愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

自らがつくった文書をどのように活かしてきたか、共産党は今ほど点検・検証するときはない!

2013-10-19 | 日記

つづきです。

 

それでは、以下の文書をご覧ください。18年も前の文書です!

支部が主役とは」(第20回大会第4回中央委員会総会―95年10月)という文書です

三 支部が主役となる選挙を

 つぎに、支部が主役となる選挙戦の問題についてのべます。全党の力を全面的に発揮して選挙戦をたたかうためには、支部が主役となる選挙戦に徹することを、ひきつづき重視しなければなりません。

「政策と計画」と 総選挙戦

 党の支部は、職場、地域、学園に責任をおう党の基礎組織であり、長期的には、そこで生活し活動している人びとの多数者を、党と革新の事業に結集するという根本的な任務をもっています。そして、選挙戦はその任務を実現してゆく政治的な節目をなす活動であり、当面、有権者比の得票目標を実現することは、あらゆる選挙をつうじて一貫して追求されるべき課題です。党が「政策と計画」をもった支部活動を重視してきた根本もこの点にあります。……「政策と計画」をもっての活動にあたっては、総選挙での躍進を正面の任務にすえ、必要な具体化や補強をはかりながら、自覚的な活動の発展に力をつくしてゆく必要があります。

 そのためにはつぎの点が欠くことができないものとなります。

(1)総選挙戦にむけて、支部のとりくむべき有権者比の得票目標をあらためて明確にすること。

(2)この得票目標の達成のための選挙戦の計画をたてること。このなかでは、数字的な計画だけでなく、(イ)「赤旗」号外や選挙中の法定ビラを確実に配布する段どりや、日本共産党の姿をおしだす政党ポスターをはじめ各種のポスターを機敏に効果的に張りだす段どり、支部主催の演説会や小集会の開催など、全有権者規模での宣伝の計画、(ロ)「赤旗」読者や後援会員に選挙戦への協力をもれなくお願いする段どりをたて、単位後援会がまだできていないところは後援会をつくる具体計画をもつ、(ハ)これまでよりもひとまわりもふたまわりも広い有権者に対話の輪をひろげ、支持をお願いする対話・支持拡大計画、

 こういうことを具体的に話しあい、きめてゆくことが大切であります。

(3)有権者比得票目標実現への重要な柱として、機関紙と党員の拡大の計画をたてること。機関紙は、九三年総選挙時比三割増をめざすことを共通の最低目標にしますが、有権者比、労働者比の現状をはっきりとっかみ、この面で得票目標の達成にせまる積極的な拡大目標を意欲的にたてることを重視します。党員では、青年党員の拡大を重視し、支部活動のなかでも、民青同盟員の拡大と民青班の確立を、意識的な目標としてあわせて位置づけるようにします。

(4)支部がどのような大衆要求をとりあげてたたかうか、大衆活動と大衆組織をどう発展させるかの検討をかならずおこない、この面で「政策と計画」を具体化します。安保・沖縄問題などの国民的なたたかいを草の根でどう発展させるか、「消費税をなくす会」をどう拡大するか、こういう問題は全国的にいよいよ重要になっていますし、経営支部では職場革新懇をつくることも検討する必要があります。

 「政策と計画」をもつという方針の大事な特徴は、それが「二本足の党活勲」(現在は「車の両輪」と言っている・愛国者の邪論)の支部での具体化だという点にあり、この面にも大きく目をくばった指導と援助が大切であります。

支部活動の本格的な発展のために

 選挙戦にすべての支部がたちあかって力をだしてゆくためには、「政策と計画」の指導とともに、体制がくずれている支部への援助をはじめ、支部の組織と活動そのものを本格的な発展の軌道にのせる努力と指導を重視すべきであります。

 党中央は、九月に首都圏などの党支部を対象に「すぐれた支部の経験をきく会」をひらき、そこでの教訓をつぎの七つの共通点に整理して、九月の都道府県委員長会議に報告しました。その七つとは、

