愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

小泉首相は原発ゼロを主張する前に原発推進政策の過ちを認めたが、自己責任・謝罪・反省を表明したか!

2013-10-10 | 日記

以下の記事を書いたところ、コメントをいただきました。ありがたいことです。小泉氏の発言の変化について、愛国者の邪論は承知してはいましたが、その記憶は、確かなものではありませんでした。その理由については、

すでに過去の政治家であったこと、3.11直後から5月前後は、今後の原発をどうするかよりも東日本大震災の復旧と放射能汚染問題の対策に大きなエネルギーを傾注していたからでした。地域の人々に対して募金活動に専念していました。また小泉氏が発言した頃は、数値的には直後よりは減ってはいたものの、放射線が、まだまだ大量に飛び散っていた頃でした。愛国者の邪論の地域では、線量計機器を使って計測が始まったのは8月後半でした。購入まで時間がかかりました。地域で学習会を開いたのは10月初旬でした。小泉氏の発言が、ファイルに記録されていない理由は、こうした状況を反映していたように思います。

そこで、調べ、確認してみました。ありがとうございました。そこで記事を書くことにしました。

原発ゼロを表明した小泉元首相をもてはやし、共産党を黙殺するマスコミ、政権構想を発表しない共産党!(2013-10-06 12:07:56)

Unknown (tok) 2013-10-08 11:28:33

ご存知ないようですが、小泉元総理は2011年5月の講演で既に脱原発を言い、その際に、過去の自民党の原発推進は誤りがあった、と認めていますよ。それと、共産党の各議員は小泉発言に賛同しているBlogを書いている人が何人もいます。(引用ここまで

愛国者の邪論の問題意識は、第一に、小泉氏の原発ゼロ発言に注目したことです。脱原発発言ではありませんでした。それは、先の総選挙の際の各党の政策をみると、「即時ゼロ」「原発ゼロ」「脱原発」「卒原発」など、様々の表現・政策がありました。マスコミも、今回の小泉氏の発言を「脱原発」と表現しているものもあります。非常に曖昧な表現です。大谷氏の指摘は、そのことを象徴しています。これでは国民は受け取り方は、混迷するだけではないでしょうか。

脱原発 各党の姿勢は? 反原連ポスター - 日本共産党中央委員会 2012年11月24日

本来は、即時ゼロか、原発容認・再稼動か、この選択しかないのに、「中間的な脱原発」「可能な限り速やかにゼロ」などが入ることで、有権者の意見が分裂したのではないでしょうか。有権者の原発は良くない、しかしエネルギーはどうするのか、という「心配」を反映したものであることは理解できます。しかし、迫り来る巨大地震の脅威と原発の危険性と放射性廃棄物の脅威を考えれば、選択肢は、ハッキリしています。妥協は有り得ません。フクシマはそのことを教えてくれたはずです。しかし、選挙の実際は、二つの道の選択ではなく、「多様な選択祇」を提起し、その結果、容認派・再稼動派が多数の議席を獲得しました。いつものとおりですが・・・。

「脱原発『あなたの選択』キャンペーン」のサイト http://coalitionagainstnukes.jp/?page_id=1855

ちなみに公明党はどうだったでしょうか。非常に曖昧です。姑息な手法と言われても仕方のない日本語が滲み出ています。以下ご覧ください。

朝日新聞デジタル:公明、脱原発を公約化 「可能な限り速やかにゼロに ... 2012年11月17日

公明党は原発ゼロの日本をつくる。  公明党 衆院選2012

以上の状況を反映して、参議院選挙の時は、以下の石破幹事長のような発言が出でくるように、焦点がぼかされてしまっていました。この焦点ボケで、一番喜んでいるのは誰でしょうか。明白です。といいうように、小泉氏の脱原発発言については、注目に値するものではなかったのでした。そのことも付け加えておく必要があるように思います。

