愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

隣国との歴史に紳士に、真摯に向き合うために非難の応酬にスリカエル西日本新聞社説に猛省を促す!

2014-02-02 | 日記

昨日の西日本新聞の社説「歴史と隣国関係「非難の応酬」を抜け出せ」を読んで、驚きました。これでは隣国との関係は好転しないでしょう。

第一に、加害者と被害者の感情は、そのシビアだということです。日本の戦争認識を見れば明瞭です。加害の事実より、被害の事実を挙げる事例が多いことに象徴的です。戦争体験と言えば、空襲体験、原爆体験が主流で、加害体験を語ることは稀です。90年代以降は、自虐的なる思想が蔓延り、学校で加害体験を学習することはイデオロギーと非難する輩が出てきました。先ごろ行われた日教組の教育研究集会のレポートを批判する産経新聞を見れば明瞭です。問題は、加害の事実から何を学び、二度と同じ過ちを繰り返さないような抑止力を教育の場で構築するか、そのための方法を国民的議論で深めていくことなのです。

自分たちのお父さんのおじいさんたちが、何で戦地で、酷いことをしてしまったのか、子どもたちに考えさせることが、何故イデオロギーなのか、です。憲法の前文を、どのように子どもらの力にしていくか、それは、学校だけの責任ではないはずです。

繰り返しますが、学校で先生の体罰を受けた子どもは、ずっと覚えているのです。しかし、往々にして先生は忘れています。同窓会で、その話をすると、先生は、「そうだったけ、すまんかったね」と応えることは、よく聞く話です。それは、北朝鮮の拉致問題をみれば、判ります。

第二に、「非難の応酬」と片付けてしまうには、歴史的事実の確認が乏しいというのが、西日本のスタンスなのです。それは伊藤博文観に象徴的です。伊藤を殺害した安について、「手段の是非は別として」韓国人が「民族の英雄」として「尊敬する」ことは「日本人として賛同しないにせよ、理解はできる」としていることです。ここには、義兵闘争に立ち上がらねばならなかった民族の悲劇に寄り添う思想はありません。民族自決権をいうのであれば、米軍基地があるが故に殺されていった日本人は、浮かばれないでしょう。

第三には、「伊藤をアジアでいち早く立憲主義による近代国家をつくり上げた明治期の偉人の一人として多くの日本人は伊藤を敬愛している。その国民感情は、韓国人もぜひ理解してほしいものだ」と。ここでも誤った歴史認識を披露しているのです。

伊藤がつくった立憲主義とは、どのような立憲主義だったか、一言も触れていません。しかも、この立憲主義をつくるうえで、どのようにして民権運動を弾圧し、極秘裏に完成させたこと、そして、皮肉にも、伊藤が秘密裏に集めた私擬憲法が、日本国憲法の土台になったことなど、一言も触れていないのです。こうした偽りの歴史が、学校教育で、マスコミやメディアを通して垂れ流されてきた結果、日本人の中に「敬愛」心が形成されてきたことを、ゴマカシてはなりません。

万世一系、神聖不可侵、天皇主権の立憲主義が、アジアや欧米の民衆にどのような被害を与えたか、想像力の欠如もはなはだしいと言わなければなりません。この事実を覆い隠す装置が、靖国であり、安倍首相らの愛国心であり、道徳教育なのです。この行き先の最終終着駅は、憲法改悪です。大日本帝国憲法の現代版なのです。これは、一つ一つの事実をつなげていけば、見えてくるものです。安倍首相の靖国参拝は、本人がいくら情緒的な言葉で取り繕ってはみても、国際社会は騙すことはできないのです。それが人類の歴史の到達点なのです。その事実を、紹介しておきます。それは非人道的は行為には時効はないという歴史の到達点です。皮肉なことに、これは第二次世界大戦など、人類が犯した過ちの反省に立って作られた国際的合意なのです。ところが、日本政府は、この条約を承認していないのです。

こうした歴史に背を向けた自民党政権の不法の事実を多くの国民が知ったとき、核兵器の非人道性を告発した昨年の国際会議における日本政府の行為に批判が巻き起こったように、自民党安倍政権が孤立することは、明らかです。

西日本新聞の社説は、以上のような諸事実に向き合うことなく、あたかも「非難の応酬」と決め付けることで、「どっちもどっち」論にスリカエているのです。これは日本国憲法の前文にも反する思想、歴史認識と言わなければなりません。

人間の善行は、まず犯罪を犯した本人が、謝罪すること、罪を償うこと、賠償することです。そうして、更に言わなければならないことは犯した犯罪を正当化しないことです。そして二度と同じ過ちを繰り返さないために、教育することです。そうしてこそ、隣国同士のわだかまりが解消されていくのです。

戦争犯罪とその責任は、多面的な要素があることは、事実です。しかし、だからと言って日本の加害事実とその責任が免れるものでないことも明らかです。

最後に、戦前の立憲主義を批判し、植民地主義と戦争に反対した日本人がいたこと、このことは伊藤を敬愛する日本人の心の中にどれだけ認知されているか、西日本新聞は、検証すべきです。このことが国民的認識になったとき、安重根を尊敬する韓国人と真の連帯が生まれることを、強調しておきたいと思います。