愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

日本初の8時間労働制を実現したのは官営八幡製鉄所の大ストライキ!人権認知には多大な犠牲があった!

2013-10-24 | 歴史

以下の記事をご覧ください。 

ブラック企業に殺される若者たち!「みなし労働時間制 ... - J-Castニュース 2013年9月20日

戦後民主主義の出発点を象徴する一つとなった労働基本権が、自民党政権によってないがしろにされてきた「結果」、引き起こされた事実がリアルに描かれていると思います。しかし、昨日の記事にも書いたように、誰が、何のために、このような制度をつくったのか、この結果をつくりだすためにどのような手口を使ったか、このことは、この記事にあるように、忘却の彼方に封印されてしまっています。それは何故でしょうか。恐らく、この事実がバレると、天と地がひっくり返るからかもしれません。だからこそ、この事実を暴いていかなければならないと思います。

非正規労働を増やしてきた真因を隠蔽する東京など日本のマスコミの大罪は深刻!これは選挙報道でも同じ!(2013-07-15 10:17:42)

1、労働·雇用(2013年参議院選挙各分野政策) - 日本共産党中央委員会

自民党・公明党連立政府が、2003年に労働基準法を改悪して「解雇自由条項」を盛り込もうとしたときに、日本共産党は、労働者・労働組合と協力してこれをやめさせ、逆に解雇を規制する条項をはじめて盛り込ませました(この条項はその後、労働契約法に移行)。さらに、「解雇規制・雇用人権法」を提案して、労働者の人権をまもり、ヨーロッパ並みの労働契約のルールの確立をめざしています。具体的内容は、最高裁の判例などで確立している「整理解雇4要件」(①差し迫った必要性、②解雇回避努力、③選定基準・人選の合理性、④労働者・労働組合の合意)を法律に明文化して解雇制限のルールを法律に明記するとともに、裁判などで解雇を争っているあいだは雇用を継続する、解雇無効になった場合には職場に復帰するという就労権を保障しています。

 希望退職・転籍についても、本人同意・取消権、労働組合の関与などのルールを確立します。解雇を目的としたパワーハラスメント(いじめや嫌がらせ)を禁止し、人権侵害をきびしく取り締まります。労働基準監督署が、退職強要などを日常的に監視し、取り締まるようにします。会社分割などにともなう雇用と労働条件のルールをつくります。55歳一律転籍など、年齢による雇用契約の不利益変更や採用制限を禁止します。事業所の閉鎖、移転、縮小の際の自治体との協議の仕組み(リストラ・アセスメント制度)をつくります。(引用ここまで

20036月 - 労働時間短縮研究所

キラキラ日誌 集会・学習会

もう一つあげておきます。それは、八幡製鉄所のストライキ時もそうですが、8時間労働制を掲げただけで、弾圧されたというのが、日本の現実でした。それは社会民主党 (日本 1901年) にみることができます。しかし、日本社会主義運動史 - マルクス主義同志会 にも書かれていません。詳しくは別項に掲載することにしますが、1901年の段階、八幡製鉄所のストライキの19年前においては、禁止条項の一つだったのです。逆に言えば、社会民主党に結集した人たちの先見性にはアッパレ!です。

このような日本近代史の輝かしい歴史を継承している日本国憲法と労働基本権ですが、それが、今土台から崩されようとしているのですから、呆れるばかりです。日本の労働者諸君!たたかおうじゃないか!です。以下ご覧ください。

「八幡製鉄所争議」(『溶鉱炉の火は消えたり』)-史料日本史(1162)

47八幡製鉄所東田第1高炉 | 日本の近代遺産50選 2009年4月2日

浅原健三の気骨。溶鉱炉の火は消えたり | 日本の偉人 列伝 2005年12月9日

八幡製鉄所争議 とは - コトバンク

それでは、犬丸義一・中村新太郎『物語 日本労働運動史上』(新日本選書74年9月刊)に書かれていた官営八幡製鉄所の大ストライキの記事をご覧ください。

1920年という歳は、フレームアップ事件といわれている大逆事件が演出され、いわゆる「冬の時代」から10年でした。第一次世界大戦による、いわゆる「大戦景気」は、大量の労働者を作り出した結果、労働者のたたかい、学生・婦人の運動、普選運動、社会主義運動などを復活させていきます。それは、1917年にはロシア革命、1918年には米騒動、19年には3.1独立運動、5.4運動などの運動の後でした。日本が国際聯盟に加入したのは、このストライキの直前の1月でした。こうした日本における資本主義の発展と戦争後の国際社会における反戦平和、人道主義と人権尊重主義が広がっていく時期でした。

