粛々と辺野古基地建設を強行している本質的要因は日米軍事同盟深化論だ!
連日の抗議行動の中でも、「粛々」と進められている辺野古基地建設です。沖縄県民の意思は明確です。しかし、安倍政権が、名護市長選挙の結果を無視してまでも基地建設を強行するのは、沖縄と本土の分裂があるからではないかという愛国者の邪論の推論があります。そこで、このことを示す社説が出ましたので、以下検証してみたいと思います。
琉球新報の「沖縄差別」論は日米軍事同盟「廃棄回避」論だ!
以下の琉球新報の「沖縄差別」論は全国的団結の強化発展によって安倍政権を追い込んでいくという点で大きな問題ありと言わなければなりません。安倍政権の強硬論は、本当に「沖縄差別」から来ているのでしょうか?以下、検証してみます。ところで日米軍事同盟は沖縄だけの問題でないことは言うまでもありません。日本国民全体の問題です。日米軍事同盟が日本全体に重くのしかかっていることは、政治的、経済的、文化的問題として位置付けて考えていかなければならない問題ではないかということです。琉球新報は以下のように、指摘します。これを指摘されると、本土側は逡巡してしまいます。
日本の国土面積のわずか0・6%の沖縄県に在日米軍専用施設の74%が集中している。もし政府が沖縄を「平等」に置き「全ての権利が等しく保護されている」状態にあると主張するのなら、沖縄県内の在日米軍専用施設を0・6%まで縮小し、残りの大多数の米軍基地を県外に移設するべきだ。
確かに数字的に見れば、本土側が何も言えなくなるのは当然です。様々な「事実」を指摘しているからです。また実態としての基地の弊害が沖縄にしわ寄せをしていることも「事実」であることは誰も否定することはできないでしょう。しかし、この「沖縄差別」論からくる論理であるだから「本土も受け入れよ」式では、政府の分断によって、本土と沖縄の共倒れとなることは、沖縄施政権返還以来一貫していることです。これもまた「事実」ではないでしょうか?
「負担軽減」論の落とし穴!「負担解消」論こそ主張すべきではないのか!
沖縄からは、「本土で引き受けろ」「公平に分担しろ」論で本土の国民に迫るのです。本土は本土で、「うちに持って来られては困る」論と「分担しても構わない、仕方ない」論があります。しかし、オスプレイの訓練配備が「沖縄の負担軽減」を口実に、具体的にどのような方向に向けられているか、本土に訓練が移動したことで、沖縄の負担は軽減されたかどうかです。そのことも見ておかなければならないのではないでしょうか?沖縄の「負担軽減」とは何か。どんな状況になれば「負担軽減」は実現するというのでしょうか?辺野古基地建設は「負担軽減」どころか、新たな基地建設としての性格をもってものであることは、その工事内容を観ただけでも判ります。問題は「負担軽減」ではなく「負担解消」であることをきちんと位置付けるべきではないでしょうか?
逆に、本土の側からいえば沖縄に基地を負担していただく代わりに、国民の血税を沖縄にばらまくという手口が行われれてきたことについて、本土の国民は何も語っていません。「申し訳ない」と思っているのか、「当然」と考えているのか、「仕方ない」と考えているのか、自分たちでは解決できない問題だと諦めているのか、などなど、様々な要因が考えられます。自分のところに来ないでホッとしているという感覚ではないでしょうか?7これは原発災害が自分のところに来なくてホッとしている気分、災害をテレビで観ている気分ではないでしょうか?ここに最大の問題があるのではないでしょうか?当事者意識の欠落です。
沖縄を差別する真の差別者は誰か!本土か否か!
こうした意識状況のなかで、国見同士が負担の押し付け合いをしていて、一番、得をしている、利益を得ているのは、一体全体誰でしょうか?このことこそ、解明していかなければならないことではないでしょうか?そのことについて、琉球新報は何も語っていません。以下の視点が示唆的です。国連人種差別撤廃委員会の場で日本政府の代表は、「沖縄に居住する人や沖縄県出身者は憲法の規定により法の下に平等だ。日本国民としての全ての権利が等しく保護されていると語った」と紹介しています。しかし、この言葉を、沖縄県民と本土の国民が平等・公平に沖縄の米軍基地の負担を負うべきだという論理には、矛盾があります。それは、国連の国際人権規約の第1条の「全ての人民は自決の権利を有する」という思想にヒントがあることを指摘しない訳にはいきません。そもそも日本国憲法の人権尊重主義、地方自治制度を使うのであれば、これらの思想と原理に最も矛盾対立している日米軍事同盟の廃棄にこそ向けられていかなければならないということにならないでしょうか。
日米軍事同盟こそ、「沖縄差別」の思想的根拠である!
