愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

日本とパラオが30年近く統治する側とされる側の関係にあった歴史を直視しない日経では日本が見えない!

2015-04-10 | 戦後70年

「戦争という悲しい歴史を決して忘れてはならない」という「戦争」とは何か!

「統治する側とされる側の関係にあった歴史を振り返れば、

陰の部分もあっただろう。そこからも目をそらさず」というのであれば

侵略戦争と真正面から向き合うべきではないのか!

「両陛下訪問をパラオをよりよく知るきっかけにしたい」などという

一般的なことで良いのか!

それでは明仁天皇の思いを理解したことにはならないだろう!

戦争を情緒で語ることほど犠牲者に対する冒涜・不道徳はない!

日本経済新聞 戦争忘れぬ決意を共にしたい 2015/4/10 4:00
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO85513290Q5A410C1EA1000/
天皇、皇后両陛下が太平洋戦争の激戦地、パラオへの「慰霊の旅」を終えられた。戦後70年という節目、この島国の訪問には「戦争という悲しい歴史を決して忘れてはならない」という両陛下の強い思いが込められている。その思いを共にしたい。
パラオのペリリュー島では、激しい地上戦で日本軍の約1万人がほぼ全滅、米軍にも約1700人の犠牲者が出た。両陛下は9日、同島で日本政府が建てた慰霊碑に供花、拝礼し、米軍戦没者の慰霊碑も訪問。生還した元兵士や戦没者の遺族らにもねぎらいの言葉をかけられた。
8日のパラオ政府主催晩さん会では、陛下は「先の戦争で亡くなったすべての人々を追悼し、その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたい」と述べられた。戦争の犠牲者は国を問わず慰霊する、というのが両陛下の姿勢だ。戦後、慰霊碑や墓地の管理、清掃、遺骨収集などに協力してきたパラオの人々への感謝も忘れなかった。
両陛下の「慰霊の旅」は戦後50年を機にした長崎、広島などの訪問に始まり、戦後60年にはサイパン島を訪ねられた。戦闘に追いつめられた日本人が次々に海に身を投げた「バンザイ・クリフ」で拝礼する両陛下の後ろ姿を、目に焼きつけた人も多いだろう
パラオ訪問は陛下の長年の望みだった。しかし、いまはダイビングスポットとして有名な島がこれまでどんな歴史を歩んできたか、ほとんど知られていない。
陛下は出発前の挨拶で、ドイツの植民地だったパラオが第1次世界大戦後に国際連盟下で日本の委任統治領になり、第2次大戦前には島民より日本人の数の方が多かったことに触れられたこの国が親日的であることは、両陛下に対する歓迎ぶりからも伝わった。
日本とパラオが30年近く統治する側とされる側の関係にあった歴史を振り返れば、陰の部分もあっただろう。そこからも目をそらさず、両陛下訪問をパラオをよりよく知るきっかけにしたい。(引用ここまで

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明仁天皇の「慰霊」の「旅」を情緒的言葉でゴマカス侵略戦争正当化論の読売・産経社説に大喝!

2015-04-10 | 戦後70年

侵略戦争を正当化すると、ここまで退廃するのか!

犠牲になった人間の叫び声は、届かないだろう!

「払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉であがなえるものではない」

「この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、

今後の日本の在り方を考えていくことが、今、極めて大切なこと」

これが明仁天皇の言葉の意味が理解できない典型社説だ!

