こんなデタラメを学者・研究者が立ち上がらなくてどうするか!
やっぱり出ました。思ったとおりでした。今日の参議院予算委員会で次世代の党の松沢成文氏が、奈良教育大学付属中学校を非難する産経の記事を踏まえて、さっそく安倍首相に「感想」を言わせ、下村文科大臣に「指導」をお願いし、下村の文科大臣は、わざわざ学習指導要領を読み上げ、「要請」という名の「指導」すなわち、強制をすることを約束しました。全く姑息な手口でした。以下、そのやり取りを報ずる産経をご覧ください。
産経 「国立大で国旗、国歌を」首相、入学式などで 2015.4.9 18:45更新 http://www.sankei.com/politics/news/150409/plt1504090017-n1.html
予算案が可決、成立し、一礼する安倍首相=9日午後
安倍晋三首相は9日の参院予算委員会で、国立大の入学式や卒業式での国旗掲揚、国歌斉唱に関し「税金によって(運営が)賄われていることに鑑みれば、教育基本法の方針にのっとって、正しく実施されるべきではないか」との認識を示した。同時に「学習指導要領がある中学、高校ではしっかり実施されている」と強調した。次世代の党の松沢成文氏が、国立大での実践例がほとんどないと指摘したのに対し答弁した。松沢氏は「各国立大に実施するよう指導すべきだ」と下村博文文部科学相に要求。下村氏は「各大学で、適切な対応が取られるよう要請していきたい」と述べた。(引用ここまで)
産経 首相「新教育基本法にのっとり実施されるべきではないか」 国立大の国旗掲揚や国歌斉唱 2015.4.9 13:18更新 http://www.sankei.com/politics/news/150409/plt1504090012-n1.html
安倍晋三首相は9日の参院予算委員会で、国立大学の卒業式や入学式での国旗掲揚・国歌斉唱に関して「改正教育基本法の方針にのっとり、正しく実施されるべきではないか」との認識を示した。改正教育基本法では「国を愛する態度」を養うことなどが教育目標に掲げられている。次世代の党の松沢成文幹事長に対する答弁。
松沢氏は「国歌斉唱に至ってはほとんどの国立大学が実施していない。税金で賄われている以上、国旗掲揚や国歌斉唱は当たり前だ」と迫った。これに対し、下村博文文部科学相は「大学の自主的な判断に委ねられている」と指摘しつつも、「広く国民の間に定着していることなどを踏まえ、各大学で適切な対応が取られるよう要請していきたい」と応じた。松沢氏が示した文科省の資料によると、直近の卒業式で国歌斉唱を実施したのは国立86大学のうち14大学にとどまった。(引用ここまで)
税金云々を言うのであれば、政党助成金の使途のデタラメはどうするのか!下村文科大臣に至っては、政党助成金と自信の「政治資金問題」はどうなんだ!勿論、次世代の松沢氏においても!だ。全く呆れるばかりですが、この手の井戸端談義的質疑というか、税金をもらっているのだらか、ちゃんとやれ!式の「当たり前」と言えば「当たり前」なのことを、「学問の自由」「教育の自由」「思想信条の自由」の問題を黙殺して論じるなどということが、あってはならないと言わなければなりません。
この手口は、あの教育勅語の「当たり前」『徳目』を並べることで、実は、最後の『天皇のために死ぬ」ことを強制していった手口と同じです。大いなるスリカエなのです。このことは、すでに記事にしておきましたので、ご覧ください。以下、この質疑そのものが、スリカエ・ゴマカシ・デタラメであることを検証してみます。
全くデタラメ!国歌斉唱を強制するのは教育基本法にも違反しているぞ!
