一体全体誰に、何のために、どのような意味で
発せられている言葉なのか!
読売は答えるべきです!
戦後日本の平和と繁栄は
第2次大戦で亡くなった人々の犠牲の上に
築かれていることを忘れてはなるまい!
戦没者追悼式/「深い反省」を世界の平和に 2015/8/16 4:00
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20150815-OYT1T50135.html
戦後日本の平和と繁栄が、第2次大戦で亡くなった人々の犠牲の上に築かれていることを忘れてはなるまい。
「戦後日本の平和と繁栄」が「第2次大戦で亡くなった人々の犠牲の上に築かれている」とは、どういうことを言っているのか!
愛国者の邪論は以下のように考えます!
それは、命を奪われた人たちだけの「犠牲」ではないことは当然のことですが、国内310万、海外2千万と言われている「犠牲者」の「犠牲の上に築かれ」た「もの」は、以下の点であると確信するものです。
1.天皇制政府がポツダム宣言を受諾して「軍国主義を駆逐」することを国際公約したこと。
2.人権と民主主義と平和主義を否定して侵略戦争を遂行した天皇制政府が日本の民主化を国際公約したこと。
3.そして、戦争の惨禍を反省し二度と同じ過ちをくり返さないためには天皇主権を否定して国民主権の構築が不可欠であることを確認して、憲法を確定したこと。
4.さらに侵略戦争を反省して憲法9条の平和主義と前文の国際強調主義を確定したこと。
5.二度と戦争の惨禍を起こさないためには、国民の基本的人権とは何かを明らかにして、その普遍性・永久性を確定して、日本社会に構築するために、国家の運営の全てに、この思想を具体化すること国際公約したこと。
以上のことが、安倍首相派に対して「忘れてはなるまい」と発せられているのか!極めて曖昧です。しかし、読売をはじめとして、この言葉を多用している「輩」は、以下の点で、極めて不道徳的犯罪的です。
1.そもそも、どのような意味で、この言葉を使っているのか、全く曖昧です。情緒によってゴマカシ・スリカエ・デタラメ・大ウソをついているのです。
2.また、そもそも、「忘れてはなるまい」とは、誰に向かって言っているのか!この点も曖昧です。
3.更に言えば、「第2次大戦で亡くなった」国内310万、海外2千万と言われている「犠牲」が築いた「戦後日本の平和と繁栄」とは、どのような「平和と繁栄」か、これまた、全く曖昧です。
4.これは、国民に「一億玉砕」を扇動し強制しながら、敗戦となると、逆の「一億総懺悔」を吹聴したスリカエ・デタラメ・ゴマカシ思想と、全く同じと言っても言い過ぎではないでしょう。
以上のことは、次の「犠牲」論から視ても、許すことのできない、全くいい加減な、「犠牲」者を冒とくしているのだということを告発しておかなければなりません。それは、以下の点です。
犠牲とは何か!http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/52159/m0u/
1.神、精霊などをまつるときに供える生き物。いけにえ。
2.ある目的のために損失となることをいとわず、大切なものをささげること。また、そのもの。「道義のために地位も財産も―にする」「―を払う」
3.災難などで、死んだり負傷したりすること。「戦争の―となる」
どうでしょうか。読売など、「犠牲の上に」「戦後日本の平和と繁栄」が「築かれていることを忘れてはなるまい」などという傲慢なことをノタマウ、不道徳の思想に何があるか、一目瞭然ではないでしょうか。読売などの思想と思考回路は、以下のことを言っているのです。
1.「戦後日本の平和と繁栄」は「犠牲」=「いけにえ」があったのだということ。
2.「戦後日本の平和と繁栄」のためには「損失」を「いとわず」「大切なものをささげる」人間たちがいたのだから、それを範をすべきだということ。
3.神・精霊などに祀る供えものとして、「いけにえ」をささげたということは、まさに大日本帝国憲法と教育勅語・軍人勅諭の思想とそれにもとづく諸制度が根底にあるのだということ。
4.これらを否定するのではなく、曖昧にすることで、正当化し、復活させようとしているのだということ。
5.だから、「犠牲」論を、単に「侵略戦争で、死んだり負傷したりすること」として捉えているのだということ。
6.以上の思想と思考回路は、日本国憲法とは逆さまのものです。それは、社会の公器である報道機関が日本国憲法の尊重擁護の義務履行に対して、極めて消極的ばかりか、憲法改悪を策略していることを視れば一目瞭然です。
7.したがって、結論的に言えば、「『第2次大戦』などという言葉ではなく、『侵略戦争であったアジア太平洋戦争、もしくは大東亜戦争』で、『亡くなった』ではなく『殺された』人々の犠牲の上に、『日本国憲法と憲法平和主義が』築かれていることを、『安倍政権や政治家、そして国民』は忘れてはなるまい」という表現が相応しいのではないかということになりますが、如何でしょうか!