自民、原発ゼロに反対=公明·野党は「目標」-幹事長討論会 - 時事通信社 2013年6月29日

原発政策 | リアルタイム 公明党の今を解説 | 公明党  2013年7月5日

愛国者の邪論の問題意識の第二は、謝罪問題です。口では、反省も謝罪もしているからと言って、それを信じることはできないというスタンスです。小泉氏もそうです。自民党の河野氏の場合とは、少しどころか、大変違っていたように思います。何故か。前回の記事でも書きましたが、共産党の追及を黙殺し原発推進をしてきた責任をどのように反省し、謝罪し、教訓化し、政策を改めていくかです。小泉氏は、一国の首相だったのです。具体的に何を反省し謝罪するのか、謝罪したのか、です。

更に言えば、小泉氏の場合は、イラク戦争を支持し、アメリカ軍兵士によるイラク国民殺害に加担した張本人です。更に言えば、自民党をぶっ壊すと称して郵政改革をはじめとした構造改革を行なってきました。その結果がどのような事実をもたらしたか、その責任は、誰にあるか、明瞭です。こうした政治の結果に対して、一国の首相の言葉のもつ重みは、地球の重み以上のものがあることは明らかです。小泉氏の首相在任中にどれだけの国民が自死を余儀なくされたか、明瞭です。

それでは、以下、報道された小泉氏の言葉をみれば、「過ちがあった」ことは認めているものの、「自民党政権時代も原発の安全性を信用して推進してきた」とあるだけだけです。原発の安全性を信用せず、自民党の原発推進政策を批判し、その変更を求めてきた国民もいたのです。しかし、小泉氏は、そのような声に耳を傾けることはしなかったのです。そのことを不問に付しての発言であることを、確認しておく必要があります。

小泉元首相の発言集がまとめられていましたので、ご覧ください。小泉氏は、この発言を見る限りでは、被災者に対して、また原発反対派の問題提起に対して拒否をしてきたことなどに対して、謝罪も反省も、教訓化もしていないのです。特徴的なことは、ここでも、オレが、オレが思想です。こうした問題に対して、マスコミ各社がどのように質していくか、不明です。

小泉純一郎元総理の今までの脱原発に関する発言まとめ - NAVER まとめ

愛国者の邪論は、以上の事実を前提にして記事を書いたのでした。

「原発の安全性過信」原子力政策で小泉純一郎元首相が自戒の弁/横須賀 http://www.asyura2.com/11/genpatu11/msg/869.html
投稿者あややの夏 日時 2011 年 5 月 29 日 04:43:54: GkI4VuUIXLRAw

(回答先: 小泉元首相「これから原発を増やすのは無理」 投稿者 あややの夏日時 2011 年 5 月 29 日 04:39:58)

カナロコ 5月28日(土)23時30分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110528-00000037-kana-l14

 小泉純一郎元首相は28日、横須賀市内で特別講演し、福島第1原発事故に関連して「自民党政権時代も原発の安全性を信用して推進してきた。過ちがあったと思う」と自戒の弁を述べた。29日まで開催している「日本食育学会・学術大会」で、「日本の進むべき道」と題して特別講演をした。小泉元首相は「原発は安全かといえば必ずしもそうではない」との認識を示し、今後の原子力政策については「これからはもう原発をさらに増やすのは無理。原発への依存度を下げ、自然エネルギーの開発促進をしていくべきだ」と持論を展開した。「日本は終戦後、いろいろな困難を克服してきた」と振り返りながら、「東日本大震災は大ピンチだが、世界は日本の状況を注目している。発想を変えてこのピンチを乗り越えていくんだという姿勢を見せ、チャンスに変えなければならない」と強調した。(引用ここまで

小泉元首相「これから原発を増やすのは無理」

http://www.asyura2.com/11/genpatu11/msg/868.html

読売新聞 5月28日(土)20時0分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110528-00000619-yom-pol