19 “溶鉱炉の火は消えたり” ―八幡製鉄所のストライキ―

陸海軍拡張の心臓部で

一九二〇(大正九)年二月五日、その日は朝から冷たい雨が降りしぶいていました。この日、日本重工業の基地北九州の一角にそびえたつ官営八幡製鉄所の煙突は、朝から煙りをはかず、七十万坪(約二万三千百四十ヘクタール)の工場敷地には、労働者の影もまばらでした。翌六日付の『大阪朝日新聞』は、

  「八幡製鉄所の同盟罷工

  一万三千の職工業務を投げうち

 大鎔鉱炉の火はことごとく消え

  五百の煙突けむりを吐かず」                        

 という大見出しで、この日本最大の工場に大ストライキがおこったことを報道しました。

 官営八幡製鉄所は、日清戦争の講和条約で清国から二億テール(約三億円)の賠償金をとり、これの大部分を陸海軍拡張費にあてたとき、その一部を創設費にまわして、天皇制の軍事的要請のもとにつくられた工場でした。当初兵器生産を主とし、かたわら鋼材生産(多くは鉄道用)が目的でした。一九〇一(明治三十四)年十一月、伊藤博文の手により、第一溶鉱炉に火がいれられ操業が開始されてから十九年間、一度も消えたことのない火が、ここにはじめて消えたのです。陸海軍拡張の心臓部である官営工場が大ストライキにはいった報道は、それまでのどのストライキよりも、世の人びとをおどろかせました。政府や資本家たちがおどろいたのはもちろんです。

 八幡製鉄所は、ドイツ人技師トッペの技術指導で、中国の大冶鉄山から良質な鉄鉱石を輸入し、筑豊炭田の石炭をコークスの原料炭として生産を開始しました。のち大冶には多額の借款をあたえ、さらに悪名たかい対華二十一ヵ条要求で、この鉄鉱石を独占しました。朝鮮の植民地化がすすむにつれて、国営にして朝鮮の鉱山からも良質な鉄鉱石を八幡にまわしました。こうして、八幡製鉄所は、一九一三(大正二)年には、日本の全銑鉄生産高の七三パーセント、全鋼材生産高の八四パーセント(三十七万五千トン)をしめ、軍需生産の主柱となりました。製鉄所ではたらく労働者も、一九〇一年四千人から一九一三年一万三千人、一九二〇年二万七千人と増加していきました。

友愛会と労友会

 日本の製鉄労働者は、ながいあいだ、労働条件の劣悪さと低賃金に苦しめられてきました。それが八幡のような官営になると、何段階もの複雑できびしい身分制(職階制)にしばられ、職工長でさえも官庁身分の雇員以下の地位におかれるようなありさまでした。労働時間は、十二時間昼夜二交代制がつづけられていました。

 さて、ロシア十月革命や米騒動ののち、労働者のたたかいが高揚してきたので、八幡の労働者たちもふるいたちました。八幡製鉄所に友愛会八幡支部がつくられたのは、これよりさき、一九一七(大正六)年六月でした。ところが、ほとんど活動らしい活動をしないまま、月日がすぎてしまいました。それで、友愛会とは関係のない据えつけ工場の西田健太郎という二十五歳の一青年労働者が、待遇改善の火ぶたを切ることになるのです。西田は、佐賀の甲種工業学校を卒業し、工手という身分の低い職種でくるしんでいたのですが、一九一八(大正七)年秋ごろから、活動を開始しました。かれは、ひそかに、仲間たちに、

 「もっと待遇をよくしようじやないか。食堂、浴場、便所を改善してもらおうじやないか」

 と、といてまわったところ、多くの労働者たちがこれに共鳴してくれました。翌一九一九(大正八)年夏、かれは十人ほどの仲間だちと、たたかう労働組合をつくろうとしましたが、会社がわにわかり、たちまち解雇されて、郷里の佐賀に帰りました。

