今回の選挙は、現代日本の民主主義の到達点を、実に良く示したと思います。それは、
一つには民主主義の根本中の根本である平等の原則(=一票の格差是認)を否定する選挙であったこと、
二つ目は、有権者の4割が選挙に参加しなかったという戦後最低の投票率のなかで行われたこと、しかも、前回の選挙から10%、約1千万人もの人々が投票を忌避した選挙であったこと、
三つ目は、政権交代後の政党活動の検証と政党選択の最大の指標である政策の検証を曖昧にして選挙後の政権の枠組み論を最大の争点と喧伝したことや二大政党政治と小選挙区制度を前提とした偽りの世論調査による世論誘導によって、「暮らしを何とかして欲しい」という国民の願いの争点づらしが意図的に行われた選挙であったこと、具体的には、以下の争点ぼか市と偽りの争点づくりが行われました。
東日本大震災後の国政選挙であったにも係わらず、原発事故の反省も責任も曖昧にしたまま、さらには復興の遅れの責任を問うこともなく、また公約違反の消費税や憲法25条に明記された国家の責任放棄放棄を糾すことや普天間基地やオスプレイ配備、TPPなど日米同盟=日米軍事同盟の是非や貧困と格差が広がる一方、一人勝ちを納めている財界や富裕層へ課税問題、財政危機=財源問題を曖昧にしたまま、自民党化した民主党政権の失態にばかり目を向けさせ、そのことによって自民党の政権奪還を争点化していったこと、
四つ目には、こうした偽りの争点づらし・争点づくりが、二大政党政治と小選挙区制度による「政権交代」を扇動してきたマスコミによって、また消費税増税を扇動してきたマスコミによって、意図的に仕組まれ、「政党が多くて違いが判らない」というムードを有権者のなかに醸成させ、投票行動を弛緩させ、忌避させた選挙であったこと、
五つ目には、このような偽りの争点ぼかしや争点づくりによってつくられる「政権交代」「政権奪還」論は、選挙制度に助けられている虚構の、国民不在の「政権」であることが一層明確になった選挙であったこと
以上の選挙の特徴に共通すしているのは、憲法の空洞化、乃至無視・黙殺です。主権者である国民目線はことごとく否定乃至無視されているのが、各紙の報道でした。
そうした視点の根拠となる諸事実を、以下述べてみたいと思います。
1.今度の自民党の政権奪還を選挙制度の問題とはしない「朝日」の姑息について
(1)12月17日夕刊一面の図(「数字で見る自民圧勝」)をみると、議席が強調されていることが判ります。その下に愛国者の邪論が獲得票と率、議席占有率を比較しました。制度の問題であることは歴然としています。しかし、「朝日」の記事を見る限り、自民党の圧勝・大勝と民主の大敗は強調するものの、その背景にある有権者の投票行動と制度の問題点には触れないのです。ここに「朝日」の姑息さと特殊な立ち居地が見えてきます。
数字で見る自民圧勝
|
今回 |
09年民主 |
05年自民 |
獲得議席数 |
294議席 |
308議席 |
296議席 |
うち小選挙区 |
237議席 |
221議席 |
219議席 |
議席占有率 |
61.3% |
64.2% |
61.7% |
(有権者数・獲得票の単位は万人)
|
12年選挙 |
09年選挙 |
05年選挙 |
|
第一党党首と政党 |
安倍自民党 |
鳩山民主党 |
小泉自民党 |
|
有権者総数 |
1億395.9 |
1億434.4 |
1億298.5 |
|
投票率 |
59.32 |
69.28 |
67.51 |
|
獲得議席総数 |
294 |
308 |
296 |
|
獲得議席占有率 |
61.3 |
64.2 |
61.7 |
|
小 選 挙 区 |
獲得議席数 |
237 |
221 |
219 |
議席占有率 |
79.0 |
73.7 |
73.0 |
|
得票率 |
43.0 |
47.4 |
47.8 |
|
獲得票 |
2564.3 |
3347.5 |
3251.8 |
|
比 例 区 |
獲得議席数 |
57 |
87 |
77 |
議席占有率 |
31.7 |
48.3 |
42.8 |
|
獲得率 |
27.6 |
42.4 |
38.2 |
|
獲得票 |
1662.4 |
2984.4 |
2588.7 |
(2)「朝日」17日付1面に掲載された「優先順位見定めよ」(政治部長 曽我 豪)の記事は、「有権者が悩みの末に出した解」は「その経験と反省のほどを信じてもう一度、自公政権に当面の未来を託」したと平気でウソをつく国民無視の「朝日」の立ち居地を如実に示しています。自民党が各地で獲得した票は、有権者が「信じて」「託し」たものでないことは明らかです。前回の「政権交代」も今回の「政権奪還」も「敵失」が大きな要素であることは明らかです。
しかも、民主党政権への「大いなる期待を大いなる失望へ変えてしまった」のは、民主党の自民党化による「公約違反」でしたし、その自民党化とは日米軍事同盟容認・深化論であり、米倉経団連応援団政策であったのですが、「朝日」は、このことをいっさい語りません。理由は簡単です。己も同じ立ち居地だからです。