 小泉元首相は28日、神奈川県横須賀市で講演し、東京電力福島第一原子力発電所の事故に関し、「自民党政権も原発を推進し、過ちもあった。これから原発を増やすのは無理で、大事なのはいかに原発への依存度を下げていくかだ」と述べ、エネルギー政策の転換を求めた。

 また麻生元首相は28日、東京・世田谷の国士舘大で講演し、「(菅政権の対応は)極めて稚拙で、原発を作っているすべての国の信頼を失った。(菅政権は)限度を超えた、ということになりつつある」と語った。(引用ここまで

 <小泉元首相>原発事故 自民政権時代の責任に言及
http://www.asyura2.com/11/genpatu11/msg/870.html
投稿者あややの夏 日時 2011 年 5 月 29 日 04:46:39: GkI4VuUIXLRAw

http://www.asyura2.com/11/genpatu11/msg/870.html

毎日新聞 5月28日(土)20時18分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110528-00000077-mai-pol

 小泉純一郎元首相は28日、神奈川県横須賀市の県立保健福祉大学で行われた「日本食育学会・学術大会」で講演し、東京電力福島第1原発の事故に関連して「自民党政権時代にも原発の安全性を信用して推進してきたが、過ちがあった」と語り、自民党政権時代の責任に言及した。小泉元首相はさらに、「原発を増やすのは無理。原発依存度を下げ、自然エネルギーの開発に力を入れるべきだ」と述べ、「既存の原発に安全対策をし、住民理解を得たものは維持、そうでない危険なものは廃炉を進めなければならない」と語った。【田中義宏】(引用ここまで

こうした小泉氏の無反省ぶりは、安倍首相にも受け継がれていました。安倍氏の場合も、口では安全神話推進などについて、謝罪を口にしています。反省もしています。しかし、実際にやっていることはどうでしょうか。

政治転換を迫る 志位和夫(日本共産党) 代表質問 - Dailymotion動画 2013年2月1日

志位委員長の代表質問 衆院本会議 - 日本共産党中央委員会2013年2月1日

1月31日 衆議院本会議 代表質問 志位和夫議員·安倍晋三内閣総理大臣 2013年2月4日

11党党首討論会 - 日本記者クラブ - [PDF]

愛国者の邪論の最後の問題意識は、小泉氏の問題意識の不十分さがあったとしても、原発ゼロで、本当に動くのであれば、また国民自身が、ゼロを求めているのであれば、共産党も「一点共闘」論を使うべきでしょう。同時に、この小泉発言を契機にして原発即時ゼロの機運を高めていくべきです。小泉氏に申し入れをして、志位・小泉会談が行なわれれば、画期的です。新しい流れができるのではないでしょうか。各地の共産党議員の方々のブログで紹介されていても、東京の本部が、どういう方針を確立するか、です。だからこそ、強調しているのです。

かつて、宮本顕治・池田大作会談があったことを想起すれば、このことは可能なことです。幕末で言えば薩長同盟から薩長土同盟、さらに薩長土肥同盟へ、こうして多くの諸大名が合流して「倒幕」から「討幕」へ、文字通り「維新」されていった歴史があります。戦前の中国で言えば、抗日民族統一戦線としての国共合作、ベトナムで言えば抗米救国統一戦線としての南ベトナム民族解放戦線、世ヨーロッパで言えば反ファシズム統一戦線などがあります。思想信条を異にする個人団体が一同に会して結成した経験です。最近の大阪で言えば、「反維新統一共闘」論にもとづく選挙闘争があります。これは60年代から70年代の、いわゆる「革新自治体」運動の経験が教訓化されています。

以上の問題意識で、書かれたのが前回の記事でした。つづく


宗教行事に私人として参加する憲法違反首相の安倍首相を批判しない日本の知的退廃!ウソも方便は不当!