読売新聞 陛下パラオ訪問/戦地に立つ「慰霊」への使命感 2015/4/10 2:00
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20150409-OYT1T50122.html
青い海を望む戦没者の慰霊碑に、天皇、皇后両陛下は深々と頭を下げられた。戦火に散った肉親に思いをはせた遺族も多かったことだろう。
両陛下が、第2次大戦の激戦地、西太平洋のパラオ共和国を訪問された。戦後70年の「慰霊の旅」である。
パラオは大戦当時、日本の統治下にあった。南洋庁が置かれ、一時は約2万5000人の日本人が生活していたとされる。1944年9月、フィリピン奪還を目指す米軍が、パラオ南部の要衝、ペリリュー島に進撃した。日本の守備隊は、洞窟に築いた陣地に潜み、ゲリラ戦を展開したが、2か月後に玉砕した。パラオ全体で日本兵約1万6000人が戦死した。米軍の死者も約2000人に上った。空襲などで命を落とした住民もいる。
亡くなったすべての人々を追悼し、その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたい」。天皇陛下はパラオ政府主催の歓迎晩餐会ばんさんかいで、こう述べられた。
戦没者と遺族に心を寄せ続ける陛下の率直なお気持ちだろう。
両陛下は、日本政府がペリリュー島に建立した「西太平洋戦没者の碑」に、日本から持参した白菊を供花された。米軍の慰霊碑にも花輪を供えられた。
ペリリュー島の激戦の生存者は少なく、その惨状は十分に語り継がれていない。現地には、朽ち果てた戦車や戦闘機が残る。
両陛下のご訪問に合わせ、生還した元兵士や遺族もペリリュー島を訪れた。元兵士は90歳前後になっている。慰霊する両陛下に立ち会ったことで、一つの区切りがついたのではないか。
陛下は、2005年に戦後60年の慰霊の旅として、米自治領のサイパン島を訪問されている。当時、パラオなどへの訪問も検討されたが、交通事情の悪さなどが障害となって見送られた。
今回、海上保安庁の巡視船に宿泊し、ペリリュー島への移動にはヘリコプターを使われた。陛下の強い願いが訪問を実現させた。
晩餐会では、かつて日本の統治下にあったミクロネシア連邦、マーシャル諸島の両大統領夫妻とも懇談された。両陛下のご訪問は、太平洋の親日国とのさらなる友好親善につながるに違いない。
「太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います」。陛下が出発前に述べたお言葉だ。その思いを体現した慰霊の旅だった。
2015年04月10日01時21分 Copyright©TheYomiuriShimbun (引用ここまで

侵略戦争を正当化する立場が何を語るか!浮き彫りになる!

「このような悲しい歴史があった」のは何故か、全く思考停止!

戦争で殺されなければならなかったことなどいっさい不問!

「美談」でスリカエる産経特有のデタラメ思想浮き彫り!

産經新聞  パラオご訪問/歴史知り鎮魂へ繋げたい  2015/4/9 8:00
http://www.sankei.com/column/newslist/../../column/news/150409/clm1504090003-n1.html
天皇、皇后両陛下が先の大戦の激戦地である西太平洋のパラオ共和国を訪問された。天皇陛下はこの地への慰霊の旅を強く望まれていた。戦後70年の節目に果たされたご意志を国民は深く受け止め、祖国を守るため戦地に赴いた戦没者に、鎮魂の思いを繋(つな)げたい。
陛下は出発にあたり、パラオなどでの激しい戦闘に触れ、「太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならない」と述べられた。
国民の約8割を戦後生まれが占めるなか、両陛下のご訪問を機会に、こうした歴史を初めて知った人も多いのではないか。約3千キロ離れ、赤道に近いパラオは現在では航空機の直行便で4~5時間で行ける。若い人にはリゾート地の印象が強いかもしれない。
第一次大戦後は日本が統治し、多くの日本人が暮らした歴史がある。先の大戦では日本軍守備隊と米軍の間で壮絶な戦闘が行われ、パラオでは日本軍の約1万6千人が戦死した。
このうち両陛下が9日に訪れられる最大の激戦地、ペリリュー島では水戸の歩兵第2連隊を中心とする日本軍が2カ月を超える戦闘を繰り広げ、日本軍約1万人、米軍約1700人が戦死した
ペリリュー島は語られる機会が少なく「忘れられた島」ともいわれてきたが、この戦闘では日本軍が安全な場所に島民を疎開させたというパラオ側の証言もある。
島や周辺の海には未帰還の英霊の遺骨が多く眠っている。遺骨収集を進めてきた遺族・戦友会が高齢化するなか、日本のために命をささげた戦没者を鎮魂するため、若い世代を含め、多くの人がこうした歴史を深く知り、語り継ぐことが大切である。
天皇陛下は出発のおことばのなかで、厳しい戦禍の体験にかかわらず、パラオの人々が、戦後、慰霊碑の清掃や遺骨収集などに尽力してくれたことに心からの感謝の気持ちを表された。(引用ここまで

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天皇が「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていく」と語ったのに!

