ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

また一年が終わる

2015-12-31 17:24:11 | 生き方
レベッカをよく聴いていた、というのを前回書いた。
あの年は、単身赴任だったが、大雪の年だった。
あれほどの大雪には遭遇していない。
改めて、豪雪地帯の雪のすごさを感じたのがその年。
レベッカの「WHITE SUNDAY」という曲は、その頃を思い起こさせる。

さて、それから30年。
1年1年その時その時を、懸命に、とまでは言わないが、それなりに生きてきたと思っている。
十年前の年に、母を亡くし、これで老親の介護はなくなった、と思った。
その後、2,3年のうちに娘や息子が社会人になったので、あとは自分たちが元気に過ごせばよいと思っていた。
ただ、娘が病になるとは思わなかった。
昨年も、一昨年も、12月31日には、娘の病のことを思いながら、1年の終わりを記したのだった。
今、娘は、ステッパー(健康器具)を踏んでいる。
今日は、350回やった後、「もうちょっとやろうかな」と言って、400回行っていた。

今年の一番のよかったことは、娘に全身痙攣の発作が起こらなかったことだ。
だから、こうしてステッパーを踏んで、足腰を鍛えることもできている。
あまり無理はさせないようにしてはいるが、1日1回から2回は、これを行うことができている。
昨日は、終日、時々「マッサン」の総集編を見ていたが、どんな話だったか、まったく覚えていないと言う。
毎日見ていた時期があったから、歌などすぐに口ずさめるのだが、まだしっかりした記憶として積み上がりはしないのが分かる。

それでも、「今、アルビにどんな選手がいるのか、全然わからない。」などと言っていた時に、今季の総集編のアルビ雑誌を見せると、表紙の選手を見て、指宿、山崎…などと、言い当てることができた。
意識に上らなくとも、習慣化すると、分かるところが出てくるのがうれしい。
また、ユーモアのセンスは以前からあったので、時折笑わせる発言をして家族を和ませてくれるところもある。

困ってしまうのは、
「○○って、いつからこうなったの?」
「△△って、なんだっけ?」
と、いろいろ尋ねることがある時だ。
「それって、昨日も教えたばっかりだよ。」
「…そうだっけ?」
という会話が多くなってしまうのだ。
毎日それが続くとがっかりすることが多い。
これは、一日中娘のそばにいる妻が、最もたくさん味わっている。
でも、時々は落ち込みながらも、明るく過ごそうとしている娘の姿に救われている。
もともと、暗く落ち込むのは嫌いな娘だったのだ。

さて、また1年が終わる。
暗くどうなるかわからなかった一昨年、
それを思い出しながら、一年前を思い返していた昨年。
そして、ただただ毎日があっという間に過ぎたなあ、と思っていられる今年。
周囲の状況が少しずつよくなっている、と思っている。

私の体は、11月以降歯科医と整形外科医に通院が欠かせない。
歯や頭痛の改善が求められているけど、まあいいことにしよう。
とりあえず、また1年間生きてきた。
これを読んでいる方も、1年間お疲れさまでした。
来年が、誰にとっても、さらによい年となりますように。





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レベッカの再結成~NHK「SONGS」を見て~

2015-12-30 18:29:58 | うた
今年20年ぶりに再結成したレベッカ。
紅白歌合戦にも出場する、とのことで、NHKの「SONGS」という番組に出演があった。
先日日曜日深夜のその番組を、録画しておいて見た。


歌ばかりでなく、ボーカルのNOKKOを中心に、メンバーたち、特にベースの高橋教之のあの頃やその後にもちょっと光を当てていた。
11月29日にさいたまスーパーアリーナで行われたライブから選定して、7曲のSONGSが流された。
どれもこれも、非常に懐かしい曲ばかりだった。
ライブの聴衆も、40代50代の人たちが多く見えた。