2013-10-10 | 日記

つづき

 

信教の自由があることは周知の事実ですから、その感じ方や思い、信仰心について、どうのこうのは言いません。言えません。しかし、やはり、スリカエ・ゴマカシ・トリック・大ウソは、民主主義に反していますので、改めて問題にしなければ、と思い、記事に書くことにしました。

 

前回の記事と以下の朝日の記事を読むと、安倍首相が「私人として」一宗教法人である伊勢神宮の式年遷宮という儀式に閣僚を引き連れて参加することの大ウソを暴いていかなければなりません。人権と民主主義違反・憲法違反であることについても同様です。これが、そんなこと関係ないと思っている人々に対しても、リアルに説明していく必要があるように思います。その前に、この問題については、以下の記事をご覧ください。

 

安倍首相の「遷御の儀」参加の意味を何も報道しないNHKは受信料を国民に返還せよ!歴史と憲法の冒涜だ!(2013-10-03 23:31:16)

 

朝日 首相参列「私人として」 官房長官説明 政教分離、割れる見方

朝日新聞デジタル:首相、式年遷宮の儀式出席 官房長官「私人として参列 ... 2013年10月2日20時38分

 安倍音三首相は2日、三重県伊勢市を訪問し、伊勢神宮で20年ごとに社殿を建て替える「式年遷宮」の儀式に出席した。現職首相の同儀式への出席は、1929年の浜口雄幸氏以来84年ぶり。安倍首相は伊勢神宮で、麻生太郎副総理兼財務相らとともに神体を新正殿しに移す儀式に参加。神職らの列とともに旧正殿に進み、神体を新正殿に移す烈に加わった。菅義偉宣房長官は2日の会見で「私人としての参列だ。国の宗教活動を禁じる政教分離の原則に反するものではなく、本人が個人的に参拝したものだ」とし、問題ないとの認識を示した。

 日本キリスト教協議会の靖国神社問題委員長、坂内宗男さん(79)は「憲法に定められた政教分離の原則に反する行為だ。非常に深刻に受け止めている」と強い調子で批判。首相の正月参拝は定着しているが、戦後3回あった式年遷宮に首相が参列した例はなく、前回は官房長官らの参列にとどまっていた。戦中の国民の暮らしや教育、報道を描き、靖国問題に関する著書もある児童文学作家の山中恒さん(82)は「かつて伊勢神宮は祭政一致、国体原理主義の総元締だった。安倍首相の行動は明らかに戦前回帰」と批判する。

 国学院大学の大原康男名誉教授(71)=宗教行政論=は「安倍首相だけが突出しているわけではない」と話す。戦後の式年遷宮があった年の首相3人のうち、吉田茂、田中角栄両氏は「遷御の儀」には参列していないが、機会をみて参拝をしてきたという。

 憲法が定める政教分離原則については、「津地鎮祭訴訟」最高裁判決(77年)で、目的として宗教的意義を持ち、宗教に対する援助や助長などの効果がある場合に違憲になるという考えを示した。大原氏は「日本の歴史や伝統、文化に鑑みて首相が参列するのであれば、特定の宗教を援助や助長、促進することにならないから憲法違反ではない」と説明した。(引用ここまで

 

八咫鏡、神職ら百数十人に守られ 伊勢神宮、遷御の儀 2013年10月2日21時5分

http://www.asahi.com/national/update/1002/NGY201310020029.html?ref=reca

 伊勢神宮で2日夜、20年ごとに社殿などを一新する式年遷宮で内宮の神体を新正殿に移す「遷御の儀」があった。1300年余の歴史を伝え今回で62回目、戦後4回目となる神道最大の儀式に、皇族代表の秋篠宮さまや安倍晋三首相らが参列した。

伊勢と出雲の遷宮特集はこちら

 首相が参列したのは1929(昭和4)年、58回の浜口雄幸首相以来で戦後初めて。ほかに麻生太郎副総理ら8閣僚が参列し、政財界関係者など約3千人が拝観した。閣僚らの参拝を巡っては、国の宗教活動を禁じた「政教分離の原則」に抵触するかどうかの議論がある。(引用ここまで

