愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

ドナルド・キーン氏の記事をHPに掲載しない赤旗に大渇!日本文化に潜む未来社会の芽に無頓着?

2013-10-17 | 日記

13日と16日の赤旗日刊紙に、あの著名はドナルド・キーンさんが掲載されました。内容的にも薀蓄のあるものでした。そこで、共産党・赤旗を検索してみました。案の定、この記事は掲載されていませんでした。理由を考えてみました。

一つは、こうした記事を掲載しても意味のないことと考えている。でもそんなことはないとは思いますが、軽視しているのではないかと思ってしまいます。何故か、この手の記事は掲載されていないからです。

二つは、検索してみれば判りますが、赤旗の記事に関するHPは充実していません。ジャンルごとに、アクセスできないようになっています。このHPをみていると、一体何を報せたいのか、よく判らないことがあります。

三つは、いわゆる商業紙のようなHPの画面・紙面をつくる技術を持っていないかもしれません。愛国者の邪論も、そうですが、ネット社会の進歩度についていくのは至難の業だからです。しかし、日本共産党は、科学的社会主義を理論的支柱とする革命政党です。時代の最先端を走らなければ、国民の気分・要求を捉えることは難しいでしょう。

四つは、本題とは違っていますが、赤旗拡大に日夜奮闘されている共産党にしては、どうでしょうか。それは、この著名なドナルド・キーンさんに、赤旗に登場していただきながら、それをネットで紹介しないのは、赤旗拡大の宣伝効果について、あまり考えていないのではないか、と、そのノーテーンキぶりに唖然としてしまいます。全く理解できません。何を考えているんでしょうか。

と、思ったら、そうでもなさそうです。しかし、どうでしょうか?以下お読みください。

田村一志「ネットの可能性と政治革新―初のネット選挙で見えてきたもの」(『前衛』2013年11月号)を観ると、一定の取り組みが報告されていました。選挙総括的な報告文書ですから仕方ありませんが、「SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)」の活用の経験と教訓が中心でした。しかし、この党宣伝局次長さんの文書を読めば読むほど、このネットの活用が、赤旗拡大以上の威力を発揮した選挙であったことが浮き彫りになるのです。これは皮肉なものです。詳しい事は、論文というか、報告をお読みください。

しかし、皮肉ではあっても、この経験をどのように発展させるか、そのことでこそ、共産党の発信力・共産党のメディア力が試されるのです。この新たな側面・芽に対して、共産党がどのような努力を傾注していくか、ここがポイントだと思います。すなわち赤旗拡大一辺倒からの革命的脱却論を強調しておきたいと思います。

そこで、以下の部分を掲載しておきます。 

 [ネトウヨを組織し、味方につけてあおる自民党]

 このネトウヨを、みずからの勢力伸長に利用しているのが自民党であり、安倍首相です。○九年、総選挙で敗北した自民党は、新たにネット対策として、自民党ネットサポーターズクラブ(J-NSC)をたちあげます。ここには、先ほど紹介したようなネトウヨたちがぞくぞくと集まり、現在一万二〇〇〇人が加入しているといわれています。『安倍政権のネット戦略』(創出版新書)で、ネットジヤーナリストの中川淳一郎氏は、排外主義をあおる書きこみをくりかえすネトウヨやJ-NSCメンバーにたいして、首相はそれをいさめるどころか、逆にあおり、けしかけるかのような態度をとっていることを指摘しています。(引用ここまで

自民党の経験を披露したこの指摘に学ぶとすれば、共産党の理念と政策をどのような方法で国民の中に浸透させていくか、示唆に富む自民党の経験です。自民党のメディア戦略から何を学ぶか、これは共産党が政権を奪還する上でも、政権を支えていく上でも、学びすぎることはないでしょう。

そういう視点で、以下の文書には興味を持ちました。それは、愛国者の邪論の文書もキャッチしていたであろうという推測とその意味です。そういう意味では、共産党を叱咤激励していくことは緩めるべきことではなく、大いに発信していくべきものだと、確信するものです。それもこれも民主主義のためのです。

…実は、共産党としても、業者に依頼して、ネット上でネガティブ・ワードが党の知らないところで大規模に流れることがないように監視していたのですが、ほとんど報告があがってこない。業者がサボっていたのではないんです。現実に、悪質な中傷などがないから報告することがほとんどないということでした。(引用ここまで