(1)党の政治単位としての自覚をもち、職場、地域を変える生きた政治目標をもって活動していること、

(2)「政策と計画」をもち、「二本足の党活動」の両方を自覚的・系統的にすすめる努力をしていること、

(3)要求活動に活発にとりくみ、地域・職場新聞やハンドマイク宣伝など、「党の姿が見える活動」を重視していること、

(4)対話などの結果を「政治地図」や台帳に日常的に整理・補充して、大衆とのむすびつきをひろげ発展させる生きた力にしていること、

(5)党勢拡大に持続的にとりくみ、有権者比の機関紙拡大目標をもって、毎月減らさず前進する特別の努力をしていること、

(6)さまざまな工夫と努力をこらして、支部会議の週一回の定例化を支部活動の軸にすえていること。会議では多くの時間を学習にあてるようにしていること、

(7)支部指導部をきちんと確立し、連絡連帯網をつくり、一人ひとりの同志の初心を大切にし、「理性と人間性」のみなぎる人間集団として成長する努力をしていること、

であります。

 これは、すべての支部がめざす目標になるものですが、ここでとくに強調したいのは、週一回の支部会議の確実な開催が、支部活動を軌道にのせるうえで、とりわけ重要な意義をもつという点であります。「経験をきく会」では、この点についても、多くの経験がだされました。ある経営支部は、「会議は絶対に流さない」ことを原則にし、「職場労働者の利益をまもるうえでも、一週間に一回はみんなで顔を合わせよう」「なんでも話せる支部会議にしよう」など、週一回の会議の意義と必要性そのものをおおいに議論し、全党員がその意味をつかむようにして活動していることが報告されました。また、出席した人が元気になるように、会議の時間の半分は学習にあて、担当者がよく準備して、実際に元気がでるような討論をおこなっている経験、困難な同志の条件を考えて、会議場所や交通の車の問題、昼班と夜班に分けるなど、みんなが参加しやすくすることに注意をはらっている経験、会議できまったことはもちろん、会議にでられなかった党員の活動状況も「支部ニュース」で紹介して、みんなががんばっている様子がいつも支部の全員にわかるようにしている経験など、さまざまな貴重な活動がこもごも報告されました。

 支部会議の定例化というのは、それだけの努力をはらう値うちのある重要な課題であります。ここの乱れから支部活動のくずれがおきたということは、全国に多くの苦い経験があります。党機関の側からの支部指導にあたっても、すべての支部が支部会議を軸に生きいきと活動できる状況をつくりだすために、ここに特別の努力をそそぐ必要があります。この問題では、第二十回党大会の規約改正で、「支部会議を原則として週一回定期的に開催する」ことを、規約のうえでの基本問題として明記したことを、あらためて思いおこしたいのであります。(引用ここまで

 

もう一つは、「機関」と言われている部署のあり方の問題です。

 

党規約第36条4項

「支部活動を指導する直接の任務をもつ指導機関として、支部への親身な指導と援助にあたる」(引用ここまで

 

日本共産党 第25回大会決議(2010年1月13日~16日)

ヘ、機関の政治力量と態勢、財政活動の強化

「支部が主役」の党活動を発展させる党機関の指導と態勢の問題については、2中総決定、3中総決定、8中総決定などで解明した方針が重要である。とりわけ、地区委員会の確立・強化をはかることは、その要となる重要な課題である。…党機関の指導姿勢として、綱領と党の方針を正確に全党のものにする指導とともに、「聞く力」が重要である。支部と党員の置かれている条件、悩み、要望などに真剣に耳を傾け、心を寄せ、ともに困難を打開していく姿勢が大切である。引用ここまで

 

第25回大会 第4回中央委員会総会 志位委員長の幹部会報告2011年12月3日)

「党機関は支部へ、支部は国民の中へ」――党機関の指導の改善と刷新の努力を

 第五は、党機関の指導の改善と刷新への努力をはかることです。

 2中総、3中総後の実践は、「党機関は支部へ、支部は国民の中へ」という党機関の指導改善・刷新の取り組みが、全支部、全党員が参加する党活動をつくるうえで、重要なカナメとなっていることを示しています。10月におこなった「地区委員長アンケート」では、改善と前進の教訓とともに、悩みも寄せられました。「機関会議での政治討議の大切さはわかるがうまくいかない」、「地区役員が支部の援助・指導に入れない」――とくにこの二つが悩みとして多く寄せられました。 「党機関の政治討議」という点では、全国的な情勢の特徴が、その県、地区内にどういう形であらわれているのか、国民との接点でよくつかみ、リアルに出しあう。党機関メンバーが「連続教室」を受講し、自由に感想を出し、大所高所から世界のこと、日本の政治を、論じ合う気風をつくる。この両面から政治に強い機関になるよう努力を重ねたいと思います。 「支部に入る」という点では、まず支部に足を運び、話をよく聞き、実情をつかむことからはじめようではありませんか。そして、支部への個別指導を担当の「地区委員まかせ」にせず、集団で検討し、知恵を出し合い、党機関としての指導責任を果たすようにしようではありませんか。引用ここまで

 

地区委員会の指導とは何か

第15回大会決議

(3)個々の党員からだされる意見や訴えによく耳を傾けるとともに、党外の大衆からの依頼、要望、意見についても、できるだけ機敏に対応することはもちろん、党事務所や党機関の日常的マナーとして、親切で謙虚でなくてはならない。反動勢力とその手先にたいしては勇敢に、勤労者、国民大衆にたいしては謙虚に、という二つの態度は、わが党の党風として定着させなければならない。第三に、党の活動における官僚主義を一掃し、党員や党支部の自発性を発揮させるということは、分散主義、自由主義の放任を許すことではけっしてない。党内民主主義を保障して党員と党組織の積極性、創意性をたかめるとともに、党員の自覚と規律にもとづく全党の統一と団結を堅持し、共通の政策と方針、集中的指導のもとに、統一政党として活動することは、わが党の力の最大の源泉をなすものである。(引用ここまで

 

