ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

Mの訃報

2013-11-29 21:34:43 | 生き方
高校時代の同級生、Mの訃報を聞いた。

 ガンとの闘病を続けていた彼だった。
7月に、娘を見舞った後で、偶然駅前で会ったのが、彼の姿を見た最後になってしまった。
その時は、一時退院だと明るく言っていたのに…。

 11月初旬に、彼を見舞った知り合いから、具合が悪いという話は聞いていた。
そして、ガンの転移により彼がもう余命いくばくもないことを知っていること。
自分の葬儀について、業者や呼ぶ人たちの連絡先など、すっかり段取りを済ませたこと。
…なども、合わせて聞いた。
その話を聞き、彼のあまりの急激な状況の悪化に驚き、彼の携帯電話にショートメールを送った。
すぐさま彼から返信が来た。

“大変な状況ですね、全く知りませんでした。私より深刻な状況だと思います。あなたには私の生涯世話になったので、お礼の気持ちから葬儀に出席願おうと思ってますが、心に余裕があったらで結構です。
 私もなんとか頑張ってます。あなたも挫けず、頑張って下さい。”

 自分のことはさておき、私のことを心配してくれた彼の情けが身にしみた。
 何かあったら、間違いなく出席するぞ、と心の中で叫んだ。
 彼からこんなメールをもらったのは、わずか3週間余り前のことだった。

 4日前、今週初め、彼に送ったメールの返信は、奥様からだった。

“メールありがとうございました。主人は、携帯を操作することが出来なくなってしまいました。自分で、「生きることも、死ぬことも難しい」と言ってます。”

 そして、届いた訃報。
 早過ぎる。
「生きることも、死ぬことも難しい」
 彼の本音の言葉だろう。

「私もなんとか頑張ってます。あなたも挫けず、頑張って下さい。」というメールの言葉が、彼からの最後のメッセージになってしまった。

 彼の言葉のとおり、生きることは、難しい。
 ただし、生きている私は、彼の遺した励ましの言葉を胸に、「挫けずがんばろう」と思う。


 Mの冥福を祈る。
 合掌。


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元気を出させてくれる歌を集めて、聴く

2013-11-27 22:21:46 | うた
今日、娘の攻撃性は失われていた。
認識度は相変わらず低いが、昨日のような、わけのわからない幻想は少なかった。
とんちんかんな言動は相変わらずあったが、昨日ほど多くはなかったことに、ほっとした。
願わくは、このまま、回復に向かってほしい。


めげているとき、気分を変えてくれる歌を聴きたくなる。
最近疲れきってしまっている心に涼しい風を吹かせるべく、私に元気を出させてくれる歌をいくつか集めてみることにした。
集めてみた曲は、さっそく80分間のCD-Rに収録して、聴いている。
「元気を出して」とタイトルをつけ、集めた曲は次のものたちだ。

1 PROGRESS             KOKUA
2 I am a father         浜田 省吾
3 たどりついたらいつも雨降り    モップス
4 時代               中島 みゆき
5 涙                松山 千春
6 生きてりゃいいさ         河島 英伍
7 ガンバラナイけどいいでしょう   吉田 拓郎
8 TOMORROW             岡本 真夜
9 負けないで        ZARD
10 涙は明日に         ジローズ
11 どんなときも        槇原 敬之
12 愛は勝つ         KAN
13 元気を出して 薬師丸 ひろ子
14 地上の星       中島 みゆき
15 HERO(ヒーローになる時、それは今)甲斐バンド
16 翼あるもの         甲斐バンド
17 心に翼をください   アグネス・チャン
18 人生を語らず        吉田 拓郎

元気を出してくれる歌は、まだまだいろいろあるのだが、とりあえず好みだからこれらを選ぶ。
それぞれの歌には、元気を出してくれるためのフレーズがあるということが、大きな選曲の要因になっている。
そのフレーズを挙げていってみよう。