レベッカが、大ブレイクしたのは、「フレンズ」のヒットによるところが大きかったのだけれども、それももう30年も前のことだ。
当時、私は20代後半。
すでに結婚していたけれども単身赴任となっていた。
1歳の娘や妊娠していた妻-やがて息子を出産した-と離れていたころ、このレベッカをよく聴いていた。
当時、私の車は、カセットテープしか聴くことができなかったから、気に入ったレベッカのアルバムは、すべてカセットテープでそろえたのだった。
オリジナルアルバムは、すべてカセットテープでの購入であった。
単身赴任期間中、最初は、30数kmを車で通っていたが、積雪の多くなる冬を前に、住んでいたアパートを変えたのだった。
30数kmを車で毎日通勤すると、結構たくさん歌を聴けた。
レベッカは、テレビに出演しないこともあり、もっぱら車の中で歌を聴いた。
若くてはじけるようなNOKKOのボーカルと、独特のサウンドは非常に魅力的だった。
また、歌によっては、しみじみと心にしみてくるような詞もあり、好きな歌が多かった。
本当によく聴いた。
単身赴任が終わってからも、アルバムが出るたびに買って聴いていた。
なのに、突然活動停止となりやがて解散してしまったのは、残念だった。

そんな時代から、30年。
今回の再結成は、率直にうれしい。
番組を見ると、メンバーそれぞれが、結局再結成を心の中で待ち望んでいた、ということがわかった。
何のために生きてきたのか。
それは、レベッカの再結成のためだった。
メンバーのそんな言葉が、飾られたものではなく、心から出ていることが感じられた。

メンバーで最も若かったNOKKOも、52歳。
昔から全力で出し切るタイプの声は、年齢を重ねて出にくくはなっていたけれども、ボイストレーニングや体幹トレーニングなどによって、再結成に備えてきていたこともわかった。
やるからには、という強い決意も感じられた。
歌は、すべて知っている歌だったから、テレビを見ながら、口ずさんでしまった。

RASPBERRY DREAM(1986)
SUPER GIRL(1989)
MOON(1988)
LONELY BUTTERFLY(1986)
プライベイト・ヒロイン(1985)
フレンズ(1985)
Maybe Tomorrow(1985)

「LONELY BUTTERFLY」の「朝が来るわ」「もう行かなきゃ」は、夜明けまで仕事をしていた当時のNOKKOの姿そのものから来ていた詞だったことにも、なるほど、と思えた。

ライブの後半、「フレンズ」が歌われていた時は、聴衆も一緒になって口ずさんでいた。
本当に名曲だ。
心にキュンと来るものがある。
口ずさみながら、涙ぐんでいる人も映し出されていた。
かくいう私も、なぜか涙が出ていた。
NOKKOも、レベッカのメンバーも、聴衆も、あの頃からそれぞれの人生を歩んできた。
皆、あの頃を思い、それからの自分の生活や人生を思いながら、歌を歌ったり聴いたりしていたのだろう。

「Maybe Tomorrow」は、ライブの最後に歌われ、多くの人々に勇気を与えているということも聞いて、うなずけた。
「きっと明日は もっといいことあると信じてたいの Maybe Tomorrow」
「灰色の日に 行き詰まっても あきらめはしないの Maybe Tomorrow」
サビの部分のこの詞は、プロデビューを追い求めていた頃に思いを綴ったものなのだそうだ。
だが、そんな思いとは別に、毎日必死で生きている人々の体を、後ろから支えてくれるものが、歌にはある。
「フレンズ」にしても、「Maybe Tomorrow」にしても、作った人の思いが伝わるだけでなく、聴いている人にも思いができているのだ。

それぞれの人に、それぞれの人生あり。
見ながら涙が出たのは、そういうことが伝わってきたからかもしれない。
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誇りに思えた戦いぶり そして応援も ~アルビレックス新潟レディースの戦いに~

2015-12-27 21:59:42 | アルビレックス新潟
等々力は、澤穂希見たさに、皇后杯決勝史上最多の2万379人が集まったと報道していた。
それは、違うのじゃないかなあ。
アルビレックス新潟レディースの応援に駆け付けた、という人が結構いたのではないかな?
それくらい、決勝のスタジアムには、新潟のチームカラーのレプ・ユニをはじめ、オレンジの服を着ていた人が多くいたと思う。