2015-04-10 | 戦後70年

象徴天皇が憲法平和主義を遵守擁護の義務を履行しているのに!

新聞は憲法平和主義の何たるかを曖昧にしている!

侵略戦争と安倍首相に「積極的平和主義」を真正面から批判できない!

国民をミスリードする自覚はあるのか!

残った時間を考えれば、かなりの決意をもって行った明仁天皇の「慰霊」の「旅」ですが、その「思い」を忖度できぬ全国紙・地方紙の社説を読み呆れました。このような知的退廃と劣化はどこからくるのか!もはや国語力・歴史を読み解く力すら萎えてしまっている日本のマス・メディア、ジャーナリズムに大喝を入れておかなければなりません。

明仁天皇が念頭に語った言葉の意味づけはできているのか!

1.「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び」ということは何を意味しているのか!何故満州事変に始まる戦争が起こったか、そのメカニズムを解明すること亡くして未来はあり得ないのではないのか!
2.こうした歴史を踏まえて「今後の日本のあり方を考えていく」ということは何を意味しているのか!憲法遵守擁護の義務を履行している天皇の言葉をどのように国民が議論するか、そのために新聞の果たす役割は何か!
3.これは「先の大戦」などというものではなく国際法に違反した侵略戦争であったこと、この侵略戦争の反省の上に制定された日本国憲法が、否定されようとしている今日の事態を踏まえて語っていることを、日本の新聞は語っていません!
4.出てくる言葉は「情緒」「情念」「免罪」「美化」以外の何物でもありません。象徴天皇制としての天皇の地位を踏まえたギリギリの言葉であることを、新聞が忖度して侵略戦争の戦争責任と平和主義を語らないのです。
5.ここには父裕仁の戦争責任問題があることは言うまでもありません。この父裕仁の戦争戦争責任を語ることは、象徴天皇という立場を考えればできないことは理解するとしても、明仁天皇が訪問する戦争の足跡を視れば、明らかに父裕仁の戦争責任問題を念頭に置いていることが透けて見えてきます。だからこそ、裕仁天皇の戦争責任問題をタブー視することなく歴史的総括・評価をくだしていくべきなのです。このことこそが現行憲法を活かすと言うことになるのだと確信するものです。
6.この背景には憲法に違反している、憲法の上位に位置づけられている日米軍事同盟を容認する新聞の思想的立場が浮き彫りになります。これは軍事抑止力論に立つことを自ら宣言しているのです。非軍事抑止力論に立っている憲法平和主義をないがしろにするものです。現実追従を示しています。
7.こうした思想が日本をどのような方向に導いていくのか、戦前の新聞が犯した過ちを反省し教訓化し、改めていくことができるかどうか、そこにかかっていると思います。

その点で、東京新聞は、他と比べれば、画期的です。アッパレを贈りたいと思います。

領土拡張主義と侵略主義を推進した歴史にメスを入れていない!

「払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉であがなえるものではない」

というのであれば、行動で示すしかないだろう!

新聞も、国民も、侵略戦争と丸ごと向き合うことしかないだろう!