どうでしょうか。これだけでは曖昧ではありませんか?朝日の記事は。一応批判者の声を紹介していますが、これだけでは、安倍首相の遷宮儀式参加が、何故問題か、あまり判りません。そこが狙い目です。憲法を掘り下げていく姿勢が感じられません。知的退廃の極致と言わなければなりません。何故でしょうか。

 

そもそも「閣僚らの参拝を巡っては、国の宗教活動を禁じた『政教分離の原則』に抵触するかどうかの議論がある」などと書いていますが、「政教分離の原則」がつくられたのは何故か。日本における歴史から紐解いている思考とは思えません。これは中国や韓国が言うからなどというものではなく、まず考えなければならないことは日本国民を侵略戦争に動員していったイデオロギーとその政策を免罪するものです。

敗戦後68年を経過し、戦争体験者が少数になってきているなかで、事実を再確認するのではなく、信教の自由と政教分離の原則を曖昧にすることで、戦争の教訓を忘れさせるものです。むしろ戦争体験者が少数になってきているなかで、日本を戦争のできる国家として立ち上げていこうとする輩にとっては、こんな好都合なことはありません。そういう意味で、侵略戦争の教訓として、また二度と同じ過ちを繰り返さないとして制定された日本国憲法の形骸化を典型です。ここに最大のネライがあります。 

私人としての参列だ。国の宗教活動を禁じる政教分離の原則に反するものではなく、本人が個人的に参拝したものだ」(菅官房長官)というのもハッキリウソということが判ります。遷宮儀式は個人的に、私人として参加できるようなものではなく、選別されているのです。何故こういうウソを暴かないのでしょうか。日本のマスコミの思想状況、イデオロギー状況が透けて見えてきます。それは、憲法改悪というネライがあるからです。ナチスの手口の活用があるからです。

安倍首相だけが突出しているわけではない」(大原康男名誉教授)というのも、詭弁と幼児的思考です。この論理がまかりとおれば、スポーツの世界は成り立たないでしょう。俺だけドロボーをしているのではない、だから問題ないのだという論理です。子どもの言い分です。この論路は、憲法を改悪しようとする思想が根拠となっています。 

日本の歴史や伝統、文化に鑑みて首相が参列するのであれば、特定の宗教を援助や助長、促進することにならないから憲法違反ではない」(大原康男名誉教授)というのも、伊勢神宮が、安倍首相をはじめ8閣僚を「招待」、参加を「許可」したのは、「私人」だからではありません。「公人」として、しかも伊勢神宮の「宣伝」のためであることは明らかです。安倍首相らにしてみれば、自分が愛国者であること、伝統文化を重んじていること、更に言えば、自民党の改憲案のプロパガンダとしての行動であることは明瞭です。伊勢神宮にしても、安倍首相らにしても、明確な意図を持ったものであることは、誰が見ても明らかなことです。ここに国民の善良な信仰心をスリカエ、利用していこうとする策略が透けて見えてきます。 

「目的として宗教的意義を持ち、宗教に対する援助や助長などの効果がある場合に違憲になる」という考えを示したという「津地鎮祭訴訟」最高裁判決(77年)をものさしにするのであれば、宗教的意義を持った遷宮儀式を挙行する伊勢神宮にしても、その目的を持った遷宮儀式であることを充分承知したからこそ招待を受けた安倍首相にしても、「私人」だから、憲法違反ではないのだ、などという論理が通用するはずはありません。

 

全くの詭弁です。銀座の往来を全裸で歩いているにもかかわらず、俺は全裸ではないと言っている裸の宰相です。或いは、サッカーの試合で明確にルール違反の「ハンド」プレーであるにもかかわらず、審判と結託して、「ハンド」プレーではないなどとウソぶいている選手のようなものです。

