愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

平和国家の原点と理由を語らず憲法違反の自衛隊の海外武力行使容認の屁理屈を振りまく読売社説

2014-08-17 | 集団的自衛権

ゴマカシ・スリカエ・デタラメ・大ウソ・トリックの読売の詭弁満載の社説を検証!

次は読売の社説です。特徴は、15日には自衛隊の海外派兵と武力行使を詭弁でゴマカシ、スリカエた集団的自衛権行使論と日米軍事同盟深化論、「公共財」論を振りまき、16日は植民地主義と侵略戦争責任を曖昧にするものです。

1.「先の大戦の戦没者を静かに追悼するとともに、平和と不戦への誓いを新たにする日」論です。
産経同様に自分たちこそが「先の大戦」の「戦没者を静かに追悼」しながら、反省して、教訓化して「平和と不戦の誓い」を「新たにする」ものであると、していることです。ここに侵略戦争と植民地主義を正当化し、日米軍事同盟を容認する勢力のパターン、思考回路が浮き彫りになります。その点では産経と同じです。
(1)「先の大戦の戦没者」が大量につくられたことを、この社説では黙殺しています。言えないのです。ゴマカシです。
(2)侵略戦争であった「先の大戦」の反省の上に制定された日本国憲法の平和主義を遵守することこそが、「平和と不戦の誓い」を具体化するという視点に立ていません。因みに5月3日の憲法記念日の社説をみると、軍事「抑止力」論の立場から、憲法形骸化・否定の論調にたっているのです。
読売新聞 憲法記念日/集団的自衛権で抑止力高めよ 2014/5/3 2:00
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20140502-OYT1T50189.html

2.「新見解は無論、戦争に参加するためのものではない。逆に、戦争の可能性を極小化するため、日米同盟と国際連携を強化し、抑止力を高めることが目的」論です。

そもそも読売の言葉そのものにゴマカシ・本質が浮き彫りになっています。「戦争に参加するためのものではない」と言いながら、「戦争の可能性を極小化するため」に「新見解」をつくったと、その目的とホンネを吐露してしまっています。

しかも読売の「日米同盟」は、アフガン・イラク戦争の際に、集団的自衛権行使一歩手前まで自衛隊を使うところにまで突き進んだのでした。その際の障壁が9条だったのです。その障壁を取り払うために、「新見解」が偽造され、来年の春にこれまでつくってきた法律を「改正」するというのですから、武力行使をするかしないか、認めるか認めないか、その一線を超えようとしていることは明らかです。
更に言えば、「抑止力」論の欺瞞性です。抑止力と言えば、軍事力というのは常識です。この悪魔のサイクルについては、アメリカの失敗から何も学んでいないことが浮き彫りになります。

3.「日本の安全保障環境は近年、急速に悪化した。北朝鮮は核・ミサイル開発を続け、中国は軍備を増強し、独善的な海洋進出を繰り返す。国際テロの脅威も増した。新たな情勢に的確に対応できる防衛体制の確立が急務だ」論です。

「日本の安全保障環境」が「急速に悪化した」のは、中国・北朝鮮の側にのみ責任をなすり付けていることです。中国・北朝鮮にしてみれば、わざわざアメリカから極東にまで巨大な軍隊を派兵してきていることの方が「脅威」であり、そのための「抑止力」として核兵器や軍備拡大をしていると表明しているのです。
北東アジアは日米・韓米軍事同盟を中心に中国・北朝鮮に対抗する「抑止力」として集団的自衛権の行使の容認を閣議決定したということですが、これは子どもでも判ることです。この「抑止力」としての集団的自衛権の行使を上回る「抑止力」が中朝によってつくられた場合、どうするのでしょうか。

4.「日本は戦後69年間、他国に攻撃を仕掛けることも、海外から侵略されることもなく、平和と繁栄を享受してきた」のは、「自衛隊を創設し、時代に応じた防衛力を整備する一方、日米安保条約を締結し、同盟関係を着実に強化してきたことが大きい」論です。