いよいよ本題に入ります。ドナルド・キーンさんの発言を取り上げたブログを調べてみました。「ドナルド・キーンと赤旗」で検索してみました。約1,100件あるようですが、以下のものを掲載しておきます。党宣伝局が、こうした実態をどのように把握し、世論形成を質量ともに拡大していくか、研究すべきところでしょう。また赤旗のHPについても、掲載記事の検討が求められていることでしょう。ネットをとおして、ネットを活用している国民に何を発信していくか、その検討です。

「古井戸や 蛙飛び込む 水の音」 です。

ドナルド·キーンさん、赤旗で語る - 山上俊夫·日本と世界あちこち

ドナルド·キーンさん~赤旗に登場 - 田舎暮らしの愉しみ - Goo ブログ

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ドナルド·キ―ンさん「赤旗」で語る。「大切にしたい財産9条」「原発再稼働 ...

愛国者の邪論が思うには、日本文化の奥深いところに、時代を切り開く、新しい芽がどのように培われてきたか、その文化は、どのような経済構造・「下部構造」のなかで、さらに政治形態の下で形成されてきたか、そのことに目を向けていく必要があるように思います。「上部構造」の研究です。ということは、現代社会にも当てはまることです。マスメディアを通してどのような「文化」が形成されているか、それがどのように経済構造・「下部構造」に、どのような影響を与えていくか、いるか、の研究です。

赤旗の果たす役割を考えれば、その発信力の革命的改革・変革は、一刻を争って行なわれなければならない課題でしょう。その点、ドナルド・キーンさんの研究と語りは示唆に富んでいるように思います。しかも、「鬼怒鳴門(キーン・ドナルド」という日本名も、なかなか洒落ています。これも日本の伝統文化を理解しているからこそ、でしょう。

例えば、靖国神社や伊勢神宮に参拝する庶民のこころの奥底に何があるか、日本の伝統文化の何が流れているか、その庶民のこころをどのようにスリカエて、トリックを使って、政権を維持しているか、ドナルド・キーンさんが、日本兵の手紙を読んで学んだように、今、共産党の理念と政策と運動にとって必要な視点が、このキーンさんの思想にあるように思いました。このことについては、青木美智男『小林一茶 時代を詠んだ俳諧師』(岩波新書9月刊)にも如実に書かれていることでした。これについては、後日記事にしたいと思います。

それでは、掲載された記事をご覧ください。

赤旗10月13日付1面と14面  日本文学・文化研究者 ドナルド・キーンさん語る

大切にしたい財産 9

長年、日本の文学と文化を研究してきたドナルドーキーンさん。「愛する日本」への思いを込めて、日本文化とのかかわりや憲法、原発について語りました。

 ナルド・キーン 1922年、ニューヨーク生まれ。コロンビア大学名誉教授。 2008年文化勲章受章。著書に『日本との出会い』『百代の過客』『日本文学史』など。

  私は70年近く日本文学研究を続けてきました。40年前から東京に家を持ち、2011年まで米コロンビア大学で日本文学を教え、日本とアメリカを行ったり来たりしてきました。昨年3月、日本国籍を取得して、日本人になりました。

 日本にとって“お客さん”ではなくなり、これまで遠慮して言わなかったことも、愛する日本のため言うことにしました。

 私が日本の文学を知ったのは、1940年、コロンビア大学2年生、18歳の時です。偶然、『源氏物語』の英訳本と出合ったことからです。

  日本兵の手紙

 その年は、ナチス・ドイツ軍がノルウェー、オランンダ、フランスなどヨーロッパの国々を占領し、ロンドンの空襲が始まっていました。反戦主義者で、戦争は人間のあらゆる行為のなかで一番醜いものだと信じていましたから、悩んで、戦争から逃避するかのように、「源氏物語の世界」に入り込みました。日米が開戦し、軍人になりたくなかったので、海軍の日本語学校に入り翻訳・通訳の勉強をし、ハワイに派遣されました。

 日本軍隊が消滅したあとでしたが、押収した日本兵の日記や手紙を見つけました。それまで日本人を狂信的な国民だと思っていましたが、彼らの文章を読んで、家族を思い、祖国を懐かしむ、その気持ちは自分と同じだと思いました。

