ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

大晦日の夜を迎えて

2021-12-31 20:19:21 | 生き方
大雪のニュースが、今夜大晦日の最初の話題になっていた。
今回の積雪は、新潟県では山間部に集中しているようで、私の住んでいる平野部では10cm近くの積雪であった。

幸い、まだ除雪車が出動するほどの雪の量ではなかった。

とはいっても、首都圏でこれだけの積雪となれば、きっと大雪で交通網がマヒするのではないだろうか、と思う。

2021年は、元旦つまり初日から大雪となったのだった。
それがまた、年末、大晦日も大雪だ。
雪に始まって雪に終わっている。

始まりから終わりまでということでは、COVID-19感染症禍もそうであった。
第〇波が…と言われ、秋の終わりにはだいぶ落ち着いたのだが、年末の今、またオミクロン株によるものと思われる感染拡大が広がりつつある。

さてはて、この1年、世間ではいろいろなことが起こったが、私にとって、いったいどういうことが重大ニュースとなるのだろう?

…家族に、何も起こらなかったことが一番かな?
8年前の大晦日、入院中の娘を見舞った後、病院を出て病室を見上げたことが忘れられないから、そのことが一番に思えてしまうのだ。

いや、それでは、重大ニュースにならないか。
あえていえば、で挙げてみる。
① 1月末から3月まで、2か月間の現場復帰で、26年ぶりの職務についた。
② 4月に、燕さくらマラソン大会に出場し、1年3か月ぶりにレースを楽しんだ。
③ 12月、サッカーJ2アルビレックス新潟のホーム戦全戦スタジアム観戦。見た試合11勝6敗4分けで、来季に期待。
その他、
〇 8月、千葉在住の弟が定年退職を機に、習得した中国語を生かし、上海に渡り再就職。
〇 12月、解答して応募した漢字パズル誌で電気炊飯器が当たった。

…ぱっとしないでしょ?
でも、まずは1年を無事に生き抜いた。
そのことを喜ぶことにしよう。

昼に食べた年越しそば。
とろろの顔、ネギの髪、なるとの目、七味の口…
遊んでみたよ。


さて、皆様、1年お疲れさまでした。
それでは、よいお年を!
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今年の走り納め

2021-12-30 20:35:42 | RUN
2日前には、降雪や冷え込みで、近くではこんな光景も見られた。


つららがすごい。
寒さが厳しいということ。
だから、道路も雪で白くなっていたが、当然のように圧雪で滑りやすくなっていた。

今朝は、昨夜来の雨で雪がかなりとけていた。


そして、午前中に雨が止んだ。

道路も、見てみると、あの圧雪がだいぶとけてなくなっていた。


路上は、気をつければ走れるのじゃないかな?
そう思って、急いで着替えて走りに出た。
この1週間、体調自体は悪くはなかったのだけれども、天候がよくないので走っていなかった。

歩道に雪が残っているところもあったが、大体は路面が露出していて、そんなに走りにくいわけではなかった。
気温は4℃。
走っているうちに雨が降るかな?という空模様。
そう思って、2㎞近く走っていると、やはり雨が降ってきた。

今日走っていたコースは、雨を避けながら走る方法があった。
商店街のアーケードの下を走るのだ。
幸い田舎都市であり、寒いので、人通りは極端に少ない。
だから、信号で立ち止まったりはしたけれど、アーケードの途切れるところまで走った。
30分くらいで、雨は上がった。
だが、まだ6kmも走っていないのに、こっちの息が上がった。
ただのジョギングをしているだけなのにちょっぴり苦しくなって、足を止め数秒休んで、また走り出した。

そんなふうに足を止めることが3度あったが、とりあえず10kmのジョギングをすることができた。

最近はこんな体調なのだが、やはり走ることは気持ちいい。
走ることが好きだ。

午後からは、さらに悪天候になった。
明日は、新潟県内すべての場所で、朝から晩まで雪の予報となっている。
今日が、今年の走り納めだったな。

さて、2021年も、残すところ、あと1日だ。
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日本三百名山人力踏破を達成した田中陽希氏の特番を見る(「グレートトラバース3」)