「他国に攻撃を仕掛けること」をしなかったのは憲法9条があったからですが、読売は否定するとでもいうのでしょうか?また「海外から侵略されることもなく」というのは、侵略される理由がなかっただけの話です。読売は、「自衛隊を創設し、時代に応じた防衛力を整備する一方、日米安保条約を締結し、同盟関係を着実に強化してきたことが大きい」としていますが、これも言葉のトリックです。
「時代に応じた防衛力を整備する一方」「同盟関係を着実に強化してきたことが大きい」とありますが、「整備する一方」「強化してきたことが」「海外から侵略されることもなかったことだ」と確信的に述べているのではなく、「大きい」と比較の対象として述べているのです。このことは、読売自身が「海外から侵略されること」がなかったのは、「自衛隊を創設し、時代に応じて防衛力を整備し、日米安保条約を締結し、同盟関係を着実に強化してきた」ことに原因があるとは考えていないことを自分で証明してしまったのです。
このことは別の視点から考えてみると、いっそうデタラメさが浮き彫りになります。それは、

一つには、「抑止力」として「自衛隊を創設し、時代に応じた防衛力を整備する一方、日米安保条約を締結し、同盟関係を着実に強化してきた」とありながら、実は、その「抑止力」が機能していないことを自ら暴露しているのです。それは、「新たな情勢に的確に対応できる防衛体制の確立が急務だ」論に象徴的です。自衛隊と日米安保条約=軍事同盟が「抑止力」として機能していないことを自ら暴露してしまったのです。それは「日本の安全保障環境は近年、急速に悪化した」という表現に象徴的です。「軍事抑止力」の悪魔のサイクル的本質が浮き彫りになっていることで、逆に「軍事抑止力」論の破たんが、簡単に証明されているのです。
もう一つは、憲法9条が邪魔になればなるほど、その効果を認めざるを得ないというジレンマです。そもそも「憲法9条」は「戦力」「不保持」でした。しかし、朝鮮戦争を口実に警察予備隊を創設し、その後、お得意の拡大解釈によって「自衛隊を創設し、時代に応じた防衛力を整備」してきたのですが、その都度問われたのは憲法9条でした。その最大の口実、言い訳は「時代に応じた」論でした。今回の「新見解」も「日本の安全保障環境は近年、急速に悪化した」論ですが、それでも「憲法9条」がシバリとなっていたのです。
だから「「憲法9条を守る」と唱えるだけでは、平和は維持できない」などと「憲法9条」が大きな壁となっていること、俺たちの方が「平和を維持」するために「現実的な政策をとっているのだ」と大見得をきっているのです。

しかし、この言葉に、彼らの最大の弱点があります。「憲法9条を守れ」という言葉を唱えているだけだという印象操作を謀っているのです。これは「護憲」論の弱点を示しています。「護憲」は憲法否定の政策をとる自民党政権派に対するアンチテーゼとして使われたものですが、本来憲法尊重擁護の義務を負っている政府が憲法を具体化する政治を行っていれば、何も問題はないものです。
しかし、そのようなことはほとんどありえないまま、すなわち憲法形骸化政治を行ってきたことによって、今日の日本国民の生活実態、日本社会の実態があることは明らかです。特に国民は有している国民の基本的人権をないがしろにして、国民の権利をことごとく縮小し、奪ってきたことを観れば明瞭です。

ここに「憲法を活かせ」というコピーの必然性が浮き彫りになるのです。この言葉は蜷川虎三京都府知事が「憲法を暮しに生かす」政治を行ったのが最初です。50年代の「生かす」から、今日では「使え」という意味を込めて「活かせ」という言葉を使っているのです。国民生活の隅々にわたって「憲法を活かせ」の声を掲げることが日米軍事同盟派の「健保9条を唱えているだけでは平和を維持できない」という屁理屈と真っ向対立することになると思っているのです。このことは、読売自身も認めるところです。以下ご覧ください。

5.「平和国家としての外交活動の強化も重要だ。「力による現状変更」を許さず、国際法に基づいて問題を平和的に解決する体制作りに向け、関係国と連携を深めたい。新見解を踏まえて、軍事と外交を「車の両輪」として機能させ、抑止力を強めることが肝要だ」論です。

この言葉にこそ。憲法改悪派も認めざるを得ない「憲法9条」の「国際紛争の平和的解決」論があります。問題は、「車の両輪」論の誤りです。それは、北朝鮮とは「対話と圧力」を掲げながら、「圧力一辺倒」の外交政策をとり続けた結果はどうなったか!中国・韓国とは、「外交」すら成り立っていないのです。その最大の原因は歴史認識、すなわち侵略戦争を正当化する挑発的言動にあることは、その経過を観れば明瞭です。しかも、対話が途絶えていることを相手側の責任になすりつけているのです。「対話の扉は常に開いている」などとしながら、その言動は真逆なのです。そこには被害者の立場、こころに寄り添う思いやり、やさしさは微塵もありません。あるのは身勝手だけです。

