愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

「靖国が国を守る思いの象徴」と屁理屈を並べ煽る産経のゴマカシ・スリカエを断罪する!

2014-08-16 | 靖国神社

安倍首相や産経やいつまで「英霊」を利用して冒涜するのか!

いつものことですが、またまた産経が詭弁を弄しています。この新聞の思想はどこまで大ウソを言えば済むというのでしょうか?「英霊」も怒っていることでしょう。その「英霊」に代わって、「英霊」の「慰霊」とは何か!について検証してみたいと思います。

1.自民党総裁として「揺るぎない恒久平和をしっかりと誓ってほしい」萩生田氏に託したという言葉と思想です。

「英霊」は憲法9条の解釈を変えてまで、自衛隊の武力行使を望んでいるだろうかということです。安倍首相は、集団的自衛権行使は日米同盟の抑止力を強化するためと再三再四強調しています。しかし、この軍事中心の「抑止力」論の最大の犠牲者は、靖国に祀られている「英霊」だということです。「鬼畜米英」「ABCD包囲網」論、日独伊三国同盟と「自存自衛」論こそ、現代で言えば対中朝脅威論です。安倍首相派が、このことを知らぬはずはありません。

2.「参拝を見送ったのは外交的配慮から苦渋の選択だったとしても、やはり機会をとらえ参拝する当然の姿を示すべきだ」「閣僚では古屋圭司国家公安委員長、新藤義孝総務相、稲田朋美行政改革担当相が参拝した。中国や韓国は、首相の玉串料奉納や閣僚の参拝を改めて非難しているが、内政干渉は慎んでほしい」という思想にこそ、ゴマカシです。

表沙汰にある参拝は「外交上的配慮」「苦渋の選択」だとして、侵略戦争を正当化している腹の中を具体化した閣僚の参拝は「内政干渉」だというのです。これほど身勝手なことがあるでしょうか?腹も口も頭も侵略戦争を反省したと言えるようにしなければ被害者は納得するでしょうか?被害者のこころを傷つける非人道的行為、不道徳行為と言わなければなりません。しかも、「自民党総裁として」などとしていますが、「首相は名代」の「萩生田光一総裁特別補佐」に託して、しかも「閣僚」の「参拝」は容認しているのです。

3.「その国の伝統文化に従って戦死者の霊をまつり、祈りをささげることを、戦争を賛美しているかのように取り上げることこそ国際儀礼上問題ではないか」というのもスリカエです。

「戦死者の霊」を差別していることをゴマカシています。こんな大ウソをつくことそのものが、「戦死者の霊」に対する冒涜です。「その国の伝統文化」と他国と同じように扱うことも、厚顔無恥というか、他国の戦争と日本の侵した近代の侵略戦争をゴチャゴチャにするスリカエ、デタラメです。他国の伝統文化に失礼千万でしょう。


4.「靖国神社はわが国の戦没者慰霊の中心施設であり、首相が閣僚を率いて参拝するのは普通の光景だった。中国が干渉するようになったのは中曽根康弘首相が公式参拝した昭和60年8月以降だ」というのも、戦前の皇国史観にもとづく神道思想強要の反省の上に制定された憲法の信教の自由を侵すものです。

むしろ、日本列島不沈空母化、四海峡封鎖など日米軍事同盟を強化し、さらに復古政治を強化する戦後政治の総決算路線を強調したからこそ、中間朝などが、それまで「棚上げ」していた歴史問題を持ち出すようになったことをスリカエ、他国に責任を負わせようとするデマ・大ウソを振りまいているのです。極めれ不道徳と言わなければなりません。


5.だが「靖国は戦没者を静かに追悼する場」であるというもの身勝手な思想です。

自分だけが静かに追悼しているのであって他国が内政干渉するから静かに追悼できないのだなどと、自分を被害者に置き換える姑息な恥ずべきスリカエです。そもそも「英霊」などと勝手に祀ったことそものものが静かに追悼できなくさせていることを産経は自覚すべきです。「静かに追悼」は産経などの専売特許ではないのです。産経自身が不穏当な追悼を呼び込んでいるのです。そのことは、以下述べます。