2021-12-29 22:00:04 | ひと
今夜は、午後7時30分から、NHKBSプレミアムの「グレートトラバース3『日本三百名山 全山人力踏破 達成スペシャル』」を見た。
番組では、当事者の田中陽希氏がゲストで出ていた。
自分の力だけで、日本の三百もの名山を登るだけでもすごい。
なのに、山から次の山に行くのも徒歩などによるのだから、1日に何十kmも歩いたり、疲れていてもまた次の山目指して行ったりするなんて、信じられない。
さらに、海を渡るときは、カヌーを使って漕いで海峡を渡るのだから、陽希氏は鉄人だよなあと思う。

NHKの番組では、1~2座の山を登ったときの映像を15分間にまとめた「ミニ盤」の番組をよく見てきた。
朝の8時前や午前11時台にこの番組を見られるのは、定年退職して時間に自由が生じたからでもあった。
山野草の花見が好きなわれわれ夫婦にとって、この番組を見るのは、いつも楽しみとなった。

特に、この「グレートトラバース3」に挑戦するようになってからは、落ち着いて(?)番組を見るようになった。

2018年1月に鹿児島・屋久島の宮之浦岳から始まって、今年の8月2日に北海道・利尻島の利尻岳を登頂するまでに、要した時間は1310日。
総移動距離は2万km以上で、日本から地球の裏側のアルゼンチンに達するくらいだという。
累積標高差は、50万mにもおよび、宇宙ステーションより10万mも高く(?)まで行ってしまうのだと。
そんなふうに、今日の番組では紹介されていた。

4年にも及ぶこのチャレンジの途中では、地震あり、骨折あり、長雨あり、新型ウイルス感染症ありで、本当に多くのアクシデントに見舞われた。
それでも、山や自然を愛し、行く先々で出会う人々に支えられ、この偉業を達成した。
番組を通じて、このチャレンジをしていくうちに、困難を克服していくだけではなく、陽希氏が人間的にもすごく成長していったのがよく分かった気もした。

ところで、番組を見ていつも思っていた疑問。
それは、これを撮っているカメラマンもすごい!どういう人が付いているのだろう、ということ。
カメラマンは、自由に活動する田中陽希氏の邪魔にならないようにしなくてはいけないし、その山の特徴や過酷さ、彼の挑戦している姿などを見せなくてはいけないから、大変だ。
今日の番組では、そのカメラマンも、やはり世界の高山を登頂した経験の豊富な人たちであったということがわかった。
ただ山岳経験が豊富と言っても、命がけの撮影が多いと改めて思った。

さて、日本百名山、二百名山、三百名山と、何年も個人での山への挑戦をしてきた陽希氏は、今後本来のチームに戻るのだという。
なるほど、彼の肩書は「プロアドベンチャーレーサー」だった。
世界各地で、チームで冒険に挑戦するレースはたくさんある。
今後、日本人チームの陽希氏の新たな活躍を期待しよう。
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帝京長岡高、高校バスケウインターカップで決勝進出!

2021-12-28 20:11:37 | 新潟
冬の高校スポーツの大会が、いろいろと開かれている。
先日は、全国高校駅伝があり、男子は中越髙が25位、女子は十日町高が33位だった。
持っている力は出したと思う。
今日は、ラグビー。
初出場の開志国際高は、尾道高に、5-35で敗れた。
意地の1トライゲット。
強くなるのは、これからだ。

全国レベルと言えるスポーツは、サッカーとバスケットボールだ。
今日初日だった、全国高校サッカーは、昨年一昨年と帝京長岡高がベスト4やベスト8に入っている。
今年は、31日に強豪県の鹿児島・神村学園髙と初戦を戦うが、どうなるだろうか。
過去2年のような快進撃を期待したい。

さて、バスケットボールは、女子が2校、男子が3校も出場している。
女子の新潟中央髙、開志国際髙、そして男子の北越髙は、いずれも勝って2回戦に進んだのには、びっくりした。
ただ、2回戦で3校ともすべて負けてしまったけれども、いずれも相手が強豪校だった。
男子の第2代表だった開志国際高は、過去に初出場でインターハイを制したこともあったが、今回は抽選運が悪く、初戦で強豪福岡大大濠髙に当たって敗れてしまった。

順調に勝ち進んでいるのが、新潟県第1代表の帝京長岡高だ。
夏のインターハイでは、決勝で敗れたものの、全国で準優勝していたので、今大会期待して見ていた。
だが、初戦からハラハラする試合展開が続き、なんとか勝ち上がってきたという印象で、今日の準決勝を迎えた。

対戦相手は、福岡県第1代表の福岡第一髙。
2回戦では、新潟県第3代表の北越髙に勝っている。
帝京長岡高は、試合開始から劣勢となった。
一時点差が開いたが、なんとか14-20と6点差で第1クオーターを終えた。
第2クオーターは、互角の展開となり、28-34と6点差のまま、ハーフタイムに入った。
このまま負けてしまうのかなと思いながら、ライブ配信の映像を見ていた。
だが、いい具合に予想を裏切ってくれた。
第3クオーターは、次第に差を詰めていき、とうとう逆転。
このクオーター20-8と、逆に6点差をつけて、48-42で第4クオーターに入った。

勝ちを急いで追いつかれたり逆転されたりしなければいいが、と思っていたら、案の定追いつかれてしまった。
だが、そこから最終盤を迎えると、よく守って積極的にボールを奪取し、最後は決定的な2ゴールを決めて突き放した。
67-61で、福岡第一高を振り切り、決勝進出を決めた。

インターハイに続き、ウインターカップでも決勝進出は、立派だ。
決勝の相手は、開志国際高を倒した以降も勝ち進んだ福岡大大濠髙。
ここまできたら、インターハイで果たせなかった全国優勝を、ぜひとも成し遂げてほしいと思う。

Bリーグで20連敗中のアルビレックス新潟BBや、Wリーグで16連敗中のBBラビッツなど、暗くなっている新潟のバスケットボール界に、明るい輝きを照らしてほしいと思う。
新潟県勢のインターハイ優勝は、過去に3度優勝した三条髙はじめ数校あったが、ウインターカップは優勝校はまだないはずだ。
明日の決勝も、必勝!帝京長岡高!!
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滋賀県が積雪量ランキングで№1だったとは 

2021-12-27 20:33:16 | 自然・季節
当地の積雪は、5~10cmというところ。冷え込んではいるが、平野部のこの辺は、大した積雪にはなっていない。
ところが、今回は、近畿地方で大雪となっている。
特に、彦根市では73cmと報道されていた。
彦根って、あの「ひこにゃん」で有名な彦根城のある場所ではないか。
2010年には、彦根城に行って、ひこにゃんも見てきたのだった。

懐かしいなあ…。

おっと、それはおいといて…。

国道8号線では、大雪の影響で、午前中、大型トラックが走行できなくなり、2キロ以上にわたって車の立往生となったりしてしまったのだという。
午後には、市を走る近江鉄道の踏切で、27日午後、試運転中の列車が脱線したそうだ。
大雪の影響で始発から運転を見合わせていて、試運転をしていたら脱線したという。
現場付近では当時60センチ以上の積雪があり、線路にも雪が降り積もっていたという。

まあ、いずれも、けがをした人はいなかったのが幸いではあったけれども、大変な状況になっている。
いつも雪害を被っている地方の人間として、つくづくその大変さに同情いたします。

ところで、今回「!?」と思うのは、大雪で名前が出る場所が滋賀県だということだ。
滋賀県と大雪は、結び付かない人が多いと思う。
かくいう私もそうだったのだが。

新潟県は豪雪のイメージが強いし、青森県の酸ヶ湯あたりも、初冬には必ずドカ雪のニュースが流れている。
そこで、気象庁のデータを見て過去の積雪量ランキングを調べてみると…。



な、なんと第1位は、滋賀県ではないか!
その場所は、滋賀県でも花の名山として知られる、伊吹山だ。


伊吹山も、2012年に訪れたことがある。

【イブキジャコウソウ】
たくさんの花を見ることができて、幸せな時間を過ごしたのだった。

さて、その積雪量第1位の伊吹山では、1927年の2月になんと11m82cmもの積雪を記録している。
新潟県内の各地も、ランキングの10位までに7地点も出てきてはいる。
豪雪を記録した土地は県内に広くあると言えるのだが、単純に積雪量では滋賀県の伊吹山の記録には遠く及ばない。