70回目の終戦の日だった15日、310万人の戦没者を哀悼する催しが各地で開かれた。東京・日本武道館では、天皇、皇后両陛下をお迎えし、政府主催の全国戦没者追悼式が行われた。天皇陛下は、追悼式のお言葉で、「さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」と述べられた。「深い反省」という言葉が、新たに盛り込まれた。先の戦争に対する陛下のお気持ちが反映されたものと言えよう。
この言葉は、日本国憲法の遵守を宣言した現在の天皇ならではの、「お言葉」ではないでしょうか。このことは、日本国憲法第一条と第一章、そして日本国憲法第99条を踏まえるのであれば、単に「先の戦争に対する陛下のお気持ちが反映されたもの」などとするものではなく、主権者である国民の当然の意思でもあることを読売は自覚すべきです。
陛下は、今年の年頭にあたってのご感想でも、「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なこと」と強調されている。過去を顧みて、その教訓を日本の平和につなげたいという陛下のご心情の表れではないか。
この「ご感想」は、これまでの天皇の発言を踏まえて、かなり踏み込んだ発言と言えます。この「ご感想」を踏まえて、戦後70年談話作成にあたって設置された有識者懇談会の「報告書」が作成され、安倍談話が創られたことは周知の事実です。
この天皇の発言と、その後の動きを視れば、「侵略戦争責任」問題を曖昧にしてきたこれまで政府やマスコミなどが流布してきた日本の侵略戦争認識を大きく転換させるものであることは明らかです。
しかし、同時に、1931年の「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学」ぶのであれば、何故、「満州国建国戦争」ではなく「満州事変」が引き起こされなければならなかったのか、それ以前の歴史を曖昧にすることはできません。何故ならば、歴史は、常に原因と経過、結果、そして、その結果が原因となり、経過が形成され、結果を生じさせるということになるからです。
すなわち、1931年9月18日の南満州鉄道爆破事件=柳条湖事件が引き起こされるに至る諸経過、すなわち「満州事変」の歴史的背景が検証されなければなりません。1974年台湾出兵から満州事変までの57年の歴史を曖昧にすることはできません。
しかし、この件については、ほとんど黙殺されています。何故でしょうか。それは日本の侵略戦争の大本である膨張主義政策・植民地主義の本質を隠ぺいしたいからです。
陛下は11歳の時、疎開先の日光で終戦を迎えられた。東京に戻り、「本当に焼け野原だった。それが非常に印象に残っている」と述懐されている。あの戦争を知る世代として、陛下の遺族に対する思いには、特別なものがおありだろう。天皇、皇后両陛下は4月、第2次大戦で激戦地となったパラオ共和国のペリリュー島を訪問し、日米の慰霊碑に献花された。戦後70年の今年、戦争の傷痕と向き合うお二人の真摯(しんし)なお姿は、内外に強い印象を与えた。
「本当に焼け野原だった」のは何故か。それは、天皇制政府の戦争指導の誤りに起因する結果です。まず、そのことを、どのように考えるのか!「それが非常に印象に残っている」というのであれば、そのことを天皇は述べるべきです。
しかし、現行日本国憲法第4条において、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」という規定を視れば、象徴天皇は政治的権能を保持していません!当然です。これは大日本帝国憲法の歴史があるからです。だから、天皇が政治的発言をすることは憲法違反です。
しかし、天皇が、憲法第1条と第99条を踏まえて発言し行動しているとしたら、どうでしょうか。
更に言えば、「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」とする憲法第3条を踏まえるのであれば。天皇の「政治的発言」という憲法違反行為を、現行天皇が履行してしまうということは、「内閣の助言と承認」の誤りでもあります。
このことから考えると、現行天皇の政治的言動がなされるということは、そもそも現在の安倍政権が、如何に憲法尊重擁護の義務に違反しているか、浮き彫りになります。また現行天皇の言動が「政治的」とならざるを得ないのは、安倍政権の政策の反映というべきです。
そこで、安倍政権と政治家、マスコミ、そして主権者である国民が考えなければならないことは、「戦後70年の今年、戦争の傷痕と向き合うお二人の真摯なお姿は、内外に強い印象を与えた」とされるのは何故か!その背景や原因、内容について、どのように理解できるか、どのように報道するか、憲法に基づく検証が必要不可欠です。
宮内庁は先日、昭和天皇が国民に終戦を伝えた「玉音放送」の録音原盤と音声を公開した。両陛下から「録音盤の再生を検討してみては」と示唆されたためだ。昭和天皇が終戦の「聖断」を下した皇居内の御文庫付属室(地下防空壕(ごう))の写真と映像も公開された。床や壁が朽ち果てた現状が、歳月の流れを感じさせる。「維持は無用」という昭和天皇の意向で、修繕がなされないまま、今に至っているという。歴史の重要な舞台だ。政府は保存を検討すべきではないか。
昭和天皇の「聖断」が行われたのは何故か。どのような意図があったか。また「聖断」が遅れたのは何故か。また「修繕がなされないまま、今に至っている」理由にあげられている「維持は無用」という「昭和天皇の意向」とは何か!
戦没者追悼式に参列した約5000人の遺族のうち、6割は戦没者の子たちだ。80歳を超えた子の世代も多い。戦没者の配偶者は15人にとどまった。戦争を直接体験した世代の高齢化が進む。悲惨な記憶を次代に語り継いでいかねばならない。2015年08月16日03時12分 Copyright©TheYomiuriShimbun (引用ここまで)
「戦没者」の「悲惨な記憶」とは何か!全く曖昧です。この場合の「戦没者」とは、加害国の日本国民ではなく、被害国の国民なのか、それとも加害国の国民の被害なのか!
それらを曖昧にしたまま、「次代に語り継いでいかねばならない」というのは、あまりに無責任・傲慢無礼と言えます。
読売の立ち位置が、改めて浮き彫りになります!