琉球新報は、日米軍事同盟を前提にして、これは動かないものだとして固定的に考えている、正当化しているのではないでしょうか。その思想を正当化するための「方便」「免罪符」として「沖縄差別」論を展開しているのです。そもそも「差別」論が「正当な」思想であるならば、「差別」の根源に、その批判の矛先を向けていかなければなりません。琉球新報の主張で言えば、「差別者」は本土の住民であり、行政であるということになります。ところが、「事実」は、そうではないでしょう。差別者は、アメリカ政府であり、日本政府です。それを結んでいる日米軍事同盟なはずです。この差別の根源に、その批判の矛先を向けて、この差別の大本である日米軍事同盟をなくしていかなければ、琉球新報の「差別」は永久に変わらないだろうということです。「差別」の温床である日米両政府と日米軍事同盟に手を付けず、本土と沖縄を分断している両政府に、その矛先を向けないところに、沖縄の「負担軽減」論という分断が入り込んでいるのです。あたかも安倍政権が沖縄県民の味方であるかのように振る舞っていることを観れば、「負担軽減」論の誤りは一目瞭然です。
琉球新報 <社説> 国連で辺野古議論/沖縄差別やめて工事中止を 2014/8/23 6:06
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-230520-storytopic-11.html
国連人種差別撤廃委員会が開かれ、日本の人種差別状況についての審査の中で、米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設についても議論が交わされた。委員から「地元に関わる問題は事前に地元の人たちと協議して同意を得ることがとても大切だ」との指摘が出た。仲井真弘多知事が埋め立てを承認したとはいえ、世論調査では県民の74%が辺野古移設に反対の意思を示している。沖縄の民意と乖離(かいり)した知事承認をもって、政府が海底ボーリング調査などの移設作業を進めることは許されない。委員会の場で日本政府の代表は「沖縄に居住する人や沖縄県出身者は憲法の規定により法の下に平等だ。日本国民としての全ての権利が等しく保護されている」と説明した。日本の国土面積のわずか0・6%の沖縄県に在日米軍専用施設の74%が集中している。もし政府が沖縄を「平等」に置き「全ての権利が等しく保護されている」状態にあると主張するのなら、沖縄県内の在日米軍専用施設を0・6%まで縮小し、残りの大多数の米軍基地を県外に移設するべきだ。同委員会は2010年に日本政府に対する見解として「沖縄における不均衡な米軍基地の集中が住民の経済的、社会的、文化的権利の享受を妨げている」と指摘し、その権利の尊重のために日本政府が適切な政策を講じるべきだとの勧告もしていた。
果たして政府は勧告に向き合ってきただろうか。むしろ正反対のことを実行したではないか。辺野古で新基地建設を強硬に進め、現場海域では海上保安庁が立ち入り制限区域外の船まで強制排除し、キャンプ・シュワブのゲート前では機動隊が工事車両を進入させるために住民の抵抗を阻んでいる。米統治下の沖縄で土地が強制接収された時の「銃剣とブルドーザー」に等しい暴挙が再び行われ、県民の権利を侵害している事態は許し難い。
国連の国際人権規約の第1条にはこう書かれている。「全ての人民は自決の権利を有する」。日本も1979年に条約を批准している。政府は沖縄の自己決定権を尊重し、直ちに辺野古移設の工事を中止するのが筋だ。委員による「住民の意思を尊重し、当然の権利を保障すべきだ」との声にこそ真摯(しんし)に耳を傾けるべきだ。(引用ここまで)
村井宮城県知事の「全体の利益のため」論は日米軍事同盟の「抑止力」論を正当化するもの!
日米軍事同盟は日本国民全体の利益を保障しているか!そのデマを暴かねば!
「ベースにあるのは全体の利益のためだ。沖縄県民の皆さまも理解できない部分があろうと思うが、協力していただければ」「私は物事を判断するときは、自分の損得より全体の利益を優先してやってきたつもりだ」
上記の村井知事の「全体の利益のため」論は、戦前の大日本帝国憲法の「臣民の権利と義務」「国体護持」思想と同じです。ところが戦後の日本国憲法は、個人の尊厳を優先して、国家は個人の権利を保障するという思想で制定されているのです。村井知事は、現行憲法を尊重し擁護し遵守する義務を負っているのですが、戦前の大日本帝国憲法の人権思想と同じ立場で行政の長を担当していることを自ら表明したのです。村井知事の言葉をそのまま使えば、戦後における「全体」は、「国民」という意味です。沖縄の基地が「国民全体の利益を保障している」との思想を表明したに過ぎないものですが、これは誤りです。先ず、
1.戦後の沖縄基地が日本国民の利益を保障してきたかどうか、立証しなければなりません。
2.現在の段階で、沖縄が日本国民の利益を保障しているのかどうか、これまた立証しなければなりません。
3.この沖縄の基地が国民全体の利益を保障したという思想が正しいとするのであれば、日本国民は、沖縄に対して、全体の利益の代償として何を与えることができるか、村井知事も本土の国民も考えなければなりません。
