レベッカをよく聴いていた、というのを前回書いた。
あの年は、単身赴任だったが、大雪の年だった。
あれほどの大雪には遭遇していない。
改めて、豪雪地帯の雪のすごさを感じたのがその年。
レベッカの「WHITE SUNDAY」という曲は、その頃を思い起こさせる。
さて、それから30年。
1年1年その時その時を、懸命に、とまでは言わないが、それなりに生きてきたと思っている。
十年前の年に、母を亡くし、これで老親の介護はなくなった、と思った。
その後、2,3年のうちに娘や息子が社会人になったので、あとは自分たちが元気に過ごせばよいと思っていた。
ただ、娘が病になるとは思わなかった。
昨年も、一昨年も、12月31日には、娘の病のことを思いながら、1年の終わりを記したのだった。
今、娘は、ステッパー(健康器具)を踏んでいる。
今日は、350回やった後、「もうちょっとやろうかな」と言って、400回行っていた。
今年の一番のよかったことは、娘に全身痙攣の発作が起こらなかったことだ。
だから、こうしてステッパーを踏んで、足腰を鍛えることもできている。
あまり無理はさせないようにしてはいるが、1日1回から2回は、これを行うことができている。
昨日は、終日、時々「マッサン」の総集編を見ていたが、どんな話だったか、まったく覚えていないと言う。
毎日見ていた時期があったから、歌などすぐに口ずさめるのだが、まだしっかりした記憶として積み上がりはしないのが分かる。
それでも、「今、アルビにどんな選手がいるのか、全然わからない。」などと言っていた時に、今季の総集編のアルビ雑誌を見せると、表紙の選手を見て、指宿、山崎…などと、言い当てることができた。
意識に上らなくとも、習慣化すると、分かるところが出てくるのがうれしい。
また、ユーモアのセンスは以前からあったので、時折笑わせる発言をして家族を和ませてくれるところもある。
困ってしまうのは、
「○○って、いつからこうなったの?」
「△△って、なんだっけ?」
と、いろいろ尋ねることがある時だ。
「それって、昨日も教えたばっかりだよ。」
「…そうだっけ?」
という会話が多くなってしまうのだ。
毎日それが続くとがっかりすることが多い。
これは、一日中娘のそばにいる妻が、最もたくさん味わっている。
でも、時々は落ち込みながらも、明るく過ごそうとしている娘の姿に救われている。
もともと、暗く落ち込むのは嫌いな娘だったのだ。
さて、また1年が終わる。
暗くどうなるかわからなかった一昨年、
それを思い出しながら、一年前を思い返していた昨年。
そして、ただただ毎日があっという間に過ぎたなあ、と思っていられる今年。
周囲の状況が少しずつよくなっている、と思っている。
私の体は、11月以降歯科医と整形外科医に通院が欠かせない。
歯や頭痛の改善が求められているけど、まあいいことにしよう。
とりあえず、また1年間生きてきた。
これを読んでいる方も、1年間お疲れさまでした。
来年が、誰にとっても、さらによい年となりますように。
あの年は、単身赴任だったが、大雪の年だった。
あれほどの大雪には遭遇していない。
改めて、豪雪地帯の雪のすごさを感じたのがその年。
レベッカの「WHITE SUNDAY」という曲は、その頃を思い起こさせる。
さて、それから30年。
1年1年その時その時を、懸命に、とまでは言わないが、それなりに生きてきたと思っている。
十年前の年に、母を亡くし、これで老親の介護はなくなった、と思った。
その後、2,3年のうちに娘や息子が社会人になったので、あとは自分たちが元気に過ごせばよいと思っていた。
ただ、娘が病になるとは思わなかった。
昨年も、一昨年も、12月31日には、娘の病のことを思いながら、1年の終わりを記したのだった。
今、娘は、ステッパー(健康器具)を踏んでいる。
今日は、350回やった後、「もうちょっとやろうかな」と言って、400回行っていた。
今年の一番のよかったことは、娘に全身痙攣の発作が起こらなかったことだ。
だから、こうしてステッパーを踏んで、足腰を鍛えることもできている。
あまり無理はさせないようにしてはいるが、1日1回から2回は、これを行うことができている。
昨日は、終日、時々「マッサン」の総集編を見ていたが、どんな話だったか、まったく覚えていないと言う。
毎日見ていた時期があったから、歌などすぐに口ずさめるのだが、まだしっかりした記憶として積み上がりはしないのが分かる。
それでも、「今、アルビにどんな選手がいるのか、全然わからない。」などと言っていた時に、今季の総集編のアルビ雑誌を見せると、表紙の選手を見て、指宿、山崎…などと、言い当てることができた。
意識に上らなくとも、習慣化すると、分かるところが出てくるのがうれしい。
また、ユーモアのセンスは以前からあったので、時折笑わせる発言をして家族を和ませてくれるところもある。
困ってしまうのは、
「○○って、いつからこうなったの?」
「△△って、なんだっけ?」
と、いろいろ尋ねることがある時だ。
「それって、昨日も教えたばっかりだよ。」
「…そうだっけ?」
という会話が多くなってしまうのだ。
毎日それが続くとがっかりすることが多い。
これは、一日中娘のそばにいる妻が、最もたくさん味わっている。
でも、時々は落ち込みながらも、明るく過ごそうとしている娘の姿に救われている。
もともと、暗く落ち込むのは嫌いな娘だったのだ。
さて、また1年が終わる。
暗くどうなるかわからなかった一昨年、
それを思い出しながら、一年前を思い返していた昨年。
そして、ただただ毎日があっという間に過ぎたなあ、と思っていられる今年。
周囲の状況が少しずつよくなっている、と思っている。
私の体は、11月以降歯科医と整形外科医に通院が欠かせない。
歯や頭痛の改善が求められているけど、まあいいことにしよう。
とりあえず、また1年間生きてきた。
これを読んでいる方も、1年間お疲れさまでした。
来年が、誰にとっても、さらによい年となりますように。