1 PROGRESS
あと一歩だけ 前に進もう

2 I am a father  
傷ついてる暇なんかない 前だけ見て進む

3 たどりついたらいつも雨降り 
疲れ果てていることは 誰にもかくせはしないだろう

4 時代       
そんな時代もあったねと いつか話せる日が来るわ
あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ

5 涙      
ため息ついたら 楽になるさ
涙を流せば なお楽さ

6 生きてりゃいいさ  
生きてりゃいいさ そうさ生きてりゃいいのさ
喜びも悲しみも立ち止まりはしない
めぐりめぐっていくのさ

7 ガンバラナイけどいいでしょう 
がんばらないけどいいでしょう
私なりってことでいいでしょう
がんばれないけどいいでしょう
私なりってことでいいでしょう

8 TOMORROW   
涙の数だけ強くなろうよ
風に揺れている花のように
自分をそのまま信じていてね
明日は来るよ どんな時も
明日は来るよ 君のために

9 負けないで   
負けないで もう少し
最後まで 走り抜けて

10 涙は明日に   
巡り巡る人生さ 帰っては来ない
だけど 君が泣くのは今じゃない
涙は明日に 明日に

11 どんなときも    
どんなときも どんなときも
迷い探し続ける日々が
答えになること 僕は知ってるから

12 愛は勝つ    
どんなに困難でくじけそうでも
信じることさ
必ず最後に愛は勝つ

13 元気を出して 
人生はあなたが思うほど悪くない
早く元気出して あの笑顔を見せて

14 地上の星   
つばめよ 地上の星は今どこにあるのだろう

15 HERO(ヒーローになる時、それは今)
今が過去になる前に 明日へ走り出そう

16 翼あるもの    
明日はどこへ行こう 明日はどこへ行こう
俺の海に翼広げ 俺は滑り出す

17 心に翼をください 
もしも 心に翼があったら

明日をめざして飛ぶわ

18 人生を語らず   
越えて行け そこを 越えて行け それを
今はまだ 人生を 人生を語らず

様々な歌がある。
曲に、
詞に、
勇気づけられる自分がいる。
人を元気づけてくれる歌の力があることを私は信じる。

唇に歌を持ち、
明日へ進もう。



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娘よ(24)

2013-11-26 22:58:56 | 生き方
けいれんが起こっても、今までなら、点滴のけいれん止めの薬の濃度を上げると、けいれんが起こることはなくなっていたのに、どうしたことだろう。


土曜日に、ICUで、「週末このまま何もなければ、週明けにまた一般病棟に戻す予定です。」と告げられた。
まあ、そうだよなあ、そうあってほしいなあ、と思っていた。

ところが、ICU内で、その後4度もけいれんが起こっている。
先日、けいれんが頻発した日の夜に起こったのは仕方ないとしても、この日曜日そして月曜日と度重なって起こっている。
日曜日は、夜中と言ってもいい午前3時前と午前11時半近くに。
月曜日は、午前7時半ごろに。
なぜ、こんなに起こっているのだろう?
そのたびに、けいれん止めのD剤の濃度は濃くなり、5.0、6.0そして7.0にまではね上がっている。
けいれん止めが効かなくなってきたのだろうか?
体が、この効果的だったけいれん止めの薬に慣れてしまったのだろうか?

今日は、少し下げられて6.5だったが、この濃さまでくると、娘の意識は、完全にボロボロに崩れている。
ほんの今したことも、忘れてしまっている。

先週、私は床屋に行ったのだが、娘の病室を訪ねた途端、また例によって、
「父、髪切った?」
と聞いてくる。
普通なら、一度言ったら二度は聞かないものだが、悪びれずに言う。
本人は、思ったことを率直に口に出しているだけだからだ。
かくして、5分間に3回くらい私に問う。
「父、髪切った?」

あれほど、しっかりした毎日の記録をノートに書くようになっていたというのに、今は、時々書くことは事実ではない幻想のこと。
しかもまとまりがない。
落書き以外の何物でもない。

今日にいたっては、おやつを無茶食いしたりするなど、行動も単に混乱しているだけではなく滅茶苦茶だったらしい。
また、妙に怒りっぽくなっていたり、攻撃的になっていたりしたようだ。
腰や両手に、またベルトがなされていた。
…これでは、6月の姿と同じだ。
これでは、一般病棟に戻るなど、いったいいつのことになるのだろうか?