そんなことで、あの辺りも雪の降る可能性のある土地柄なのだと知った。

ともかく、早くこの寒波が去って、雪害がこれ以上広がらないことを願うしだいだ。

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年賀状を書き始めて…

2021-12-26 22:35:04 | 生き方

年賀状を書くシーズン。
いつもながら、クリスマスを過ぎないと新年を迎える気分になれない私。
郵便局から、早めに投函を、と呼び掛けられるが、生来の怠けもの根性は、尻に火が付かないと払拭できない。
まあ、集中力不足と言えるのかもしれない。

年賀状をやり取りしている宛先には、教え子の名前も多い。
23歳から育業に関わったが、あの時は、初っ端から小学校1年生が相手だった。
あの時には、23歳と6歳の対面だった。
17歳の年の差は、あの頃は、完璧に大人と子どもだった。
でもね、64歳という年齢になってみると、あの頃17歳の年の差があった子どもたちも、今は、もう47歳になっているというわけだ。
ちなみに、その翌年に正式採用になって受け持った子どもたちが、小学4年生だったから、今は49歳ということになる。
ということは、あの頃の子たちが、今はみんな「アラフィフ」になっているということか。
ということは、彼らは、完全に若者ではないということだ。
私と出会っていたころには、若者どころか、完全に子どもだったのに。
これが40年という時の流れか。
すでに、彼らの子どもたちが、私と出会った頃の教え子たちの年齢を超えてしまっている場合が多い。
なんだか、驚きでしかない。

年賀状をやり取りしている人はまだ様子が分かるからいいけれど、そうでない人は、今どのようにして過ごしているのだろう…???
別れるときには、私はいつも、たくましく生きて行ってほしいと願った。
それを口にして、涙したこともあったよなあ…。
みな、しぶとく(?)生きていてほしいなあと思う。


…年賀状を書きながら、そんな物思いにふけってしまった。
いかん。
さすが(?)集中力不足の私。
こんなことでは、年賀状はいつ書き上がるかなあ…。
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本格的な雪の季節の始まり

2021-12-25 22:14:21 | 自然・季節
あまりにも頻繁に言われると、どうもおどかされているような気になる。
数日前から、ニュースや天気予報で、
「数年に一度クラスの強い寒気が流れ込む」
「大雪になる恐れがある」
などと、ずっと言われていたからだ。

確かに、今日は、午前中から風雪が強まってきてはいた。
だが、当地では、降雪の具合もさほど強く感じはしなかった。

夕方の外の様子は、まだこんなだった。


まだ一面真っ白という様子ではなかった。


ただ、夜になって、冷え込みが厳しくなってきたように思う。
また、風の音も強くなり、先ほど見に行ったら、積雪も増えていた。

そして、30分ほど前には、大雪警報も発令された。

いよいよ本格的な冬の始まりか、と思う。
昨シーズンは、元旦になってから一気にたくさんの雪が降った。
今はまだ12月だからと、自分の中では油断している心があるような気がしている。

だが、考えてみれば、元旦まであと1週間。
去年大量に降った日まで、わずか1週間しか違わない。
油断していてはいけないな。

冷たい風が吹いているということは、いろいろと凍り付く可能性も高いということだ。
雪だけでなく凍り付くことに対しても気を付けなくてはいけない。
ついに本格的な雪のシーズンがやってきたな。
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クリスマスのごちそう

2021-12-24 22:14:31 | 生き方
クリスマス・イブ。
山下達郎が歌う少し前あたりから、この日がいつの間にか若い恋人同士のための日みたいになってしまったのが、残念だ。
昔勤めていたまだ若いころ、勤め先で、クリスマスは、キリスト教徒にとって、家族で過ごすことを大切にしている行事なのだということを、何度も聞いた。