残念だが、3度目の正直、ならず。
2度あることは3度ある、の方のことわざになってしまった。
新潟Lは、皇后杯決勝に、ここ5年間に3度進出しているのだ。
しかし、いずれも敗れて準優勝。
しかも、優勝しているのは、いつもINAC神戸レオネッサ。
果たして今回の決勝では…、と注目していたが、3度目も無念の結果に終わってしまった。

主将を務める上尾野辺めぐみ選手は、3度も無念の思いを味わわされている。
澤穂希ほど体力に恵まれないが、技術はすばらしいものをもっている。
準々決勝でアシストした際のヒールの技は、すばらしかった。
だから、澤穂希のラストゲームに、神戸に勝利して、本当の「ヒール」になってほしかったのだが、惜しかった。

ただ、新潟Lのサッカーは、今までの中で最も互角の戦いをしたと言ってもいいだろう。
相手のプレスが来ても、しっかりボールをつなごうとしていた。
そのサッカーは、J1で今季優勝し、クラブW杯で3位となったサンフレッチェ広島を思わせるものだった。

準優勝の表彰式の際、メダルを受け取る選手たちには、誰も笑顔がなかった。
本気になって勝とうとしていたのだ、負けは本当に悔しいのだ、ということがテレビ画面を通じて伝わってきた。
そんな新潟の選手たちだったが、笑顔が見られたのは、表彰を終えてスタンドを降りた時だった。
スタンドの下に神戸の選手たちがいた。
健闘をたたえ合う選手たち―少し前まで戦っていた相手の選手たちと握手を交し合うとき、同じ仲間として笑い合う姿が見られた。
とても心なごんだ。
負けを認め、相手をたたえている姿に、じんとした。
もっとも、それはその時だけで、グラウンドで相手を待っている間は、やはり険しい表情になっていたのだが。

等々力に訪れた新潟のサポーターたちも立派だった。
試合に敗れた新潟の選手たちを、「アルビレックス」のコールを何度も何度も繰り返し、敗れたとはいえその雄姿をずっとたたえていた。
そして、場内に勝利チームの監督インタビューが始まったのを知ると、その声を出すのを整然とやめた。

本当にお疲れさま。選手の皆さん、能仲監督。現地に応援に駆け付け、声をからしたサポーターの皆さん。
恥じることはない。立派な敗者だ。
澤選手にさらに花をもたせる結果になってしまったが、戦いぶりはとても立派だった。
誇り高き敗者の姿を見ることができた。

心が震える、すばらしい戦いを、すばらしい応援を、本当にありがとうございました!
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勇気をくれる、アルビレックス新潟L、決勝進出!

2015-12-23 22:44:29 | アルビレックス新潟
澤穂希選手の現役引退が発表されてから、何かといえば、澤、さわ、サワ。
現役最後の試合が、開催中の皇后杯全日本女子サッカー選手権大会。
トーナメントで行われているから、負ければ、即それが澤穂希の現役最後の試合という結果になる。
…ということもあって、引退会見以降の試合に対する世間の報道は、INAC神戸一辺倒の報道ぶり。
新潟県民の新聞、新潟日報も、先日の準々決勝の記事は、澤優先。
アルビレックス新潟レディースだって、準々決勝でジェフ千葉に2-0で快勝したというのに、スポーツ面は、澤のことが大きく載っていて、新潟のことはわずかであった。(ガックリ!_| ̄|○)
おーい、新潟日報やーい。県民のために、アルビ新潟L(レディース)のことも、もっと大きく報道せんかい!!!

澤穂希が所属したから、そして今年のなでしこリーグ1位だったから、とメディアの注目は、INAC神戸と日テレベレーザの対戦を強く要望しているような報道ばかり、新聞でもテレビでも目にしてきた。
だけどね、一生懸命サッカーをやって来たのは、澤だけじゃないんだよね。
今日神戸と対戦した仙台だって、日テレだって、対戦した新潟だって、選手はみんな勝ちたいんだよね。
澤選手の功績は十分認めるが、みながんばっている。

