愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

マスコミは長崎の式典で提案された「北東アジア非核兵器地帯構想」を正しく伝えたか!

2014-08-11 | 核兵器廃絶

北東アジア非核兵器地帯構想」の具体化こそ集団的自衛権行使論の根拠をなくす!

前号では、ナガサキの視点と提案について検証しました。
長崎市が「北東アジア非核兵器地帯構想」を提起したことの意味を愛国者の邪論なりにまとめておきます。
1.この構想の根底には、非人道兵器である核兵器を拒否する人道主義があります。
2.日本の非核三原則を具体化するという意味があります。当然日本において、非核三原則の法制化が具体化されていなければなりません。
3.この構想には、「わが国の500人以上の自治体の首長が賛同」しているということですが、これは非核自治体宣言、平和都市宣言運動の発展を意味しています。
4.この構想を実現していくためには、アメリカの核の傘の下の日本という枠組みから脱却していなければなりませんが、これは日米軍事同盟廃棄を展望しています。
5.この構想は、核兵器抑止力論、軍事抑止力論からの脱却を展望しています。
6.以上のことは、国際紛争を非軍事的手段、非軍事抑止力論、非軍事安全保障論に基づいて解決するという憲法9条の思想が貫かれています。
7.この方向性は、中国・北朝鮮の脅威を煽り、それを口実にして手段的自衛権の行使を抑止力として日米軍事同盟を深化させようとする米政府・安倍政権と真っ向から対決するものです。
8.憲法形骸化と否定を狙って次々と暴走のアクセルを踏んでいる安倍政権を打倒した後の憲法を活かす政権の政策として位置付けることを意味しています。
9.この構想を全国民的議論によって充実させていくための提案として位置付けることです。
10.この構想は「北東アジア平和共同体」への発展を含んだものです。現在頓挫している6か国協議会、日朝平壌宣言に基づく日朝合意を具体化させることと一体的にすすめていくべきものです。

このことはすでに記事にしてきましたので、ご覧ください。それでは、NHKなど、マスコミが、この提案をどのように伝えたか、検証してみます。ご覧ください。

北東アジア非核兵器地帯構想は黙殺されたしまった!その意図は!?

NHK 原爆の日 長崎市長「平和への不安や懸念」  8月9日 17時53分http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140809/k10013682731000.html
 長崎に原爆が投下されてから69年となる「原爆の日」の9日、長崎市で平和祈念式典が行われ、田上富久市長は平和宣言で、集団的自衛権の議論をきっかけに国民の間に広がっている平和への不安や懸念に耳を傾けるよう、政府に対し強く求めました。
長崎市の平和公園で行われたことしの平和祈念式典には、被爆者や遺族などおよそ5600人が参列し、外国からは、アメリカのケネディ大使をはじめこれまでで最も多い50の国と地域などの代表が出席しました。式典では、この1年間に亡くなった人や新たに死亡が確認された人、合わせて3355人の名前が書き加えられた16万5409人の原爆死没者名簿が、奉安箱に納められました。そして、原爆が投下された午前11時2分に合わせて平和の鐘が打ち鳴らされ、全員が黙とうし、原爆で亡くなった人たちを追悼しました。
このあとの平和宣言で長崎市の田上富久市長は、広島市の平和宣言では触れられなかった「集団的自衛権」という文言を盛り込み、「『平和国家』としての安全保障の在り方にさまざまな意見が交わされている」と指摘しました。そのうえで被爆者たちの間では「平和の原点が揺らいでいるのではないかという不安と懸念が生まれている」として、国民の声に耳を傾けるよう政府に対し強く求めました。さらに、田上市長は「核兵器の法的禁止を求めている国々と協議ができる場をまず作り、日本政府は、核兵器の非人道性をいちばん理解している国として、その先頭に立ってください」と述べて、核兵器廃絶に向けて積極的に取り組むよう政府に要請しました。
続いて行われた平和への誓いで、被爆者代表の城臺美彌子さんも政府による集団的自衛権の行使容認に触れ、「武力で国民の平和を作ると言っていませんか。被爆者の苦しみをなかったことにしないでください」と述べて、政府の姿勢を批判しました
被爆地・長崎での平和祈念式典で、政府が従来の憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使容認を閣議決定したことへの懸念や批判が相次いだことについて、安倍総理大臣は式典終了後の記者会見で、「丁寧に分かりやすく説明する努力を続けることによって必ずご理解をいただける。平和国家としてのわが国の歩みはこれからも決して変わることはない」と、これまでの主張を繰り返し、改めて理解を求めていました。
首相「非核三原則堅持し核兵器廃絶へ」
安倍総理大臣は、長崎市で開かれた平和祈念式典であいさつし、唯一の戦争被爆国として、核兵器による惨禍が繰り返されることのないよう、非核三原則を堅持しながら核兵器の廃絶に取り組んでいく考えを強調しました。この中で安倍総理大臣は、「人類史上唯一の戦争被爆国として、核兵器の惨禍を体験したわが国には、確実に『核兵器のない世界』を実現していく責務がある。その非道を後の世に、また世界に伝え続ける務めがある」と述べました。そのうえで安倍総理大臣は、「核兵器の惨禍が再現されることのないよう、非核三原則を堅持しつつ、核兵器廃絶に、また世界恒久平和の実現に力を惜しまぬことを誓う」と述べました。また安倍総理大臣は、「今なお、被爆による苦痛に耐え、原爆症の認定を待つ方々がいる。昨年末には認定基準の見直しを行った。多くの方々に一日でも早く認定が下りるよう今後も誠心誠意努力する」と述べ、原爆症の早期認定や被爆者の支援に引き続き取り組んでいく考えを強調しました。(引用ここまで