 西田と入れかおるように、八幡市出身の浅原健三という二十三歳の青年が、東京から八幡に帰ってきました。鉱夫のむすこに生まれた浅原は、少年時代に、渡り鉱夫の経験があり、のも上京して日本大学専門部(夜間)の法科に学び、いつかしら、労働運動に心をひかれるようになりました。かれは、郷里で労働運動をはじめようと思って、八幡に帰り、木戸料十五銭の労働問題演説会をひらいたところ、新聞がこれを大きく報道してくれました。西田健太郎は、これを新聞で読むと、さっそく八幡へ浅原をたずねていき、八幡に労働組合をつくることで意見が一致しました。ふたりは、夜もろくろく眠らずに、かげまわりました。そして、八幡製鉄、九州製鋼、旭硝子、安川電気など、横断的に約千名の労働者を組織し、一九一九(大正八)年十月十六日、日本労友会を発足させました。会長には浅原、副会長には西田が選ばれました。

 いっぽう、労友会の組織に刺激されて御用組合的な企業内組合結成もすすめられ、まもなく八幡製鉄所内には職工同志会(会員三千人という)がつくられました。

第一欠ストに決起

八幡製鉄所では、年の瀬のおしせまった一九一九年十二月末に「職工規則」を改め、明年二月一日から時間外勤務を厳重に規制すると発表しました。ところが、ほとんどの労働者が超勤手当を当てにしてくらしてきたのですから、その規制は、大動揺をひきおこし、不満の声がみなぎりました。かねてから闘争準備をすすめていた労友会では、翌一九二〇(大正九)年一月、浅原会長が単身上京して、やはり上京中の製鉄所長白仁武と会見して、                                                   

 「会社がわが自発的に職工の要求をいれないと、公然と要求書が提出されますぞ」

 と、勧告しました。しかし所長は耳をかさず、会談は決裂しました。浅原は、すぐ八幡の同志に暗号電報で、「開戦ヲ準備セヨ」と打電し、自分も八幡へいそぎました。

 二月四日朝、吉村真澄ら労友会の幹部四人は、製鉄所事務所で中川次長代理の竹下工場課長らにあい、一通の「嘆願書」形式の要求を提出しました。要求事項は、つぎのとおりです。

(一)、臨時手当および臨時加俸を本給になおして支給されたい。

(二)、割増し金は従来三日以上の欠勤者にたいしては付けられなかったが、これを廃し、日割りをもって平等に支給されたい。     

(三)、勤務時間を短縮せられたい。

(四)、住宅料を家族をもつものには四円、独身者に二円を支給されたい。

(五)、職工の現在賃金にたいして三割を増給されたい。

 しかし、製鉄所がわは、この四人を代表者とはみとめず、嘆願書の受理を拒否しました。その

夜、駅前の松屋旅館で労友会の幹部会がひらかれ、労働者の闘争を触発するため、三隊の行動隊が組織されました。翌二月五日、二万数千名の労働者が、労友会の指導のもとに決起し、消えることのなかった溶鉱炉の赤い火が、ついに消されたのでした。

 この日早朝、人夫に変装した西田健太郎は、わらじばきで、製鉄所構内にもぐりこんで、演説してまわりました。交渉のすえ、七日夕刻までに回答するという所がわの言質を得て、労働者たちは歓声をあげながら、製鉄所を見下す豊山公園に向かってデモ行進をはじめました。さらに、夕方になると、夜業勤務に出社してくる労働者たちに、門外で「ストライキに参加せよ」とよびかけ、不夜城をほこっていた製鉄所は、夜半まで、なお暗黒につつまれていました。

 はげしい弾圧に抗して

 治安当局は、このストライキを鎮圧することにし、小倉・若松・門司の各警察署から、警官隊がぞくぞくと、八幡に動員され、憲兵も出動しました。八幡には、警官隊があふれ、戒厳令下におかれたかのようでした。はやくも五日午前十時、労友会本部がおそわれ、会長浅原健三、副会長西田健太郎らが検束され、めぼしい労働者たちも捕えられ、その数は三百人をこえました。夜おそく、役付工など一部復業した労働者によって、溶鉱炉の一部に火が入れられましたが、作業は、六日も七日もなお停止状態でした。所がわでは、七、八両目を臨時休業にすると公表し、賃金、手当の改善については、予算を議会に提出中というだけで、具体的にはなにも回答しませんでした。