何のために半年間苦しんできたのだろう、娘は。
いささか重すぎる、ここ数日の娘の姿である。
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娘よ(23)

2013-11-21 23:18:47 | 生き方
ICUに逆戻りして2日目。
娘は、さかんにあくびをしてだるそうに寝ている。
他に、何もする気も起らないらしい。
額に手をやると、微熱を感じる。

倒れる前は、書くことに興味が向くようになっていた。
今、倒れた2日前などにノートに書いたものを見せると、
「カラフルだねえ。」
などと、他人行儀である。
「でも、こんなふうにノートに書いていたの、覚えてる?」
と尋ねると、首を縦に振る。

昨日の午前中、職場の休みをとってICUの病室を訪ねると、目の周囲にくまができている娘がいた。
看護師さんの話では、前日のけいれんは4回でおさまらず、午後10時頃にさらにもう1回起きたとのことであった。
また、ここの看護師さんたちに2か月半ぶりにお世話になることになってしまった。

けいれん止めのD剤は、5.0という高い濃度を示していた。
娘は、何度もトイレに行きたがった。
そこで、一度看護師さんに車椅子で連れて行ってもらったが、車椅子とベッドの行き帰りが非常に緩慢でふらふらしていた。
支えがないと移れなかった。
食事は、食欲もなく、けいれんの影響で、箸も満足に使えなかった。

今日も、だるそうで、眠そうであった。
ただし、D剤は、4.0に下がっていた。
話しかけ、来月は、誕生日だねえ、と娘に言うと、顔を面白おかしくゆがめ、目をぱっちりと開いて、
「三十路(みそじ)だ~。」
と言った。
「三十路、いやだ~。まだ結婚もしていない。」
などともつぶやいた。
意識がしっかりしない娘の、本音のように思えた。
まあ、仕方ないねえ。まずは、体を治して、元気になることが一番だね。
そう言うと、大きくうなずいた娘だった。

余計な口数もなく、あくびは多く、もう半年も同居している「ガチャピン」のぬいぐるみに顔をかくすようにして、娘は、目を閉じた。

やはりけいれんのダメージが大きいのだろう。
けいれんさえ起きなければ、待望の洗髪ができたのに、その直前に起こったけいれんで、洗えなかった髪がべたべたしていて、かわいそうだった。

まずは、ゆっくり体力を回復してほしい。
あそこまで回復したことがあったのだ。
また、そこまでいくのが大変かもしれないけど、娘も私たちも、逃げる訳にはいかない。
ゆっくり休んで、また回復を目指そうな。

今日は、午後に1時間弱の滞在であった。
また病院から職場に戻った私であったが、娘の今日の様子を見て、少しだけ安心したのだった。

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娘よ(22)

2013-11-19 23:18:02 | 生き方
18:24 2回目のけいれん
夕方5時過ぎにけいれんがあったと聞いているうちに、話しかけても反応なく、目の動きが止まり、2回目のけいれん。ただ今看護師さんが処置中で酸素マスク使用。私はしばらくいます。

19:05 また3回目のけいれん。


…なんということだろう。
ある研修会に参加していたが、18:24の妻からのメールで、急きょあわてて帰ることにした。
あせって、何を考えていたのかまったくわからないまま、30分の運転。(あぶない)
病院の駐車場に入ったとき、19:05、妻から再度のメール。
焦りながら、エレベーターに乗り、娘の病室に駆け付けた。

