昨日の衆院予算委員会で、安倍首相は、とうとう、ホンネを口走ってしまいました!ま、いつもそうですが、段々、その階段を上ってきたように思います。憲法を否定する思想を、まさにナチスの手口そのものを、国会の場で語ったのです。東京新聞によれば、
「政府の最高責任者は私だ。政府の答弁に私が責任をもって、その上で選挙で審判を受ける」
「内閣法制局の議論の積み上げのままでいくのなら、そもそも会議をつくる必要がない」
橋下氏と同じですね。この言葉だけを取り出せば、問題はありません。しかし、それはあまりに皮相な見方です。逆に言えば、「何をやっても構わない」ということになります。
こうした発言が出てくるのは、小選挙区制というトリックに最大の原因があります。4割台の得票率で、7割の議席を掠め取ってしまう、トリックが、思い上がりを助長しているのです。安倍自民党の絶対支持率が3割にも満たないのです。為政者は、自分の政策が、どれくらいの国民に支持されているか、もっと厳しく見ていかなければならないのに、安倍氏は、全く身勝手な解釈を、ご都合主義の解釈をもって、自分の都合の良いように政治を動かしていすのです。そもそも安倍氏のいう「会議」は首相の「私的懇談会」です。「オ・ト・モ・ダ・チ」懇談会なのです。これがもっともらしい、ツクリゴトをつくって、仮定の話を、あたかも真実であるかのように、設定して、自分の都合のよい土俵で議論させ、憲法の空洞化を狙っているのですから、呆れるばかりか、怒りが湧いてきます。
安倍氏の関連した総選挙、参議院選挙、都議選、そしてと知事選と、いずれも投票率が低いという事実を、為政者はラッキーとみるのか、政権の審判が、きわめて否定的に下ったのだとみるか、なのです。
そうしたトリックについて、マスコミも系統的に徹底した批判を行っていないのです。例えば、原発再稼動についても、TPPについても、普天間基地についても、公約違反を平気でやっているのに、イエローカードすら提示していないのです。
こうした積み重ねが、安倍氏を助長し、応援し、とうとう、「俺が俺が」、後は「選挙で決めろ!」とのぼせ上がった、居直った発言を許してしまうのです。中国や韓国に対しても、扉は開いているなどと言いながら、自分から扉を閉ざしている居直りと同じなのです。二枚舌、厚顔無恥とは安倍首相のことでしょう。ブロック・コントロール発言を含めて、あげれば枚挙に暇がないほどです。これについては、散々記事にしてきました!
このような発言を助長しているのには、理由があります。それは「オ・ト・モ・ダ・チ」がいるからです。甘利経済相は、細川氏の敗北を、揶揄しました。「陶芸家の方が良い」、政治に口を出すなということでしょう。確かにそうかもしれないという雰囲気があることを踏まえて発言したのでしょう。「ご乱心」発言の二番煎じです。しかし、もうひとつあります。都民は「脱原発」ではなく、「景気」回復や福祉向上を選択したのだと言ったのです。これについては、各種世論調査や出口調査にも示されていることではあります。しかし、甘利経済相は、自らの経済政策が、きわめて問題であることを覆い隠しているのです。
そもそも、都政において、いや、その都政を覆っている国政において、都民や国民が、景気や雇用は医療や福祉の充実を求めているのでは、政権担当者の無策があるからです。そうです。安倍自民党公明党の無策があるからです。都政の場合は、自民党が応援した石原・猪瀬都政の無策があったからです。そのことを、甘利経済相は、意図的に隠し、細川氏の敗北を揶揄すること、チャラにしているのです。
甘利氏の発言をそのまま、安倍自民党に当てはめれば総選挙や参議院選挙において、国民がもっとも求めていたのは、安全保障問題や憲法改悪の問題ではありません。甘利氏も、安倍首相も、自分の身勝手な思想と論理で他人を揶揄したり非難する前に、もう一度自らの視点を点検したらどうでしょうか?マスコミもマスコミです。このような発言があった場合、どのように突っ込むか、突込みが弱いというか、皆無なのです。アホ政治家の発言を垂れ流すだけなのです。ここに日本の政治の最悪最低の事態があるのです。
もうひとつの「オ・ト・モ・ダ・チ」は、米倉経団連会長です。都知事選が終わったと同時に原発再稼動を要求しているのです。それを受けて安倍首相も、再稼動を主張するのです。ところが、朝日の社説が電力業界の原発マネー問題は書いても、その裏に暗躍する原発メーカーについては、一言も書いていないのです。ま、書かないよりか、書いた方が良いに決まっていますが、昨日も書いたように、「脱原発」「原発ゼロ」の背後にある経団連に救う原発メーカーと、さらにその背後に構えているアメリカの原発メーカーとの矛盾を書かなければ、本当の意味で、「脱原発」「原発ゼロ」も、そして、電力エネルギーを土台にしている「経済」「国民の暮らし」を再生可能エネルギーの方向に転換することはできないでしょう。安倍氏の背後に暗躍するそうした「オ・ト・モ・ダ・チ」にまで、視野を広げた記事を書かなければ、本当のところで、不当性と反民主主義的性格を暴くことはできないと思うのです。
こうしたことを日々一々暴いていかないところに、安倍首相ののさばり、うぬぼれ、ごうまんがどんどん浮き彫りになてきているのです。民主主義を否定する芽は双葉のうちに根っこから摘み取っていかなければならないということです。
安倍氏の発言のひとつひとつを、バラバラに評価、評論するのではなく、関連したものとして、しかも、その根っこにあるものを暴いていくことが大切です。マスコミにもっとも欠けていることは、そのことです。ま、応援団化しているから、仕方ないと言ってしまえば、それまでですが、不幸は国民にのしかかってくるのですから、断固たたかうべきです。