 はげしい弾圧のため二月八日、労働者の結束はくずれ、翌九日になると、ほとんど全員にちかい労働者が就業し、五百本の煙突はふたたび黒煙をはきはじめました。しかし、労働者の不満はくすぶりました。福岡の坑夫協会、総同盟友愛会本部は、労友会に応援を申しでてきました。そこで、労友会は態勢を建てなおし、ビラで「再罷工」をよびかげました。これは労働者たちに大きな反響をよび、二月二十三日の夜からサボタージュがはじまり、翌二十四目吹雪の朝からは、二万五千名が、いっせいに職場を捨て、ストライキに突入しました。

 翌二十五目、製鉄所はロックアウト(エ場閉鎖)を宣言し、在郷軍人の労働者がかりあつめられて入所しました。警察は、はげしい弾圧をくわえ、会社がわは、切りくずしにやっきとなりました。

労働者はしだいにストライキをつづける余力がつきていき、三月二十日、八幡の大ストライキは、惨敗のうちにおわりました。製鉄所は二百二十四人の首を切り、裁判所は、「治安警察法違反、騒擾罪」で、浅原ら七十人を起訴しました(うち二十九人が有罪)。浅原は控訴審で無罪となりますが、実兄の鉱三郎は懲役一年六ヵ月の刑をうけました。このため、労友会も、まもなく壊滅してしまいます。

 四月上旬、製鉄所がわは、八時間三交代制をはじめ、労働者の要求をほとんどいれた「職工優遇案」を発表しました。犠牲のおおかったストライキも、けっしてむだではなかったのです。なお浅原健三は、のち北九州労働運動の立役者から無産党の代議士、さらに戦時中は労働者を裏切って軍部とむすぶ労働ボスに転落しますが、このときは、かれも全力をあげて、運動に身をささげていたのでした。(引用ここまで

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NHKスペうつ病防衛本能がもたらす宿名が描く現代日本資本主義の病理の原因と対策と民主主義の大切!

2013-10-24 | 日記

先日NHKスペシャル病の起源 第3うつ病防衛本能がもたらす宿命~」を見ました。うつ病と認知症、生活保護・ワーキングプア・非正規雇用(労働)が現代日本資本主義の病理現象だという問題意識があったからです。

 

うつ病については、これまでの放送を大きく前進した内容だったように思いました。脳科学という分野でしょうか、その科学・学問の根底には、経済、暮らし、現実があることを浮きぼりにした放送だったように思います。

 

ここまで来た!うつ病治療/NHKスペシャル - 心と体の不調全般 - 専門 ..2012年2月19日

NHK「クローズアップ現代」職場で孤立する“大人の発達障害” | うつ病...

大人の発達障害” - NHK クローズアップ現代 - NHKオンライン 2013年3月13日

 

この放送は、まさにマルクスが「人間は、彼らの生活の社会的生産において、一定の、必然的な、彼らの意志から独立した諸関係に、すなわち、彼らの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係にはいる。これらの生産諸関係の総体は、社会の経済的構造を形成する。これが実在的土台であり、その上に一つの法律的および政治的上部構造が立ち、そしてこの土台に一定の社会的諸意識形態が対応する。物質的生活の生産様式が、社会的政治的および精神的生活過程一般を制約する。人間の意識が彼らの存在を規定するのではなく、逆に彼らの社会的存在が彼らの意識を規定する」(『経済学批判』の「序言」)と述べたように、「新自由主義」政策の「規制緩和」という「美名」の結果としてつくりだされた現代日本資本主義の病理現象を浮き彫りにしました。

 

印象的だったのは、魚類のメダカから哺乳類、しかもサルの仲間であるチンバンジーに、そして人類・ヒト・人間にどのように継承されていたか、でした。その中で面白かったのは、「人類は元々平等の精神を持っていたからこそ、うつ病となりえる原因の多い状況でも、うつ病を発症せずに生きてこられた」という指摘でした。その説明に「タンザニアの狩猟採集生活」を描いていたことは圧巻でした。まさに原始共産制の説明でした。その社会は「平等という仕組みで発症を防いでいた」のですが、「農耕社会への転換」「文明社会になり平等が崩れる」という言葉を使って、すなわち労働によって創りだした富の分配の独占によってうまれた不平等社会、階級社会への発展によって、「再びうつ病への道を歩む事となってしまった」という説明こそ、現代社会の病理現象のルーツを示すものだったのです。

 

その「文明社会」が更に発展することで、分業化、細分化がすすみ、うつ病が発展していくことを次のように説明していました。それは「自らの判断で仕事を行う専門職や技能職ではうつ病は少ないが、上司からの指示で仕事を行なう営業・事務・非技能職ではうつ病が倍以上も多く確認」したというものです。