中日/東京新聞 天皇パラオ訪問/悲しい歴史の思い深く 2015/4/10 8:00
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015041002000136.html
天皇、皇后両陛下は太平洋戦争の激戦地パラオへの慰霊の旅を終え帰国された。訪問に際してのお言葉「悲しい歴史があったことを決して忘れてはならないと思う」との深い思いを引き継ぎたい。
戦後六十年のサイパンに続いて七十年の節目でのパラオ訪問。自ら希望されたといわれる激戦地への慰霊の旅の強い思いは、八十一歳と八十歳になられる両陛下には過密過酷にもみえる一泊二日の日程と旅程にも刻まれている。
日本から三千キロ南のパラオの国際空港までは民間チャーター機、宿泊は大型巡視船「あきつしま」の船長室を改造した船中。日本軍の守備隊一万人がほぼ全滅、米軍の約千六百人が戦死し、戦後に「西太平洋戦没者の碑」が建てられたペリリュー島への移動は、巡視船備え付けの大型ヘリコプターでパラオ共和国、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島共和国の三大統領が同行した。
両陛下は日本から持参した白菊の花束を慰霊碑に供えられたが、陛下が祈られたのは日本人のためばかりではない。夕食会で「先の戦争で亡くなったすべての人々を追悼し、その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたい」と述べている。また、日本軍はパラオの人々を安全な場所に避難、疎開させる措置をとったとされるが「空襲や食糧難、疫病による犠牲者が生じたのは痛ましい」と憂えた。
天皇陛下は皇太子時代の一九七五年に初めて沖縄を訪問、ひめゆりの塔では過激派の火炎瓶を受けたが、その際「払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉であがなえるものではない」との談話を出されている。その言葉通り、両陛下の犠牲者への祈りは戦後五十、六十、七十年と歳々深まり、二人の姿ににじんでいる。
昨年七月の集団的自衛権行使容認の閣議決定や与党間合意の安全保障法制の整備。戦争をできない国からできる国へ、戦争をしない国から戦争をする国へと進みかねない日本。両陛下が節目の会見で言及されるのは歴史を学ぶ大切さと平和の尊さだ。
歴史が忘れられていくのではないか」(即位二十年)「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のありかたを考えていくことが、今、極めて大切」(ことし新年の感想)。そして、今回の忘れてはならない悲しい歴史。かつて「この子どもらに戦あらすな」とうたった皇后陛下。そのためにも戦後七十年、一人ひとりが思いを深めたい。(引用ここまで

他人事!「画期的な非核憲法」を言うなら憲法9条はどうなんだ!

国民一人ひとりが続けねばならない営みだということは当然だが、新聞は!

朝日新聞  天皇の慰霊/歴史見つめる機会に  2015/4/9 6:00
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
あの戦争は何だったのか。身近に考える機会にしたい。
戦前、日本が統治し、太平洋戦争で激戦地となったパラオ共和国を、天皇、皇后両陛下が訪ねている。戦後70年に合わせた「慰霊の旅」である。
多くの戦死者が出たペリリュー島にきょう渡り、日米それぞれの犠牲者の碑に赴く。
「太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います」。天皇陛下は出発にあたり、こう述べた。
天皇の慰霊の旅が印象づけられたのは、戦後50年の95年の夏に、長崎、広島、沖縄、東京都慰霊堂を訪ねたときだ。
戦後60年には、海外での初の慰霊の旅として米自治領サイパンを訪ねた。日本人が海に身を投げ集団自決した「バンザイクリフ」などに赴き、元日本兵が話す当時の様子に耳を傾けた。
その年の誕生日に際した会見で、「61年前の厳しい戦争のことを思い、心の重い旅でした」と語っている。
パラオ訪問は当時も検討されたが、交通状況などで断念した。今回は海上保安庁の巡視船をホテル代わりにする異例の措置で実現した。ペリリュー島へは巡視船からヘリで向かうといい、80歳を超える両陛下にとって、たやすい道行きではない。
風化しがちな戦争の歴史と向き合わねばならないという、強い思いが込められている。
天皇陛下は今年の年頭の感想で「この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくこと」の大切さに触れている。
当時の語り部や、その伝承に取り組む人びとの声に耳を傾け、歴史と謙虚に向き合い、戦禍を二度と繰り返さない。それは、国民一人ひとりが続けねばならない営みだと感じさせる
今ではダイビングで知られるパラオを約30年間日本が統治し、日米双方が多くの命を失ったことはあまり語られない。
戦後、94年まで国連の米信託統治領だった。ほかの太平洋諸島より独立が遅れたのは、画期的な非核憲法を81年、住民の手でつくったからだった。米国は、その憲法を長く疎んじ、最終的に非核条項を凍結することで独立を認めた。パラオは防衛権を米国にゆだね、代わりに経済援助を受け続けるという苦しい選択をしたのだ終戦後もなお、安全保障などをめぐり大国との関係に翻弄(ほんろう)されてきた、その歴史から考えさせられることもまた多い。(引用ここまで

天皇の言葉を並べているだけでは平和はつくれない!

「過ちや苦い教訓も直視し、その陰に累々と無数の犠牲がある」

というのあれば侵略戦争と向き合え!

さもなければ、積極的平和主義というゴマカシに対抗できない!