6.「日本は戦後一貫して平和と民主主義を守ってきた」のは憲法9条をいただく日本国憲法があったからです。

憲法9条こそが平和主義国家であることをスリカエています。しかも「その同盟国の友人として米国は、中韓に対し日本の立場を伝え、靖国参拝を外交カードに使わないよう説得してもらいたい」だというのも、中国や韓国に対しては「内政干渉」と身勝手なことを言いながら、「同盟国の友人」のアメリカになると「内政干渉」とは言わないのです。これも身勝手を象徴しています。しかも、「参拝を外交カードに使わないように説得して」ほしいなど、無責任なことを言っているのです。自分が蒔いた種を拾うことすらせず、他人に依存するのです。自分の身勝手さを棚に上げて助けてくれ!というのです。言うことなし!いい加減にしろ!ということです。


7.「靖国神社には幕末以降の国に殉じた246万余柱の霊がまつられている。このうち213万余柱は先の大戦の死者である」としています。

「先の大戦」がどのような戦争であったか、語ることもせず、自分たちがこそが「英霊」を「静かに追悼する」道徳者であるとしているのです。これこそ不道徳の極みです。何故、「先の大戦」で、246万余柱のうち213万余柱もの「英霊」が創り出されたのか、安倍首相をはじめ、産経、靖国神社から、科学的学問的な検証がなされたとは思えません。あるのは、情緒的な自己満足的日本語がちりばめれられているだけです。

「27歳で戦死した海軍兵曹長の遺書」のことが紹介されていますが、27歳の若者を殺しておいて、謝罪もしない政府とはどういう政府でしょうか?「英霊」に祀ったから文句はないだろうとでもいうのでしょうか?27歳の若者の人生をストップさせた責任こそ問われなければなりません。この27歳の若者の命があれば、どのような人生が開かれたでしょうか?どのような可能性が秘められていたのか、誰も知ることができないということそのものに、人間の命の可能性と価値があるのですが、産経や安倍首相などは、このことを一言も語りません。

あるのは「国家のために殉じた英霊に尊崇の念を抱き感謝する」というようなことだけです。この言葉には「人生をストップさせた責任と謝罪」思想はありません。何故でしょうか?それは彼らの死を利用しているからです。利用しようとしているからです。このような若者を作ろうとしているからです。だから「美化」するのです。しかし、それはとんでもない思い違いであり、不道徳と言えます。

このことは、愛好者の邪論のことを言えば、いっそう臨場感があることでしよう。それは愛国者の邪論の父が「英霊」になっていなかったからこそ、愛国者の邪論が、この世に誕生したという事実です。愛国者の邪論の兄弟は4人です。愛国者の邪論は子どもがいませんが、私の側の親族の甥と姪は10人です。その10人のうち、結婚しているのは、4人です。子どもが4人です。今、私の親族は25人の命と人生が営まれているのです。

父が「英霊」となっていなかったら、これらの命が誕生することはありませんでした。213万余柱の命が途絶えてしまったことで、どれだけの命が誕生できなかったか!どれだけの人生が創造できなかったか!ここに戦争の重みがあるのです。安倍首相派、産経など侵略戦争正当化派の思想の本質があるのです。

そうした視点に立つとき、安倍首相、閣僚、靖国神社に参拝した議員たちが、産経が、どれだけ、人間の命の大切と人生の価値と可能性のことを考えているのか、ということです。こうしたことを考えると、産経や安倍首相派のデタラメさ、不道徳ぶりが浮き彫りになるのです。許すことはできないのです。

8.「先人の労苦や尊い命のうえに国が築かれてきたことを学ぶ日ともしたい」などと言うことが、如何にゴマカシか、ご理解いただけるのではないでしょうか?