第16回党大会中央委員会報告

わが党が、党風確立の第一にあげてきたのは、党外の大衆にたいする態度の問題であります。・・・また、支部の運営や活動についても「つねに党外の大衆の要求に耳を傾け、その要求の解決を支部(当時は細胞)で問題にすること」、全党的な政治的組織的課題についてもその見地からの具体化を重視することなどを、支部生活の合理的積極的建設およびその新鮮化の前提の第一として指摘しました。この党風を堅持することは、日本国民の現在と将来に自主的な責任を負い、大衆との緊密な結びつきをその活力の最大の源泉とする大衆的前衛党として、どんな課題にとりくむ場合にも、けっしてなおざりにしてはならない問題であります。

第二は、真のヒューマニズムと同志愛にみちた党生活を確立する問題であります。・・・もしかりにこの集団が、同志としての信頼もあたたかい友情もなく、ただ実務的、行政的な関係だけで結ばれている集団であったとしたら、このような組織が、前衛党としての活力を十分に発揮しえないことは、あまりにも明瞭であります。・・・党員の活動上思想上の弱点や欠陥、誤りを克服する問題でも、打撃的でなく、真の同志的精神にたった相互批判および相互の啓発と向上、さらに一人ひとりの党員の共産党員らしい率直な自己分析、こういう態度で解決してゆく党風こそを、すべての党組織が確立すべきものです。

また“変革の党”のこの精神を、日々の党活動の具体的な指針として追求することも、党風確立の重要問題であります。・・・変革の精神とは両立しえない各種の保守主義やマンネリズムが、しばしば党活動のなかに生まれ、放置しておくと、それがきわめて重大な欠陥にまで成長しうることを、重視しなければなりません。・・・さらには党活動の従来のやり方をただ無批判に習慣的としてくりかえすだけで、そこにどんな大きな欠陥があっても当然のこととしてかえりみない惰性的な保守主義などは、その典型的なあらわれであります。こうした傾向を、党活動と党生活のすべての分野からなくしてゆき、つねに新鮮で大胆な変革の精神を党組織にみなぎらせてゆくことも、大きな課題であります。(引用ここまで

 

浜野忠夫『国民に開かれた党へ』(新日本出版社刊)

②党機関の相互関係

党機関の相互関係をどう表現するかについて、いまのべたような点の努力をしました。私たちは、いままで上級・下級という言葉を気軽に使ってきましたが、中央委員会から支部にいたるまでの党機関・党組織の相互関係は、基本的には共通の事業にたずさわるもののあいだでの任務の分担、機能の分担という関係であって、職責によって責任の重さ、広さという点には違いはありますが、その関係は規約に規定された組織上の関係であって、身分的な序列を意味するものではありません。中央委員のほうが都道府県委員よりも偉いんだということではなく、それぞれの任務分担なんだということです。この基本的な見地を適切に表現することで、党機関の呼び方などについても、細かいことのようですが、より厳密に整理をおこない、それぞれの条項の改定をおこないました。新しい規約が、党の民主的な気風を発揮していく点でも心配りしているゝことを見ていただきたいと思います。(引用ここまで

 

どうでしょうか。どんな立派な綱領と規約、政策を持っていても、それを実践する人間と集団が、どのように実践しているか、日々問われているのです。これは日本国憲法を活かすか、形骸化させるかという視点も同じです。まさに「不断の努力」は求められているのではないでしょうか。まさに、諸力の総体としての人間の、人間力の問題が鋭く問いただしているのではないでしょうか。 

そういう点では、以下の支部の活動は大変共感できました。全国すべての草の根の支部が、このような支部になっているか、どうか、この教訓を赤旗が報せているか、どうかです。またその他の支部が、このような支部から学んで、自分の地域や職場や学園に具体化していこうという気概と実践力があるかどうかです。愛国者の邪論は、全くと言って良いほど情報を持ち合わせていません。

日本共産党上野原支部 - ODN

 

もう一つは、戦前の軍隊組織の致命的欠陥について、です。これについてはすでに放映されています。

日米開戦を語る 海軍はなぜ過ったのか <NHKスペシャル 日本海軍 400 ... 2013年8月25日

 

著作で言えば、以下が参考になりました。

『日本海軍400時間の証言 軍令部・参謀たちが語った敗戦』(新潮社2011年7月刊)

『日本海軍はなぜ誤ったか 海軍反省会400時間の証言より』(岩波書店2011年12月刊)

『責任なき戦場 インパール』(角川文庫1995年7月)

 

日本の軍隊組織の在り様が、そのまま継続・継承されているのが、現代日本のあらゆる組織ではないかと思います。霞ヶ関、地方自治体組織、警察・消防・学校もそうですが、あの天下のみずほなどにみる大企業と言われる会社にして然りでしょう。ブラック企業においては、また体罰で問題となった部活動など、まさに軍隊組織そのものです。「倍返し」に共感が寄せられる背景に、こうした実態があるのではないでしょうか。

勿論、真逆の組織があることまで否定はしません。それにしても、日本における組織に汚染されている傾向として軍人勅諭戦陣訓 思想が随所で散見されているということです。その最大の欠点は官僚主義と民主主義否定と無責任です。「ほうれんそう」という言葉は、その象徴です。

 

民主主義は、時間がかかるものなのです。「費用対効果」を求める現代日本にあっては、軍隊組織の在り様を使った方が効果が上がるという「神話」があるのです。しかし、これが日本的組織の最大の欠点であり、これは労働組合をはじめとして政党にも汚染されているのです。まさに日本的文化となっているのです。これを一つひとつ変革していくのです。歴史的にみれば、可能でしょう。この営みは・・・。そこに確信をもつかどうか、ではないでしょうか。


巨大な組織に民主主義を貫くのは至難の業、しかし民主主義社会の創造をめざす共産党であるならばこそ!