娘は、酸素吸入器をつけられており、呼びかけても返事はない。
ただ、両手には、ミトンの手袋がさせられており、その手袋のまま、酸素マスクを外そうとする。
頭を振り振り、手袋の中の手を動かすことしきり。
「大丈夫だよ、大丈夫だからね。」
と呼びかけるのも、聞こえてはいないとわかる。

看護師さんから、これは3回目のけいれんではなく、実は4回目だったと知る。
妻は、本人から聞いたものにプラスして2回見たから、3回だと思ったのだが、実は短い時間に4回目のけいれんが起きていたのだと知った。

せっかく、あんなに本人の気持ちがしっかりしていたのに、前兆はなかったのに、突然のけいれんの発作。
1か月以上起こらないので、「今度こそ」の思いで見ていたのに。

駆け付けた医師から、「ICU行き」を告げられる。
短い時間に4回もけいれんが起きたことから、手厚い看護ができるICUに行くことになった。
2か月余り前、11週間もいたというのに、また逆戻りなのか!?

ICUには、余計な荷物は持っていけない。
折鶴はじめ、化粧ポーチ、見舞いの花々など、たくさんのものを家に持って帰ることになった。
いくつかの袋に何もかも積め、病院の駐車場に止めた車に持って行った。
手にいっぱいの荷物を持ち、駐車場に向かう時、涙があふれた。
駐車場までの間、おいおい泣いた。

何で?
何で、まだ娘は苦しまなくてはならない?
あんなに、よくなってきていたではないか。
記憶は残らなくても、まともな人の対応ができるようになっていたではないか。
自分のことを客観的に病気だと思えるようになっていたではないか。
それが、なぜ、また悪化しなくてはならないのだ。
なぜだ!?
病気の理不尽さに、泣きながら心で叫んだ。

ICUで、主治医から説明を聞いた。
まだまだけいれん止めの効果に頼らざるを得ないようだということ。
おそらくけいれんの発作は、今の点滴の管が詰まってしまい、まともに薬が流れなくなったからではないか、など。

そんな説明よりも、またここまで回復していたのにという無念さが、大きかった。

娘のけいれんはなぜ起こるのか、その推測も聞いた。
ただ、納得できるものではなかった。

ICUでの娘は、自分にけいれんが起きたことは、まったくわからないでいた。
3回目のけいれんと4回目のけいれんの間に、前の職場で仲の良かったMさんが来てくれ、少しの間親しく話したことも、残念ながら覚えてはいなかった。
しきりに、「立ってトイレに行きたい」と訴えていた。
それに対して、「けいれんが起きたからね。自分が思っている以上にダメージが大きいから、ICUに来たんだよ。不便だろうけど、看護師の人に行って用を足すんだよ。」というのが精一杯だった。

来月、娘は、30歳を迎える。
本人の中では、一つの目標だったはずだ。
それまでの退院が。
最近の娘は、それは無理だと自分でも言っていたのだが…。

「年単位とは言いませんが、まだまだ長い時間がかかりそうですね。」
主治医は、そう言った。
間違いなくそうだと思う。

自分や妻の心の中で、何か音を立てて崩れていくものを感じた。
そんな日だった。
「明日、また来るからね。今日はゆっくりお休み。」
そう言って、ICUの娘にお休みを言った。
でも、今日も、娘は言った。
「今日も、すみませんでした。」
謝らなければならない、と感じてそれを口にする娘の心がいじらしくて仕方なかった。
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ありがとう、ウッチー! さよなら、ウッチー!!