以下の社説を観れば、その身勝手さは浮き彫りになります。侵略戦争の兵站基地として、その役割を果たさせた朝鮮植民地に対するの加害の事実、それは非人道的行為そのものです。しかし、その非人道的行為に対する反省の心は微塵もありません。政治家の挑発的言動に反対している韓国国民、それを代表している大統領を「反日」として挑発しているのです。しかも日本国民には「反韓・嫌韓」感情を煽っているのです。この行為を集団的自衛権行使論に最大限利用しているのです。とても「車の両輪」などと言えないシロモノです。
読売新聞 朴大統領演説/対日関係は「慰安婦」だけか 2014/8/16 2:00
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20140815-OYT1T50176.html

しかも、中国に対しては、「危機」を放置し泳がせ、そのことを口実に「車の両輪」論を持ち出すのです。今や中国経済なくして日本国民の生活・経済も成り立っていないことは安倍首相の対話が実現していなくても、経済界のトップレベルの対話が実現していることを観れば明らかです。このことは対話を実現していない安倍首相のネライがどこにあるか一目瞭然です。読売の大ウソが浮き彫りになります。「車の両輪」は「軍事抑止力」を高めていくための方便なのです。

そもそも、憲法は、「非軍事抑止力」論にたって、「軍事抑止力」論を排除しているのです。非軍事安全保障論軍事に立って、安全保障論を排除しているのです。このことは、戦争を違法化してきた20世紀の歴史を踏まえたものであると同時に、それを確かなものにするうえで、大きな役割を担っていると言えるのです。このことは安倍首相派、産経・読売などが、生きている化石のように、19世紀型の軍事優先主義、国際紛争を戦争にとって解決する思想を色濃く残した化石であることを浮き彫りにするものです。

今や世界は、国際紛争を対話と交流によって解決するという方向で突き進んでいることは、EUやアセアンや中南米の共同体によって示されているのです。すでに記事に書きましたが、憲法9条を具体化する「戦争放棄条約」「不戦条約」の締結が課題となっているアセアンの教訓を日本に当てはめていくべきなのです。しかし日本のマスコミは、この事実を国民に報せていません。ここに日米軍事同盟を「抑止力」「公共財」として認知している勢力の自己矛盾が浮き彫りになるのです。

憲法9条を持つ国の「非軍事抑止力」論は、「対話と交流」の「訓練を重ね、平時から有事まで、切れ目のない対処能力を保持する。そうした努力が抑止力の実効性を高める」ということを実践するときなのです。読売が「抑止力」を述べれば述べるほど、その「軍事抑止力」論に立つ憲法破壊の本質は浮き彫りになることを声を大に強調しておきます。「非軍事抑止力」論の具体化である「対話と交流」の「切れ目ない訓練」こそ「軍事抑止力」論の具体化としての集団的自衛権の行使、個別的自衛権の行使の根拠をなくしていく最大の武器であることを!

6.「ソ連の軍事的脅威が存在した東西冷戦中も、冷戦終結後の流動的な東アジア情勢下でも、日米同盟が有効に機能してきたことは、歴史が証明している」論です。

これも憲法9条の果たしている役割を無視していること、「日米同盟」が日本を守る「抑止力」「公共財」ベトナムではなく戦争遂行の装置であったことを覆い隠すデタラメです。ベトナム戦争で多くの無辜の民が殺されたことなど、読売には眼中にありません。この思想に被害者の心に寄り添うなどというやさしさは微塵のありません。この思想をもってするいかなる美辞麗句も、その奥底に何があるか一目瞭然です。そこには冷たい心と死の商人の利益を国家の利益とスリカエる非道、非人道的邪悪な心が浮き彫りになるだけです。

7.「そもそも憲法は徴兵制を否定している。平和主義や専守防衛と同様、この原則に一切変更はない。解釈変更を限定的にしたのも、憲法の精神を堅持するためだ」論です。

これも大ウソです。「そもそも憲法」は「戦力不保持」です。「否定している」のです。しかし、読売も認めるように、「時代に応じた防衛力を整備する」「日本の安全保障環境は近年、急速に悪化した」「新たな情勢に的確に対応できる防衛体制の確立が急務」などというもっともらしい口実を理由に憲法解釈を変えて、憲法をぼろ雑巾のようにしてきたのは、他ならぬ読売などでした。そのような「犯罪歴」を持つ者の言うことを誰が信用できるというのでしょうか?「憲法改正の発議が現実味を帯びてくるだろう」との述べていることに観るように、徴兵制を否定しているなどということがいかに大ウソか、「憲法改正」によって現行憲法の徴兵制否定の原則を否定することが最終的ネライであることを表明しているのです。ここに大ウソつきであることがハッキリしているのではないでしょうか!