 特攻機「神風」のパイロットらはどんな本を読んで米艦に突撃したのか。日露戦争では多くの日本兵が捕虜になったのにそれを偽り、太平洋戦争では捕虜になることを恥と考えて命を落としていった。どのように洗脳されたのか、の疑問を持っていました。

 それを解いてくれたのは、小田実さんが1998年に出版した『玉砕』で、あの複雑怪奇なカラクリと兵士の死が理解できました。そこで、夢中で翻訳し、2003年、英語版をアメリカで出しました。      

 戦争は愚かだ

アメリカは戦後、ベトナム、アフガニスタン、イラクに兵隊を派遣し、多くの戦死者を出しています。戦後、日本では、戦死した兵隊は1人もいません。それは、多くの犠牲の上にできた「日本国憲法」に、軍隊を持たず、外国との交戦権を認めない、平和主義をうたう「第9条」があったからです。大切にしたい財産です。私は91歳になり、戦争を知る友人もだんだん少なくなりました。戦争がいかに恐ろしいものか、愚かな行為かを語らなければいけないと考えています。

 聞き手・潭田勝雄 写真・山形将史(14面につづく

 赤旗10月13日 14面

 愛する日本のため発言

 1953年に日本文学を研究するために日本に来て、京都大学に籍を置きました。日本の生活になじもうと狂言を茂山千之丞(せんのじょう)さんから1年ほど習いました。

 日本を離れることになり、56年に京都と東京で送別記念の狂言会がおこなわれ、私は太郎冠者などの役で舞台に立って感動しました。それを「碧(あお)い眼の太郎冠者(かじゃ)」といってくれました。実際は「青い目」ではないのですが。(笑い)

  文楽を守って

京都での留学が終わったあとも、56年から毎年夏、日本に来ていました。その間、金春流(こんぱるりゅう)能の謡と舞いを習いました。

 そんな意味で、私は「大果報の者」といえます。コロンビア大学の博士論文は、近松門左衛門の「国性爺合戦(こくせんやかっせん」」でしたから、歌舞伎、文楽も研究し、大好きになりました。

 昨年、橋下徹大阪市長が文楽を「退屈だ」と批判し、文楽協会への補助金見直し発言をしたことを知ってビックリしました。政治家が文楽をどう見たかは自由ですが、売れるかどうかで芸術をはかってはいけません。まして、大阪で生まれた文楽を、大阪の人が否定するのはいかがなものか。季刊『上方芸能』(2012年6月)の「文楽守れ」特集に、抗議するメッセージを書きました。“遠慮しないで言う”第1弾です。

 今年、文楽の技芸員でつくるNPO法人「人形浄瑠璃文楽座」の名誉顧回になり、「応援団長」を引き受けたのも、日本文化を愛するゆえです。

  再稼働に反対

 安倍晋三首相は、オリンピックの東京招致のためのプレゼンテーションで、大事故を起こして、なんら解決していない福島原発につて、「汚染水の影響は、港湾内で完全にブロックされている」と説明しました。その後も福島第1原発のタンクから汚染水が漏れ海に流れていると報道されています。世界中から、安倍さんは信用できるのか、と疑問が出されています。復興を願う東北の被災地の人々にどう説明するのでしょうか。

 この9月21日、「ドナルド・キーン・センター柏崎」が開設され、オープニングに出席しました。ニューヨークにあった書斎を復元展示し、書籍・レコード・映像資料などを収蔵していただきました。日本文学・文化を見つめ直す場にと願っています。

 この新潟県柏崎市は、角書(つのが)きに「越後国柏崎」の文言をもつ古浄瑠璃『弘知法印御伝記(こうちほういんごでんき)』のゆかりの地で、昔から豊かな文化があった所です。

 ところが、いま、柏崎刈羽原発を再稼働するかどうかで揺れています。私は、福島原発の悲劇から学んで、原発再稼働は絶対やるべきではないと主張したい。(引用ここまで

 

赤旗10月16日付 9面 文化 学問 欄  日本文学・文化研究者 ドナルド・キーンさん語る

日本文化の源流

そして啄木のこと

 日本の文学と文化を研究してきたドナルド・キーンさんは自身と日本文化のかかわりや憲法への思い(13日付既報)に続いて、日本文化の源流や石川啄木のことを語ります。

 