時事 「核兵器ない世界」次世代に=平和宣言、集団的自衛権言及-69回目、長崎原爆の日(2014/08/09-11:55)
http://i.jiji.jp/jc/i?g=soc_30&k=2014080900148
 平和祈念式典で、平和を願い放たれたハト=9日午前、長崎市の平和公園
長崎は9日、69回目の原爆の日を迎えた。爆心地に近い長崎市松山町の平和公園で、市主催の「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が営まれた。被爆者や遺族、安倍晋三首相らが参列し、原爆死没者の冥福を祈った。田上富久市長は平和宣言で、「核兵器のない世界」を次世代に引き継ごうと世界に向けて呼び掛けた。集団的自衛権をめぐる議論にも言及し、政府に対し、不安や懸念の声に耳を傾けるよう要請した。
 式典には、核保有国では、米仏ロ中のほか、インドが出席。米国のケネディ駐日大使も6日の広島に続き参列した。参列国は過去最多の48カ国となった。
 犠牲者に水と花輪をささげた後、原爆投下時刻の午前11時2分、鐘の音などに合わせて1分間の黙とう。7月末までの1年間に死亡が確認された3355人の名前を記した原爆死没者名簿3冊を奉納した。死没者数は16万5409人となった。
平和祈念式典で、平和宣言を読み上げる長崎市の田上富久市長=9日午前、長崎市の平和公園
平和宣言で田上市長は、核兵器保有国や日本を含む「核の傘」の下にいる国に対して、核廃絶を目指す国々との協議の場をつくるよう呼び掛け、日本政府には唯一の被爆国として先頭に立つよう求めた。さらに、憲法に込められた不戦の誓いは、日本と長崎の原点と強調。集団的自衛権の議論の中で、被爆者が伝え続けた平和の原点が揺らいでいるとの不安や懸念の声に耳を傾けるよう政府に求めた。世界には「次の世代に『核兵器のない世界』を引き継ぎましょう」と呼び掛けた。
安倍首相は「被爆の辛酸をなめた私たちは立ち上がり、祖国を再建し、長崎を美しい街としてよみがえらせた」とあいさつ。被爆70年目となる来年は「核兵器のない世界」を実現するための取り組みをさらに進める決意を表明した。(引用ここまで