2013-10-19 | 日記

「とある専従者」さんから貴重なコメントをいただきました。絶滅危惧種と言われているこの党の未来は、まだ可能性を秘めているような気がしました。ドナルド・キーン氏が「愛する日本のため発言」と語っているように、共産党に対して厳しい態度を持って指摘することが、今ほど必要な時はないのではないでしょうか。

ドナルド・キーン氏の記事をHPに掲載しない赤旗に大渇!日本文化に潜む未来社会の芽に無頓着?(2013-10-17 22:11:32)

愛国者の邪論が危惧しているのは、国民の苦難に寄り添い、その要求を実現する本来の共産党の存在意義が薄れていることです。その存在意義が薄れてしまう、その困難性を高齢化や自力不足を理由にあげて正当化していることです。そこには、一つひとつの活動が、共産党のめざす民主主義革命につながっているという自覚の欠如・希薄さ、活動のマンネリ、野党根性と政権を担当する場合に必要な自覚と決意・統治力・提案力と実行力、いわゆる人民的議会主義と支部が「主役の活動」の統一的実践力の不足などなどです。

こうした活動を中央と各県委員会、各地区委員会と行政委員会、支部、各議員団、グループと言われている集団がどのように連携して相乗効果、双方向の活動をつくりあげているかという問題です。とりわけ、各種議員が、地元の支部と、その「政治単位」として、その地域の共産党を代表する機関として、地域や職場や学園で、共産党として認知されるような活動を行なっているかどうかです。その点で、各支部滝間がHPを設置し、毎日更新できるような活動を展開しているかどうかです。

それぞれの部署がそれぞれの部署内の国民の要求実現の活動をどのように展開しているか、公然と、その活動を公開できるかどうか、そこに草の根としての真骨頂があるのです。この活動が機能すれば、どのような嵐が吹いても揺ぐことはないでしょう。この草の根の支部が、それぞれの地域や職場や学園で大木となるかどうか、それはひとえに、国民の要求実現にまい進、献身しているかどうかではないでしょうか。それが本来の「自力」というものです。赤旗や党員の数(量)の追及は、自己目的でありません。

その活動を担う上で最も大切なことは民主主義です。共産党内の民主主義は勿論のこと、共産党と国民の間も民主主義的関係で結ばれていなければ、行政や国家に民主主義の実現を求めることはできないでしょう。そのためにも、地域や職場や学園における民主主義の実現も不可欠でしょう。これは口で言うのは簡単ですが、実際は、その実現は難しいことだと思います。

地域においては、自治会・町会の民主的運営はどうでしょうか。職場における民主主義はどうでしょうか。組合における民主主義はどうでしょうか。学園においては学生自治会活動や生徒会・児童会の自治活動における民主主義はどうでしょうか。

その他あらゆる組織の運営が民主主義で貫かれている社会です。これが、民主主義革命というものだと、愛国者の邪論は理解しているのです

これは、かつて共産党は、綱領的文書として国民に提案した「自由と民主主義の宣言」 (1996年7月13日一部改定)の趣旨です。この「宣言」では、生存(暮らし)・政治的市民的・民族的自由と民主主義を社会のあらゆる側面において実現する民主主義革命を提案しました。この民主主義革命論は日本の歴史と文化を踏まえるという点では、弱点もありますが、それにしても日本型民主主義革命論をまとめたという点では画期的なものでした。日本社会の全ての分野において、民主主義を貫徹するのです。勿論政治権力も民主主義で貫かれるのです。勿論企業においても、同様です。

この民主主義を実現する社会をめざすのが共産党です。だからこそ、現代社会において民主主義の実現については、共産党とその党員が、その先頭に立つのです。共産党の存在が、この民主主義の実現をめざす政党ということにならなければ、それは綱領違反ということになります。共産党の綱領全文と規約全文とは、この民主主義を実現するための思想と方法を示したものでなければなりません。コンミューンはデモクラシーそのものです。デモクラシーはコンミュンーそのものなのです。お読みいただければ、愛国者の邪論の解釈は間違ってはいないと思います。

その民主主義の思想を理解し、実践し、民主主義の制度を構築する、駆使するためには、その構成員が、民主主義について精通していなければなりません。ここが最大のポイントです。だからこそ、あらゆる面において、この民主主義を活用するための訓練、学習、自覚が求められているのです。そういう意味では、今日の共産党は、なかなか難しいところにあるというのが、率直な実態と言えます。それは、この間の「自力更生」の実態、方針がなかなか討議されない実態にみることができます。しかも、こうした実態に対して、どのように総括検討して手を打っていくのか、不明です。