毎日新聞  両陛下パラオへ/終わりなき平和の祈り  2015/4/8 4:00
http://mainichi.jp/opinion/news/20150408k0000m070173000c.html
天皇、皇后両陛下は8、9日の日程で太平洋のパラオ共和国を訪問される。友好親善とともに、戦後70年の節目にあたり、激戦地に倒れた多数の戦没者を慰霊し、平和を祈る旅である。
両陛下の戦没者慰霊と平和への深い思いには、長い歩みがある。
天皇陛下は皇太子時代の1981年に記者会見で「どうしても記憶しておかなければならないこと」として広島、長崎の原爆の日、終戦記念日、そして沖縄戦終結の日を挙げた。両陛下は毎年黙とうされている。
89年の即位に際し「皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすこと」を表明された天皇陛下は、その平和主義とともに、戦争の歴史と反省を風化させないという姿勢を貫かれているようだ
過去の歴史をその後の時代とともに正しく理解しようと努めることは、日本人自身にとって、日本人が世界の人々と交わっていくうえにも極めて大切」(2005年)
私がむしろ心配なのは、次第に過去の歴史が忘れられていくのではないかということです」(09年)
会見などで述べられてきた言葉に考えが表れている。
また、今年の年頭の感想では、戦後70年に際し「この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今極めて大切なこと」とされた。
両陛下の「慰霊の旅」は国内だけではなく、戦後60年の05年にはサイパンを訪問、多くの人々が身を投じた断崖などで深く黙とうされた。
両陛下が81歳、80歳と高齢であることなどから、長旅に慎重な意見もあったが、パラオ訪問のご希望は強かったといわれる。移動に便利なように宿泊は大型巡視船という異例のスケジュールになった。
人口約2万のパラオは第一次世界大戦後に日本の委任統治領になり、第二次世界大戦に巻き込まれた。
今回両陛下が2日目に訪れるペリリュー島は小島ながら、1944年秋に日米両軍が2カ月にわたって死闘を繰り広げ、日本軍約1万人、米軍約1700人が戦死した。今なお遺骨は収集しきれていない
「戦後70年」という時の経過で、直接の戦争体験者は次第に限られてきている。しかし、だから「過去」が風化するわけではない。過ちや苦い教訓も直視し、その陰に累々と無数の犠牲があることを思う。「将来」はその上にしか描けまい。両陛下の「慰霊の旅」からはそうしたメッセージが伝わってくる。節目の年に、改めて「過去」とそれにつながる「今」「将来」に思いを致したい。(引用ここまで

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いつまで言わせておくのか!全国津々浦々届ける!という大ウソ!これだけもレッドカードだろう!

2015-04-10 | アベノミクス

全国津々浦々にアベノミクス失敗の波を切れ目なく届ける安倍首相!

もはやゴマカシはできないのに!テレビが真実を伝えれば!

安倍首相が例の如くキーワードを使ってゴマカシました!テレビも新聞も突っ込みを入れていません。安倍首相の言葉を垂れ流しているだけです。昨日15年度国家予算が通過した後の安倍首相の言葉を垂れ流したNHKニュースをご覧ください。

粉飾・偽装・偽造・デタラメを言わせておくのか!

安倍首相はアベノミクスやります!やります!詐欺そのものだ!

「景気回復の温かい波・全国津々浦々にお届けする・国民の命を守るため」?

国民の命と暮らしは切れ目なく奪われているのに!

アベノミクスの恩恵は全国津々浦々ではなく大企業と一部の富裕層にだけだ!

NHK 予算成立 首相「景気回復の波を全国に」 4月9日 18時12分http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150409/k10010043071000.html

予算成立 首相「景気回復の波を全国に」
 
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安倍総理大臣は9日夕方、総理大臣官邸で記者団に対し、今年度、平成27年度予算が成立したことを受けて、今後、景気回復が全国的に進むよう全力を尽くすとともに、農協改革の関連法案などの重要法案の成立を目指す考えを示しました。この中で、安倍総理大臣は「本日、平成27年度予算が成立した。これによって、地方創生や、被災地の復興、子育て支援、難病対策などの政策を力強く進めていくことができる。景気回復の温かい波を、これからもしっかりと全国津々浦々にお届けするために全力を尽くしていきたい」と述べました。また、安倍総理大臣は今後の国会審議について、「私たちはこの国会を、戦後以来の大改革を実行していく『改革断行国会』と位置づけている。農協改革を含めた農政の大改革や、ワークライフバランスをしっかりと位置づけていく働き方の改革、電力改革や医療制度改革を含め、大きな改革を進めていきたい。また、国民の命を守るための安全保障法制にもしっかりと取り組みたい」と述べました。(引用ここまで