長崎新聞  被爆69年 長崎原爆の日(2014年8月9日更新)
http://www.nagasaki-np.co.jp/news/photonews/2014/08/09090819014078.shtml
長崎原爆の日を前に、慰霊と平和の明かりに包まれた爆心地公園=8日夜、長崎市松山町
被爆地長崎は9日、原爆投下から69回目の「原爆の日」を迎えた。来年の被爆70周年や核拡散防止条約(NPT)再検討会議の開催を控え、田上富久長崎市長は「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」で、核兵器廃絶への歩みを前進させるよう平和宣言で訴える。また、集団的自衛権の行使を認める閣議決定に関し、不戦の誓いが揺らぐのではないかという国民の懸念に向き合うよう政府に求める。
台風11号が九州に接近しており市は8日、同式典について協議。会場の平和公園に設置済みだった大テントは、強風対策で撤収した。9日の開場は午前8時半に1時間繰り下げ、献茶式など式典前行事は中止。雨天の場合、5千人分のレインコートを参列者に配布する。早朝、風雨で参列者の安全が確保できないと判断した場合、式典は中止し、平和宣言や被爆者代表の「平和への誓い」の読み上げは別途、検討する。
平和宣言では、核兵器を非合法化すべきだとの機運の高まりや、核保有国や「核の傘」依存国が非合法化に難色を示している状況を踏まえ、多国間の協議の場の設定を求める。また田上市長は、「(安全保障環境の)状況を示す表現」として、広島市が同宣言で言及しなかった「集団的自衛権」の文言を盛り込むことを表明している。
式典には過去最多の51カ国の代表や安倍晋三首相などが参列予定。式典終了後、被爆者5団体と安倍首相は市内ホテルで面会する。5団体は集団的自衛権の行使容認を批判する方針だ。全国で被爆者健康手帳を所持する人は3月末時点で初めて20万人を切った。県内は5万269人、前年同期比2468人減。平均年齢は長崎市78・93歳、同市外79・99歳で、高齢化が一層進んでいる。(引用ここまで

 朝日 「平和の原点揺らぐ」長崎平和宣言、集団的自衛権に懸念 2014年8月9日12時04分http://www.asahi.com/articles/ASG86675XG86TIPE03K.html?ref=reca
  69年前、原子爆弾が投下された長崎市で9日、犠牲になった人たちを悼み、反核・平和の思いを新たにする平和祈念式典が開かれた。被爆者や遺族ら約5900人が参列。田上富久市長は平和宣言で、安倍政権が進める集団的自衛権の行使容認を踏まえ、憲法に込められた「戦争をしない」という誓いが揺らいでいる、と懸念を表明した。
【集団的自衛権】
平和公園であった式典では、原爆が投下された午前11時2分に合わせて参列者が黙禱(もくとう)を捧げた。
田上市長は平和宣言で、集団的自衛権の議論を機に、安全保障のあり方について様々な意見が交わされていると指摘。憲法に込められた不戦の誓いは、日本と被爆地・長崎の原点だとした上で、「その平和の原点が揺らいでいるのではないか、という不安と懸念が生まれている」と訴えた。さらに、「日本政府には、この不安と懸念の声に、真摯(しんし)に向き合い、耳を傾けることを強く求めます」と述べた。(引用ここまで

朝日 核なき世界、なお遠く 「核の傘」頼み、変わらぬ日本 2014年8月7日01時37分http://www.asahi.com/articles/ASG865F5JG86UTFK004.html
杉崎慎弥、小林哲=ワシントン、駒木明義=モスクワ
【動画】69回目の広島・原爆の日=取材班撮影  傘を差して多くの市民が慰霊に訪れた平和記念公園=6日午前7時15分、広島市中区、青山芳久撮影
 広島への原爆投下から69年を迎えた6日、広島市で平和記念式典が開かれた。参列した安倍晋三首相は「核兵器のない世界」の実現を述べたが、具体的な成果につながる動きは乏しい。核大国の米ロがウクライナ情勢をめぐって対立を深めており、国際的な核廃絶の機運も途絶えている。「核兵器の惨禍が再現されることのないよう、世界恒久平和の実現に、力を惜しまぬことをお誓いする」
安倍首相は式典でこう語った後、被爆者団体代表との会合で集団的自衛権の行使容認をめぐって異論を突きつけられた。「戦争のできる国にするものだ。閣議決定の撤回を求める」。(引用ここまで)

赤旗 被爆地 不戦誓う 長崎式典“安倍政権は耳傾けよ” 集団的自衛権に怒り 2014年8月10日(日)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-08-10/2014081001_01_1.html

