慰安婦少女像が気に食わない!目の上のたん瘤浮き彫り!
ここまで執拗になるには「理由」がある!
それは・・・自明の理!
日本国民は安倍政権の対応を容認するのか!
それとも侵略戦争・植民地主義の反省にけじめをつけさせるのか!
真珠湾攻撃と原爆投下国の米国には「寛容」「和解」を口にした安倍首相が
韓国・北朝鮮には被害者を装って居丈高になる!
ここに戦前型思考回路が浮き彫りになる!
アジアを見下し、欧米には・・・・!
安倍・朴政権の裏取引が透けて見えてきた!
対北朝鮮共同歩調合意の取引の中身だ!
1.THAAD(高高度防衛ミサイルシステム)の韓国配備
2.軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の締結
3.政治や外交に関係なく、経済と金融の分野での協力が継続されることを願っている
韓国国民の主権にまで容喙する安倍政権は韓国併合化時代と同じだな!
日本政府の対応を非難し
「日本政府は慰安婦問題をはじめとする植民地支配と戦争犯罪について、公式な謝罪と法的な賠償を行わなければならない」
韓国政府に
「日本にあいまいな態度をとり続けるのならば、国民の怒りはさらに高まる・慰安婦問題をめぐる日韓両政府の合意は見直すべき」
政府間の取引と国民世論は別物だ!
それは日本でも同じ!沖縄を視れば一目瞭然だ!
NHK 韓国 日本の大使呼び遺憾の意 少女像への対抗措置で 1月6日 19時05分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170106/k10010831301000.html?utm_int=news_contents_news-main_001
韓国プサン(釜山)の日本総領事館の前に、慰安婦問題を象徴する少女像が設置されたことに対する日本政府の措置について、韓国のユン・ビョンセ(尹炳世)外相は、韓国駐在の長嶺大使を呼んで会談し、遺憾の意を伝えました。
少女像設置した団体は
日本政府の対抗措置について、像を設置した団体がコメントを発表し、日本政府の対応を非難したうえで、「日本政府は慰安婦問題をはじめとする植民地支配と戦争犯罪について、公式な謝罪と法的な賠償を行わなければならない」と主張しました。さらに、韓国政府に対しても「日本にあいまいな態度をとり続けるのならば、国民の怒りはさらに高まるだろう」として、慰安婦問題をめぐる日韓両政府の合意は見直すべきだと主張しました。
韓国メディアも詳しく報道
日本政府が発表した対抗措置について、韓国の各メディアもその内容を詳しく報道しています。このうち、公共放送KBSは、午後5時からのニュースで、「日本政府が少女像の撤去を要求し、報復措置を発表した」としたうえで、東京から特派員が菅官房長官の記者会見の様子などを詳しく伝えました。(引用ここまで)
NHK 韓国駐在の長嶺大使ら一時帰国へ 少女像設置で対抗措置 1月6日 11時28分
菅官房長官は閣議のあとの記者会見で、韓国プサン(釜山)の日本総領事館の前に、慰安婦問題を象徴する少女像が設置されたことは極めて遺憾だとして、当面の対抗措置として、韓国に駐在する長嶺大使らを一時帰国させることなどを発表しました。
石破氏 出たとこ勝負でない対応を
石破前地方創生担当大臣は東京都内で記者団に対し、「政府は、出たとこ勝負ではなくて、どういう収め方をしていくのか判断しながら対応しなければならない。日韓両国で、お互いに感情がエスカレートしていくことは決してよいことではなく、この地域の平和と安定のために何が一番大事で、北朝鮮を利することがないように何をすべきか、よくよく考える必要がある」と述べました。
大使の一時帰国は過去にも
外務省によりますと、抗議の意思を示すため、韓国に駐在している日本の大使を一時帰国させるのは、平成24年8月に、当時のイ・ミョンバク(李明博)大統領が島根県の竹島に上陸したことを受けて、当時の武藤大使を帰国させた時以来です。この時は10日余り、韓国に大使が不在となりました。このほか、平成22年11月に、当時ロシアの大統領だったメドベージェフ氏が北方領土の国後島を訪問した際や、平成24年7月に、中国が沖縄県の尖閣諸島の周辺で領海侵入を繰り返した際にも、日本政府は、対応を協議するためなどとして、大使を一時帰国させました。今回の対応について、外務省幹部は「日本がとった措置は強いものだが、韓国との扉を閉ざしたわけではなく、よい方向に向かうよう願っている」と話しています。(引用ここまで)
NHK 官房長官 プサン少女像 早期撤去を要求 1月5日 12時08分
菅官房長官は記者会見で、韓国プサン(釜山)の日本総領事館の前に慰安婦問題を象徴する少女像が設置されたことについて、極めて遺憾であり、国際条約の規定も侵害するものだとして、早期に撤去するよう韓国政府などに強く求めていく考えを示しました。
中学1年生だった横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されてことしで40年になることから、1日も早い帰国を願って5日から東京でめぐみさんの写真展が始まりました。
初めて公開 めぐみさんの写真
拉致からあまりにも長い時間が経過する中、高齢となった両親は今回、めぐみさんの幼い頃の写真など5点を初めて公開しました。このうち、生後3か月の頃のめぐみさんが腹ばいのまま初めて首を持ち上げた様子を収めた写真は当時住んでいた名古屋市の自宅で父親の滋さんが撮影したものです。2歳の時に家族で東京の上野動物園に出かけた時の1枚には初めて靴を履いてお出かけしためぐみさんがヤギと一緒に写っている姿が収められています。また、拉致された年に、当時通っていた新潟市の中学校で開かれた合唱コンクールの写真は、口を大きく開けて元気よく歌うめぐみさんの表情が印象的です。このほか、滋さんの勤め先の保養所を訪れた時の1枚や東京の池上本門寺に出かけた時の写真には、滋さんや早紀江さんに寄り添うめぐみさんの姿が収められていて、いずれも拉致によって引き裂かれる前の家族の平和な日常が映し出されています。(引用ここまで)