【社説・12.06】:「泡盛」無形文化遺産 沖縄が育んだ宝 次代へ
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説・12.06】:「泡盛」無形文化遺産 沖縄が育んだ宝 次代へ
泡盛や日本酒、本格焼酎などの「伝統的酒造り」が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録された。沖縄の歴史と風土、文化が育んだ酒が世界に認められたことを誇りに思う。芳醇(ほうじゅん)な香りと深いこくを多くの人に堪能してもらいたい。
沖縄関係では2010年の「組踊」、18年の宮古島のパーントゥなど「来訪神 仮面・仮装の神々」に次いで3件目となる。
伝統的酒造りは手作業を中心とした日本独自の技術で、風土に応じ杜氏(とうじ)や蔵人が伝統的に培ってきた技術の価値が認められた。泡盛は黒こうじ菌を使うのが大きな特徴。クエン酸を大量に生成することで他のこうじ菌よりもろみの酸度を高くすることができる。雑菌による腐敗を抑え、温暖多湿の沖縄に適している。
若い酒をつぎ足し古酒を育てる「仕次ぎ」など貯蔵法も独自性を持つ。琉球王国時代から約600年の歴史を持ち、沖縄戦までは100年、200年といった古酒も家宝として数多く存在していたという。
ユネスコの政府間委員会は、伝統的酒造りの知識と技術が「社会にとって強い文化的な意味を持つ」と評価。泡盛は神事やシーミー(清明祭)、ウガン(御願)、ハーリーなどに欠かせないもので、重要な役割を果たしている。
酒造業界からは、国内外での知名度アップや好調な外国人観光客の需要増への期待も高まる。同時に、地元でも泡盛の良さを再認識する機会にしたい。
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王国時代から育まれてきた泡盛だが、79年前の沖縄戦では、製造の中心地であった首里も大きな被害を受けた。工場や蒸留機などの設備が戦火にさらされた。
戦後、酒造関係者たちは、泡盛造りに欠かせない黒こうじ菌がない、という問題に直面した。
1946年、幸いにも首里の酒造所跡で灰土に埋まっていたむしろを見つけた。泡盛を造るとき、米を広げて黒こうじをまき、米こうじをつくるためのものだ。半ば朽ち果てたような状態のむしろの繊維をもみほぐし、蒸した米の上に落とした。
24時間後の朝。蒸した米の表面は緑がかった黒色に一変していた。戦後、泡盛の復興が始まった瞬間だ。
物資不足の中、泡盛を口にした時に、戦世がようやく終わったことを実感した県民も多かったという。
関係者は「平和でないと酒造りはできない」と語っている。
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泡盛はカラカラや抱瓶などの優れた酒器の発達を促した。琉球料理との関係も深く、ラフテーなどの豚肉料理、豆腐ようなどには調理の際に泡盛が使われる。
泡盛の出荷量は減少傾向でビールやハイボール、ワインなど好みの多様化、飲酒の機会が減るなど社会的な要因で、増加に転じるのは容易なことではない。
泡盛の魅力はもちろん、文化や歴史を伝える酒造所見学ツアーや海外でのプロモーション強化など、ユネスコ効果を最大限にする地道な取り組みが必要だ。
元稿:沖縄タイムス社 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】 2024年12月06日 04:01:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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