【水曜討論】:福島の甲状腺がん裁判
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【水曜討論】:福島の甲状腺がん裁判
2011年の東京電力福島第1原発事故から11年。事故当時18歳以下の福島県民を対象にした甲状腺検査で多くの人が、がんまたはその疑いと診断された。今年1月には、がんになったのは原発事故による被ばくが原因として6人の原告が東電に対し計約6億円の損害賠償を求める裁判を東京地裁に起こした。どう考えればいいのか。裁判の原告側弁護団長と、甲状腺がんを巡る別の問題に警鐘を鳴らす医師にそれぞれ話を聞いた。
■被ばく原因 認めるべき 311子ども甲状腺がん裁判原告弁護団長・井戸謙一さん
裁判の原告は原発事故当時6歳から16歳で福島県内に住んでいた6人です。うち4人は甲状腺を全部摘出しました。1人は既に4回も手術を受けています。皆、再発の不安におびえながら暮らしています。進学や就職にも支障が出ています。甲状腺がんになって、人生が変わってしまったのです。
福島では、がんになったのは被ばくが原因ではないかと思っていても口にできない。言うと風評の加害者だとバッシングされる。そうした状況で皆、黙らされています。それでも6人は、この問題をはっきりさせないと人生の次のステップに進めないと考え、提訴しました。経済的な補償にもまして、自分たちが声を上げることで、同じように苦しんでいる人たちを勇気づけ、一緒に闘ってくれる人が増えることを願っています。
原発事故前は100万人に1人か2人と言われた小児甲状腺がんが、事故後の福島では約300人も見つかっています。多発していることは国や県も認めざるを得ないでしょう。調査して、因果関係のある疾病は補償するのが民主主義国家として当然なのに、国や県は明らかに多発していても、さまざまな理屈をつけて因果関係を否定しています。
甲状腺がんを発症する一番の原因が放射線被ばくだということは医学の教科書にも書かれている常識です。原発事故があって原告が被ばくしたのは事実です。ならば特別な事情がない限り、がんになった原因は被ばくと判断するのが妥当ではないでしょうか。もし東電がそうでないと主張するなら、他にどんな原因があるのか立証してもらいたい。立証できないなら被ばくが原因だと認めるべきです。
裁判で、別の原因を立証する代わりに東電は「過剰診断」論を持ち出してくるでしょう。(症状のない人も全員一律に検査する)スクリーニングを行ったために本来なら治療する必要のないがんを見つけたという主張です。しかし執刀した医師たちは、甲状腺がんには大きくならず悪さをしないがんがあり得ることを十分考慮したうえで手術するか決めていると言っています。必要もないのに手術しているわけではないのです。
あれだけの事故が起きて、人的被害がないはずがありません。1986年の旧ソ連チェルノブイリ原発事故では数千人が甲状腺がんを発症しました。福島事故の規模がチェルノブイリの7分の1だとしても、相当の数の健康被害が出て当然です。
原発を推進する側は福島事故後、「原発安全神話」から「被ばく安全神話」にかじを切りました。原発は事故を起こさないと言えなくなったので、事故が起きても住民に健康被害は生じないと言い募っています。住民の健康被害を推進側はどうしても認めたくない。原発を止めるためにも、被害を認めさせる必要があります。
福島原発事故の被ばくによる被害は小児甲状腺がんだけではないと考えています。この裁判に勝てば、他にも被ばくの影響があるのではないかと社会の見方が変わるでしょう。裁判は長い闘いになるけれど、きちんと調査して加害者が被害者に補償するという、当たり前のことが行われる社会に変えるための第一歩にしたいと思っています。
■過剰診断の弊害直視を 医師、ぽーぽいフレンズふくしま共同代表・大津留晶さん
裁判が本当に原告のためになるか、社会に誤解を与えないか、心配しています。患者のケアは大事です。福島県の検査で見つかった以上、経済的な支援も必要です。ただ裁判が反原発運動に利用されている印象が拭えません。本人にも社会にもマイナス面が大きい気がします。
原発事故後の福島でがんになれば、放射線のせいではないかと思う人がいるのは当然でしょう。一方で今回の事故は放射線の発がん影響が認められるレベルではないと国連科学委員会なども報告しています。また個別には被ばくががんの原因かどうか、科学的に分かりません。裁判で白か黒か決着をつけようとすると、どのような結論になっても、本人の心を傷つけてしまわないかと心配します。原発に反対であっても、福島の子どもに事故被害のシンボルのようなレッテルを貼らないでほしい。
裁判を通じて、行政や専門家の不作為が続いていた科学的な問題点が社会に広く理解され、政策の見直しに生かされることはあるかもしれません。
問題点とは過剰診断です。
過剰診断は一生症状を出さない無害の病気を診断してしまうことです。スクリーニングによって本来なら知る必要も治療の必要もないがんを見つけてしまい、一生続く不安や不利益を背負わせてしまう。一般的にがんは早期発見が大事ですが、甲状腺がんは必ずしもそうとは言えません。しっかり治療を受ける必要のある患者さんは一部にはいますが、むしろ早期に治療すると再発しやすい可能性もあり、早期発見のメリットははっきりしていません。
大人の甲状腺がんでスクリーニングを行えば過剰診断が起こることは分かっていました。発症例の少ない子どもについては分からない点が多い中で福島の検査が始まりました。これまでのデータを見ると、子どもでも過剰診断が起きることは科学的に明らかです。弊害は大人より大きく、福島のような事故があってもスクリーニングは推奨できないという提言が近年相次いで出されています。
私は福島県立医大で甲状腺検査の責任者を務めました。明らかに過剰診断だと気付き、検査の見直しを求めました。しかし検査は十分に見直されることなく継続しています。そこで同僚とともに県立医大を辞め、検査への県民の疑問や不安に応える団体を立ち上げました。
強調しておきたいのは、過剰診断かどうかと放射線の影響かどうかは別の問題だということです。仮に福島の事故が住民に健康被害を及ぼすほどの事故だったとしても、スクリーニングすれば過剰診断は生じ、その不利益を住民は受けることになります。放射線の影響を検証するには別の方法で行うべきです。
しかし裁判で過剰診断と放射線の影響が対立的に扱われ、弁護団が過剰診断を否定しようとすれば、若い人が弊害を認識せずに今後も検査を受けることになり、負の連鎖や被害を生むリスクがあります。まずは過剰診断の弊害を直視し、半強制的な学校検査をやめるなど方法を見直すべきです。第一に考えるべきは検査対象とされている人に不利益がないことです。そして純粋に、子どもたちの未来のために何が最善かを考えて、向き合いたいと思います。(編集委員 関口裕士)
<ことば>甲状腺がんと福島県の検査
甲状腺は喉仏近くにあり新陳代謝を促すホルモンを分泌する3~5センチの臓器。甲状腺がんの多くは死亡率が低く予後も良い。がんがあっても生涯症状が出ず死後に解剖で見つかるケースも多い。福島県の検査は福島第1原発事故当時18歳以下の県民約38万人が対象。超音波検査で甲状腺のしこりの大きさや形を調べ、異常があれば細胞などを詳しく調べる。昨年6月末までに266人ががんかその疑いと診断された。県の検討委員会は16年に「被ばくの影響とは考えにくい」との中間報告を出している。
元稿:北海道新聞社 主要ニュース 社説・解説・コラム 【水曜討論】 2022年03月16日 10:09:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。