教えてくれたのは、当時のAET(Asistant English Teacher;その頃は、ALTとは言わなかった)の方々。
英語と共に、英語圏の国に住む人たちの文化をいろいろと教えてもらったものだった。
家族でごちそうを食べるが、特にクリスマスケーキを食べるわけではない。
家族同士で、クリスマスプレゼントを交換する。
クリスマスプレゼントは、親から子どもへ送るばかりではなく、子どもから親へも送るのだという。
日本では、クリスマスよりも新年の方が重視されているので、そんな話は、当時まだ新鮮であった。

クリスマスケーキを食べる、食べないの違いはあれ、それでも共通点は感じた。
家族でごちそう、というのは日本でも今でこそ当たり前になっている。
だが、われわれが子どものころは、クリスマスケーキこそがごちそうだった。
日常の食事とは違う豪華さが、そこにあった。
めったに食べられないケーキ。
しかも、大きなホールケーキ。
それを家族で分けて食べることは、家族のきずなを強める、年に1回のとても大切な行事だったと、思い返している。

さて、今日のわが家。
チキンの揚げ物もあったが、メインは、イナダの刺身。
スーパーに買い物に行ったとき、1尾280円でしかも刺身用だとの表記。
これを見て、買おうと言った娘が、家で久々に包丁をもってしっかりさばき、4柵作ってくれ、そこからさらに刺身にした。



ケーキは、ロールケーキだったが、隣には妻が作った牛乳かんが添えられた。

中にはイチゴが入っていたが、ずいぶん粒が小さくすっぱさもあった。
これは、半年余り前に家の庭で取れた小さなイチゴたち。
冷凍保存していたのだそうだ。
スーパーで売られていたイチゴは、大きかったしきっと甘かったのだろうけれど、あまりにも高い値段がつけられていたので、冷凍室から取り出したものを使うことにしたのだそうだ。

クリスマス・イブ。
こうして、高価でも豪華でもないし、プレゼント交換もなかったけれども、気持ち的にはとてもゆたかな夕食となったことで、家族に感謝。
出来合いのものでなく、自分たちで工夫して作って家族で食べるのは、やはりごちそうと感じた夜だった。
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誠意感じる福田晃斗選手の退団コメント

2021-12-23 20:55:44 | アルビレックス新潟
J2アルビレックス新潟の福田晃斗選手のJ1サガン鳥栖への移籍が決まった。
彼は、もともとサガン鳥栖に2013年から2019年まで在籍していた選手だ。
だから、そのチームへの思い入れは大きいものがあるだろう、そう思った。
だが、その鳥栖への思い入れだけではない、新潟への感謝の思いと誠意も、退団コメントから伝わってきた。

■コメント
アルビレックスファミリーの皆様へ


コメントの最初の言葉は、「アルビレックスファミリーの皆様へ」だ。
「アルビレックスファミリー」と書いてあり、すぐにコメントが始まらないところが、まず目を引いた。

このたび、サガン鳥栖に移籍することになりました。この場をお借りして、ありのままの気持ちをお伝えしたいです。この決断は簡単ではありませんでした。本気でアルビレックス新潟をJ1に上げたいという気持ちがある中で、来年30歳になることを考えると、自分のキャリアを意識する必要もあると感じました。

そうだよな。
年齢のことがある。
選手生命は短いのだ。
しかも、J2よりもJ1でプレーする方が、高キャリアとなるものな、と納得する。

移籍すると決断し、まず頭に思い浮かんだことは、アルビレックス新潟に関わる皆様への、心からの感謝です。チームメイト、監督、チームスタッフ、クラブスタッフの皆様、そして、多くのサポーターの皆様、パートナー企業、後援会の皆様、心からありがとうございました。

まずは、アルビレックス新潟に関わる人たちすべてを対象に、感謝の言葉を述べている。
誰に対しても、取り上げ残しがないように考えている。

チームメイトは本当の家族のようで、感謝をしてもしきれない選手ばかりです。人生でこれ以上にない、最高の仲間に出会えました。心から大好きです。

そして、チームメートに対するいつわりのない気持ちが綴られる。
「本当の家族のよう」「感謝をしてもしきれない選手ばかり」「人生でこれ以上ない最高の仲間」「心から大好き」と、チームメートが聞いて泣きたくなるような言葉が続く。

