半共主義者さんへ
コメントありがとうございます。
「日本の科学者」1月号を読んでいませんので、何とも言えないところですが、仰ることはよく判ります。一つは「熟達」への途上であること、もう一つは共産党の規約第5条8項の「党の内部問題は、党内で解決する」という項目への不安・心配、党の本部と違ったことを言ってしまったらどうなってしまうか、という危惧が自己抑制として働いているのかもしれません。
まるで、選手が監督の「指示」にビクビクしている姿に似ています。イチローと土井監督の関係です。
半共主義者さんのご指摘については、今年の「前衛」9月号に田村一志(宣伝局次長)さんが「インターネットを活用し、社会変革をさらに前へ」というテーマで興味深いレポートをしています。
それをみると、比例・小選挙区予定候補者のサイト開設率は、32.1%ということです。共産党の「顔」がこの程度とは…。投票日まで、どれだけ改善されたか、判りませんが、予定候補者をみると、地区委員会の長など、役員が多いこと、高齢者が多いことなどから、これは相当難しい課題だなと思いました。
しかも「若者の党員が少ない」ときていますので、ネット分野での大革新は、共産党にとっては、相当の重要課題ではないでしょうか?「赤旗」の拡大以上の重要な課題だと思います。その理由は、田村氏のレポートにもみることができます。
田村氏は興味深いことを述べています。それは「ブログやHPは『名刺』や『事務所の看板』のようなもので、それがあれば票がふえるわけではないが、なければ選挙にならない」と言っているのです。しかも「若い世代の多くは、新聞やテレビではなく、ネットからさまざまな情報を入手しており、ネット上に登場しないのでは、そういう人たちには候補者として認知されず、少なくともネットの世界では、たたかいの土俵にすらのぼれないことになる」と言っているのです。
今、連日「赤旗」の拡大の記事が掲載されていますが、こうしたレポートを読むと、今「重点」的にやっていることと実際面は随分「違うなぁ~」と思わざるを得ません。疑問を持たない党員の方々はいないのでしょうか?それともこうした指摘は「党内問題」なので「党外」には持ち出せないということなんでしょうか?ま、そうでしたら、「党内」で解決していただければと思います。
それにしても、田村氏は、その中で、「政治を変えたい」という国民にとって、インターネットは「なくてはならなくなった」と言っています。「赤旗」以上に、とは言っていませんが、それに近い「評価」をしているようにも思います。本人はそう思ってはいないでしょうが・・・・。
もう一つは、インターネットが社会変革の事業にとって、巨大メディアの思想支配から抜け出し、自ら情報を集め、判断し、行動しようとしていること、もう一つは、共産党と「赤旗」との新たな出会いが生まれ、共感と協力・共同が広がっていること、このことが新しい経験だと紹介されていることです。
しかし、実際はネット活用に熟達し、必要な法律も作りながら、ネットを健全な方向に発展させるために力を尽くすことが強調されていることをみると、到達点としては、なかなか難しい局面にあることが判ります。半共主義者さんのご指摘は当たっていると思います。
そこで注目したのは、「自分の言葉で」書くことが強調されていることです。それと「現場」から発信することと、ネットをとおして「人とのつながりをつくり、生きた関係に発展させる」ことの効果も強調されています。こうしたことが強調されているところを見ると、現実は、そうなっていないことがあるのでしょう。半共主義者さんのご指摘は当然ですね。
しかも、一方通行の宣伝メディアではなく、双方向でつながり、要求運動をつくり、党員や読者をふやすためのメディアに、これがネット活用の「効果」だと強調しているのです。これは、結構良いことを言っていますが、一部分では、ちょっとどうかな?と思いました。
確かに、田村氏の指摘しているような面があることは事実ですし、双方向などは、共産党全体に言えることでもあります。しかし、「党員や読者をふやすため」というフレーズが独り歩きしていくのではないかというのが心配です。
「党員や読者をふやすため」、これはあくまで一面であって、人とのつながり、人と人との豊かな共同関係の構築・発展こそが、人間らしい生き方を保障する社会づくりの基礎であることを強調すべきではないでしょうか?この「党員や読者をふやすため」が自己目的化されていくと、本当の人間関係はどうでしょうか?
勿論、田村氏は、「つながりあうメディア」としてのネットの実例として、様々な具体例を紹介していますが、「党員や読者をふやすため」が強調されている共産党の実際の活動をみるまでもなく、ネットの普及は、本質的には「自助」「自己責任」論で悩む人々へのメッセージに力点をおくべきではないでしょうか?そうすることで必然的に「党員や読者をふやすため」ということが可能になるのではないかと思います。
何か、共産党は、この10年間で議席も伸びず、党員も、赤旗読者も伸びず、焦っているように思います。「急がば廻れ」の諺もあるように、「党員や読者をふやすため」には、何を広げていく必要があるのでしょうか?