日テレベレーザ対アルビレックス新潟レディースの試合は、準決勝の第2試合として行われた。
すでにINAC神戸は、仙台に2対0で快勝して、ひと足早く決勝進出。
第2試合で、日テレが勝つのを、ほとんどの人は信じていたに違いない。
新潟を応援する人々以外は、きっと。
何しろ、日テレは、レギュラーシリーズで18試合13勝1敗4分け。
上位によるエキサイティングシリーズで、5試合3勝1敗1分け。
圧倒的な勝率であるから、どちらも1位。
さすが、優勝チームである。
対するに新潟は、レギュラーシリーズ8勝8敗2分けで5位。
エキサイティングシリーズでは、2勝2敗1分けで4位。
普通は、日テレの勝利を考えるだろう。
だけど、新潟を応援する人たちは知っている。
レギュラーシリーズの日テレの1敗は、新潟がつけたものなのだ。
だから、むざむざと負ける訳ではないだろうと、期待していた。

果たして、試合は、新潟が開始11分に先制。
しかし、さすが日テレ。途中からは、日テレの一方的攻勢。
やがて前半34分に追いつかれ、1-1。
このあと、後半の途中まで、日テレペースだったが、やがて互角の展開となった。
むしろ新潟が押し気味にも思えた。

それは、延長戦となった、延長前半、後半にも感じた。
しかし、ゴールはどちらのチームに生まれず、PK戦に。
円陣を組んだ両チームだったが、新潟の方が明るい。
笑顔も見えた。
その姿に、4年前のW杯決勝戦のPK戦を思い出した。
あの時、明るいのは日本の方であり、やはりPK戦を制したのは日本であった。

日本代表の多い日テレに対し、新潟のGKは20歳の福村。
その選手が、1人目、2人目を見事にキックのコースを予想して止めるのだから、これはたまらない。
しかし、新潟は、今年W杯に出場して準優勝したメンバーの一人上尾野辺がゴールを外し、同じくW杯メンバーの北原もキックを止められた。
PK戦は、2-2のまま5人目へ。
新潟は、見事にPKを決めた。
日テレの5人目は、今季なでしこリーグ最優秀選手賞を受賞した阪口夢穂。
その阪口のPKを若い福村がしっかり止めるのだから、これはすごい!

こうして、新潟Lは、今季リーグ1位の日テレを下し、決勝でINAC神戸と戦うことになった。
また、報道は、澤の有終を飾るINAC勝利のみを期待するのだろうが、新潟を応援する私たちは、今度こそ新潟に勝ってもらいたいと願う。
なんてったって、2年前にも新潟LはINAC神戸と決勝を戦い、2-2。
PK戦4-3で、熱戦の末敗れている。
今度こそ、優勝してほしい。
澤選手も最後かもしれないが、新潟だって能仲監督最後の一戦である。
ここまで新潟を強くした能仲監督に有終の美を飾ってほしいのだ。

準決勝勝利。
よくやった、新潟。
勇気をもらったように思う。
しかし、ここまできたからには、あと1戦を勝利してほしい。
決勝で、澤のINAC神戸を破って優勝することによって、宮間選手が言ったような、女子サッカーの文化が一つ変わるような気がするのだ。
もう1勝だ。
がんばれ、アルビレックス新潟レディース!!!







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ええい、走ってしまえ

2015-12-22 22:27:40 | RUN
週に3回くらいは整形外科医に通院し、電気をかけてもらう。
毎日、もらった飲み薬を飲み、貼り薬を貼ってはみるのだが、なかなか首痛がおさまらない。
今までは、2週間もあれば痛みもおさまったというのに。
せっかく降った雪もすぐにとけてしまったし、土日は結構いい天気だったというのに、家でずっとうじうじしているなんていやだなあ、と。
高校駅伝を見終えて、ついに、走りたくなった。
鈍い痛みがあり、少し肩が重く感じるけど、走ってみよう。
ひと月前のように、走っているうちに痛みが強くなるようなら、すぐに帰って来よう。
そう思って、軽く5kmくらい走ることにして、出発した。