赤旗 「戦争する国」被爆地は拒否 「核なき世界」と相いれず  2014年8月10日(日)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-08-10/2014081002_02_1.html

どうだったでしょうか?どこも「北東アジア非核兵器地帯構想」のことなど、一顧だにしていません。この提案は、長崎の原点を具体化したものですが、どこも集団的自衛権行使問題に集中しているのです。当然と言えば当然のことですが、この構想を具体化することこそ、集団的自衛権行使論の破たんを意味しているのですが、このことが、どこも判っていないのです。

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長崎平和宣言で「北東アジア非核兵器地帯構想」の検討を提案したことが議論されていない!

2014-08-11 | 核兵器廃絶

「集団的自衛権」が入っているかいないかというよりもっと大事なことが!

 


6日のヒロシマ忌に続いて、9日ナガサキ忌でした。世間では「集団的自衛権」という言葉が入っているかいないかなどと、皮相な見方が席巻していますが、愛国者の邪論は、確かに「集団的自衛権」という言葉があった方がリアルであるとは思いますが、広島宣言については、その言葉はなかったものの、憲法9条の平和主義の思想を語ることで、安倍政権に対するアンチテーゼが展開されていた画期的な宣言であったと思います。そのことについては、すでに記事にしましたので、ご覧ください。ここでは、集団的自衛権という言葉が入ったナガサキについて、検証してみます。

「北東アジア非核兵器地帯構想」を呼びかけた画期的な長崎平和宣言!

愛国者の邪論が最も注目したのは、以下の点です。ご覧ください。

 


146か国の代表がメキシコに集まった今年2月の「核兵器の非人道性に関する国際会議」で、さまざまな視点から、核兵器がいかに非人道的な兵器であるかを明らかにたことを受けて「核兵器保有国とその傘の下にいる国々」に対して、以下の呼びかけを行ったことです。「核兵器のない世界」の実現のために、いつまでに、何をするのかについて、核兵器の法的禁止を求めている国々と協議ができる場をまずつくり、対立を越える第一歩を踏み出してください。日本政府は、核兵器の非人道性を一番理解している国として、その先頭に立つこと、そして韓国、北朝鮮、日本が属する北東アジア地域を核兵器から守る方法の一つとして、非核三原則の法制化とともに、「北東アジア非核兵器地帯構想」の検討を始めるよう提言したことです。このことは、日本国憲法に込められた「戦争をしない」という誓いは、被爆国日本の原点であるとともに、被爆地長崎の原点という考え方に基づいていることで、この考え方からして集団的自衛権行使が、その平和の原点がいま揺らいでいるのではないか、という不安と懸念が、急ぐ議論の中で生まれています。日本政府にはこの不安と懸念の声に、真摯に向き合い、耳を傾けることを強く求めます。

明快です。集団的自衛権行使論の誤りについて、ナガサキの地から批判しているのです。しかも、ただ批判しているだけではありません。この「構想」こそが日本国政府がとるべき安全保障政策と言えます。広島ともども、この宣言に基づく外交・安全保障政策を日本国政府がとるべきだと確信するものです。


この広島・長崎の平和宣言に盛り込まれた、憲法9条の国際紛争を解決する思想、すなわち、国家による戦争、武力による威嚇=脅し=核・軍事抑止力、武力行使ではなく対話と交流など、非軍事的手段=非軍事抑止力によって解決するという思想が具体化されている「北東アジア非核兵器地帯構想」を受けて、具体化できるようにするために、全国民的議論が巻き起こることを期待したいと思います。この構想は日米軍事同盟の枠内では不可能です。ということは日米軍事同盟を廃棄する以外に、その道はありません。廃棄後のアメリカとの関係は、憲法を活かした対等平等の日米平和友好条約の締結こそが、非核・非暴力の北東アジア平和共同体構想に連動していくことになるでしょう。アンリかとの関係も断ち切るというものではないことは言うまでもありません。