「憲法」の「この原則に一切変更はない」というのであれば、「戦力不保持」の「原則」にリセットすべきです。憲法の原則である非「軍事抑止力」論の具体化である「対話と交流」を「切れ目なく」実践・「訓練」すべきです。そのことの方が国際社会において名誉ある地位を占めることになることは戦争違法化の国際社会の方の支配の原則から見ても明らかです。

8.「日本側が更なる人道的措置を取ることが極めて困難な中、朴氏があえて慰安婦問題にこだわり続けているため、日韓関係の修復が難しくなっている」論です。

これもスリカエです。「日本の一部の政治家たちは両国民の心を裂いて、傷つけている」とも述べ、「安倍政権を重ねて批判した」ということについて、読売はまともに答えていません。個人補償問題も、非人道的行使については時効が適用されないというのが、安倍首相の言葉を使えば、国際社会の法の支配となっているのです。そのことを黙殺しています。日本政府と韓国政府の問題と国民同士の問題は別問題なのです。このことは日本が非人道的兵器である核兵器を使ったアメリカ政府に謝罪も補償も、何らの請求もしていないこと、また第五福竜丸事件にかかわって、約900隻のマグロ漁船の被曝について、日米政府でゴマカシたことを観れば、日本政府の犯罪的役割は浮き彫りになります。

は、以下読売のデタラメ・ゴマカシ・スリカエ。大ウソ・トリック社説をご覧ください。

読売新聞 終戦の日/平和国家の歩みを堅持したい 2014/8/15 2:00
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20140814-OYT1T50168.html
◆集団的自衛権で抑止力高めよ
今年も、「終戦の日」を迎えた。先の大戦の戦没者を静かに追悼するとともに、平和と不戦への誓いを新たにする日である。安倍政権は7月、集団的自衛権の行使を限定的に容認する新たな政府見解を決定した。これに関連し、長崎市の田上富久市長は「長崎平和宣言」で、「平和の原点がいま揺らいでいるのではないか、という不安と懸念」に言及した。ほかにも、「日本が戦争に参加する道を開く」などと新見解に反発する声もある。
◆「戦争する国」は曲解だ
だが、新見解は無論、戦争に参加するためのものではない。逆に、戦争の可能性を極小化するため、日米同盟と国際連携を強化し、抑止力を高めることが目的だ。日本の安全保障環境は近年、急速に悪化した。北朝鮮は核・ミサイル開発を続け、中国は軍備を増強し、独善的な海洋進出を繰り返す。国際テロの脅威も増した。新たな情勢に的確に対応できる防衛体制の確立が急務だ。
日本は戦後69年間、他国に攻撃を仕掛けることも、海外から侵略されることもなく、平和と繁栄を享受してきた。「憲法9条を守る」と唱えるだけでは、平和は維持できない。
自衛隊を創設し、時代に応じた防衛力を整備する一方、日米安保条約を締結し、同盟関係を着実に強化してきたことが大きい。
戦死者こそ出ていないが、公務中の事故や病気などで殉職した自衛官はこれまで、1800人を超す。日本の安全が、自衛隊の日々の地道な活動に支えられていることを忘れてはなるまい。
1960年の安保条約の改定時には、「戦争に巻き込まれる」といった情緒的な反対論が噴出し、国論を二分する騒動となった。だが、ソ連の軍事的脅威が存在した東西冷戦中も、冷戦終結後の流動的な東アジア情勢下でも、日米同盟が有効に機能してきたことは、歴史が証明している。日米同盟は今、アジアの安定に欠かせない「公共財」として、多くの国に認知されるに至った。当初は、自衛隊を抑制的に運用していたが、徐々に国際平和活動などに役割を拡大した。そんな戦後日本の平和国家の歩みは、国際社会に高く評価されている。
集団的自衛権の行使容認は、その延長線上にあり、中韓両国を除く、大半の国に支持、歓迎されている。その事実は極めて重い。憲法解釈の変更で、米艦防護やミサイル防衛などが可能になる。様々な事態に備え、有事の対処計画を立案する。訓練を重ね、平時から有事まで、切れ目のない対処能力を保持する。そうした努力が抑止力の実効性を高める。
◆扇動的な「徴兵制」論議
解釈変更には、「戦前の徴兵制の復活につながる」との扇動的な批判が一部にある。「戦争に行けと言われるため、自衛官が集まらなくなるから」というのは、曲論にほかならない。そもそも憲法は徴兵制を否定している。平和主義や専守防衛と同様、この原則に一切変更はない。解釈変更を限定的にしたのも、憲法の精神を堅持するためだ。政府は、こうした点を国民に丁寧に説明することが求められる。今後、大切なのは、日本が、米国にとって信頼でき、守るに値する国であり続けることだ。日本海で米軍艦船が攻撃された際、海自が傍観しているようでは、同盟は崩壊しかねない。相手が助けを要する時の行動こそが、真の友人かどうかの試金石となる。安倍政権の「積極的平和主義」に基づき、日本が国連平和維持活動などで国力にふさわしい役割を果たすことも欠かせない。
◆安保環境を改善せよ
テロの温床を減らし、紛争を予防するなど、世界の安全保障環境の改善に対する日本の貢献は、自国の安全に直結する。国際社会にとって、日本が守るに値する国になることにもつながる。新たな政府見解は、憲法が禁じる「武力行使との一体化」の範囲を限定し、他国部隊への「駆けつけ警護」も可能にした。自衛隊がより積極的に平和構築に関与する意義は大きい。平和国家としての外交活動の強化も重要だ。「力による現状変更」を許さず、国際法に基づいて問題を平和的に解決する体制作りに向け、関係国と連携を深めたい。新見解を踏まえて、軍事と外交を「車の両輪」として機能させ、抑止力を強めることが肝要だ。それこそが、8月15日以外に、新たな「終戦の日」を作ることを防ぐ道となろう。2014年08月15日01時26分 Copyright©TheYomiuriShimbun