意外と足は軽い。
しかし、走りなれていない感じがある。
そう思いながら、やはり心地よい。
無理をしないで、心地よさのままにゆっくりめに走る。

遠くに見える山が、夕陽に赤く染まる。

正面から、オレンジ色に輝く夕陽が光る。

ああ、やはり外は、自然はすばらしい。
そんな感慨にふける。
以前、40代前半で腰椎の椎間板ヘルニアで入院した時も、院外に出ると実に外の世界の自然の美しさに感動したものだった。
今回の思いもそれに近い。
気分良く走った。


そうこうするうちに、スピードは出ないし、体がだるくなる。
首痛はさほどではないものの、あまり無理はしないようにと、5kmで予定通りやめることにした。
なのに、中途半端はいやだから、と6kmジャストになるようにと回り道をして帰った。

久々の走りは心地よかった。
夕食時、ノン・アルコールビールがうまかった。

これなら、あとわずかに迫って来た元旦マラソンにも出てもよさそうだ。
そう思ったくせに、完調まではまだまだ遠いので、明けて月曜日、仕事が終わってからまた整形外科に行って、薬をもらい、電気を肩にかけてもらった情けないランナーなのであった。
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初雪

2015-12-19 22:41:15 | 新潟
12月17日、初雪が降った。
冬タイヤに交換はしておいたが、いざ降られると気が重くなる。
ただでさえが、首痛というか頭痛というか、の痛みがなくならないのに、この鉛色の冬の空がうっとうしい。
おまけに、雪まで降るとなると、車の屋根に積もった雪を落とさなくてはいけないし、交通に支障はきたすし、積もると毎朝除雪してからでないと通勤できなくなる。
この日、職場にいると、午前中から降り始め、車の屋根や前部の窓ガラスが白くなった。

地面も一部白くなってきた。

もみの木にも雪は降り積もった。

どこの家の屋根も、白く変わった。


降っていた雨が、雪に変わったのがこの日だった。

雨は夜更け過ぎに 雪へと変わるだろう

山下達郎の「クリスマスイブ」の歌詞はこのとおりであるが、この日は夜更けまで行かなくても、午前中から見ているうちに雪となった。
山下達郎の「クリスマスイブ」が、今年もまた流れる季節となった。
歳末を迎えている。
この日の初雪というのは、近年にしては遅いと言えるかもしれない。

とりあえず、初雪は大したことがなく翌日のうちにとけてしまった。
去年は、12月の上旬にまとまったドカ雪が降ったから、大変だったのだが、今のところまだ暖冬模様なのでうれしい。

ただし、私たちにとっては、雪は、やっかい者でしかないのだが、スキー場等冬の観光関係では、新潟にとって、なくてはならぬものである。
今回の降雪で、やっとオープンできたところもあったようだが、まだまだ大半のスキー場は、雪不足のようだ。さほどの積雪にはならなかった。

冬には、雪が降るものと決まっている。
四季のはっきりした新潟の一年である。
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断酒はうまく気張れない

2015-12-15 22:25:51 | 生き方
だいたいが、だ。
酒好きな私が、こうして2週間も飲まないなんて、信じられない。
1日の最後の食事の時は、1日がんばった自分へのごほうび、ということで酒を飲み、疲れた体と心をゆるめてあげる。
それが、働くようになってからの日課となっていて、大酒飲んだ飲み会の翌日以外は、欠かさず飲んできたのだけれど…。
欠かさず、と言ったが、今まで2度ほど飲まないでいた時期もあったっけ。
それは、40歳の頃に「胃かいよう」と言われた時である。
「しばらく酒を飲まないように。」と医者に言われて酒をやめた時があった。
ひと月ほど断酒していたことがあったなあ。
そして、次は、42歳で腰椎椎間板ヘルニアで入院生活を送っていた時だ。
2つの病院で入院して、手術までしたからねえ。
さすがに、病院で酒を飲みたいとは思わなかったなあ。

この40代の2回以来、断酒したことはなかったのだが、今回は非常に久々の酒断ちである。
なぜこうなっているかというと、今月初めに書いたとおりの不調だからである。
頭痛に悩まされる日が多いのだ。
下を向いて仕事をしたりしていると痛くなることが多いから、やはり首に関連している痛みだと思うのだ。
さえないから、酒を飲んでまぎらわせようとしたら、なんと。
今までになかったのである、こんなことは。
酒を飲むと、その夜、ひと晩じゅう頭痛に悩まされるなんて。