 私か気に入っている「日本人の心」とは、約十年にわたる戦乱「応仁の乱」で都が焼かれた後、将軍足利義政のもとで新しく花開いた中世・東山文化です。

 義政が建て住んだ山荘が、死後、銀閣寺として現在も親しまれています。東山文化は、今日に続く日本の伝統芸術の源流だと思います。絵師の雪舟、狩野政信らが活躍します。

「型の文化」といわれ、家元制度として継承されてきた能・狂言、茶道、華道の誕生もこの時代です。和室には、畳があって、床の間があり、いけばなや陶器が飾られ、そこから庭がみえる風景が好きです。日本の伝統芸能のなかでも最も日本的なものが茶の湯です。後に千利休の「佗び茶」として大成しました。ほとんど飾り気のない地味な小部屋で、主人と数名の友人が静かに語らうという「茶室」の型ができていきました。

明治の文学で

一番の感動

 『日本人の西洋発見』(芳賀徹訳)を書いて、江戸中期からの日本人の西洋に対する知的好奇心の軌跡をたどり、オランダ人や蘭学にどう向き合ったかなどを調べました。さらに、渡辺崋山、明治天皇を調べ書き、その次が啄木でした。明治時代の文学作品のなかで、私か読んだ限りですが、一番感動させられたのは、石川啄木(1886~1912)の日記でした。

 京都に留学して、松尾芭蕉の研究をし、日本文学選集(2巻)を作りました。上巻(日本の古典)には万葉集、源氏物語などを選びましたが、下巻の近代・現代に石川啄木を入れました。明治文学のうちでは、森鴎外、夏目漱石の作品に比べ、啄木の日記は抜群の人気がありますが、短歌ほどは読まれていません。

時代を超えて

個性がある

文学的にすぐれた近代の日記にそなわる本質的な特徴は、作者が描く自画像に信用がおけることであり、それが興味深いところです。その点で、国木田独歩、正岡子規の日記には、一種の「空白」が生まれ、 ときに「本当のところはどうなの」と問いかけたくなる衝動にかられました。啄木の文章は、私の心を打って、「これこそ近代人だ」と感じた最初の日本の作家でした。

 啄木が日記を書き始めたのは、1902(明治35)年の『秋韷笛語(しゅらくてきご)』からで

 す。17歳の少年の文章としては、衒学(げんがく)趣味で鼻持ちならない。やり姶めたたいて

 いの仕事を最後までやり通せない、作品に目立ってむらがある、だらしない金銭感覚など天才特有の欠点を持っています。しかし、この天才主義の資質が肯定的に発揮されたのが、詩作や小説ではなく、日記だったと考えます。

 啄木には、自分のすべてを語りたい気持ちがあって、「ローマ字日記」(1909年の20日間)でやったのでしょう。明治末期の人ですが、時代に拘束されず時代を超えて、個性がある。現代の若者に同時代性を感じさせる要因です。

ローマ字日記

なぜつけた

 啄木が「ローマ字日記」をなぜつけたのか。日記の冒頭近くに、「予は妻を愛している。愛しているからこそこの日記を読ませたくないのだ。しかしそれはうそだ!」と。啄木は、自分の不貞行為(浅草の女郎屋での買春)を妻に知られたくないから、ローマ字で日記を書くのだというのだが、矛盾をかかえていました。啄木の死後、妻・節子は、「啄木が焼けと申したんですけど、私の愛着が結局そうさせませんでした」(宮崎郁雨(いくう)『啄木日記と私』)と言っています。日記をはじめ作品は残り、現代人に読まれることになりました。

 いったい何を啄木は恐れたのか。「大逆事件」に関心を持ち、「時代閉塞の時代」の文章を書かせたような、晩年に傾斜した社会主義思想が官憲に知られては困るからというのか。病床の人間ですから、そうでもなかったでしょう。私は、啄木が自分の真っ裸の姿を他人に見られるのは恥ずかしいという感覚だったのではないかと思います。でも、その真っ裸に表現しているところが、私たちに感動をあたえているのです。私は今、啄木を再評価する研究を進めています。

聞き手・深田勝雄(引用ここまで)(啄木の文字は愛国者の邪論の責任で略字で表記しました)

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消費税増税と議員定数削減は等価交換ではない!議員を削れば、増税は許せるか!身を削らせるのは誰だ!

