「国旗と国歌に敬意を払う教育」とは、意味・由来・歴史を教えることなのに!
産経の言い分は井戸端談義のレベル・感情論だけだ!
これほど国民を、日の丸・君が代を、日本の歴史と伝統を愚弄する態度はない!
産経が、以下の『主張』を掲載しました。これは松沢氏と安倍首相・下村文科大臣との質疑を批判するいくつかの社説を「批判」する意図を持ったものですが、改めて産経のデタラメさが浮き彫りになりましたので、すでに記事にしてありますが、この『主張』のデタラメさを浮き彫りにするために、また記事にすることにしました。ご覧ください。
「国旗と国歌に敬意を払う教育がなぜいけないのか」と難癖をつける前に、人の心を尊重する心がないことを反省すべきです。
「祝日に国旗を掲げる家庭も少なくなっている」と嘆く前に、何故そうなっているか、国民の心を分析すべきです!
「他国を尊重する態度」を言う前に、やることがあるのではないでしょうか!対中包囲網ばかりを優先する前にやることがあるはずです!産経こそ、気に入った国=日米軍事同盟締結国アメリカとは仲良く、中国・北朝鮮とは人権と民主主義を価値観として共有できない国として非難する前に、まさに「他国を尊重する態度」を示すべきです。外国の指導者の暗殺コメディーなどを扇動することが「他国を尊重する態度」かどうか、自分の胸に手を当てて考えてみるべきです。
「大学の自主性にも配慮した要請」などというのであれば、「税金」「学習指導」「要領」を持ち出すべきではありません!斉唱率・掲揚率を強制してきた歴史を総括すべきです!どれもこれも身勝手な言い分です。天に唾するようなものです。そもそも「指導要領」という言葉そのものが、「命令」を前提にしています。このことは「軍人勅諭」を視れば一目瞭然です。
軍人勅諭http://www.asahi-net.or.jp/~uu3s-situ/00/Gunzin.tyokuyu.html
一(ひとつ)軍人は忠節を尽すを本分とすべし。 軍人は要領をもって本分とすべし!
一(ひとつ)軍人は礼儀を正しくすべし。
一(ひとつ)軍事は武勇を尚(とうと)ぶべし。
一(ひとつ)軍人は信義を重んすへし。
一(ひとつ)軍人は質素を旨とすへし。
「国旗と国歌はいずれの国でもその国の象徴として大切にされ、互いに尊重し合うことが常識だ。小学校の学習指導要領解説書にも書かれている」という思想と思考回路こそ問題です。これこそ学校の丸暗記主義教育の弊害そのものです!意味なんて考える前に、とにかく覚えろ!ってヤツなのです。
ところで、文科省や産経などは一貫して、「国旗」=「日の丸」・「国歌」=「君が代」の意味・由来・歴史の中でどのような役割を果たしてきたか、近代以前と近代以後、戦後に分けて、説明していません!これだけ「国旗」「国歌」に執着して言うくせに、このことについての議論を巻き起こすことはしていません!
説明責任を果たせないのは、自信と確信がない証拠です!だいたい先生が、教室で、生徒に質問されたらどう「指導」するのか、そもそも「学習指導」「要領」には書いていません!文部科学省自身が思考停止状態です。これでは科学・学問の精神に反することは明らかです。
「実施できないのは、国旗国歌に背を向ける一部教職員らの反発が根強いからだろう」って、やっぱり、ここですね。言いたいことは!「一部」と「多数」と分けて「正当性」を根拠づけるのは「不偏不党中立」「憲法尊重擁護の義務履行」を標榜するマスコミの理念に反しているのではないでしょうか!強権的本質浮き彫りです!
そもそも「大学の自治」とは、大学の「主権」を意味するもので、これは何ものも阻むことができないものです!学問・思想・信条・研究の自由を否定することは何人たるとも否定できないもので、これこそ世界の「恥」です!それはマスコミにも言えることではないでしょうか!これは言葉を変えて言えば「マスコミの自治」と同じなのです!
産経は韓国政府に何をやり何を言ってきたのか、忘れたとは言わせません!
このことに関して言えば、ここでも産経の身勝手さが浮き彫りになります。それは産経は韓国大統領難癖問題の時、何と言って自己弁護したのか!それと同じです!
勿論、愛国者の邪論は、あの記事は、誹謗中傷だと思っているのですが!本来は事実と違っていたことを意図的に、と言われても仕方のないような引用の仕方で書いた、マスコミの風上に於けない姑息な記事だったのですが、それを訂正も謝罪もしなかった!だから、逮捕され、出国できない措置を取られた!産経は表現の自由と身勝手をはき違えていたことを正当化したのです、権力の弾圧事件としてスリカエたのです。このようなデタラメな事件だったのですが、それを正当化する思考回路に産経が使っているのは何か!そこです。
産経の思考回路を、そのまま、「国旗」「国歌」問題の「大学の自治」に当てはめるとすると、韓国に対しては、日本における国旗・国歌強制に反対する「一部の教師」たちの思考回路を使っているのです。しかし、国内においては、国旗・国歌を強制する側に立つ。産経の思考回路をそのまま使えば、韓国政府と同じ立場に立っているのです。
どうみても産経の主張は身勝手・姑息・傲慢と言わなければなりません!全くどうしようもない新聞だと言っておきます!