しかし、これはある意味において仕方のないこと、というか、必然性のあることでもあります。50年代とか60年代などのように、共産党員が過酷な差別をされている頃、公安警察に尾行されるような頃の共産党と違って、いわゆる「大衆的・国民的」政党として変ってきたことが反映しているからです。また、以前のように「畳の上では死ねない」などと皮相な決意をして入党してくるのではないからです。そういう意味では、問題アリの問題は、共産党の発展過程に生まれている側面があるとも言えます。同時に現代資本主義社会においては、民主主義を形骸化する装置が張り巡らされていて、共産党員であっても、この社会で生きているのですから、その影響を受けるのは当然のことです。そのような複雑な要因を持ったなかで生まれている困難性・問題なのだと思います。しかし、だからこそ、民主主義を実現するのか、形骸化するのか、常にその岐路に、共産党自身が立たされているのだと思うのです。

また「とある専従者」さんのような機関を構成している、いわゆる「職業革命家」と言われている人たち、どれくらいおられれるのでしょうか。確か1万人ぐらいだったでしょうか。それらの人たちの経験も、この綱領路線の理解度や実践度の到達点の要因になっているのではないでしょうか。60年代、70年代の苦難の中で共産党をつくってきた人たちが第一線を退いて、世代交代がなされていることも反映しているのではないでしょうか。

しかし、だからこそ、新しい感覚で、時代の即した共産党像をつくりあげていくチャンスでもあるわけです。旧い経験主義に汚染された思考回路とは違った感覚です。勿論経験者が、みな「旧い」などというつもりはありません。

もう一つあります。それは、現在の日本では、かつてのようなソ連=共産党論が通用しない状況があります。中国・北朝鮮の「脅威」を煽って、共産党に対して打撃を与えようとしていますが、その中国共産党の政権である中国政府と日本の経団連が密接な関係をもっているのですから、かつてのソ連とは様相が違っています。だからこそ、共産党の絶対拒否率はかつてのような高さを示してはいないのでしょうか。そうすると、残された方法は共産党を無視することでしかないのです。

これが二大政党政治という政治の枠組みだったのです。しかし、それが崩れてしまったのです。そこに、「神風」が吹いたのです。共産党の言葉を借りれば「実力以上の結果」が「たまたま」生まれたのです。しかし、これは自然に吹いた「神風」ではないことは明らかです。だからと言って、共産党の政策と運動が、そのまま発展するかと言えば、それは違うでしょう。共産党の革命的大改革が必要であることは論を待ちません。問題は、その方法と内容です。

【野党戦線異状アリ】民主支持率、共産以下に 戦略  - MSN産経ニュース 2013年7月30日

では、どのような方法と内容でしょうか。このことについては、以下の記事を書いてきました。ご覧ください。

国民の要求実現(実利)の救世主としての共産党の姿が全国津々浦々で浮き彫りになれば共感と支持・陣地は!(2013-03-18 07:46:37)

致命的な問題」を呈している共産党の活動!考え方(活動路線)を抜本的に変えなければ参院選は厳しいゾ!(2013-03-17 22:22:23) 

共産党の綱領の未来社会を先取りしている未来工業!会社の主人公は労働者が貫徹されている!学べ共産党!(2013-03-13 15:04:46) 

スポーツ選手の生き様は感動です!共産党は黒田博樹投手の爪の垢を煎じて飲んだらどうでしょうか?(2013-02-27 23:53:11)

共産党は党内外の声を何回訊けば選挙で前進できるのか!「党旗びらき」の志位委員長発言を読んで思うこと(2013-01-06 11:32:58) 

ネット社会で自分の言葉で、想像性と創造性を発揮して国民に向かって共産党員が語る必要性について(2012-12-25 23:55:59)

そこで、今日は、以下の視点を掲載しておくことにしました。共産党の現場において、その基礎単位である「支部」(かつては「細胞」と言っていました)が、日々どのような視点と方法で活動するか、18年も前の文書ですが、この時の方針が、今実現していないのです。何故でしょうか。共産党葉、ことあるごとに「支部が主役」と言っています。しかし、この「支部が主役」の中身について、どれだけの党員の方々が理解されているか、また実践されているか、そこが最大のポイントです。経験主義と我流(自己流)が横行していないでしょうか。

党規約第四十条 支部の任務は、つぎのとおりである。
 (一)それぞれの職場、地域、学園で党を代表して活動する。
 (二)その職場、地域、学園で多数者の支持をえることを長期的な任務とし、その立場から、要求にこたえる政策および党勢拡大の目標と計画をたて、自覚的な活動にとりくむ。
 (三)支部の会議を、原則として週一回定期的にひらく。党費を集める。党大会と中央委員会の決定をよく討議し、支部活動に具体化する。要求実現の活動、党勢拡大、機関紙活動に積極的にとりくむ。
 (四)党員が意欲をもって、党の綱領や歴史、科学的社会主義の理論の学習に励むよう、集団学習などにとりくむ。

 (五)支部員のあいだの連絡・連帯網を確立し、党員一人ひとりの活動状況に目をむけ、すべての支部員が条件と得手を生かして活動に参加するよう努力するとともに、支部員がたがいに緊密に結びつき、援助しあう人間的な関係の確立をめざす。
 (六)職場の支部に所属する党員は、居住地域でも活動する。(引用ここまで


子どもじみた靖国参拝の閣僚と国会議員、真榊奉納の安倍首相の英霊冒涜犯罪を免罪するマスコミに大渇!