4.また、このような思想が正しいとするのであれば、すべての個人の権利は「国民全体の利益の保障のために」規制されるということになります。こうした思想が国民に受け入れられるかどうか、です。
ところが、沖縄タイムスも、琉球新報と同じように、沖縄と本土を機械的に分離する思想に基づいて、沖縄の「負担」論を展開し、本土を批判しているのです。
辺野古で今起きていることは、沖縄と本土、沖縄県民同士の間に、精神的なくさびを打ち込むのに等しい。強権的手法で工事が進むにつれ、その亀裂は深まることが懸念される。…くさびを打ち込んでいる主体は誰なのか、冷静に見極める必要がある。沖縄に課し続けた安保の代償を踏み台に、経済成長を謳歌(おうか)してきた日本本土の側にこそ、そうした自覚が求められるのではないか。
「経済成長を謳歌してきた日本本土」論が如何に誤りであるか、原発・東日本大震災・限界集落などなど、日本資本主義の病理現象を観れば一目瞭然です。今必要なことは、
沖縄を軍事のとりでとし、中国との対峙(たいじ)姿勢を強める安倍政権の軍備強化路線は果たして国益にかなうのか。米海兵隊が沖縄に駐留しなくとも抑止力に影響しないことは軍事の常識だ。ジュゴンが泳ぐ自然豊かな辺野古の海は人類共有の財産でもある
と述べているように、安倍式「軍事抑止力」が日本国民全体の利益にかなっているのかどうか、そのことを本土と一緒に検討していくことではないでしょうか。そのことによって、安倍式軍「事優先の安全保障」が日本国民の利益にかなっているかどうか、日米軍事同盟は、日本国民全体の利益を保障しているのかどうか、人権と民主主義と相いれないのではないのか!国民的議論を巻き起こしていくことではないでしょうか。
因みに、村井宮城県知事は昨年8月、とんでもないことを言っています。ご覧ください。
御国ためには血を流せ発言の宮城県知事を糺し辞任を求めない日本のマスコミは麻生発言の延長線上にアリ! 2013-08-12
http://blog.goo.ne.jp/aikokusyanozyaron/e/849e93a4d3e29a88a0df3397408abf05
沖縄タイムス 辺野古掘削調査/強権的手法に理はない 2014/8/20 8:07
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=80358
キャンプ・シュワブのゲート前には、民間警備員が立ちはだかり、その奧には県警機動隊員らが控えている。海上には、大幅拡大された立ち入り禁止海域にブイ(浮標)やフロート(浮具)を張り巡らし、海上保安庁のボートが厳重な警戒を続けている。こうした異常な状況下、辺野古の海にボーリング調査のくいが打たれた。辺野古で今起きていることは、沖縄と本土、沖縄県民同士の間に、精神的なくさびを打ち込むのに等しい。強権的手法で工事が進むにつれ、その亀裂は深まることが懸念される。くさびを打ち込んでいる主体は誰なのか、冷静に見極める必要がある。そんな中、圧倒的な権限で工事を強行する政府の立場を後押しする見解が、他県の知事から飛び出したことは残念でならない。
宮城県の村井嘉浩知事は18日の記者会見で、ボーリング調査について「ベースにあるのは全体の利益のためだ。沖縄県民の皆さまも理解できない部分があろうと思うが、協力していただければ」と述べた。放射性物質を含む指定廃棄物の最終処分場候補地で、国のボーリング調査を受け入れる方針を表明している村井氏は「(処分場問題は)辺野古とは全く次元が違い、同列に扱うことはない」とした上で、「私は物事を判断するときは、自分の損得より全体の利益を優先してやってきたつもりだ」と強調した。普天間飛行場の辺野古移設が果たして「全体の利益」にかなうのか。「全体」とは何を指すのか。沖縄県民を指すのであれば明らかにノーだ。新基地を造ってしまえば後は何とかなる、というのが政府の本音だろう。だが、県民にとって辺野古移設は新たな負担の始まりだ。事件事故や有事の際に標的にされるリスクを、住民は子や孫の代まで背負わなければならない。
凄惨(せいさん)な地上戦を経て、戦後も「軍事の島」であることを余儀なくされた県民にさらなる負担を押し付けるのは許せない。沖縄に課し続けた安保の代償を踏み台に、経済成長を謳歌(おうか)してきた日本本土の側にこそ、そうした自覚が求められるのではないか。
沖縄を軍事のとりでとし、中国との対峙(たいじ)姿勢を強める安倍政権の軍備強化路線は果たして国益にかなうのか。米海兵隊が沖縄に駐留しなくとも抑止力に影響しないことは軍事の常識だ。ジュゴンが泳ぐ自然豊かな辺野古の海は人類共有の財産でもある。軸足をどこに置いても辺野古移設に理はない。
アルフレッド・マグルビー在沖米総領事は「反対運動をしている沖縄の人は0か100しかない。建設的な、意味のある対話はできない」と語ったという。建白書に盛り込んだ普天間の県内移設断念要求は、沖縄が抱える基地負担のごく一部の軽減を求めたにすぎない。「0か100」という指摘は全く当たらない。
沖縄の保守政治家にも反対が広がっているのは、民主主義に反する政治に強い危機感があるからだ。23日にはゲート前で大規模な抗議集会も開かれる。県民は常に「意味のある対話」を求めている。(引用ここまで)