平成26年長崎平和宣言http://www.city.nagasaki.lg.jp/peace/japanese/appeal/index.html
 69年前のこの時刻、この丘から見上げる空は真っ黒な原子雲で覆われていました。米軍機から投下された一発の原子爆弾により、家々は吹き飛び、炎に包まれ、黒焦げの死体が散乱する中を多くの市民が逃げまどいました。凄まじい熱線と爆風と放射線は、7万4千人もの尊い命を奪い、7万5千人の負傷者を出し、かろうじて生き残った人々の心と体に、69年たった今も癒えることのない深い傷を刻みこみました。
今も世界には1万6千発以上の核弾頭が存在します。核兵器の恐ろしさを身をもって知る被爆者は、核兵器は二度と使われてはならない、と必死で警鐘を鳴らし続けてきました。広島、長崎の原爆以降、戦争で核兵器が使われなかったのは、被爆者の存在とその声があったからです。
もし今、核兵器が戦争で使われたら、世界はどうなるのでしょうか。
今年2月メキシコで開かれた「核兵器の非人道性に関する国際会議」では、146か国の代表が、人体や経済、環境、気候変動など、さまざまな視点から、核兵器がいかに非人道的な兵器であるかを明らかにしました。その中で、もし核戦争になれば、傷ついた人々を助けることもできず、「核の冬」の到来で食糧がなくなり、世界の20億人以上が飢餓状態に陥るという恐るべき予測が発表されました。
核兵器の恐怖は決して過去の広島、長崎だけのものではありません。まさに世界がかかえる“今と未来の問題”なのです。こうした核兵器の非人道性に着目する国々の間で、核兵器禁止条約などの検討に向けた動きが始まっています。しかし一方で、核兵器保有国とその傘の下にいる国々は、核兵器によって国の安全を守ろうとする考えを依然として手放そうとせず、核兵器の禁止を先送りしようとしています。この対立を越えることができなければ、来年開かれる5年に一度の核不拡散条約(NPT)再検討会議は、なんの前進もないまま終わるかもしれません。
核兵器保有国とその傘の下にいる国々に呼びかけます。
「核兵器のない世界」の実現のために、いつまでに、何をするのかについて、核兵器の法的禁止を求めている国々と協議ができる場をまずつくり対立を越える第一歩を踏み出してください。日本政府は、核兵器の非人道性を一番理解している国として、その先頭に立ってください。核戦争から未来を守る地域的な方法として「非核兵器地帯」があります。現在、地球の陸地の半分以上が既に非核兵器地帯に属しています。日本政府には、韓国、北朝鮮、日本が属する北東アジア地域を核兵器から守る方法の一つとして、非核三原則の法制化とともに、「北東アジア非核兵器地帯構想」の検討を始めるよう提言します。この構想には、わが国の500人以上の自治体の首長が賛同しており、これからも賛同の輪を広げていきます。
いまわが国では、集団的自衛権の議論を機に、「平和国家」としての安全保障のあり方についてさまざまな意見が交わされています。長崎は「ノーモア・ナガサキ」とともに、「ノーモア・ウォー」と叫び続けてきました。日本国憲法に込められた「戦争をしない」という誓いは、被爆国日本の原点であるとともに、被爆地長崎の原点でもあります。被爆者たちが自らの体験を語ることで伝え続けてきた、その平和の原点がいま揺らいでいるのではないか、という不安と懸念が、急ぐ議論の中で生まれています。日本政府にはこの不安と懸念の声に、真摯に向き合い、耳を傾けることを強く求めます。
長崎では、若い世代が、核兵器について自分たちで考え、議論し、新しい活動を始めています。大学生たちは海外にネットワークを広げ始めました。高校生たちが国連に届けた核兵器廃絶を求める署名の数は、すでに100万人を超えました。その高校生たちの合言葉「ビリョクだけどムリョクじゃない」は、一人ひとりの人々の集まりである市民社会こそがもっとも大きな力の源泉だ、ということを私たちに思い起こさせてくれます。長崎はこれからも市民社会の一員として、仲間を増やし、NGOと連携し、目標を同じくする国々や国連と力を合わせて、核兵器のない世界の実現に向けて行動し続けます。世界の皆さん、次の世代に「核兵器のない世界」を引き継ぎましょう。
東京電力福島第一原子力発電所の事故から、3年がたちました。今も多くの方々が不安な暮らしを強いられています。長崎は今後とも福島の一日も早い復興を願い、さまざまな支援を続けていきます。
来年は被爆からちょうど70年になります。被爆者はますます高齢化しており、原爆症の認定制度の改善など実態に応じた援護の充実を望みます。
被爆70年までの一年が、平和への思いを共有する世界の人たちとともに目指してきた「核兵器のない世界」の実現に向けて大きく前進する一年になることを願い、原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げ、広島市とともに核兵器廃絶と恒久平和の実現に努力することをここに宣言します。  2014年(平成26年)8月9日  長崎市長 田上 富久


