伊勢神宮の「やらせ儀式」は、実に面白いものでした。誰が見ても大ウソであることが明らかなのに、マスコミは、日本国中で、その神秘性を感心させる演出が繰り返し報道されていました。不思議な日本です。そのことを証明する日本語を並べてみます。
まず、太陽の神様(太陽神)、天照大神が祭られている内宮(皇大神宮)のご神体は三種の神器のうちの一つ八咫鏡(ヤタノカガミ)を御神体として安置する神社ということだそうです。しかも、天照大神を祀る神社を神明神社といい、全国各地にはあるが、その総本社は神宮(伊勢神宮)の内宮(皇大神宮)であるということが、実に面白いと思いました。何故か。
一つは、自然信仰心としての「八百万の神」観と、太陽神としての「天照大神」観の差別・上下関係です。
もう一つは、「天皇」と中国思想の道教の関係をことさら無視をする愛置く主義者たちの存在です。日本の伝統文化信奉者たちの存在です。「天皇」号を使う前は、「治天下大王」号でした。これが、古代中国で北極星を意味し、道教にも取り入れられた「天皇大帝」(てんおうだいてい)あるいは「扶桑大帝東皇父」(ふそうたいていとうこうふ)から採って「天皇」号がつくられたということ、或いは、唐の高宗は道教由来の「天皇」と称したことがあり、これが日本に移入されたという説。さらには、5世紀頃には対外的に「可畏天王」、「貴國天王」あるいは単に「天王」等と称していたものが推古朝または天武朝に「天皇」(実際は天武天皇と言われている)とされた等の説にみるように、中国思想に大きな影響を受けて「天照大神」を祖先神に持つ「天皇」号が創られたというのです。「伊勢神宮は宗教ではなく、伝統だと感じた。日本の古里」という感情が、事実と異なる感情であることが判ります。
ここが最大のポイントです。神道は「縄文と古代文明を探求しよう! | 天皇制と道教の関係とは?~支配層の思惑~」(2008年12月7日)をみると、日本の古里のルーツなどではなく、仏教・儒教などと同様に外来思想だったということです。この「日本列島」と言われている島の人々の抱いた「八百万の神」と中国から輸入された神道・道教・仏教・儒教など、ごった煮によって創り出されたイデオロギーです。
このことをまず、確認したうえで、遷宮儀式の「手順」をみていると、見てはならない「天照大神を祀る内宮のご神体」を見えないようにしながら、太陽神なのに、わざわざ暗くして、天の岩と信仰を使って鶏の鳴き声を使って、ご神体を人間によって運び出すのです。しかも大金を使って、です。内容などは、どうでも良いのです。儀式の神秘性を強調することで、参拝者を増やし、寄進を増やすのです。門前町のお店を儲けさせるのです。これぞ、まさに「ご利益」効果なのです。経済の循環です。神様のお恵みかもしれません。
式年遷宮がクライマックス!550億円もかけて儀式をおこなう4つの理由 ...
以上のようなトリックを伝統と称して、改めて認知させようとするパフォーマンスが、今回の遷宮儀式だったように思います。それは、以下の話に典型的にみることができます。史実とお話と民俗文化、当時の人々の、当時の為政者の発想に深く入っていくのではなく、ひたすら神秘性デゴマカスのです。トリックでスリカエるのです。
日本の中心的神社、伊勢神宮をお呼びする時、ただ神宮といいますが、神宮は伊勢市に鎮座する皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)の二つのお宮を総称しての言葉です。皇大神宮には八咫鏡を御神体とする天照大神が祀られています。八咫鏡は、皇孫ニニギの命が日本の国を治めるために高天原を下られる時、天照大神から戴いた三種の神器の一つです。三種の神器とは、八尺瓊玉と八咫鏡と天叢雲剣のことで、天照大神のみこころのこもったものとして、ニニギの命以来歴代の天皇に受け継がれています。第十代の崇神天皇の時、天照大神のお告げにより、八咫鏡と天叢雲剣が皇居より大和の笠縫村に移されました。更に第十一代垂仁天皇の時に現在の神宮の地にお社を建てられ、皇女倭姫命を御杖代として神事にお仕えさせられたのが、皇大神宮の起源となります。後、第十二代景行天皇の皇子日本武尊が東国のえみしを治められる時、伊勢の神宮に詣でて、倭姫命から叢雲剣を授けられました。日本武尊が亡くなられた時、熱田の地に社を建てて天叢雲剣を祀られたのが熱田神宮の起源となります。いずれも今から約二千年位前のことです。この様にして、天照大神より戴いた鏡は伊勢神宮の内宮に、剣は熱田神社に、瓊たまは天皇ご自身によって、それぞれ天照大御神の御霊代として今日まで斎き奉られています。一方、外宮の方は、内宮のご鎮座より四百八十年余り遅れて、やはり天照大御神のお告げによって、天照大御神のお食事を掌る神として、丹波の国から豊受姫神をお招きされ、祀られています。(引用ここまで)
以下、儀式の神秘性を強調したトリックとそれをゴマカス記事をご覧ください!