読売新聞 朴大統領演説/対日関係は「慰安婦」だけか 2014/8/16 2:00
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20140815-OYT1T50176.html
いわゆる従軍慰安婦問題で日本に一方的な譲歩を求め続ける、硬直的な考え方は、いかがなものか。日韓関係を改善するためには、より柔軟な外交姿勢が必要である。韓国の朴槿恵大統領は、日本の植民地支配からの解放を記念する「光復節」式典で演説した。日韓関係について、「両国間に残っている過去の傷を癒やす努力が必要だ」と語り、歴史問題の解決の重要性を指摘した。「日本の一部の政治家たちは両国民の心を裂いて、傷つけている」とも述べ、安倍政権を重ねて批判した。看過できないのは、慰安婦問題への取り組みを従来以上に強く要求したことだ。朴氏は「この問題を正しく解決すれば、韓日関係が堅実に発展する」として、日本に具体的措置を求めた。慰安婦問題の解決が日韓関係改善の絶対条件であるかのような発言であり、疑問である。
朴氏は昨年2月の就任直後から歴史問題を重視してきた。今年3月の独立運動記念式典でも、慰安婦問題の解決の必要性に言及するなど、この問題を最優先する反日姿勢を鮮明にしている。だが、過去の経緯を考えれば、慰安婦問題で日本だけに譲歩を要求することには無理がある。個人補償を含む植民地時代の請求権問題は、1965年の日韓国交正常化時に法的に解決済みだ。それでも、日本政府は道義的な責任を果たすため、アジア女性基金を設立し、元慰安婦への償い金支給などの事業を実施した。韓国政府は基金設立を評価したが、その後、日本の法的責任を追及する韓国世論が高まり、事業はあまり進展しなかった。日本側が更なる人道的措置を取ることが極めて困難な中、朴氏があえて慰安婦問題にこだわり続けているため、日韓関係の修復が難しくなっている。
朴氏は演説で、日韓国交正常化50周年の来年に向けて「未来志向的な友好協力関係を築かなければならない」と語った。本気でそう考えるなら、慰安婦問題の解決を日韓首脳会談の前提条件に掲げることをやめるべきではないか。政治指導者が対話を重ね、信頼関係を築く中で、日韓双方が歩み寄る形で問題解決の具体策を模索することが現実的だろう。韓国でも、最近、慰安婦問題が原因で停滞する対日外交を疑問視し、北朝鮮政策や経済分野での連携を求める意見が増えている。朴氏の耳には、こうした冷静な声が届いていないのだろうか。2014年08月16日01時17分 Copyright©TheYomiuriShimbun