「憲法踏みにじる暴挙」 長崎、集団的自衛権に怒り  2014年8月9日 夕刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014080902000250.html
「平和への誓い」を読み上げる被爆者代表の城台美弥子さん=9日、長崎市の平和公園で(梅津忠之撮影)
 長崎は九日、被爆から六十九年の原爆の日を迎え、長崎市松山町の平和公園で市主催の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が営まれた。出席した安倍晋三首相の目の前で、被爆者代表の城台(じょうだい)美弥子さん(75)が「憲法を踏みにじる暴挙」と集団的自衛権の行使容認を痛烈に批判した。田上富久(たうえとみひさ)市長も平和宣言で「平和の原点がいま揺らいでいるのではないか、という不安と懸念が急ぐ議論の中で生まれている」と指摘。政府の姿勢に対する被爆地の懸念があらわになった。
◆被爆者代表「平和への誓い」全文
一九四五年六月半ばになると、一日に何度も警戒警報や空襲警報のサイレンが鳴り始め、当時六歳だった私は、防空頭巾がそばにないと安心して眠ることができなくなっていました。
八月九日朝、ようやく目が覚めたころ、魔のサイレンが鳴りました。「空襲警報よ!」「今日は山までいかんば!」緊迫した祖母の声で、立山町の防空壕(ごう)へ行きました。爆心地から二・四キロ地点、金毘羅山中腹にある現在の長崎中学校校舎の真裏でした。しかし敵機は来ず、「空襲警報解除!」の声で多くの市民や子どもたちは「今のうちー」と防空壕を飛び出しました。そのころ、原爆搭載機B29が、長崎上空へ深く侵入して来たのです。私も、山の防空壕からちょうど家に戻った時でした。お隣のトミちゃんが「みやちゃーん、あそぼー」と外から呼びました。その瞬間空がキラッと光りました。その後、何が起こったのか、自分がどうなったのか、何も覚えていません。しばらくたって、私は家の床下から助け出されました。外から私を呼んでいたトミちゃんはそのときけがもしていなかったのに、お母さんになってから、突然亡くなりました。
たった一発の爆弾で、人間が人間でなくなり、たとえその時を生き延びたとしても、突然に現れる原爆症で多くの被爆者が命を落としていきました。私自身には何もなかったのですが、被爆三世である幼い孫娘を亡くしました。わたしが被爆者でなかったら、こんなことにならなかったのではないかと、悲しみ、苦しみました。原爆がもたらした目に見えない放射線の恐ろしさは人間の力ではどうすることもできません。今強く思うことは、この恐ろしい非人道的な核兵器を世界中から一刻も早くなくすことです。
そのためには、核兵器禁止条約の早期実現が必要です。被爆国である日本は、世界のリーダーとなって、先頭に立つ義務があります。しかし、現在の日本政府は、その役割を果たしているのでしょうか。今、進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじる暴挙です。日本が戦争できるようになり、武力で守ろうと言うのですか。武器製造、武器輸出は戦争への道です。いったん戦争が始まると、戦争は戦争を呼びます。歴史が証明しているではないですか。日本の未来を担う若者や子どもたちを脅かさないでください。被爆者の苦しみを忘れ、なかったことにしないでください
福島には、原発事故の放射能汚染でいまだ故郷に戻れず、仮設住宅暮らしや、よそへ避難を余儀なくされている方々がおられます。小児甲状腺がんの宣告を受けておびえ苦しんでいる親子もいます。このような状況の中で、原発再稼働等を行っていいのでしょうか。使用済み核燃料の処分法もまだ未知数です。早急に廃炉を含め検討すべきです。
被爆者はサバイバーとして、残された時間を命がけで、語り継ごうとしています。小学一年生も保育園生も私たちの言葉をじっと聴いてくれます。この子どもたちを戦場に送ったり、戦禍に巻き込ませてはならないという、思いいっぱいで語っています。
長崎市民の皆さん、いいえ、世界中の皆さん、再び愚かな行為を繰り返さないために、被爆者の心に寄り添い、被爆の実相を語り継いでください。日本の真の平和を求めて共に歩みましょう。私も被爆者の一人として、力の続くかぎり被爆体験を伝え残していく決意を皆様にお伝えし、私の平和への誓いといたします。 平成二十六年八月九日 被爆者代表 城台美弥子