式年遷宮:4000人見守る中、フィナーレ遷御の儀- 毎日jp(毎日新聞) 2013年10月05日 20時57分(最終更新 10月05日 22時48分)
灯籠などの明かりが消され、午後8時前、神職が鶏の声をまねて3度唱える「鶏鳴三声(けいめいさんせい)」が響いた。内宮では「カケコウ」だが、外宮では「カケロウ」だ。8時ちょうど、ご神体が旧正殿を「出御(しゅつぎょ)」。…雅楽の調べが響き、ご神体を囲む白い絹垣(きんがい)が、ちょうちんの灯に照らされて進んだ。豊受大神は、内宮の天照大神(あまてらすおおみかみ)の朝夕の食事をつかさどるとされる。約1500年前の雄略天皇の代に丹波国から伊勢に迎えられたという。衣食住や産業の神として信仰されている。(引用ここまで)
式年遷宮:遷御の儀 闇の中、厳かに 神職の足音、雅楽と調和 毎日新聞 2013年10月03日 中部朝刊
http://mainichi.jp/area/news/20131003ddq041040010000c.html
午後8時前、明かりが一斉に消える。静寂感が高まった。「カケコウ」。鶏の鳴き声をまねた神職の高く伸びる声がかすかに3回、桟敷席近くの報道陣の席にも聞こえた。ご神体の「八咫鏡(やたのかがみ)」が古い正殿を出る合図だ。5分ほどたった頃、ご神体をうつす神職の列「渡御御列(とぎょぎょれつ)」で奏でられる神楽歌が聞こえ始めた。百数十人の列が旧社殿の石段をゆっくり下りて参道へ。玉砂利を踏む音と雅楽の調べが調和する。神宝の武具などを持った神職が、参道に設けられた屋根付きの回廊「雨儀廊(うぎろう)」の下を進んでいく。旧社殿の石段に目をやると、ちょうちんの明かりに、ご神体の周りを囲む「絹垣(きんがい)」がおぼろに浮かび、ゆっくりと静かに通り過ぎていった。ご神体を運ぶ神職たちもまるで影絵のように闇に浮かんだ。かしわ手を打つ特別参拝者もいた。「カケコウ」の合図から約20分、渡御御列は新社殿の方角に消えた。さらに約20分たつと再び明かりがともされた。ご神体が無事うつされたのだ。神様が新しい正殿に納められたことが伝えられると、参列者は起立し、拝礼した。かしわ手が神宮の森に響いた。【谷口拓未、大野友嘉子】
◇「宗教ではなく伝統」
「遷御の儀」を間近に見た特別参拝者は、口々に感動を語った。元文化庁長官で作家の三浦朱門さん(87)は、妻の曽野綾子さんと訪れた。三浦さんは「小学6年の時から毎年のように来ているが、夜は初めて。伊勢神宮は宗教ではなく、伝統だと感じた。日本の古里だね」と話した。(引用ここまで)
NHK NEWS WEB 式年遷宮 おもてなしの心で - NHKオンライン
太陽の神様、天照大神が祭られている内宮と呼ばれる社殿でおよそ3000人の参列者に見守られながら、今月2日、厳かに執り行われました。午後6時、天皇陛下のお使いや、陛下の長女で臨時祭主の黒田清子さんを先頭に、神職およそ150人が列になって参道を進み、ご神体が納められている社殿に入ります。このあとすべての明かりが消され、「浄闇」と呼ばれる闇が訪れると、いよいよ儀式の始まりです。天の岩戸の故事にちなみ、神職が鶏の鳴き声をまねて「カケコー」と唱えると、陛下のお使いの「出御」のかけ声を合図に、午後8時、ご神体の「八咫鏡(やたのかがみ)」が外へ運ばれます。ご神体は絹のとばりに囲まれていて、うかがい知ることはできませんでした。しかし、雅楽が演奏されるなか、たいまつだけがともされた荘厳な雰囲気のなかでゆっくりと歩を進める神職の列は、まるで古代絵巻を眺めているようでした。およそ40分後には、無事新しい社殿にご神体が収められ、神様の引っ越しが終わりました。(引用ここまで)
実は、アマテラスさん、至れり尽くせりの神さんです。ご利益は高くつくものです。ところで、ご神体である八咫鏡は、新しい「宮」に遷宮されたようですが、天照さんも、ご一緒されたんでしょうか。どうやって移っていったのでしょうか。これが不思議です。見えないからこそ、だと思います。見えたら、何だ!これは!ということになるんだと思います。
こういう煙に巻く偽者儀式・偽りの儀式と日本語を使った報道で、また煙に巻きながら、安倍首相の憲法違反を正当化・免罪するのです。笑ってしまいます。為政者というのは、如何にして国民を騙すか、それしか考えていないのではないでしょうか。以下の記事をご覧ください。
伊勢神宮 式年遷宮クライマックス 内宮で「遷御の儀」 ― スポニチ ...
…神宮司庁によると、社殿や宝物などを20年に1度新しくすることで、常に若いまま、いつまでも変わらない永遠の姿を目指し、国の繁栄を願う「常若(とこわか)」の精神が込められている。
内宮は皇室の祖神とされる天照大神を祭っている。安倍晋三首相も現職首相として戦後初めて参列した。(引用ここまで)
つづく