読売新聞 憲法記念日/集団的自衛権で抑止力高めよ 2014/5/3 2:00
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20140502-OYT1T50189.html
◆解釈変更は立憲主義に反しない
きょうは憲法記念日。憲法が施行されてから67周年となる。この間、日本を巡る状況は様変わりした。とくに近年、安全保障環境は悪化するばかりだ。米国の力が相対的に低下する中、北朝鮮は核兵器や弾道ミサイルの開発を継続し、中国が急速に軍備を増強して海洋進出を図っている。領土・領海・領空と国民の生命、財産を守るため、防衛力を整備し、米国との同盟関係を強化することが急務である。
◆日米同盟強化に資する
安倍政権が集団的自衛権の憲法解釈見直しに取り組んでいるのもこうした目的意識からであり、高く評価したい。憲法改正には時間を要する以上、政府の解釈変更と国会による自衛隊法などの改正で対応するのは現実的な判断だ。集団的自衛権とは、自国と密接な関係にある国が攻撃を受けた際に、自国が攻撃されていなくても実力で反撃する権利だ。国連憲章に明記され、すべての国に認められている。集団的自衛権は「国際法上、保有するが、憲法上、行使できない」とする内閣法制局の従来の憲法解釈は、国際的には全く通用しない。
この見解は1981年に政府答弁の決まり文句になった。保革対立が激しい国会論戦を乗り切ろうと、抑制的にした面もあろう。憲法解釈の変更については、「国民の権利を守るために国家権力を縛る『立憲主義』を否定するものだ」という反論がある。だが、立憲主義とは、国民の権利保障とともに、三権分立など憲法の原理に従って政治を進めるという意味を含む幅広い概念だ。内閣には憲法の公権的解釈権がある。手順を踏んで解釈変更を問うことが、なぜ立憲主義の否定になるのか。理解に苦しむ。そもそも、解釈の見直しは初めてではない。政府は、過去に憲法66条の「文民」の定義に関する解釈を変えている。
◆限定容認で合意形成を
集団的自衛権の行使容認は自国への「急迫不正」の侵害を要件としないため、「米国に追随し、地球の裏側まで戦争に参加する道を開く」との批判がある。だが、これも根拠のない扇動である。集団的自衛権の解釈変更は、戦争に加担するのではなく、戦争を未然に防ぐ抑止力を高めることにこそ主眼がある。年末に予定される日米防衛協力の指針(ガイドライン)の見直しに解釈変更を反映すれば、同盟関係は一層強固になる。抑止力の向上によって、むしろ日本が関わる武力衝突は起きにくくなろう。政府・自民党は、集団的自衛権を行使できるケースを限定的にする方向で検討している。
憲法9条の解釈が問われた砂川事件の最高裁判決を一つの根拠に「日本の存立のための必要最小限」の集団的自衛権の行使に限って認める高村自民党副総裁の「限定容認論」には説得力がある。内閣が解釈変更を閣議決定しても、直ちに集団的自衛権を行使できるわけではない。国会による法改正手続きが欠かせない。
法律面では、国会承認や攻撃を受けた国からの要請などが行使の条件として考慮されている。自民党の石破幹事長は集団的自衛権の行使を容認する場合、自衛隊法や周辺事態法などを改正し、法的に厳格な縛りをかけると言明した。立法府に加え、司法も憲法違反ではないか、チェックする。濫用らんようは防止できよう。集団的自衛権の憲法解釈変更については、日本維新の会、みんなの党も賛意を示している。公明党は、依然として慎重な構えだ。日本近海で米軍艦船が攻撃された際は日本に対する武力攻撃だとみなし、個別的自衛権で対応すればいい、と主張する。だが、有事の際、どこまで個別的自衛権を適用できるか、線引きは難しい。あらゆる事態を想定しながら、同盟国や友好国と連携した行動をとらねばならない。
◆緊急事態への対処も
武力攻撃には至らないような緊急事態もあり得る。いわゆる「マイナー自衛権」で対処するための法整備も、検討すべきである。先月、与野党7党が憲法改正の手続きを定めた国民投票法の改正案を国会に共同提出した。今国会中に成立する見通しだ。憲法改正の発議が現実味を帯びてくるだろう。与野党は共同提出を通じて形成された幅広い合意を大切にして、具体的な条項の改正論議を始める必要がある。安倍政権には、憲法改正の必要性を積極的に国民に訴え、理解を広げていくことも求めたい。2014年05月03日01時30分 Copyright©TheYomiuriShimbun

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