安倍首相が、この言葉を繰り返し使うということは、国民の暮らしを改善できていないことの告白です。大企業優遇のアベノミクス成長戦略主義者の安倍政権にとって、この言葉は永遠に使い続けなければならないことになるでしょう。このことを突っ込むことができれば、あっという間にボロで出てくるということですが、大企業優遇を批判するテレビ・新聞はほとんど存在していないというのが、実態です。そのことは、以下の質疑を黙殺していることに象徴的です。

富裕層は大もうけ 庶民は暮らし悪化/税制の抜本的転換を/参院予算委 大門議員の追及 2015年4月10日(金)

農協「改革」 農家・国民の願いに逆行/紙議員追及 “財界・米が露骨な要求 2015年4月9日(木)http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-04-09/2015040901_04_1.html

超富裕層が課税逃れ 大門議員 「資産管理会社」使い 参院予算委 2014年3月15日(土)http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2014-03-15/2014031502_01_1.html

愛国者の邪論は、安倍首相の「全国津々浦々」発言について、以下の記事を書いています。ご覧ください。

安倍首相は「景気回復の暖かい風を全国津々浦々にお届けしていく」といつまで言い続けるのか! 2015-01-01 20:38:06 | アベノミクス http://blog.goo.ne.jp/aikokusyanozyaron/e/ee7f6e3dc5321d8eb84f218235b51d8f

次に、以下、この安倍首相の「全国津々浦々」が如何にゴマカシか、ご覧ください。この言葉のウラに何があるか、マスコミと政党が、切れ目なく追及することで、安倍首相のデタラメが浮き彫りなります!対安倍首相包囲網作戦の一つとなることは確実です。安倍首相が粉飾言葉でゴマカスのであれば、事実を突きつけて、安倍首相の使う言葉を切り捨てていくことが肝心ではないでしょうか。

偽造の、強がり言葉=「全国津々浦々」を言わせないためには何をなすべきか!

全国津々浦々から国民の要求を根こそぎ拾い集め

自治体と議会と国会と国に届けきる運動を切れ目なくやることだな!

いっせい地方選に有権者が投票所に向かうものさしは、これだ!

このことは安倍首相自身がすでに正直に語っていることだから!

主張  安倍首相所信演説 現実見ぬ「自信」はただの暴走  2013年10月16日(水)http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-10-16/2013101601_05_1.html

首相が政権発足いらい最優先すると「アベノミクス」で取り組んできた経済の再生にしても、「『3本の矢』は世の中の空気を一変させた」という一方、「景気回復の実感はいまだ全国津々浦々までには届いていません」と認めなければならないのが現実です。にもかかわらず、首相は「この道」を進むというだけです。まさに無策です。「経済の好循環」のため政・労・使の連携をといいますが、賃上げや雇用の拡大を財界・大企業に指導するとはいいません。国民に消費税増税を押し付ける一方、「世界で一番企業が活躍しやすい国」をめざすのでは、国民の暮らしも経済も立て直すことはできません。(引用ここまで

【第187臨時国会】 安倍首相の所信表明演説要旨 http://www.47news.jp/47topics/e/257719.php
成長戦略を確実に実行し、経済再生と財政再建を両立させながら「経済の好循環」を確かなものとする。景気回復の実感を全国津々浦々にまで届けることが安倍内閣の使命だ。デフレ脱却を目指し「経済最優先」で政権運営に当たっていく。(引用ここまで

