《24色のペン・01.17》:阪神大震災から30年 心の傷と向きあうということ=堀山明子
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《24色のペン・01.17》:阪神大震災から30年 心の傷と向きあうということ=堀山明子
阪神大震災が起きた1995年は「心のケア元年」と言われる。大規模災害で居場所や家族を失った精神的な痛みにどう向き合うか。その難題を被災者だけに背負わせず、社会全体で支えようという意識が広がった時期だ。
あれから30年。被害が大きかった現場の一つ、神戸市長田区で被災した在日韓国人家族の葛藤を描いた映画「港に灯(ひ)がともる」が震災の日にあたる17日、全国で封切りされる。映画のスクリーンから、被災者やその家族、住民がいま直面する生きづらさが、登場人物の息づかいを通じて伝わってくる。
◆言葉にできないなら映像に
プロデューサーの安成洋(せいよう)さん(60)は、2000年に肝細胞がんで39歳の若さで他界した在日韓国人の精神科医、安克昌(かつまさ)さんの実弟。自身も神戸で被災した安医師は避難所などで被災者や支援者の不安に耳を傾け、「心の傷を癒すということ」と題したエッセーを96年に出版。本は11年の東日本大震災後には精神科医の教科書のように読まれ続け、著書と同名のタイトルでNHKドラマが20年に全4回で放送された。
ドラマを機に、考証役として家族史を掘り起こした成洋さんの人生が変わった。本業の行政書士を続けながら、劇場版製作委員会を立ち上げ、学校や公民館など約170会場で上映と対話活動を始めた。反響のメールや手紙は約3000通にのぼる。「ようやく震災の映像を見られるようになった」という声もあった。
成洋さんは震災の心の傷痕の深さを改めて思い知ると同時に、兄が死の間際に書いた最後の文章を思い出した。言葉にならない被災者の心の傷には「震災を生き延びた私はこの後どう生きるのか」という問いが含まれており、この問いに関心を持たずして心のケアはないと指摘していた。そのうえでこう記している。
「それを理解するよりも前に、苦しみがそこにある、ということにわれわれは気づかなくてはいけない」
この言葉の意味を考え続けた成洋さんは23年、映画製作会社を設立し、新作映画に着手した。「被災者がずっと抱えてきた思いを私が代わって言語化することは難しいけれど、映像でなら表現できることがある」と思えたという。
◆世代またがるトラウマ
映画は震災の記憶が世代ごとに異なり、親子間の気持ちのズレが生じていく様子を繊細に描いている。震災の記憶と在日1世の昔の苦労をごちゃまぜに混沌(こんとん)と語る在日2世の父親は、娘が反発すると「そんなことも分からんのか」と声を荒らげ、家族の中で孤立していく。
「私は板挟みの在日2世の気持ちに近いかな」と成洋さんは語りながら、世代を超えて連鎖するトラウマの構図を解説した。
「映画で説明はないけれど、1世は日本の植民地時代につらく怖い思いをしたり、解放後には独裁政権の政治弾圧を逃れて日本に来たり、何か歴史的なトラウマを抱えているかもしれない。苦労話を繰り返し聞かされた2世は、子供に伝えようとしても自分の体験ではないから言葉にできない。3世はプレッシャーを背負い切れない。それぞれ生きづらさは違うけれど、傷の形を変えて、トラウマの世代間伝達が起きていると思うんです」
心の傷を歴史、震災、在日と分野別に縦割りでは切り取れない。安医師は著書で、トラウマ体験の記憶は非言語的で断片的なため、芋づる式に他のトラウマと結びつきやすいと書いている。傷だけでなく、その人の人生を見るようにと説いたのは、自身もマイノリティーとして生き、心の痛みは重層的だと敏感に感じていたからなのだろうか。
◆聞く人がそばにいてこそ
何十年か過ぎて何かのきっかけでトラウマが一気に社会現象となることはある。トラウマの経緯は異なるが、私はこの映画試写会の直前、韓国でそのうねりを見た。…、
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