「…反対する教職員との板挟みで平成11年に広島県の高校校長が自殺する痛ましい事件が起きた」というのも、文科省の「指導するものとする」として強制していたことを免罪する思想と思考回路です!感情的な言葉である「痛ましい事件」の背景などを記事にしないのです。「一部」を取り上げてスリカエ・ゴマカシ・デタラメ・大ウソは産経のお得意技です!
「人生の節目の行事で国旗を掲揚し、国歌を斉唱することは自然であり、法的根拠を求めるまでもない」など、感情に訴えるのです。このように言えば、読者に支持されると思っている産経の姑息が浮き彫りです。ここでも、「国旗と国歌はいずれの国でもその国の象徴として大切にされ、互いに尊重し合うことが常識だ」などと、産経の記事を視れば、どこが「互いに尊重し合う」などと言えるのか、大ウソを吐くのです。更に言えば、人間の知的営みである学問・教育を否定するのです。これでは井戸端談義と同じです。「風評」で斉唱させ、起立させようとする姑息が浮き彫りです。
実は、こうした産経の「態度」こそ、国家に対する、また国家の土台である国民に対する冒涜・不道徳そのものだということです。そもそも、「君が代」「日の丸」そのものには、産経の言うように「指導」という名の「強制」することそのものがなじまないものなのです、近代以前の歴史を紐解けば!
産経は、こうした歴史をどのように展開すると言うのでしょうか!説明すべきです。それとも、そのようなことはする必要はないとでも言うのでしょうか!
「国歌の斉唱時にあえて起立せず式を混乱させる教員が相変わらずいる」というのも、同じです!「混乱」とは何か!
「自然に敬うことを妨げる動きがあるから」「職務命令が出されている」などいうのも大ウソです。猪瀬前都知事は口パクでもいいのだと言ったのです。職務命令を出していた石原前都知事は、「君が代なんか歌わない」と言っていました!口パクを監視した校長もいました!心を込めて歌うことなど、どうでもよいのです。命令に従うか、否か!だけなのです。ここに、この国旗国歌問題の本質があります。だから、愛国者の邪論は、君が代・日の丸」に対する冒涜・不道徳だと言っているのです。
この思想は産経が、日常的に、よく非難しているどこかの国と同じになるぞ!と言っておきましょう。このようなことを平然と言ってしまっても気づいていない産経は滑稽というか、恐ろしいというか、愚かというか、これも丸暗記型教育の弊害が浮き彫りになった言うべきです。
「大学の自主性にも配慮した要請」「法的根拠を求めるまでもない」と言いながら、「学長の判断で適切に行ってもらいたい」と「法的根拠」を振りかざして「強制」をそそのかすのです。以下をご覧ください。産経の、感情的・情緒的にそそのかす言い分のデタラメさが浮き彫りになります!
【主張】学長権限の強化 人材得て魅力ある大学を2014.5.1 03:07更新http://www.sankei.com/life/news/140501/lif1405010025-n1.html
このような状況に国民を持ち込もうとしている姑息な産経の身勝手が、ここでも明らかになったと言うべきです。
産經新聞 国旗国歌/背向ける方が恥ずかしい 2015/4/14 6:00
http://www.sankei.com/column/newslist/../../column/news/150414/clm1504140003-n1.html
国立大学の卒業式や入学式で国旗掲揚と国歌斉唱を適切に行うよう求めることに反発がある。
国旗と国歌に敬意を払う教育がなぜいけないのか。それを妨げる方が問題である。
先週9日の参院予算委員会で次世代の党の松沢成文氏が取り上げた。同氏の求めで文部科学省が各大学に聞き取り調査したところ、今年3月の卒業式で国立大86校のうち、国旗を掲揚したのは74校、国歌を斉唱したのは14校にとどまったという。
これに対し安倍晋三首相は「改正教育基本法の方針にのっとり、正しく実施されるべきではないか」と答弁した。当然である。改正教育基本法では国と郷土を愛し、他国を尊重する態度を育むことを重視している。
下村博文文部科学相は記者会見で「適切な対応が取られるように学長が参加する会議で要請することを検討する」と述べた。文科相は「お願いであり、するかしないかは各大学の判断」とも述べている。大学の自主性にも配慮した要請を批判するのは疑問だ。
大学人にあえて言うまでもないことだが、国旗と国歌はいずれの国でもその国の象徴として大切にされ、互いに尊重し合うことが常識だ。小学校の学習指導要領解説書にも書かれている。
人生の節目の行事で国旗を掲揚し、国歌を斉唱することは自然であり、法的根拠を求めるまでもない。まして「大学の自治」を損なうものでもない。
実施できないのは、国旗国歌に背を向ける一部教職員らの反発が根強いからだろう。学長の判断で適切に行ってもらいたい。
小中高校での国旗掲揚、国歌斉唱をめぐっては反対する教職員との板挟みで平成11年に広島県の高校校長が自殺する痛ましい事件が起きた。これをきっかけに国旗を日の丸、国歌を君が代と規定した国旗国歌法が制定された。
国旗国歌に敬意を払う国際的な礼儀に背を向け「強制」と批判することこそ恥ずかしい。
国歌の斉唱時にあえて起立せず式を混乱させる教員が相変わらずいる。自然に敬うことを妨げる動きがあるから東京都などで教職員に起立斉唱する職務命令が出されている。
祝日に国旗を掲げる家庭も少なくなっている。普段から国旗と国歌を敬う教育を大切にしたい。(引用ここまで)