平成26年9月29日 第187回国会における所信表明演説 - 首相官邸

五輪キャンプ地と安倍政権の“津々浦々”政策  2014年10月11日 http://www.tokyo-sports.co.jp/blogwriter-watanabe/25344/
安倍晋三首相は“お気に入り”の言葉を多用する傾向があるのか、集団的自衛権に代表される防衛問題では、武力脅威に対して「切れ目のない」対応ができる安全保障法制の整備を訴え、経済と目下の看板政策である地方創生では、アベノミクスの効果を全国「津々浦々」に行き渡らせるとの意気込みを示し、「切れ目のない」と「津々浦々」を繰り返している。(引用ここまで

「全国津々浦々、景気回復の実感ない」 民主・海江田氏  2014年11月19日00時16分http://www.asahi.com/articles/ASGCL7GG4GCLUTFK019.html
■海江田万里・民主党代表 「消費税を来年10月から10%に上げろ」なんて言う政党はひとつもない。すべての政党が「やっぱり、いまの経済状況では上げるわけにはいかない」と言っている。どうしてこれが選挙の争点になるのか。大義のない解散・総選挙を師走にする理由のひとつはアベノミクスが効果を上げていないからだ。安倍さんは「景気回復の実感を全国津々浦々に届ける」と言っていた。ところが、実際には全国津々浦々に「景気回復をした」なんて実感などない。(JR新橋駅前の街頭演説で)(引用ここまで

安倍首相「経済の好循環を全国津々浦々に」 <2014年12月27日 22:02 > http://www.news24.jp/articles/2014/12/27/06266160.html
政府は地方を重視した経済対策を閣議決定した。規模は3兆5000億円程度となった。
安倍首相「個人消費のてこ入れと、地方経済の底上げを図り、経済の好循環を全国津々浦々に拡大していくことができると考えています」
政府の経済対策では、生活者や事業者の支援に1兆2000億円程度を充てる。具体的にはプレミアム付き商品券など地域の実情に応じて使える交付金などを盛り込んだ。さらに、地方の活性化には6000億円程度を充て、災害復旧や復興加速化への対応として1兆7000億円程度を盛り込んだ。この中には広島の土砂災害などや東日本大震災の復旧復興の強化も含まれる。政府は来年1月に経済対策を盛り込んだ補正予算を編成する方針で、規模は3兆1000億円となる見通し。(引用ここまで

時論公論 「戦後70年 日本経済の再生は」今井 純子  解説委員  2015年01月07日 (水) 午前0:00~ http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/206841.html
今年は、戦争が終わって、70年の節目を迎えます。焼け野原の中、ゼロから再出発した日本。一時は、世界第二位の経済大国にまで上り詰めましたが、バブルが崩壊した後、停滞からぬけきれずにいます。安倍総理大臣は、引き続き経済最優先で政策に取り組み、その恩恵を全国津々浦々に届ける決意を示しています。その言葉通り、今年こそ、日本経済は、経済の再生の方向に向かい、私たちひとりひとりが、その恩恵を実感できるようになるのでしょうか。今夜はこの問題について考えてみたいと思います。(引用ここまで

平成27年3月19日  日本商工会議所通常会員総会 http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/actions/201503/19nissho_sokai.html
安倍総理は、都内で開催された「第121回日本商工会議所通常 会員総会」に出席しました。 ... しかしながら、まだ全国津々浦々の中小・小規模事業者 の皆様まで景気回復の波が届いていないのは十分承知しております。(引用ここまで

首相「景気回復の波、全国津々浦々に」 15年度予算成立  2015/4/9 17:51 http://www.nikkei.com/article/DGXLASFL09HHS_Z00C15A4000000/
 安倍晋三首相は9日夕、2015年度予算が同日の参院本会議で可決、成立したことを巡り、「景気回復の温かい波を全国津々浦々にお届けするために全力を尽くしていきたい」と強調した。今年度予算の成立により地方創生や被災地復興、子育て支援など各政策を「力強く進めていける」とも語った。社会保障費などが脹らみ、15年度予算の一般会計総額は96兆3400億円と過去最大になった。全国農業協同組合中央会(JA全中)の万歳章会長が同日、辞任する意向を表明したことには「今般の農協改革に大変なご協力を頂いた」と述べ、JA全中に対しては「今後とも農政改革にご協力を頂きたい」と要望した。9日夕の参院本会議の終了後、記者団の質問に答えた。〔日経QUICKニュース(NQN)〕(引用ここまで

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