従来の政党の枠組みではなく国民的枠組みを優先した議論を!

長崎の平和宣言とヒバクシャの願いに安倍首相の言葉はかみ合っているでしょうか?全く抽象的で非現実的核兵器政策です。これではいつになっても核兵器禁止条約の締結はできないでしょう。それもそのはずです。アメリカの核兵器の核の傘の下に身を置き、核兵器抑止力論にどっぷり浸かっているからです。このことを脇においたアメリカの枠内における安全保障政策だからです。憲法を活かす政権構想を一刻も早く提案する必要があります。従来の政党の枠組みではなく国民的議論を国民とともにというスタンスです。国民的運動によって政党を巻き込むという視点です。

 

それでは、以下、安倍首相の挨拶をご覧ください。

憲法否定論者の安倍首相の挨拶には憲法思想は微塵も観られない!

平成26年8月9日 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典あいさつ
http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement/2014/0809nagasaki_aisatsu.html
本日、被爆69周年、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に臨み、原子爆弾の犠牲となった方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます。今なお被爆の後遺症に苦しんでおられる皆様に、心から、お見舞いを申し上げます。69年前の本日、一発の爆弾が、7万を上回る、貴い命を奪いました。12万人が暮らしていた家屋を全焼、全壊し、生き長らえた方々に、病と障害の、さらには生活上の、言葉に尽くせぬ苦難を強いました。 一度ならず、二度までも被爆の辛酸を嘗めた私たちは、にもかかわらず、苦しみ、悲しみに耐え立ち上がり、祖国を再建し、長崎を、美しい街として蘇らせました。今日は、犠牲になった方々の御霊を慰めるとともに、先人たちの奮闘と、達成に、感謝を捧げる日でもあります。人類史上唯一の戦争被爆国として、核兵器の惨禍を体験した我が国には、確実に、「核兵器のない世界」を実現していく責務があります。その非道を、後の世に、また世界に、伝え続ける務めがあります。
私は、昨年、国連総会の「核軍縮ハイレベル会合」において、「核兵器のない世界」に向けての決意を表明しました。我が国が提出した核軍縮決議は、初めて100を超える共同提案国を得て、圧倒的な賛成多数で採択されました。包括的核実験禁止条約の早期発効に向け、関係国の首脳に直接、条約の批准を働きかけるなど、現実的、実践的な核軍縮を進めています。本年4月には、「軍縮・不拡散イニシアティブ」の外相会合を、広島で開催し、被爆地から我々の思いを、力強く発信しました。来年は、被爆から70年目という節目の年であり、5年に一度の核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議が開催されます。「核兵器のない世界」を実現するための取組を、さらに前に進めていきます。
今なお被爆による苦痛に耐え、原爆症の認定を待つ方々がおられます。昨年末には、3年に及ぶ関係者の方々のご議論を踏まえ、認定基準の見直しを行いました。多くの方々に一日でも早く認定が下りるよう、今後とも誠心誠意努力してまいります。長崎の御霊を悼む朝、私は、これら責務に、旧に倍する努力を傾けていくことをお誓い申し上げます。結びに、いま一度、犠牲になった方々の御冥福を、心よりお祈りします。ご遺族と、ご存命の被爆者の皆様には、幸多からんことを祈念します。核兵器の惨禍が再現されることのないよう、非核三原則を堅持しつつ、核兵器廃絶に、また、世界恒久平和の実現に、力を惜しまぬことをお誓いし、私のご挨拶といたします。
平成二十六年八月九日 内閣総理大臣・安倍晋三 (引用ここまで)

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