2013-10-17 | 日記

国会が始まりました。安倍首相の空疎な所信表明演説に対して、各紙の社説は、厳しい批判を寄せています。安倍首相の本質的な暴走(安倍カラー)を徹底して批判してこなかったことのツケが、浮きぼりになってきました。しかし、安倍自公政権の憲法無視の政治姿勢を質し、正していく重みのある社説はあまり見ることはできませんでした。これについては、後日一覧してみます。

何故か。安倍自公政権の暴走を止めさせるためには、国民の声を国会・議員に届けることが大事だからです。今でさえも、国会と民意をかける橋の長さと、橋の狭さは、どうでしょうか?しかも、その橋は、老朽化し、今にも崩れそうです

こうした事実を黙殺して、「国民に痛みをお願いするのだから、議員は身を削れ」論が、まことしやかに垂れ流されているのです。生活に苦しむ国民も、それでなくても、国会と議員の体たらくが垂れ流されているのですから、その感情の矛先が、議員削減に向くのも、ある意味当然です。しかし、最大の欠点は、そうした感情が醸成されていく、その行き着く先に何があるか、見えていないことです。これこそナチスの手口です。目先の「不祥事」を批判するエスカレーターに乗っていたら、自分の墓場に連れて行かれてしまったということになるからです。

増税による負担と議員削減による国民とのパイプの劣化を秤にかけた報道がいっさいなされていないことを暴いていく時です。それは、今でさえ、国民の声が届いていないというのに、国会議員が少なくなることで、政治に対する不満と不信をいだく国民の声がどのようになるか、ちょっと考えて診れば判るのですが、こうした視点の声は、ほとんど黙殺されているのではないでしょうか。マスコミは、こうした声がどれくらいあるか、検証し、情報を公開してほしいものです。

ところで新聞は、新聞週間にあたって、今年の代表標語「いつの日も 真実に 向き合う記事がある」を掲載し、新聞の責務を強調していました。ところが、この消費税増税正当化論である「議員の身を削れ」論を垂れ流すことが、どれほど、この標語に反しているか、検証すべきです。 

読売 新聞週間/真実を伝える役割これからも /2013/10/16 2:00
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20131015-OYT1T01188.htm

…新聞業界は、消費税率を低く抑える軽減税率を新聞に適用するよう求めている。新聞には公共財としての側面があるからだ。日本新聞協会が諮問した有識者の研究会は、「軽減税率が適用されるかどうかは、日本の文化や民主政治の将来に関わる問題だ」とする意見書をまとめた。新聞は、国政や地方行政の不正を追及し、問題点の改善を迫る役割を担っている。日々の報道を充実させ、責任を果たしていきたい。(引用ここまで

現時点における消費税増税に慎重だった読売ですが、あくまで、「現時点」でした。結果的には追認しました。国民は、以上のような読売の身勝手な思想と論法に抗議すべきです。日本において最大読者を誇る読売の不買運動を含めた多様な方法で意見表明すべきです。それが、参政権、主権在民主義の具体化と言えます。これは新聞界全体に言えることです。

「新聞は公共財」論を言うのであれば、国民は、どうでしょうか。「公共財」必要とする主権者です。その主権者が増税によって新聞すら購入できなくなるのです。新聞だけ消費税を免除してもらっても、国民はその他の「公共財」を購入することで、生活がどうなるか、ちょいと考えて診れば判るというものです。

そのようなスリカエが、公然と振りまかれているところに、現在の日本のナチス的手口の席巻をみることができるのです。そのことは、以下の庶民の声に反映しています。

いずれも、マスコミというか、自民党・民主党の垂れ流す「身を切る」論の枠内の議論に終始しているのです。本当に身を切らねばならないのは、誰か、全く想定外なのです。それは誰か、です。そうです。消費税を支払わなくても済む企業、大企業です。同時に、この勢力は利益剰余金をシコタマ溜め込んできたのです。税負担、しかも応能負担の原則をきちんと当てはめることで、納税の義務・責任を果たせば、消費税増税などしなくても済む問題なのです。