2013-11-18 23:11:46 | アルビレックス新潟



内田 潤

勝利のために

オレらと

共に戦おう

彼の応援の歌だ。

もうすぐ、その歌が歌えなくなる。

内田潤選手と次季契約更新せず

そのニュースに驚いた。

新潟の選手たちの精神的支柱だった。

自分がけがをして試合に出られなくても、出場する選手たちや若手選手たちに声をかけていた。

見かけによらない?リーダーシップを、新潟で発揮してきた選手だった。

試合後、応援してくれたサポーターたちにあいさつをしてスタジアムを1周する選手たちの中で、いつも最もていねいにあいさつしてくれる選手だった。

スタンドにいるわれわれに、最もたくさん目を合わせてあいさつしてくれる選手だった。

まだ3試合残っている中での発表というのは、内田ファンであるサポーターたちが、別れを告げるのに十分な時間を与えようという、クラブの意志があるように思える。

そして、まだ選手として契約してくれるチームがあれば、そこに行くよ、という彼の意思も感じられる。

まだまだ新潟にいて、選手を鼓舞してほしいけれど、選手として試合に出られなければ、選手である意味がないことも確かである。

ありがとう、ウッチ―。

大好きなウッチーのことだから、これからどのような道をたどっても、われわれは忘れることがない。

これからも、彼の応援を続けたい。
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折鶴

2013-11-17 18:05:01 | 生き方
社殿を出るとき、いくつかの折鶴を手渡された。
「祝福のシャワーに使ってください。」

外は青空。
穏やかな秋日和。
社の前には赤い絨毯。
その上に立つ和の装いの二人。
一人は、羽織・袴の男性。
もう一人は、白無垢の衣装に身をくるんだ女性。
微笑みながら、寄り添いながら。
若い二人が赤い絨毯の上を歩き出す。
その歩みは、今日から始まる人生を示す。
両側に並んだ人々は、歩く二人の幸福を願い、頭上の青空に折鶴を飛ばす。
美しい和紙でていねいに折られた折鶴のシャワーを降らす。
「おめでとう。」「おめでとう。」
祝いの言葉と共に…。

折鶴。
そのもつ意味の大きな違いに、思わずほろりと涙がこぼれた。


折鶴は、毎日見ている。
娘の病室で。
―千羽鶴。
毎日娘の目にふれているはずだが、何度説明したことだろう。
大きな束は、たくさんの人が折ってくれた鶴たち。
娘が前の職場で一緒に勤めていた人たちが折ってくれたもの。
その人たちの家族までが協力してくれた折鶴もある。
もう一つの束がある。
それよりは小さな束だが、やはり前の職場で一緒だった人が、丹念に一つ一つきっちりと折ってくれたもの。
…少し前までは、繰り返し説明しても、その翌日にはそれを忘れてしまっていた娘だった。

病室の折鶴たちは、一つ一つがつながれてたくさん集まって、娘の病状の回復を願って作られたもの。
神社で用意された折鶴たちは、一つ一つが解き放たれてまかれ、祝福の気持ちを高めるために作られたもの。
どちらも、幸福への願いを込めて折られたものであるけれど、その持つ意味合いの明るさの違いが、私の気持ちを少し切なくさせていた。

「縁起物の折鶴ですから、皆さん、どうぞお持ちください。」
境内に放送の声が流れた。
でも、私はまかれた折鶴を、すぐ素直に拾う気にはなれなかった。


つながれた病室から、いつか青空のもとへ―。

そう思い直した私は、2羽の折鶴を拾った。
一つは、娘の好きな紫色でできている折鶴を。
これは、娘の回復を願って。
もう一つは、そのすぐ側で支えるように落ちていた折鶴を。
これは、いつも姉を支えようとしてくれている息子の安寧を願って。


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11月、息子の誕生日

2013-11-13 18:02:34 | 生き方
11月は、自分にとって、あまりよい月ではない。
新潟では、この月は、急激に冬に向かう。
毎日毎日、冷たく強い雨が降る。
しかも、天候は急変する。
雨が降っていたのもやみ、青空が見えてきたと思っていたら、また急に雨が降り出す。
強い横風を伴うから始末が悪い。
時折そこには雷を伴う。
この雷は、「雪降らし」とも言われ、雷と共に強いあられが降り注ぐこともある。
11月は、季節の変わり目の厳しい月なのだ。
太平洋側から嫁いできた母は、この時期の空を「気違い空」だなどと言っていた。
寒く雪の降る冬よりもこの時期の方が、嫌いだと。

また、よい月と思われないことに、両親の思い出がある。
かつて、私の父が、帰宅後突然倒れ、亡くなったのがこの月だった。
また、母に癌が見つかり、一時は余命がいくらもないと告げられたのも、この月だった。
暗い話しかないような11月。
だが、どっこい、1つ忘れてはいけない、とてもよいことがある。
息子の誕生日である。
その誕生日を迎え、驚くのは、息子が誕生した時の私の年齢に、息子が達したということである。
息子を見ていると、あの年齢の私は、こんなにも危うく不確かな存在だったのだろうか、と思ったりもする。
まあ、そんな感覚も、しょせん年輩者特有のものなのだろうけれど。
では、自分が現在、危なっかしくなく確かな存在かというと、決してそうではないものなあ。
50代後半になっても、バタバタしてしまうことが多いのである。
ま、そのことはおいといて…。

ここのところ、わが家族としては、娘 ―息子にとって、姉― のことばかりで、息子のことは十分に考えてあげられていないという現実がない訳ではない。
もう20代後半の立派な大人なのだから、そんな必要もないのかもしれないが。

自身の誕生日のその日、息子は、少し時間のゆとりができたからと、昼に少しの時間、年休をとって、姉の入院している病院を訪ね、言葉を交わしてきたそうだ。
その辺りは、姉、家族に対する思いを感じる。
大人になったと言えるのかもしれない。

さて、その姉こと、わが娘も、指先のしびれは訴えるが、調子はよいようである。
この日の娘のノートには、こんなことが書かれていた。

今日は… 弟の28歳の誕生日!!
おめでとぉ
こんなところで言いたくないよ…!
でも、来てくれたらちゃんと言う。
おめでとうとありがとうをねっ
こんな姉でも… 
   姉だから、しっかりしなきゃいけない弟クン。
ごめんねぇ~。なんでこんな病気になったかな。
わたしもわからないけど、楽しく生きたいと思いマス


息子曰く、
姉ちゃんの調子がよいことが、自分にとって一番の誕生日プレゼント …だとか。

さすが、大人の発言だねぇ。
そう、家族には互いの元気が何よりの幸福。


息子が元気を維持できるように、好きなRUNの計測に使うウオッチでも誕生日プレゼントとして贈ってあげようかな…。
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娘よ(21)

2013-11-09 22:57:21 | 生き方
前のけいれんが起きてから3週間。
やはりけいれんさえ起きなければ、次第に娘の状態はよくなってきていることを実感する。

一昨日は、思いがけない見舞客の訪問に、娘は号泣した。
3月までの勤務先の、元同僚や元上司が来てくれたのだ。
同僚だった女性は、今は東京住まいである。
上司だった男性は、今は、60kmほど離れた遠い市の勤務である。
それが、平日の夜に、わざわざ2人一緒に来てくれたのだ。
娘は、信じられず、大粒の涙をこぼしていた。
それなのに、性格上なのか脳炎ゆえなのか、ずいぶん失礼な冗談まで口にしていたのは、さすがわが娘であった。

昨夜になっても、前日のその二人の来訪を覚えていた。
覚えていただけではない。
その2人と会ったことで、別な同僚とも会いたくなったようだった。
その職場で最も同じ時間を過ごし、気も合っていた元同僚の女性Mさんに、とても会いたい、と言い出した。

今の娘の状態なら、おかしなことは口走らないだろうと思い、願いをかなえてあげようと思った。
私の携帯電話を貸してあげると、ベッド上からその人に電話したのだった。
電話の向こうから懐かしい声が聞こえると、娘は、相手を通称で呼びながら、泣き出した。
すごく会いたいこと、いつでもいいから、来てほしいことなどを泣きながら、訴えていた。
実は、今まで3回も見舞いに来てもらっているのだけれど、それは、娘の記憶には残っていないのだ。
「行くよ。何かほしいものない。」とでも聞かれたのか、泣きながらも、親しさのゆえから、「○○屋のおせんべい食べたい。買って来て。」などとねだっている娘には、笑い泣きしてしまった。

今日は、そのMさんも来てくれたとのこと。
最初は泣いてばっかりいて、話にならなかったことや、好きな飲み物やリクエストした○○屋のせんべいをなどを持って来てくれたことなどを教えてくれた。

今週は、来てくれた人のことをよく覚えていた。
よくなってきたから、看護師さんの名前も覚えられるようになってきたんだよ、と娘は自ら口にしている。

トイレまで立って歩く姿も、週の初めには覚束なかったが、それに比べ今はしっかりしてきている。
ただし、なぜか、ノートへの書き付けが、ページを飛ばしてしまったり、同じことを違うノートに書いたりするような混乱もまだあるのだが…。

それでも、ここ2,3日は、本来の彼女に近い姿が見られてうれしい。
このままけいれんが起こらずに、右上がりの快復に向かってほしいものだ。
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娘よ(20)

2013-11-06 22:22:31 | 生き方
先の発作以来、けいれん止めの薬が再び濃くなったせいもあってか、娘のものを認識する度合いは、なかなか回復してこないように感じている。
対話はだいたい成立する。
話がだいぶよくわかっているなあと思って、「ここ、どこ?」と尋ねると、「カラオケ」なんて答えが返ってきたりしてがっくりすることもある。

それでも、ここ1週間くらいのよい姿は、書くことがおっくうではなくなった様子である。
ノートには、毎食何を食べたかを中心に書いている。
そこに、お見舞いの訪問者名なども書くようにしていたのだった。
以前は、書くとき、脳に影響があるようで、頭がぐらんぐらんする、と言っていた時もあった。
それに比べると、今は書くことに抵抗はだいぶなくなっているように見える。
頭も痛まないようだ。
あちこちの紙やノートに、いろいろと書いている。
ただし、書く内容が、内容なのだ…。
例えば、こんなふうに…。

父、母、弟、ありがとう。
今までダメな娘でごめんなさい。
私は、もっと生きていたかった。

…遺書のようになってしまうのだ。

目覚めて、自分が病院にいる、ということを初めて(記憶が積み上がらないので、娘には毎回が初めてである)知る。
不明なコードが体に付けられているということを見ると、不安な思いがしてしまう。
そんなことから、自分のことがまったくわからず、不安になってしまうようだ。
だから、私は、娘のベッドのテーブルに、

【入院】のわけ
〇 けいれんが起きる ➔ 胸からけいれん止めの点滴をしている
〇 脳がダメージを受け、記憶がなくなっている 
➔ 手足にベルトをしている。(無意識で暴れることがあるから)

などという貼り紙をしておいたのだった。

それによって、少しは不安が緩和されれば、と願ったのだ。

確かに、少しは効果があったようだ。
だが、自分の命が短いようにも感じてしまったらしい。
だから、その貼り紙に「命に別状はありません」とも書いておいたのだが、文字がごちゃごちゃになってしまい、よく読まなくなってしまったようだ。

「今までありがとう」みたいな遺書のような文章が多くなってしまったノート。
娘は、それを書いたことも忘れて、何ページも飛ばして、また違ったページに同じことを書いてしまう。
それらを読むことによって、その内容を信じてしまって、「自分は先が長くない」、みたいな思いを抱いてしまうようだ。

私は、毎回根気よく娘に病気のことを話し、娘の不安を払しょくしようとする。
でも、時間がたつと、また忘れてしまう…。
そこに、娘の悲しさがある。
忘れることや思い違いをしていることを指摘すると、時々、娘は言うことがある。
「だって、病気なんだから、しようがないじゃん。」

…その通り!
それが言える時のキミは、信用できる!


きっといつか記憶が積み上がる日が来る。
そう信じている。
だから、娘よ。
「今までありがとう」は、なしにしましょう!
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