しかし、二大政党政治を煽る「朝日」は、「自民党の経験と反省のほど信じて」いる「朝日」は「たまさかの圧勝」は「慢心」して「再可決」などすれば「衆院選の次の参院選で信認とりつけに失敗し政治の統治力を失う混迷が再現されかねない」と自民党に警告・脅しを発しているようなそぶりを見せながら、実は激励しているのです。
それは、そうでしょう。今回の「政権奪還」劇は、なによりも「敵失」で起こったのですから、次の安倍自民党政権の「敵失」を恐れる「朝日」が、二大政党政治と小選挙区制を温存するための苦肉の方便として「私たち朝日新聞の責務」を敢えて強調してみせるのです。
このことは、「憲法改正など保守の理念改革は身上のものとして、いかに全体の順番と具体の工程を巧みに描き、懐深く野党と合意の多数派をつくるか」と天皇の元首化と人権制限、集団的自衛権行使と国防軍構想の現行憲法「改悪案」をもつ安倍自民党に手練手管の観点を教え、励まし、「不毛な常時対決の政治から豊かな随時合意のそれへ」に向かっての「検証」などと大政翼賛政治を奨励してみせるのです。
「合意」の中身は、二大政党政治と小選挙区制の温存を前提とした「現行制度の功罪」の「検証」というのですから、国民無視もはなはだしい限りと言わざるを得ません。しかも白々しくも「新たな政治の象徴としようではないか」などと「説教」を垂れているのです。そもそも民意を切り捨てる小選挙区制に「功」などがあるはずはありません。そのことは前回、今回の「政権交代」劇で証明されています。
そのことは、「朝日」の記事が、実はウラを返せば、如実に示しているのです。「政権交代」しても、公約違反をする。二大政党政治とはいうものの、自民政治の枠内でのコップの争いにしか過ぎず、それを「政局報道」で、国民的関心を惹き付け、その枠外からの政策提起はいっさい無視する報道と政治が横行し、政党政治の劣化・マスコミのジャーナリズム精神の劣化が席巻させてきたのです。
また偽りの争点づくりで「過剰な期待」を煽ってきたのは誰か!本当の争点を曖昧にしたまま「政局報道」を煽り、「過度の失望を頻繁」起こさせてきたのは誰か!「政権交代」可能な二大政党政治と小選挙区制温存によって政権を「行き来」させようとしてきたのは誰か!そうした「刹那的な政治文化」を国民に振りまいてきたのは誰か!を「検証」すべきは、「朝日」など、マスコミ自身です。
その「検証」の「解」は、マスコミ自身の「政局報道」と偽りの「世論調査」という「報道姿勢」にあると言えます。その点でいっさいの曖昧さは許されないでしょう。そうしたなかで、有権者の政治離れとしての「無党派層」の増大と投票忌避という事態が進行してきたのです。
しかし、こうした「劣化」現象も、ウラを返せば、新しい政治を求める前兆と言えます。政治参加の忌避は、反面強固な意思表示でもあるわけですから、いずれはマスコミの立ち居地や日米軍事同盟容認・深化論や米倉経団連擁護派の土俵は必ず打ち破られると思います。
何故ならば、この土俵は国民の幸福・安全安心を保証しないもの、むしろ国民を犠牲にして、国民の富を搾り取っていく土俵だからです。
では、記事を掲載しておきます。
政党と争点が乱立し錯綜したこの衆院選で、有権者が悩みの末に出した解は恐らくこういうことだろう。 その経験と反省のほどを信じてもう一度、自公政権に当面の未来は託そう。ただ、来夏の参院選で信認をめざすなら、まずは本格政権のよさをみせよ、と。 だから新首相に就くだろう自民党の安倍晋三総裁にはなにより、政治の優先順位を正しく見定めるよう望む。 政権交代は、その摩擦熱により世間に過剰な期待感を生む。さきの民主党政権は、普天間基地移転に最大の力を注いで挫折、早々と大いなる期待を大いなる失望へ変えてしまった。 これは失望の反動が生んだ、たまさかの圧勝にすぎないかもしれない。与党で再可決できると慢心し民心が離れれば、どうなる。すでに2大政党が過去一度ずつ経験した、衆院選の次の参院選で信認とりつけに失敗し政治の統治力を失う混迷が再現されかねない。 被災地対策と原発のこれから、経済成長と財政再建、対米、対アジアなど外交の再構築。喫緊の課題は数多い。ならば、憲法改正など保守の理念改革は身上のものとして、いかに全体の順番と具体の工程を巧みに描き、懐深く野党と合意の多数派をつくるか。 保守には本来、国民に安心と安定をもたらす責務があろう。その道筋と実績を監視することこそ、私たち朝日新聞の責務である。 民主党は大きく転落、第三極も明暗が分かれた。だが、日銀総裁の同意人事はじめ、参院で多数の野党には、自民党の行き過ぎをチェックする出番も責任も当然ある。公明党の問題意識も同じだろう。 不毛な常時対決の政治から豊かな随時合意のそれへ、たとえば、第9次選挙制度審議会を立ち上げ、現行制度の功罪の検証から始める。それを合意できる新たな政治の象徴としようではないか。 過剰な期待と過度の失望を頻繁に行き来した刹那的な政治文化はもう、過去のことだ。よりましな社会をつくるためには、英雄もブームもいらない。この衆院選はその分岐点でもあった―-。後世そう語られるうになればと願う。(引用ここまで)