アルベルト前監督は、怪我をしている中でも、常に自分を信頼し、待ち続けてくれました。チームの雰囲気が良かったのは、前監督のチームづくりのおかげだと思います。

そして、監督への感謝。
監督のチーム作りの基本で大切にしたことや、けがをした自分を待ってくれたことを、福田選手自身が感じたままに述べている。

メディカルスタッフの皆さんがいなければ、今の自分はありません。大怪我をして辛いときを過ごす中で、常に励ましとサポートをいただきました。早く復帰したくて、心が落ち着かず、当たってしまうときでも、常に自分を温かく包み込み、守ってくれました。

忘れてはいけないのは、大けがをした彼を、復帰まで支えたメディカルスタッフたち。
けがをしてつらい思いをしたこと、当たってしまうくらい焦る気持ちがあったことまで隠さずにさらけ出している。
いかに励ましやサポートが温かいものだったかが伝わってくる。

そして、サポーターの皆様。

まず、新型ウイルス禍にも関わらず、デンカビッグスワンに毎試合、多くの方々が応援に駆けつけてくださいました。いつもスタジアム全体を見渡して、感動していました。あれだけ多くのサポーターの皆様の前で、サッカーができるアルビレックス新潟の選手は本当に幸せだと、心から思います。

できることなら、皆様の前で直接、感謝の気持ちを伝えたいのが本音です。この場をお借りして、心から感謝を伝えさせていただきます。


忘れてはいけないサポーターへの感謝。
スタジアムに来場するサポーターの数の多さと応援をあげ、スタジアムでのあいさつができなかったことを残念に思いながら、心からの感謝を伝えようとしている。

アルビレックス新潟でプレーできたことに誇りを持ち、これからのサッカー人生を歩んでいきたいと思います。

本当にありがとうございました。

サガン鳥栖に戻る、と言っても、チームは今揺れている。
監督は交代するし、選手のチーム外への移籍もいろいろありそうだ。
でも、福田選手のプレーは、間違いなくJ1にふさわしいレベルのすごいものが多かった。
新潟に来たのもいろいろな事情があったのだろうけれど、過去は消しようがない。
それよりも、「アルビレックス新潟でプレーできたことに誇りを持ち、これからのサッカー人生を歩んでいきたい」という言葉の通り、堂々とこれからの人生を歩んでいってほしいと思う。

いままでありがとう。
そして、これからもがんばれ、いっそう輝け、福田晃斗選手!



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ゆっくり走ることにしよう

2021-12-22 20:38:02 | RUN
長距離走の記録を上げるためには、ジョギングばかりしていてもだめだ。
ただ走るだけでなく、追い込むような要素がなくては、記録の短縮にはつながらない。

そんなことが様々なランニング本に書いてあったし、マラソンを普及する立場の人もそういうことを必ず言っていた。
だから、自分も、ビルドアップ走やペース走、ガチユル走などを取り入れてきた。
それなりに、記録向上につながってきたから、効果があった。

70歳代でも自分を追い込んで好記録を出している人がいるということを見聞きして、自分もそうありたいと思ってきた。
だが、今年、特に今年後半になって、そういった追い込む走りが体に合わなくなってきた。
体に合わないというのは、そんな走りをしていると、結構胸が苦しくなることが増えてきたのである。
走っているときの心拍数も前に比べて高くなっている。
前にはなかった、苦しくても動悸が高まるということが、今は時々起こる。
走るのをやめて、歩いたり立ち止まったりして少し間を置けば、また普通に走れるようにはなるのだが。

だから、走ることに関して、無理をして記録向上を求めることはやめる時期に来たのかな、と思うようになった。
これからも、走り続けたいからだ。
今後無理をしないで、純粋に走りを楽しむことを大事にしていきたいと思っている。

そんなことで、今日は10kmを走ったが、途中からウオッチを見て心拍数が上がらないように工夫しながら走った。
心拍数が上がると、歩幅を小刻みにして、走るペースを落としながら走ってみた。

タイムは確かに悪くなるが、これも一つの今後の走り方だと思う。
今後も走り続けたいから、これからはゆっくり走ることにしよう。
ゆっくり行こう。
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