2013-10-19 | 日記

春の例大祭、夏に続いて、またしても人の迷惑を考えない自己チュー人間集団・不道徳議員たちのパフォーマンスが行なわれました。またかよ!と。そうして映し出される映像は、同じなのです。そうしてまたまた中韓の反応を映し出すのです。中韓の反応は微妙に変わってきましたが、報道の仕方は同じでした。

もう、ウンザリ気味になりました。つきなみですが、呆れると同時に怒りが沸いてきました。しかし、こうした感情が出てくるのは何故か、考えてみました。

それは、このパフォーマンスを許す社会の公器としてマスコミが果たさなければならない責務の無自覚さ、責任放棄にあるのではないか、と思うようになりました。この国の致命的欠陥を象徴する事件として視ることが必要ではないか。であるならば、その改善に向けて、改めて決意を固める必要があるのではないか。そのような意味をこめて記事を書くことにしました。

春の例大祭については、以下の記事を書きました。ご覧ください。

安倍政権閣僚の靖国参拝と真榊奉納は英霊と神道、そして憲法を冒涜!こんな不道徳は断じて許されない!(2013-04-22 23:48:34)

中韓の靖国参拝批判は想定どおり、日米軍事同盟深化派のネライは、国民の扇動と憲法改悪への地ならし!(2013-04-23 23:33:58)
またまた不道徳の模範となった安倍首相と靖国参拝国会議員!子どもの教育に責任を持つ大人は怒れ!(2013-04-24 23:53:25)
マスコミ、学界・教育界は安倍首相の大ウソを批判できるか!マスコミを利用した大ウソを許すな!その1(2013-04-25 17:58:02)

夏の参拝については、以下の記事を書きました。ご覧ください。

慰安婦・靖国問題の責任を中韓に負わせナショナリズムを煽る日米軍事同盟深化・憲法改悪派は対米卑屈派!(2013-08-19 12:52:27)
靖国神社参拝正当化論の産経のウソとペテン・ゴマカシとスリカエと大東亜戦争正当化と憲法改悪論に大喝!(2013-08-18 13:19:21)

前回までの記事を踏まえると、この「人の迷惑を考えない自己チュー人間集団・不道徳議員」たちのパフォーマンスは、これまでもそうでしたが、今回の様相をみていて、ま、当然と言えば当然なのですが、大変意図的なものではないかと思うようになりました。

1.その最大の理由は、彼らは、自分たちのパフォーマンスに対して、マスコミは突っ込んで問いただしてこないだろうということを予め考えて、打ち合わせをして「靖国はみんなで通れば怖くない」式参拝を行なっているということです。マスコミの質問の仕方もマンネリ、ワンパターンです。

2.それでは彼らの意図は何かです。彼らは自分たちの行動によって、 

一つには、「公人」の靖国参拝を正当化する意識と偏狭なナショナリズムを国民の中に醸成することで、批判を受け付けない、参拝は当たり前ムードをつくろとしているのです。尾辻会長を先頭に国会議員のカメラ目線の、ボソボソ歩き、足並みを揃えた、あの映像はそのことを示しています。彼らの顔つきは、「してやったり」という顔つきですし、寄らば大樹の陰式の独りでは何もできない、不安げな、姑息で不道徳な、あの暴走族と同じ不逞の輩です。

二つ目は、閣僚の発言も、中韓の批判は受け付けない、これは国内問題であり、こころの問題に対する外国の不当な介入だという世論の醸成です。マスコミから垂れ流される映像は、ナチスの手口そのものであることを証明しているようです。

三つ目は、そのことで首相の公式参拝を狙っているのではないかということです。「私人」としての「真榊奉納」手法こそナチスの手口そのものです。

四つ目は、彼らを拘束している憲法の規制緩和の具体化・立憲主義の否定です。信教の自由、国家の宗教への介入の正当化、靖国神社の国営化の土壌づくりです。

五つ目は、いわゆる「ねじれ」が解消し、「1強他弱」の国会で、このことに関する批判・追及はないだろうという予測です。また磐石と言われている政権、3年間は総選挙もないであろうことが想定されており、その3年間で自民党政権の永続化を構築できるための装置・大勢づくり、すなわち自衛隊から国防軍化をめざす憲法改悪です。 