嘘だろう、酒を飲むと頭痛がひどくなるなんて。
そう思って、その2日後、また試してみた。
すると、やっぱり夜通し頭が痛くてたまらなかった。
やっぱり、今回の痛みは、酒を飲んじゃいけないのか。
そう思って、この頭痛がおさまるまで、断酒しなくては、と思った。
ところが、週に2,3度医者に通いながら薬ももらって飲んでいるのだが、なかなか改善されない。
3日前の土曜日も、一日中頭痛に悩まされ、まいってしまった。
なかなかよくならない痛みが続いている。

そんなわけで、ずっと断酒してきた。
この間には、2度飲み会もあったが、いずれもアルコールはパスしてきた。
飲み会には、万難を排して飲みに臨むのが、私の流儀だ。
飲み会なのに酒を飲まない、なんて非人道的なふるまい(?)は、しないようにしてきたのに、わずか1週間で2回もしてしまった…(!!?)。

そして、それからまた1週間が経過した。
ずっと断酒してきた。
今日も、医者に行って電気をかけ薬をもらって帰って来たが、久々に少しだけ飲みたくなった。
コップに半分くらいの酒ならどうだろう?
勇気を出して(?)コップ半分の酒を飲んでみることにした。

ダンスはうまく踊れない。
断酒は、うまく気張れない。
なんて下らんことを心の中でつぶやきながら…。

酒を飲むとき、怖いなあ、と思ったのは今回が初めてかもしれない。
あまり味わえなかった。
ならば飲むなよ、という話だ。
食後、やはり、ちょっと頭が重くなっているなあ。
夜中、痛みが強くならなければよいのだが…。
(痛くなっても、自業自得ですけどね…。)

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娘よ(75)~誕生日~

2015-12-12 11:59:30 | 生き方

誕生日を迎え、また娘が1つ齢を重ねた。
病になってから、3度目の誕生日である。
まだ認識が不十分に感じられるので、誤った情報を流してしまうといけないという理由で、日頃はスマホの使用も制限している。
ただ、この日は、誕生日という特別な日なので、娘のスマホのメールを開くと、いくつかの誕生日おめでとうメールが届いていた。

埼玉の伯父さんからも、メッセージとともにお祝いの花が届けられた。

「先月に、オジさんが新潟に行ったのをおぼえていますか?」と、メッセージの中には書いてあったのだが、娘はそのことを、残念だがすっかり忘れていた。
伯父さんが埼玉に帰ってから、少しの間は覚えていたのだったけどね。
もうひと月もたってしまうと、やはり全く覚えていないのだ。
それは、少々残念である。

この誕生日の夜、娘にとって、とてもうれしい訪問者があった。
3年前の職場で、最も親しくさせていたMさんが、誕生日のプレゼントを持って、訪ねて来てくれたのである。
Mさんは、「道に迷って、20分間ほどぐるぐる近所を回っていました。プレゼントは、袋は大きいけど、大したものは入っていません。」と言って、娘を笑わせてくれた。

娘がMさんと会うのは、本当に久しぶりであった。半年以上会っていなかったはずである。
しかし、かつて同じ職場にいて、一緒によく笑い合っていたのだった。
Mさんの方が人生経験は長いのだが、娘はタメ口をきく。
それは、以前からなのであったが、Mさんとのやりとりを聞いていて、「あれ?ずいぶんいい感じだなあ。」と、娘のことを思った。
以前は、Mさんが話していても、なんとなく娘の耳を話が通過していく感じだった。
だから、私や妻が、娘の代わりにMさんと話を進めるのが普通だった。
それが、今回は、結構話について行けるのである。
ただ相づちを打ったりするだけでなく、ちゃんと言葉で応えようとしていた。
「Aさんって、知ってる?」と、職場で一緒だった人のことを聞かれて、
「ああ、あの○○の席の隣にいた人ね。」
と、的確に答えてみたり、別の人についても、
「待って。聞いたことがある。」
と言って、一生懸命思い出そうとしていたり…。
それらの様子が、退院してから今まで、かなり好ましく思えた。
Mさんも、「前は、思い出せなかったのに、今は思い出せるんだね。」と言って、感心してくれた。