 

ここにうつ病だけでなく、現代資本主義の病理現象を打開・解決する重要なヒントが映し出されていました。それは一言で言えば、職場の、日本社会の「民主主義」です。「自らの判断」という「民主主義」の当たり前の原則です。それに反する言葉は、「上司からの指示」です。「成果主義」と「ほうれんそう」です。「上意下達」です。

 

人権と民主主義が成熟したと言われているニッポンにおいて、「自らの判断」を奪う装置が、学校で、地域で、職場で、社会で、様々に張り巡らされている日本社会を顕微鏡で検証するような作業が必要になっていることを改めて強調しておきたいと思います。そのことと合わせて政治や経済や文化、放送・マスコミや地域社会などなどにおいて、徹底して民主主義を貫く装置を創っていくことの大切さを、NHKは、そのような自覚はないとは思いますが、改めて描いていたと思います。

 

具体的には、労働者が、自らの会社の経営にどれだけ口をさしはさむ(経営参加)ことができるか、株主・資本家(しかも機関投資家と個人投資家)と経営者間の民主主義をどのように考えるか、株主総会の運営をどのように民主的に運営するか、などということは、労働者と経営者と資本家と消費者の間の民主主義をどのように構築するか、ステークホルダーの民主主義などなど、現在の労働者の病理現象であるうつ病や貧困問題などの解決のための方策をどのように描いていくか、そのことが鋭く問われた番組であったように思いました。

 

このことは東電や王子製紙はみずほなど、日本を代表する巨大企業、「官」と比べると、非常に優秀で、良好な、常識があるとされる「民間」企業ですが、これらの企業に最も欠けている「民主主義」をどのように充実・具体化していくかという問題・課題です。これらの巨大企業群が自由と民主主義という価値観を強調する安倍自公政権を支えているのです。このことを告発することと合わせて、民主主義の担い手として、どのように職場の労働者の役割を強調していくか、そのことこそ、うつ病などに見られる現代日本資本主義の病理を解決していくことができると、番組を視ていて思ったのでした。

 

ところが、番組は、そのような視点には全く立っていませんでした。そこにNHKの立ち居地があるように思いました。しかし、そのようなNHKの思惑は別として、物事をまともに、リアルに見ていけば、アメリカであっても、「共産主義」(訳語表現は別として)という思想に接近していかざるを得ないことが浮きぼりになったように思います。その点で、共産党の綱領に描かれている「未来社会」論の国民的議論(賛成・反対・批判を含めて)が必要であると思います。

 

「綱領教室」志位委員長の第12回講義/第5章 社会主義·共産主義の ... 2012年3月8日

3、日本の未来社会――社会主義·共産主義の展望 - 日本共産党中央 ...  

何故ならば、日本の政党のなかで、共産党だけが、日本の未来社会を展望した綱領をもっているからです。このことをマスコミは一貫して黙殺しています。勿論共産党独自の努力が必要であることは当然のことですが、それにしても、このような番組が放送されるのですから、大いに議論を巻き起こしていくことが求められているのだと思います。

 

繰り返しますが、これは、うつ病や認知症、非正規雇用によるワーキングプアや生活保護受給を余儀なくされている数千万の国民の苦悩を解決するためです。このような腐敗した、行き詰まった日本をどのように打開していくか、当面の問題と未来の問題を含めて国民的議論が必要でしょう。愛国者の邪論は、徹底した民主主義こそが、問題を解決していく唯一の思想と運動と制度ではないかと思っているのです。

 

そのためにも、大企業・財界は、これらの国民の苦悩のために、彼らが作り出してきた富を、彼らのために使うべきです。これこそが人道主義の具体化です。これこそが憲法の原則の具体化です。この富の還流は大企業・財界のためでもあるのです。このことを強調しておきたいと思います。このことは共産主義を支持するかどうかなど、思想信条の違いは別として、資本主義があみだした人道主義と民主主義の原則を使うのですから、一致できるのではないかと思うのです。

 

それでは、この番組を紹介したブログを掲載しておきます。愛国者の邪論の指摘のようなものはほとんどありませんでした。ご覧ください。

 

NHKスペシャル『病の起源』第1集「がん ~人類進化が生んだ病 ... 2013年5月19日

うつ病は防衛本能がもたらす宿命だが - 散歩好きの絵描き - ココログ

うつは人類の進化が作り出した産物か?(NHKスペシャル 病の起源) うつ ...