しかもアウエイにおいては抗議する観客も少数であるために、そのようなラフプレーの抗議すら無視・黙殺されるのです。権力と一体となったマスコミの詭弁垂れ流しの本質が透けて見えてきます。民主主義的手口を駆使しながら、扇動していくのです。 

そういう意味で、日本はどうしようもない国になってしまったように思います。しかし、このリアクションは、必ずややってくることでしょう。これが自然界の法則である作用と反作用の法則が適用されることは、明らかだからです。

それでは、以下、この問題について記事をご覧ください。

朝日の記事より

伊勢神宮で大役終え…黒田さんが両陛下にあいさつ(10/07 19:47)

「式年遷宮」神様の引っ越し 伊勢神宮で20年に一度(10/02 16:53)

内宮に続き…伊勢神宮・外宮でも「遷御の儀」(10/06 00:21)

内宮の祭事終わる 式年遷宮の舞台は外宮へ 伊勢神宮 - 朝日新聞デジタル

神様の引っ越しから一夜 初日参拝者殺到…伊勢神宮(10/03 16:20)

伊勢神宮に参拝客“殺到” ご神体引っ越しから一夜(10/03 11:51)

新正殿、早くも参拝者でにぎわう 伊勢神宮(10/3)

「戦前回帰」「日本の文化」 遷御の儀に84年ぶり首相(10/3)

1300年以上の歴史、来し方行く末に思い 遷御の儀(10/3)

朝日新聞デジタル:遷御へ感謝の後鎮祭 伊勢神宮の式年遷宮 - 社会

八咫鏡、神職ら百数十人に守られ 伊勢神宮、遷御の儀(10/2)

 

朝日新聞デジタル:神道、親しみと危うさと(式年遷宮 伊勢神宮と日本:1 2013年10月4日5時28分

…多くの日本人は自分を仏教徒と規定するが、実は日本人の精神形成には神道の影響が大きい。例えば「穢(けが)れ」の意識。「穢れたから手を洗う」という意味の「お手洗い」はその例です。八百万(やおよろず)の神、いたるところに神がいるというアニミズム的な思考も神道と近い。葬式の後に塩で清める行為も神道の影響です。だから神道を知ることは、自分たちを理解することにつながる。その意味で伊勢神宮がブームになるのは悪いことではない。宗教は死後を担保し、死んで終わりではないことを保障してくれる。それは人にとって大切なこと。でも死後の担保とは、死と生の価値を転換することでもあり、とても危険でもある。特に神道は明治以降、国家神道として天皇制を強化し、この国を戦争に導く潤滑油になった。他の宗教も為政者に利用され、国のための死を肯定した歴史がある。宗教そのものに罪はない。でも、国家や「イズム」に利用されやすいのです。宗教戦争と人はよく言うけれど、宗教そのものが争いの原因になることは意外に少ない。それが、過剰な防衛意識や利権、防共主義などに組み込まれると、時に牙をむくことを知っておくべきでしょう。引用ここまで

 この「過剰な防衛意識や利権」「防共主義」を掘り下げるべきです。

式年遷宮「遷御の儀」行われる 三重県の伊勢神宮 - テレ朝News  (10/03 05:50)

三重県の伊勢神宮・内宮で、神様が新しい正殿に引っ越す「遷御(せんぎょ)の儀」が行われました。2日午後8時、遷御の儀が始まりました。遷御の儀は、新しく建て替えた正殿に天照大神のご神体を移す行事です。神職約150人が、ご神体である鏡と宝物を運び出し、約400メートルを40分ほどかけてゆっくりと歩き、新しい正殿に移しました。遷御の儀はちょうちんと松明(たいまつ)の明かりだけで行われ、内宮は厳粛な雰囲気に包まれました。遷御の儀に参列した人:「厳かですね。心が静まるというんですか」「炎だけが見えて、体験したことないような気持ちになった」 3日午前6時から、遷御の後の最初の行事、神様に食事を捧げる「大御饌(おおみけ)」が行われます。(引用ここまで