田村氏は、エジプト・チュニジアの「革命」のツールにネットが大きな役割を持ったと指摘しています。ネットを使って若者たちが連絡を取って巨大なデモを組織し、専制政治を打倒したと述べています。「政党に所属しているわけでもない若者たちが、この革命を始めた。彼らが私たちに声を上げることを教えてくれたのだ」と語ったことを岩波ブックレットの『現地発エジプト革命』を使って紹介しています。
この指摘は大変貴重です。ネットをとおして集まった政党に所属していない国民が日本の官邸前に集まり、果ては官邸で首相と「団体交渉」をしてしまった!しかもネットで公開もされた。こうしたことは、それまでの歴史にはなかったことです。
しかし、田村氏の指摘は、本当のところでどうでしょうか?それは国民の運動についての位置づけの弱さがあるように思います。
それは、18世紀フランス革命や19世紀のフランス、ドイツ、オーストラリアなどの革命はあらかじめのプランなしに民衆が大挙して街頭にくりだし、バリケードを築いて成し遂げられた。中東ではこのタイプの革命にネットの動員力がくわわって専制政府を崩壊させた。
しかし日本はエジプトやチュニジアなどとはまったくちがう社会条件にある。政府が国民の声を聞かないと言う点では同じだが、日本では議会を通じて政治を変えることが可能な条件があるのと同時に、テレビや新聞などのマスメディアによる思想支配ははるかに強いものがあるので日本での変革は、国民の大多数が革命の目的をはっきり理解し、そのために何をなすべきかを自覚して行動してこそ成し遂げられます。それを「多数者革命」とよんでいると説明しているのです。
この指摘を読んで、「杓子定規な結論でいいのかと情けなく」なってしまいました。あまりに硬直しているからです。理由は、以下のとおりです。
1.「多数者革命」が議会を通して遂行していくことは、当然ですが、国民の運動を抜きにしては考えられないことも事実です。議会と国民の運動との関係が抽象的です。
2.「議会を通じて政治を変える」ことの中身として「日本での変革は、国民の大多数が革命の目的をはっきり理解し、そのために何をなすべきかを自覚して行動」するとありますが、それらの関連が、あまりに抽象的です。
3.しかも「国民の大多数が革命の目的をはっきり理解し」ない行動は「自覚して行動」するものではないのかということか、です。
4.さらには、「革命の目的をはっきり理解し」ない「行動」は、「日本での変革」に値しないのか、ということです。
5.「議会を通じて政治を変える」ことと「革命の目的をはっきり理解」することはそれほど緊密ではないこと、別個の問題であること、
6.「日本での変革」は、「革命の目的をはっきり理解」していなくても、また「何をなすべきかを自覚して行動」しなくてもできること、
7.共産党のいう「多数者革命」は、議会を通して実践していくことは判りますが、「議会を通じて政治を変える」ためには「議会で多数を取る」ことが必要ですし、そのためには、現代ネット社会では、「党員や読者をふやす」ことは一面では理解できますが、最優先課題ではなく、「テレビや新聞などのマスメディアによる思想支配」を打ち破り、議会の多数派となるためには、「国民の大多数」が「何をなすべきかを自覚して行動」することも大切です。そのためには「党員や読者をふやす」ことを含めて、またネットの活用を含めて多様な宣伝・論戦が必要です。
8.先に「逃がした魚は大きい!次まで待てと言うのか!自民の敵失も民主の敵失も活かせない共産党に大喝を!」で紹介した「赤旗」の「主張」にあったように全国民的課題や各地の要求実現運動を「一点共闘」で巻き起こしながら、それらの要求と運動を国会や県議会、市町村議会に届け、反映させる、同時に選挙で勝利することこそ、「議会を通じて政治を変える」ことになるのではないでしょうか?
9.そのためにも、「自分の言葉で」語り、時には党にも意見を述べる、そして国民とともに要求実現の活動を展開する。勿論共産党全体の政策的一致がなければ国民の信頼を得ることはできませんので、「党内問題」は党内で解決していただければと思います。そのことと多様な意見を述べ合い、切磋琢磨していくことは別の問題です。意見は異なっても、国民に対しては一致して政策の実現に臨む。民主党が好例です。
以上、本日はここまでとします。コメントありがとうございました。参考になりました。