病の起源「うつ病」防衛本能がもたらす宿命|NHKスペシャル - テレビの ...

 

以下のブログは、愛国者の邪論の指摘と同じでした。しかし、どうするかについては、ありませんでした。ご覧ください。

 

NHKスペシャル「シリーズ·病の起源 うつ病の秘密に迫る」をみて,考える。

…うつ病を発症する原因は,人類の進化の順に合わせて,天敵(生存競争),孤独,記憶,言葉,という四つのキー・ワードで整理されていましたが,そこまで言えるのであれば,それらの原因を除去する方法も,いとも簡単にまとめられるのに・・・・というのがわたしの不満です。貧富の差を少なくし,可能なかぎり平等な社会を目指すこと,そういうコンセプトを日常生活の隅々にまで行き渡らせること,こんな単純なことを,なぜ,NHKは言えないのか。ちょっと奇怪しい。それを無視して,最後にとってつけたような結論を出していました。これにはいささかあきれ返ってしまいました。それは,TLC(生活改善法)を導入すればうつ病を克服することができる,と。つまり,定期的な運動をしなさい,規則正しい生活をしなさい,といった当たり前のことの列挙です。もう,繰り返すまでもありませんが,問題は,そんなところにはありません。そういうTLCが提唱するような健康的な日常生活が送れなくなってしまっているからこそ「うつ病」が激増しているのですから。まともな日常生活をとりもどすこと,それを不可能にしている原因を除去すること。少なくとも,そちらに舵を切ること。(引用ここまで

 

それでは最後に番組の要約版を掲載しておきます。ご覧ください。

 

[NHKスペシャル 【病の起源 第3集「うつ病〜防衛本能がもたらす宿命 ...

NHKスペシャル|2013/10/24(木)放送 | TVでた蔵

ドイツで行なわれたうつ病の最新治療。脳の奥深くに電極を埋め込み電流で刺激して、脳の働きを改善する…というもので、画期的な治療方法として注目を集めている。最新の研究からうつ病は脳の最も古い部分が影響している事が判明した。700万年前に誕生した人類。高度な文明を築き上げた人類だが、その影で人間の身体には病気の種が埋め込まれていた。NHKスペシャル病の起源。今回は世界でも患者が急増しているうつ病に迫る。日本人のうつ病患者数は増加傾向に。うつ病とは悲しみや気持ちの落ち込み、意欲がわかない、興味を失う…などの症状が2週間以上続くというものだった。

解明が進むうつ病のメカニズム

うつ病がどのようなメカニズムで発生するのか?7年前にうつ病と診断された男性を取材。現在薬による治療を受けている男性は、日々大量の薬を服用していた。「国立精神・神経医療研究センター」(小平)で、男性の脳の構造などを詳しく検査したところ、異変が起きている場所が発見。脳の一部が軽度に萎縮している事が判明。萎縮を起こした原因は脳の奥にある扁桃体だった。

 うつ病を生んだ“防衛本能”

うつ病になると強く働く扁桃体の秘密に迫る。太古の昔節足動物が繁栄していた頃に誕生したのが、我々人類の祖先「魚」だった。魚には、外敵から生き延びるため身体を集中制御する脳が誕生し、その脳に生まれた扁桃体は天敵が近づくと活動する場所だった。ニューオリンズで行なわれた、北米ストレス行動学会では、この仕組みこそうつ病と深く関わりあっているとの報告がなされた。学会ではうつ状態のゼブラフィッシュを使い説明が行なわれたが、うつ状態のセブラフィッシュは水槽の中に天敵とともに同居して飼育されていた。様々な分析の結果、セブラフィッシュのストレスホルモンは大量に分泌され続け、これがうつ病へと繋がっていたのだった。

元々天敵から逃れるために魚類が獲得した、脳の中の扁桃体という機関。しかしそこから出されるストレスホルモンによってうつ病が引き起こされている事が判明。ただ、哺乳類の時代となり扁桃体は天敵以外にも反応するようになっていた。

チンパンジーもうつ病に!