娘が毎日会う人は、少ない。
家族ばかりである。
そんな中で、家族と違う人に会うのは、よい刺激になるものだなあ、と改めて思った。
こうして、以前のことを思い出そうとするのは、よい記憶のトレーニングになるように思う。
以前に比べ、だいぶ反応が良くなっていることを、本当に喜んでくれていた。
「入院している時なんか、私が持って行ってあげたばかりの物を、『いつのまにかこんなものが増えている。誰が持って来たんだろう?』なんて言っちゃうので、驚いたことがありましたよ。それからしたら、すごくよくなりましたね。」
Mさんは、1時間余り滞在し、帰って行った。

私たちは、毎日娘のことを見ているので、どこがどんなふうによくなっているのか、よくわからない時がある。
でも、それを見つけてくれたりするのが、このような訪問者である。

冒頭に述べた伯父さんの件のように、ひと月も前のことは、相変わらず記憶に残らず、忘れてしまっている。
だが、2日たってみると、何を話したかは覚えていないにしても、Mさんが来てくれたことは、とりあえず記憶に残っているようだ。
遅々とした歩みではあるかもしれないが、回復への道を着実に歩んでいると信じられる思いになった、娘の誕生日であった。

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師走 ~師は走れず、痛みばかり走る

2015-12-01 20:22:49 | 生き方
11月が終わった。
以前から11月は、あまりよい月ではない、と書いてきた。
今年の11月、幸い娘に発作は起こらなかった。
そのことが、一番よかったことだ。
けれども、この1週間というもの、自分自身が絶不調であった。
長野から帰った翌日の夕方、走りに出た。
3kmくらい走ったところで、頭痛を感じた。
右の後頭部あたりがツンと来た。
そこで、あまり走らずに9kmの走行で帰って来た。
翌朝起きると、頭に加えて左足首が痛い。
左足をつくと、痛みが出るのだ。
おまけに、この日は歯の治療日。
抜かれた歯はそのままに、他の歯の治療で、歯茎に麻酔を4か所ほど打たれ、まいった!
悲惨な目にあってしまった…。

その後、なんとか足首の痛みが少なくなったのが、木曜日。
しかし、その日は、出張先で講演を聴きながら、頭のズキズキした痛みを感じるようになってしまった。
そんな痛みは、酒の力を借りれば楽になるかな、と考えて飲んでみたら、逆にズキンズキンと痛みを大きく感じるようになってしまった。
土日も天気が悪いので、おとなしく家で過ごしていた。
まあ、日曜日には、カレー作りをして、多少は家族のために役に立ったのではあるけどね。
そして、明けて今週。
月曜朝は、先週と変わらぬ痛みだと思っていたら、午前中に椅子に座って仕事をしていたら、痛みが激しくなって、とても我慢ができなくなってしまった。

後頭部に痛みを感じるのは、自分の場合、頸椎の不全からくることが多い。
今回もきっとそれだろうとは思うが、いつもと違って、なかなか改善されないのが不安。
ついに頭痛を我慢しきれなくなって、念のため脳外科医へ通院。
午後には、検査に再通院。
MRI検査などを行った。
「4年前に来た時と同じで、小さな梗塞の跡はあるけれど、今回の痛みは脳からくるものではない。」との診断。
また3か月後に来るように言われたけど、痛み止めの処方もなし。

12月を迎えた今日も、昼食時など、噛むたびに後頭部が痛かった。
仕方がない、いつもの整形外科に行ってみるか、と勤務終了早々に行ってみると、以前と違って夕方5時に受付終了となっていた。
着いた時刻は、5時3分。
あれま、ほんの3分遅刻でダメですか…。

…とまあ、さえない1週間を送っている。
師走。
走りたくなくても走らざるを得ないほど、慌ただしくなるこの季節なのだし、走ることは好きなのだが、今の私は、走りたくても痛くて走れない。
代わりに、痛みが走ってる。

おあとがよろしいようで…。
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