以下をご覧ください。

読者の質問に答えます/消費税増税には反対 でも財源は?2013年10月11日(金)

読者の質問に答えます/消費税「大企業は負担しない」って?/すべて下請け・消費者に転嫁2013年10月17日(木)

輸出上位 10社で戻し税 1兆円 - 全国商工団体連合会

ところで、新聞の使命を考えれば、身を切らねばならない本来の輩をあぶり出す仕事は、本来新聞にあるはずです。「国民の『知る権利』に応え、真実を伝える。新聞の使命を改めてかみしめ、世の中の出来事に様々な角度から分析を加えた記事を、これからも数多く届けたい」(読売)というのであれば、以上のことをしっかりしっかりやるべきです。口で言うのは誰でもできることです。

勿論、議員歳費に対する国民の監視力を高めていくことは当然です。憲法違反の政党交付金を廃止することは当然です。

以下、某新聞に掲載された国民の意見です。ご覧ください。

10月9日 「身を切る=定数削減」は誤り

 自民党の石破茂幹事長は1日の記者会見で、国会議員の定数削減について「消費税を上げるからには国会議員も自己改革しなければ、国民感情として受け止めてもらえない」と発言しました。しかし、政治家の自己改革、身を切るとは「議員定数削減」ではありません。

 議員定数確保は民主政治の根幹であり、官僚政治から政治家による政治へと、有権者の声を政治に生かすために必要です。民主主義の原則は有権者の異なる意見を政治家が代表して参加し、少数者の意見であっても政治に反映できるようにすることです。したがって、民意を反映しやすい比例代表の削減は特に問題です。

 身を切るというなら、議員定数削減でなく、議員歳費を削減すべきです。歳費は暫定的に、本来の年間約2100万円から2割削減されていますが、ほかに1人月100万円の「文書通信交通滞在費」も出ています。年間約320億円の政党交付金の問題もあります。議員が、消費増税で生活が圧迫される一般勤労者・庶民の目線に立てるよう、歳費を勤労者の平均賃金に近づければ、有権者の支持も得られるでしょう。消費増税との抱き合わせによる議員定数削減案には反対です。(引用ここまで

10月17日 政治はけじめと結果が大事

 「『身を切る=定数削減は誤り』(9日)を読んだ。国会議員の定数ではなく、歳費を削減し、勤労者の平均賃金に近づければ有権看の支持を得られるとの意見だが、賛同できない。

 国会は国権の最高機関であり、日本の将来の重大な決定を行う場だ。国会議員は十分な報酬を得て職責を全うすべきであり、日本をより良い方向に導いてくれるなら、コストは惜しくないと考えたい。だがコストをかける以上、政治は結果を出さなければならない。

 例えば、6月末に通常国会が閉会してから10月中旬に臨時国会が開かれるまで休んだのは、歳費に見合う仕事をしているとはいえない。また、衆院の定数削減に関しては通常国会終了までに結論を得るとしていたが、先送り。誰も謝罪せず、責任をとっていない。

 できもしないことを言い続けるのはやめ、定数削減の代わりに政党交付金を削減してけじめをつけ、国民に許しをこうてはどうか。(引用ここまで

どうだったでしょうか。評価は難しいところでしょうか。二つとも、それほど違ったことは言っていないようです。しかし、共通しているjことは、消費税増税を課してくる本当の勢力に目が向いていないことです。こうした意見こそ、増税勢力の意向を無批判的にマスコミが垂れ流してきたイデオロギーと言えないでしょうか。マスコミの犯罪的役割が透けて見えてきます。

以下の社説も、本質への追及をゴマカシ・スリカエする典型です。それにしても産経が政党助成金問題を書かねばならないほど、安倍首相の消費税増税に対する国民的不信が醸成してきたということでしょう。

【主張】政党助成金 減額し「痛み」を共有せよ2013.10.14 03:33 主張 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131014/plc13101403330001-n1.htm

このことは、共産党の志位委員長の議員団総会における発言にも見られます。しかし、こうした国民的憤激を、安倍内閣打倒に収斂させていく方針は、未だ出されていません。

「自共対決国会」をたたかい抜こう/党議員団総会 志位委員長があいさつ/暴走政治の矛盾つく攻勢的な論戦を2013年10月16日(水)

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