そのことは、一つには、「先人の労苦や尊い命のうえに国が築かれ」たのは憲法の平和主義の日本です。安倍首相や産経などは、アメリカに押し付けられたとして否定しようとしています。これがどうして「先人の労苦や尊い命のうえに国が築かれ」たものだと言えるのでしょうか?二つは、先に述べたように、尊い命を奪っておいて、また人生を閉ざしておいて、よくも「先人の労苦や尊い命のうえに国が築かれてきた」などと言えるものです。彼らの命が奪われなければ、どのような国が築かれたか、全く不問です。

以上検証してきましたが、安倍首相や産経が、246万余柱の霊、とりわけ213万余柱の「英霊」を十把一絡げに称賛するのは、侵略戦争によって命を奪った責任を曖昧にするための免罪符です。この姑息なスリカエを全面的に改善しなければなりません。そのことを改善できてはじめて「英霊」となった戦死者の「慰霊」ができるのではないでしょうか?それはい憲法を活かす政権にしかできないことでしょう!安倍政権のネライは侵略戦争に駆り立てて、無残に殺した「英霊」を称賛再びすることで、「英霊」をつくりだすことです。このことをあらゆる機会に暴いて告発していかなければなりません。

以下本文をご覧ください。


産經新聞  終戦69年の靖国/国守る思い語り継ぎたい  2014/8/16 4:00
http://sankei.jp.msn.com/column/topicslist/../../politics/news/140816/plc14081603060008-n1.htm
69回目の終戦の日を迎え、厳しい暑さのなか、今年も多くの人々が東京・九段の靖国神社を訪れた。安倍晋三首相は参拝は見送り自民党総裁として玉串料を奉納した。
首相は名代の萩生田光一総裁特別補佐に「揺るぎない恒久平和をしっかりと誓ってほしい」と託したという。
国民を代表し、戦没者の霊に哀悼の意をささげることは、どの国の指導者も行っている責務である。国を守り平和を誓う観点からも欠かせない。終戦の日の参拝を見送ったのは外交的配慮から苦渋の選択だったとしても、やはり機会をとらえ参拝する当然の姿を示すべきだ。
閣僚では古屋圭司国家公安委員長、新藤義孝総務相、稲田朋美行政改革担当相が参拝した。中国や韓国は、首相の玉串料奉納や閣僚の参拝を改めて非難しているが、内政干渉は慎んでほしい。
その国の伝統文化に従って戦死者の霊をまつり、祈りをささげることを、戦争を賛美しているかのように取り上げることこそ国際儀礼上問題ではないか。
靖国神社はわが国の戦没者慰霊の中心施設であり、首相が閣僚を率いて参拝するのは普通の光景だった。中国が干渉するようになったのは中曽根康弘首相が公式参拝した昭和60年8月以降だ。
昨年暮れの安倍首相の靖国参拝に米国からも「失望」を表明するなど懸念の声がでた。だが靖国は戦没者を静かに追悼する場である。日本は戦後一貫して平和と民主主義を守ってきた。その同盟国の友人として米国は、中韓に対し日本の立場を伝え、靖国参拝を外交カードに使わないよう説得してもらいたい。
この日、蝉(せみ)時雨に包まれた靖国の杜(もり)には、若者や家族連れも目立った。拝殿・社頭には、27歳で戦死した海軍兵曹長の遺書が紹介され、家族らへの気持ちがつづられていた。初めて参拝し、こうした戦死者の思いを知った若者の姿もあった。
靖国神社には幕末以降の国に殉じた246万余柱の霊がまつられている。このうち213万余柱は先の大戦の死者である。
靖国神社の歴史や役割について、戦後は家庭や学校で教えられる機会がほとんどなくなっている。先人の労苦や尊い命のうえに国が築かれてきたことを学ぶ日ともしたい。(引用ここまで)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする