40 年くらい前,「きらきら沖縄」という名前の格安パックで初めて沖縄に行った.観光バスに分乗して,車窓から隣のバスのガイドさんを「可愛いなー」とながめていたら,こちらのガイドさんに「美人は飽きる,ブスは慣れる!」とやられてしまった.あちこち沖縄の戦跡をめぐった.バスの片側はどこまでも米軍基地が続いていた.このガイドさんの気合の入った解説で,すっかり洗脳された.思えばあの頃はこちらも感受性が豊かだったのだ.
沖縄戦では島民の4人に1人が死んだということをこのとき知らされた.家族知人友人を思い浮かべ,そのうちの 1/4 の方が亡くなったと想像して下さい...という言い方だったと思う.日本軍の沖縄を犠牲にするという「捨て石作戦」のためである.明治維新まで琉球王朝は存続していたし,当時は日本本土と沖縄は別という意識が残っていた (今でもそうかもしれない).この捨て石作戦に対する「怨念」は充分感じられた.
談話で植民地支配に反省と謝罪とか言っているが,沖縄に対する謝罪などは思いもよらないことらしい.
江戸時代までは琉球は独立した外交権を持っていた.沖縄県人としては基地問題は日本政府から独立した外交権で解決したいのだと思う.そうしたからといって沖縄にとって良い結果になるとは限らないが,less worse な道を自分で選ぶことで納得は出来る.
ところで「さとうきび畑」という歌だが,1967 年,寺島尚彦作詞作曲.もともとはあの「愛しちゃったのよ」の田代美代子のために作られたと聞いている.長すぎてレコード化できなかったとか.