【日報抄・11.13】:日本で初めて天気予報が発表されたのは1884(明治17)年である。
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【日報抄・11.13】:日本で初めて天気予報が発表されたのは1884(明治17)年である。
この3年前には新潟地方気象台の前身である測候所が開設されるなど、各地で気象観測の体制が整備された
▼当時は科学的な知見や観測技術が発展途上で、予報の精度も低かったようだ。「『測候所』と3度唱えれば生水に当たらない」。予報があまり当たらないことを揶揄(やゆ)して、こう陰口をたたかれることもあったらしい
▼そんな風潮も視野に入れてのことだっただろう。中央気象台の職員だった馬場信倫は、こんな論考を発表している。「時の気変の異例に会い、これを認識すること能(あた)わざる時は、予報したがいてまた不中を来たすことあるべし」
▼気象現象のすべてを解明することは困難で、解析するのが難しいケースでは予報が外れることもある-。おおよそ、このように言いたかったのだろう。100年以上が経過した現在にも通じる考え方かもしれない
▼気象庁の先月の発表によると、局地的な豪雨をもたらす線状降水帯の予測について、ことしの的中率は1割程度だった。81回出したうち、実際に発生したのは8回。5月から府県単位で発表する運用を始め、25%程度の的中率を想定していたが届かなかった
▼今月も沖縄県などで発生した。予測は2022年に始まり、当初から正確な見通しを示すのは簡単でないとされていた。精度向上を追求してもらいたいと同時に、私たちも天気予報と上手につき合って、防災や暮らしに役立てたい。冬の訪れも近い。
元稿:新潟日報社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【日報抄】 2024年11月13日 06:00:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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