とも、いかに雪の影響が大きいかということを映像で見せていた。

 

東京で大雪、というニュースを聞くと、学生時代に聴いた曲で思い出すものがある。

1つは、「22歳の別れ」などのヒット曲があった「風」の曲。

伊勢正三が作詞・作曲した「そんな暮らしの中で」という曲の中の一節だ。

2センチ足らずの雪が

科学の街 東京を

一日でぬりかえる

その変わらぬ雪の色に

人は何を思うのだろう

変わりゆくこの日々に

 

寒さの中に

かくれているのは

暖かさなのだから

 

2センチ足らずの雪が 科学の街 東京を 一日でぬりかえる

というところに、雪になれていない人たちのバタバタする姿を感じたものだ。

実際に目の前で見ていて、新潟県人としては、この程度の雪であわてるなよ、こっけいじゃないか、と思ったものだった。

 

2つ目の曲は、古井戸の「大雪のあとで」という曲。

自分が初めて聴いたのは、エレックレコードから出ていた「第1回唄の市」というアルバムの中に入っていた曲だ。

まだ古井戸は、デビュー前だったらしいが、ここにはステージで歌った曲が2曲収録されている。

1曲目が「花言葉」という曲で、2曲目が「大雪のあとで」という曲になる。

ステージでは、「花言葉」を歌った後、詩の朗読があるのだ。

何という詩かはわからないが、加奈崎芳太郎が「花言葉」を歌った後、「大雪のあとで」に入る前に、仲井戸麗市が詩を朗読する。

これがまた、とてもよかったのだ。

若い頃、初めて聴いて、ジーンとしてしまった。

 

誰かさんとの一年間

百貨店の包装紙に走り書き

「アルゼンチン大使館前 午前6時30分 待合せ」

 

3時間半の待ちぼうけ

一方通行の分厚い手紙 30通

便りのないのは よい便り

でも 頼りないのは僕だったね

 

横須賀線 片道230円の切符を買って

北鎌倉駅下車 由比ガ浜で貝拾い

逗子までとぼとぼ歩き いつの間にか雪になる

 

手袋のない手で 精一杯の粉雪かき集め

ひと言ふた言ひとり言

 

30男に唾を吐き 40男に唾を吐き

大金持ち気取りの50男を横目で流し

二十歳でため息まじりのつぶやきひとつ

 

「私とあなたはこれからもお友達でいようよ」

 冗談じゃねえよ

 

誰かさんとの一年間

百貨店の包装紙に走り書き

 

一週間我慢して 我慢しきれなくなった8日目の朝

408-7937へ 408-7937へ

居留守 居留守

 

「アルゼンチン大使館前 午前6時30分 待合せ」

 

10本100円で摘んできた人工お花畑の花束抱えて

あさって君に会えますか

あさって君に会えますか

 

会ってさよならが言えますか

 

 

詩の後ろでに流れる「さよなら さよなら」のくり返しが切なさをつのらせていき、ギターのソロが寂しく響く。

そして、2曲目の「大雪のあとで」が始まる。

十年ぶりの大雪が積もって

僕の体はすっぽりと埋もれた

アルバムでは、感動的な2曲が終わると、万雷の拍手が起こっていたのが収録されていた。

 

東京方面が「大雪」と聞くと、今でもこの古井戸の曲を思い出してしまう。

ちょっと検索してみたら、YOUTUBEでこの曲がアップされているのを知った。

あまりいい録音状態とは言えないが、関心のある人は、「花言葉」、詩の朗読、「大雪のあとで」ひっくるめて聴いてほしいな。

 

私は、レコードで持っていたのだが、10年余り前、ブックオフでCD化された「唄の市」が安売りされていたのを見かけて、思わずこれも購入してしまった。

 

さて、大雪のあとで、実際に怖いのは冷え込んで路上にとけた雪が凍って滑ることだ。

どうか、そちら方面の皆様、お気をつけくださいね。

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「ザ・カセットテープ・ミュージック」~「浜田省吾について」~を見た