ところが、以下の記事を読むと、「私人」問題の大ウソはいっそう明らかになります。

 

「心に刻む」ということ 2005年10月24日 - 平和憲法のメッセージ 2005年10月24日

…私は、9月から10月にかけて出された3つの高等裁判所の判決のうち、9月30日の大阪高裁判決に注目したい。結論は棄却判決だから、理由のなかで憲法違反の判断をする必要ないという意見もある。だが、小泉首相の参拝行為の法的性格を認定することが、結論の判断を導く前提として必要と判断されたのであって、違憲判断は妥当である。大阪高裁は、「8.13参拝」など3つの参拝の職務行為性を認定している。公的か私的かを区別するポイントとして判決は、公用車の使用首相秘書官の同行、「内閣総理大臣 小泉純一郎」の記帳という行為の態様のほかに、本件参拝が私的なものであることを明言せず、公的な参拝であることを否定しない各種の談話や所感などを総合して、「行為の外形」において、首相としての「職務を行うについて」なされたものと認定できるとする。さらに、公的か私的かを明確にせず、曖昧にした場合には、公的行為と推定されるという立場をとった。これは画期的である。そこには、権力者としての首相の行動に対する厳しい眼差しがある。私的といわないで曖昧にしたら、それは公的なものであると推定するという、「疑わしきは権力者の不利益に」ということは立憲主義の観点からも重要である。(引用ここまで

赤旗の記事より

首相の伊勢神宮参り “慣例”ではすまない2006年1月4日(水) 「しんぶん赤旗」

改憲のための“お伊勢参り”?/伊勢神宮で皇居「遙拝」2013年1月6日(日)

首相・8閣僚 伊勢神宮行事参列/憲法の政教分離原則違反/「天皇中心の国」狙う2013年10月4日(金)

伊勢神宮奉賛募財を自治会が集めていいの?2007年11月1日(木)

首相が伊勢神宮参拝/憲法の民主的原則を無視2002年1月5日(土)

 

赤旗以外の批判的記事

鎌田慧 公式ブログ - 最近の新聞記事から「遷御の儀 安倍首相参列 ...

伊勢神宮遷宮問題;「天皇教」政教一致の日本国の「重大問題」(1)

「神々の引っ越し」10月ヤマ場 62回目の式年遷宮 :日本経済新聞

 

安倍首相は、普通の公務員と同様に、休暇をとって、伊勢神宮の儀式に参加したのでしょうか。そんなことはありません。首相の「動静」は「休暇」として扱っていません。「私人」として参加しているというのであれば、このことについて、是非とも質してほしいものです。安倍首相にとって「私人」と「公人」の区分けはどのようになっているのでしょうか。政治記者には、こういうことについて、突っ込んで訊いてほしいものです。

 

ところで、百歩譲歩して、菅官房長官・安倍首相の行為を「私人として」を認める人はどれくらいいるでしょうか。是非とも、以下のようなアンケートをしていただきたいものです。

 

「安倍首相の伊勢神宮・靖国神社参拝は私人としての参加かどうか、公人としての参加かどうか、どちらかに○をつけてください」

「安倍首相の神社参拝が憲法上問題とされるのは何故でしょうか。その理由をあげてください」

「戦前の伊勢神宮はどのように扱われていましたか、具体的に答えてください」 

こういうアンケートを取ってみれば、結果は一目瞭然でしょう。しかし、こういうアンケート調査はしないでしょう。結論が判っているからでしょう。しかし、国民にとって知る権利が保障されているかといえば、「否!」です。ここに、この問題の最大のスリカエが見えてきます。

 

日本のマスコミの日本国憲法擁護姿勢の希薄さ、危険な日本であることがいっそう浮き彫りになってしまった記事でした。中国・北朝鮮のことを云々できないことも明らかになりました。人の振り観て、我が振り直せ!でしょう。