愛国者の邪論は、この教育基本法には反対です。この「改正」教育基本法の前の、旧教育基本法をこそ、学校現場に具体化すべきものだからです。以下をご覧ください。
昭和22年教育基本法制定時の条文:文部科学省 http://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/about/a001.htm
しかし、今日の予算委員会を視ていて、松沢氏も、首相も、下村文科大臣も、この「改正」教育基本法をよくよく読んでいないことが、改めて浮き彫りになりました。彼らが、ごり押しした「改正」教育基本法にすら基づいていない国旗・国歌の「指導」「強制」問題であることを、改めて検証しておきます。以下「改正」教育基本法をご覧ください。
教育基本法 (平成十八年十二月二十二日法律第百二十号)http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H18/H18HO120.html
前文 …我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。(引用ここまで)
侵略戦争の反省の上に制定された「日本国憲法の精神にのっとり」というのであれば、「日の丸」「君が代」が戦前どのような役割を果たしたのか、明らかにすべきです。そうすれば、この「君が代=国歌」「日の丸=国旗」を使うことすらできないはずです。このことは不問です。歴史的・学問的検証すらしないのです。あるのは「国歌」だから当然だと言うだけです。思考停止そのものです。これでは戦前と同じです。「天皇はカミだ!」で思考停止していた時代に戻るのでしょうか!次です。
(教育の目的) 第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。 (引用ここまで)
とするならば、安倍首相派の偏狭なナショナリズムを強制することはできないはずです。この文言と、「君が代=国歌」斉唱と「日の丸=国旗」礼拝が、どこで、どのように関連しているか、明らかにすべきです。全く語っていません!次です。
(教育の目標) 第二条 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。(引用ここまで)
歴史の真実を教えることを一貫して拒否してきた自民党・文科省!
安倍首相派・文科省は、一貫して、歴史の「真理」「真実」を教えることを拒否してきました。以下をご覧ください。
「国旗・日の丸と国歌・君が代」についての「幅広い知識と教養」「真理を求める態度」を育てることを拒否しています。これで「豊かな情操と道徳心を培う」ことはできません。
「国旗・日の丸と国歌・君が代」を「職務命令」という「指導」に基づいて、教師を脅し、文科省の「指導」「命令」に従わせる教師をつくることで、教師自身が「個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養う」ことができなくなることは明らかです。そのような「個人の価値」を尊重できない教師、「創造性のない教師」「自主及び自律の精神のない教師」が、子どもらに「個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養う」ことができないことは、子どもでも判ることです。
子どもが「個人の価値を尊重することができる」「創造性」と「自主及び自律の精神を養うことができる」ようにするためには、まずもって教師自身は「範」を示ことではないでしょうか!それとも、命令に従い、自分の意見を言わない教師を模範と白!と文科省は言うのでしょうか!安倍首相は言うのでしょうか!松沢氏は、学問の自由と日の丸斉唱の関係をどのように考えているのでしょうか!全くの思考停止議員と言わなければなりません!
戦前侵略戦争に反対した英雄的日本人がいたことを教えない文科省ではないでしょうか。学習指導要領には、このような日本人がいたことは、いっさい黙殺です。こうした学校教育で、人権と民主主義、平和を創造するために「自主及び自律の精神」、そして「正義と責任」を育てることができるでしょうか。
「国旗・日の丸と国歌・君が代」を強制することは、思考停止の教育を強制することです。これでは、人権・民主主義・平和意識を育てることはできません。日本国憲法の「個人の尊厳」、すなわち「男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずる」教育のためには、「国旗・日の丸と国歌・君が代」を強制することは、全く真逆の行為と言わなければなりません。
それは「強制」によって、「自他の敬愛と協力」の精神が育つとは思えないからです。他人のことを尊重することと自分を尊重することは表裏一体です。個人の尊厳を否定して「公共の精神」、「自主及び自律の精神」が育つことはありません。個人を尊重する教育の実践に基づいてはじめて「主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと」ができるはずです。
それは戦前の「臣民」論を視れば明らかです。だからこそ、日本国憲法前文で「主権が国民に存する」と明記したのです。戦前の主権は天皇にあったことを、よもや忘れたとは言わせません。ものごとの最終的決定権、すなわち主権が天皇にあったからこそ、「個人の価値」は「尊重」されなかった。否定されたのです。だから、「自主及び自律の精神」「男女の平等」は勿論のこと、「能力を伸ばし、創造性を培」ことなどあり得なかったのです。
そのことは、「一旦緩急アレバ、義勇公ニ奉ジ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ」という思想こそが「教育の精華」「淵源」だったからです。この思想は、「生命を尊び」日本の「伝統と文化を尊重」すること真逆の思想に他なりません、真逆の思想です。以下をご覧ください。
http://www.chukai.ne.jp/~masago/kyouiku.html
教育勅語・日の丸・君が代は殺人装置であり、日本文化の否定だ!