哺乳類が進化する中で、本来天敵に反応するはずの扁桃体が、別のものにも反応するようになってきた。アメリカ・ワシントン州にあるノースウエスト・チンパンジー保護施設飼育されている、ネグラという名前のチンパンジーはうつ病だと診断されていた。ジョージ・ワシントン大学のホープ・フェードシアン教授によれば、ネグラがうつ病となったのは、ネグラが以前1年半もの間隔離され飼育されていたからではないかと指摘した。うつ病と診断されたチンパンジーは、長い間孤立して飼育されたため、うつ病になったと考えられている。仲間との絆の強い生き物は、天敵だけでなく孤独にも脳の扁桃体が反応するようになっていた。更にこれがヒトに近づくと、記憶にまで扁桃体が反応するようになった。

恐怖の記憶がうつ病に!

370年前に誕生した人類の祖先アウストラロピテクス・アファレンシス。暮らしていたサバンナは猛獣の暮らす場所で、厳しい環境で生き延びるのに重要なのが危険の記憶だった。現在も狩猟採集で暮らすタンザニアのハッザの人々は、現在も恐怖の記憶を頼りに生きていた。ニューヨーク大学のエリザベス・フェルプス博士は恐怖の記憶は、うつ病の原因となる扁桃体に大きく影響していると指摘。それは扁桃体と海馬が連動する事で、衝撃的な出来事などに関して、強い記憶が生まれる事と関連していた。

言葉が生まれうつ病がさらに!

フロリダ州立大学のディーン・ホーク博士が、人類の頭蓋骨を示しつつ、ブローカ野という部分が脳に出来た事で言葉を使い、情報を伝え合えるようになったと指摘。ただこのコボ場により、他人から恐怖を言葉で伝えられるだけで、うつ病の原因となる扁桃体が働くようになっていた。

うつ病との原因となる扁桃体。進化の歴史で天敵だけではなく、孤独や記憶、さらに言葉により扁桃体が暴走してしまう結果に。人類は進化するたびにうつ病の種を抱えてきたのである。

うつ病に無縁な人々

うつ病患者の多い現代社会。それは人類がうつ病の原因を次々と抱え込んできた事に要因があった。しかし人類はうつ病を防ぐ仕組みを持っていた。タンザニアに暮らす狩猟採集で生活するハッザ人々にうつ病のテストを行なったが、うつ病の人はいなかった。ペンシルベニア大学のコリン・アピセラ博士は、集めた食料をほぼ100%分け合うなど、平等な暮らしで、現代社会の人々が抱える悩みが無いのが、原因ではないか?と推測した。

うつ病を防ぐ“平等”

獲物を平等に分け与えて生活をしている、タンザニアの狩猟採集生活をしているハッザの人々にはうつ病が無い事が判明。獲物を分け与える平等な生活は、かつて人類が獲物をしとめるために人々の結束が欠かせないときに無くてはならないものだった。平等はうつ病の発症をどのように防ぐのか?「脳情報通信融合研究センター」(吹田)で平等と扁桃体の働きに関する実験調査を行なっている春野雅彦博士によれば、平等性や公平性に扁桃体が関与しているのだという。人類は元々平等の精神を持っていたからこそ、うつ病となりえる原因の多い状況でも、うつ病を発症せずに生きてこられたのだった。しかし何故人類は平等の精神を持っているのに、多くの人がうつ病に苦しめられているのか!?

人類が歩んだうつ病への道

平等な暮らしによってうつ病を防いでいた人類。しかしある時代から、うつ病への道を歩み始める事に。ミッチェル・ロスマン博士はペンシルベニア大学博物館にある展示物を指し示し、農耕社会への転換が行なわれ、持つものと持たざるものが別れたメソポタミア文明がその起源であると指摘した。うつ病の原因とされる扁桃体の暴走。人類は天敵や孤独、記憶、言葉などうつ病への原因を多く抱えてきたが、それを平等という仕組みで発症を防いでいた。しかし文明社会になり平等が崩れると、再びうつ病への道を歩む事となってしまったのだった。うつ病と職業の関連を調査した、ヴァンダービルト大学のジェイ・ターナー博士によれば、自らの判断で仕事を行う専門職や技能職ではうつ病は少ないが、上司からの指示で仕事を行なう営業・事務・非技能職ではうつ病が倍以上も多く確認された。番組冒頭から登場している、うつ病と診断された男性も、営業の仕事をしていた。上司からの命令で大きな仕事を任されてから、うつ病の症状が出るようになった。この男性は毎日長時間の仕事をしないと、仕事が終わらない状態で労働していたのだった。(引用ここまで

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