以上の流れをつくだすために用意周到に仕組まれたパフォーマンスということです。そこに共通していることは、

一つは、理屈ではなく感情に訴えていることです。理屈では間違っていることは百も承知しているからです。

二つ目は、姑息なスリカエをちりばめていることです。ゴマカシ・トリックオンパレードです。100円玉を入れたら、コーヒー缶が出てきた式の「トリック」です。実は、100円玉からコーヒー缶が出てくるためには高度な技術が必要です。その高度な技術が、彼らの姑息な手口・パフォーマンスなのです。

「尊崇の念」をいだき、「感謝」する「英霊」、「私的参拝」「私費」などなど、誰がみても、そのトリックぶりは明らかです。しかし、それが放置されているのです。まるで手品師が手品のトリック、仕掛けを丸出しにしながらも舞台で演技しているようなものです。野球の隠し球でしょうか。裸の王様ならぬ丸裸の「公人」が「私人」という制服を着て銀座を歩いているようなものです。

そのことを春の例大祭と夏の参拝、秋の例大祭報道を視ていて考えてみたのです。

そこで、彼らの手口を短めな手法で斬って捨てる物言いはないか、考えてみました。

1.「私人」として参拝するのであれば、いっさい報道はしない。徹底して無視をする。民間である靖国神社や伊勢神宮ついては、いっさい無視をするのです。特定の宗教法人である靖国神社や伊勢神宮の宣伝はしない。共産党の活動もそうですが、国民の反政府運動を無視するのと同じ扱いをする。

2.報道を期待するのであれば、各議員は参拝の意向を文書で公開する。何故ならば、税金で飯を食わせてもらっていること、何より選挙で選出された「公人」であることの責任を果たす。

恐らく文書化したら、あの高校生の制服、就活する学生の「制服」と同じになるでしょう。個性などまるでなし!ということは、「信念」などまるでなし!という実態と彼らの思想の貧困さが浮き彫りになるでしょう。

3.報道をするのであれば、一人ひとりの参拝について、アンケートを取る。「公人」としての国会議員の情報を国民の前に公開する。であるならば、徹底して「秘密」を排除する。「公費」「税金」で、その活動が保障されているのです。これはマスコミの責任であるということです。新聞週間に入り、その決意を社説で書いた、その責務を実行するのです。その内容は、以下のとおりです。

(1)「公人」が「神道形式」の参拝するのは、宗教法人の特別扱い、他の宗教法人との差別化にならないのかどうか。靖国神社や伊勢神宮の広告塔化にならないのかどうか、です。

(2)超党派の国会議員でつくる「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長・尾辻秀久元参院副議長)、政府から井上信治副内閣相、西川京子副文部科学相、高木毅副国土交通相、加藤勝信官房副長官、衛藤晟一首相補佐官ら、157人は、靖国神社に、いったいいくらの参拝料=カンパしたのか、公開すべきです。因みに安倍内閣総理大臣は私費5万円をカンパしたそうです。しかも、これまでの参拝料=カンパの合計はいくらか、靖国神社は公開すべきです。

(3)「公人」としての国会議員が「国のために尊い命を犠牲にし」たからこそ、「尊崇の念」をいだき「感謝」する対象となった「英霊」である皇軍兵士=国民は、好んで戦争に参加したのか、どうか。

(4)「公人」としての国会議員が「尊崇の念」をいだき「感謝」するする対象となった「英霊」の死に方・殺され方はどのようなものであったか、このことについて、どれくらい認識しているか。

(5)「公人」としての国会議員が「国のために尊い命を犠牲にし」たからこそ、「尊崇の念」をいだき「感謝」するする対象となった「英霊」は、「敵国」のどれだけの人間を殺したか、どれだけの人間を傷つけたのか、このことについて、どのような認識を持っているか。

(6)「公人」としての国会議員が「国のために尊い命を犠牲にし」たからこそ、「尊崇の念」をいだき、「感謝」するする対象となった「英霊」の遺骨収集が、未だ不十分であることの責任を問いただし、その対策に、「公人」である国会議員は、どのように関わるか。

(7)あの大東亜戦争はどのような戦争であったか、「公人」としての国会議員に、文書で見解を提出していただく。

(8)あの大東亜戦争に反対した人々を監獄に送り込み、拷問で殺した治安維持法と特高について、さらには、その法律を成立させた勢力と承認した天皇裕仁の責任を含めて、「公人」としての国会議員の考えを文書で提出していただく。

(9)戦前の治安維持法を含めた弾圧法によって、どれだけ不当な扱い・被害を受けた人がいたか、国会が、「公人」としての国会議員が、その実態をまとめることについて、文書で回答をしていただく。

(10)「公人」としての国会議員が「国のために尊い命を犠牲にし」たからこそ、「尊崇の念」をいだき「感謝」するする対象となった「英霊」と、治安維持法等の弾圧法で殺された人々の違いと区別は何か、文書で回答していただく。

(11)「公人」としての国会議員が「国のために尊い命を犠牲にし」たからこそ、「尊崇の念」をいだき「感謝」するする対象となった「英霊」のお陰で現在の日本の繁栄があるとするのであれば、その戦争の反省のうえにつくられた憲法の平和主義を「変更」し、自衛隊を「軍隊」とするのは、「英霊」に申し訳ないのではないか、文書で回答していただく。