何故か。「日の丸」は民衆の間に培われ、脈々と受け継がれてきた太陽信仰を示していることは誰もが認めるところです。しかし、この太陽信仰は、五穀豊穣を祈願するもので、無病息災を含めて命の大切を願う「庶民のこころ」を象徴しているはずです。しかし、実際は、殺し合いを扇動する装置とされたことは歴史の事実です。
君が代は、古代風土記の中にその源流があり、それが古今和歌集をはじめとして「流達節」の中でも歌われてきたものです。しかも、「君が代」にも庶民の命の大切思想が脈々と息づいているのです。例えば、「巌となりけ」は、「岩」=「石棒」、ほと=「女性性器」、「なりて」=男女の「交合」を意味するとの見解もあります。
このような視点については、すでに紹介してありますが、以下ご覧ください。
杜こなて『「君が代」日本文化史から読み解く」(平凡社新書15年1月刊)
小野恭靖『戦国時代の流行歌 高三流達の世界』(中公新書12年4月刊)
武澤秀一『伊勢神宮と天皇の謎』(文春文庫13年3月刊)
武澤秀一『伊勢神宮の謎を解く―アマテラスと天皇の「発明」』(ちくま新書11年3月刊)
千田稔『伊勢神宮―東アジアのアマテラス』(中公文庫05年1月刊)
千葉慶『アマテラスと天皇<政治シンボル>の近代史』(吉川弘文館11年12月刊)
山田孝雄『君が代の歴史』(宝文館出版昭和31年1月刊)
こうした日本列島に連綿として息づいてきた歴史と「伝統と文化を尊重」するのであれば、教育勅語に示された「殺人装置」としての思想とそれを具体化するために使った「君が代」が、如何に問題であるか、明らかです。こうした事実を黙殺して、「幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培う」ことができないことは明らかです。
日本列島に営まれた庶民の歴史都伝統を、学ぶことすら、一貫して拒否して文科省が、庶民が「はぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」ができないことは当然です。
こうした歴史の真理を避け、庶民の命の大切をスリカエ・ゴマカシ・大ウソをついてきた戦前の教育勅語思想を徹底するために「日の丸」と「君が代」が使われたのです。このことは、歴史の「真理」です。この「真理」を学ぶことこそが、「幅広い知識と教養を身に付け」ることになり、「豊かな情操と道徳心を培う」ことになるはずです。このことをゴマカシてはなりません。
無内容の、強制のみの学習指導要領で
子どもが憲法と教育基本法を具体化できるわけがない!
それでは、以下をご覧ください。国旗国歌について文科省が学習指導要領の中でどのように「指導」しようとしているか、ご覧ください。呆れるばかりです。このことを徹底して糾していかなければなりません。
国旗及び国歌に関する関係資料集 平成11年9月 文部省初等中等教育局http://www1.jca.apc.org/anti-hinokimi/archive/chronology/sengo2/tsuchi_shiryo.htm
どうだったでしょうか。このような中身のない国旗・国歌の「指導」が公然と学校教育の場で行われているのです。全くデタラメ・ゴマカシ・偽装・偽造・やらせです。安倍首相をはじめとして戦後の自民党・保守勢力と言われている輩の「国旗・国歌」観、「愛国心」の程度が浮き彫りになります。
「日本」がデタラメ国家であることが浮き彫りになります。こんなことで、憲法と教育基本法の「精神」が子どもの中に培われていくはずはありません!ここでも憲法を活かす教育、それを実行できる政権が必要不可欠であることを強調しておきたいと思います。国際社会のハジです。そもそも、「国号」である「日本」の由来、象徴である「天皇」号の由来と意味を、どれだけの日本国民が語ることができるでしょうか!これは、ひとえに、戦後自民党政権・文部省が、本質をゴマカシ、スリカエ、真実を国民に教えなかったからです。このことの象徴的事件が、今日の松沢氏の質問とそれに答える安倍首相、下村文科省だったということです。
こんなデタラメな国会議員、しかも彼らは総理大臣と文科大臣を担当しているのですから、日本国民は、ホントに問題にしなければならないのはないでしょうか!