2024-01-29 21:22:37 | うた

最近のテレビ放送は、スポーツ中継以外、これは見てみたいと思う番組があまりない。

夜など、地上波はバラエティばっかりだし、BSもドラマの再放送や懐メロとなってしまった歌番組ばかりで、食傷気味。

 

そんななかで、珍しく、放送があれば見たいなと思う番組がある。

BS12トゥエルビの番組で、このチャンネルはほとんど見ないのだが、これだけは別である。

それは、日曜夜9時30分からの「ザ・カセットテープ・ミュージック」という30分番組である。

 

ザ・カセットテープ・ミュージック | 音楽番組(演歌・歌謡) | BS無料放送ならBS12(トゥエルビ)

80年代にカセットテープで聴いていたあの名曲。マキタスポーツとスージー鈴木の「音楽ずきおじさん」が独断で熱く語ります。

BS12トゥエルビ

 

紹介文は、

「80年代にカセットテープで聴いていたあの名曲。マキタスポーツとスージー鈴木の「音楽ずきおじさん」が独断で熱く語ります。

そう。この番組を気に入っているのは、音楽番組なんだけど扱うのが今日的な音楽ではなく、カセットテープで音楽を聴いていた時代つまり80年代の曲が中心なのが、理由の一つである。

2017年の秋から始まったということだが、何度か番組が終わったり再放送を繰り返したりしている。

とにかく、扱う曲は自分がよく知っているかつての時代のもので、その曲たちをマキタスポーツとスージー鈴木が、自分たちの独特な(独断的な)音楽の視点から分析していくので、見ていて(聴いていて)、非常に面白い。

 

昨日の夜は、「浜田省吾について」だった。

浜田省吾は、私が好きなアーティストである。

今回の番組では、マキタスポーツが浜田省吾の曲について、独自の分析をしていて楽しかった。

1つ目の視点は、メロディーライン。

歌い方に「ミファミレド」がよく使われているというのだ。

「愛という名のもとに」や「風を感じて」などを紹介しながら、歌じりに「ミレド~」が入り、こぶしのように歌うのが特徴的だというのだ。

そこにスージー鈴木が突っ込んで、単純に「ミファミレド」ではなく「ミファミレミレド」と歌っているなどとより正確にからんでいたのが、さすが音楽評論家と思った。

 

2つ目の視点は、浜田省吾の歌は、歌詞の発音が日本語も英語も大事にしてうたっているということ。

日本人のロックには、英文交じりの歌詞が多い。

そこを、サザンの桑田や他のアーティストは巻き舌風に歌うのが一般的だ。

だが、浜田省吾は、歌詞の日本語の部分ははっきりした音で歌っているし、英語の部分はしっかりと英語的な発音で歌っていると、マキタスポーツは指摘していた。

ああ、なるほど、確かにそうだ。

今まで自分では気づかなかったが、巻き舌風に歌うのではないから、浜田省吾の歌は聴きやすくていいと思っていたことは確かだ。

マキタスポーツは、浜田省吾には、日本語で正しく伝えたいという気持ちがあるのではないか、と言っていた。

そして、日本語も英語の音韻も大事にしたいというのだろうという意見に、なるほどと合点した。

 

3つ目の指摘は、浜田省吾の根底にある音楽的なもののことだ。

マキタスポーツは、浜田省吾の音楽は、無意識にだろうけど、アメリカ系の白人音楽の影響が強く表れていると言っていた。

具体的に言えば、それはアメリカのブルーグラスやカントリーの歌だと指摘していた。

その証拠として、1970年代のジャクソン・ブラウンの曲などを披露して聴かせていた。

ああ、なるほど、この曲調はよく似ていると思って聴いた。

 

見ていて、「へえ~」と思う、新たな浜田省吾の歌についての発見(?)だった。

マキタが悪乗りして「ハマショウ月」なんて「お正月」の替え歌を浜田省吾風に歌うのも、この番組ならではの楽しいところではあった。

 

それはともかく、この番組は真面目に見る必要はないのだが、毎回視点がユニークだ。

毎週ではなく、月に2回くらいの放送のようだが、見逃し配信はTVerでやっているというので、興味のある方は「ザ・カセットテープ・ミュージック」のホームページからどうぞ。

 

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