(12)「公人」としての国会議員が「国のために尊い命を犠牲にし」たからこそ、「尊崇の念」をいだき「感謝」するする対象となった「英霊」と、自民党政権下で自殺を余儀なくされた人々への「尊崇の念」「自責の念」はどうなのか、どのような行動を取るのか、問いただす。

以上の設問を、「公人」としての国会議員に質問し、これを元に国民的討議を行なうべきでしょう。勿論、彼らにも登場していただき、彼らの主旨を説明していただく、これは「公人」としての説明責任の問題であり、マスコミには、このことを一点の曇りもなく報道していただく、これこそ、マスコミの情報責任、報せる責任ではないのでしょうか。マスコミができなければ、どこかの団体がやるべきことではないでしょうか。一庶民には、とてもできないことですので、考えてみたという訳です。

このことは、以下の記事を読んで、思いついたのでした。このような世論調査をするのであれば、「公人」としての国会議員にも実施しなさいということです。第4の権力が、国権の最高機関を構成する国会議員に対して、厳しい姿勢を忘れる時、何が起こるか、それは戦前の事例が示していることです。

「首相参拝」47%肯定=時事世論調査 (2013/10/18-15:43)

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2013101800632

 時事通信が11~14日に行った世論調査で、17日からの秋季例大祭に合わせた安倍晋三首相の靖国神社参拝の是非を聞いたところ、「参拝してもよい」は47.8%で、「見送った方がよい」の38.3%を上回った。首相は春季例大祭と同様、祭具の真榊(まさかき)を奉納。中国や韓国との関係を考慮し、20日までの秋季例大祭期間中の参拝は見送る意向を固めているが、国民の間では首相参拝に肯定的な意見が強いようだ。調査は全国の成人男女2000人を対象に個別面接方式で実施。有効回収率は63.9%。(引用ここまで

それにしても、表題は「肯定」ですが、「肯定」していない人、認知していない人は53%もいるのです。これほど宣伝していても、です。以下のような曖昧な世論調査、これほど偽りの世論調査であってもです。

この記事を読むと、この参拝問題は、「中国や韓国との関係を考慮」の問題として描かれていませんか?日本のマスコミのスタンスは、この点で共通しているのです。ここにトリックがあります。

しかし、それでも、です。ここに、国民の健全さの一端をみることもできます。だからこそ、必死なのでしょう。だからこそ、こうした野望に対応した取り組みが必要になってくるのではないでしょうか。そのための試案・私案として愛国者の邪論を吐いてみたという訳です。

それにしても、この参拝問題については、批判的な見解や行動は、ほとんど無視されていないでしょうか。しかもかみ合うような見解の報道は斬って捨てられているのではないでしょうか。或いは諦めているのでしょうか。ネットを検索してみても、抗議している団体はあるでしょうか?こうした事態は、健全な国民意識を形成していくうえで、それこそ思う壺です。

その点、赤旗の果たす役割は大きなものがあると思います。それにしても、彼らのスリカエとトリック・デタラメ、大ウソを暴いて、国民的批判の前に晒していくために、何をなすべきか。今や、従来の反対論のレベルを超えた反論の方法・内容と問題提起をする段階にきているのではないでしょうか。相手が工夫しているのです。こちらも工夫すべきです。これはスポーツの世界では常識中の常識です。是非とも、ご検討をお願いします。

以下、赤旗の記事を一覧しておきます。赤旗を含めて、ご検討をお願いします。

首相、靖国に真榊奉納/参拝に準じる行為――侵略戦争美化の立場に身をおくものだ/志位委員長が指摘 [2013.10.18]

安倍首相式辞・閣僚の靖国参拝/「反省どこへ」 地方紙が批判 [2013.8.17]

主張/首相「靖国」玉串料/日本とアジア諸国民への挑戦 [2013.8.16]

侵略戦争肯定の立場に自らの身をおくもの/――靖国神社への閣僚の参拝と、首相の「玉串料」奉納について/日本共産党幹部会委員長 志位和夫 [2013.8.16]

首相「反省」「不戦」を放棄/終戦68年 「靖国」に固執 玉串料奉納 [2013.8.16]

首相のウソと開き直り/靖国参拝「脅かしに屈しない」というが…/侵略の歴史認めてこそ日本人の誇り守れる [2013.4.26]

靖国参拝 「不要な国粋主義」/NY・タイムズ紙が社説 [2013.4.26]

靖国参拝 日本の地位失う/市田氏 「やってはならない行為」 [2013.4.25]

自民・民主・維新・みんななど/最多168議員 靖国参拝 [2013.4.24]

靖国神社への閣僚の相次ぐ参拝/侵略美化の宣伝拠点への訪問/アジアとの協調に深刻な影響[2013.4.23]

侵略戦争肯定に身をおくもので許されない/首相・閣僚の奉納・参拝 志位委員長が会見 [2013.4.23]