今日の「赤旗」に掲載された「総選挙結果について」を読んで、「またか!」と思いました。いい加減にしろ!ということです。何を言ってるんだ!やってるんだ!ということですね。これでは、来年の参議院選挙も同じ結果、すなわち後退するしかないでしょうな!まさに危機的ですよ・・・。
それじゃ、イカンと思うが故に、何故イカンのか、まとめてみました。
まず、愛国者の邪論が調べて判ったのは、以下のところでした。「赤旗」は例によって、遅すぎ!でした。この「遅すぎ」の事実を、司令部である中央委員会はどのように考えるか、です。これは情報戦の厳しい現代社会にあって低迷的欠陥、弱点と思います。こうした弱点を放置したまま、活動が展開されていくとしたら、全国選挙は深刻な、厳しい結果になるでしょう。そればかりか、憲法改悪か否かの国民投票の際の情報戦で、まず負けることは必至です。
http://www.twitlonger.com/show/kcoqef10時20分
http://www.jcp.or.jp/akahata/10時20分なし
では、何故情報戦に拘るか!です。
一つは、山田朗『戦争の日本史20 世界史の中の日露戦争』(吉川弘文館)によれば、100年前の歴史的教訓が、その後の戦争に大きな影響を与えていたことがわかります。愛国者の邪論の理解から言うと、日本海海戦に勝利できた最大の理由は、バルチック艦隊の情報を手に入れていたことでした。この情報によって軍事・政治・経済上の対応を対策してきたのです。以下、その部分を掲載しておきます。
それは、すでに当時、海底ケーブルと地上に架設された電俗線によって世界の主要な都市、軍事拠点がほとんど接続されていたからである。日本がイギリスと日英同盟を結んだ一九〇二年に、イギリスは五〇年かけて構築してきた世界の全植民地とロンドンとの間の海底ケーブル網を完成させていた。日本からの情報は、長崎―上海間、長崎―ウラジオストク間に敷設された海底ケーブルによって全世界に報道されていた。また、日露戦争の前年、一九〇三年にはアメリカが敷設した太平洋横断海底ケーブルがフィリピンのマニラまで達し、電信船はすでに敷設されていたマニラ―香港間の海底ケーブルと結ばれ、これで電信線はちょうど世界を一周したことになる。…海底ケーブルによって世界が電信(主にモールス信号によって伝達される)で結ばれたことによって、本来、軍隊(艦隊)の現在位置がどこか、という最高軍事機密まで容赦なく報道されることになった。日本側は、世界の新聞・通信社が報道することを分析するだけでも、ロシア側(バルチック艦隊)のかなりの情報を得ることができた。(引用ここまで)
二つは、ベトナム戦争時、北ベトナムの指導者は戦争を有利にすすめるために、「局地的戦闘」や「テト攻勢」においても軍事的勝利をおさることで、アメリカ国内や国際世論を巧みに動かしてアメリカとの交渉に当たっていたことは周知の事実です。
こうした手法を現代社会の「戦争」である選挙戦に当てはめて考えてみれば、どちらが、どのような情報を、どれだけ早く、しかも系統的に国民に報せていくか、そうして国民の投票行動を形成していく。それで勝負が決着がつく!これは常識中の常識ではないでしょうか?
そういう視点で考えると、どうでしょうか?共産党のこの12年間のたたかい方は・・・・。
そこで、2000年以後の衆参選挙、9回の「結果について」、どのような「声明」(一応総括と方針の骨子ではないかと思うのです、正式には中央委員会でやると言っています。でもその文書は長いので、とても拾いきれません!新聞を読むのも大変な作業となりますので、カット!)を発表したか、いろんな手立てを使って調べてみました。そこで「結果について」という文章に見えてくる特徴を拾い上げてみました。判ったことは、以下のことです。
1.本当に党の内外の声に耳を傾けていたか?
(1)しかもどんな声が、勿論打撃的・悪意的なものではなく、共産党の前進、すなわち国民目線からみての活動の改善に関する意見をどのように受け止めてきたか、言わば、党内外の意見をアウフヘーベンしてきたかどうか、その点における説明責任が果たされていない。
(2)民主党の公約違反を追及する「刀」で、自らの活動についての方針(公約と言ってもいいのかもしれない)について、「大鉈」振るうことが求められているのではないだろうか?
2.この12年間の選挙戦の最大の特徴の噛み合ったたたかいだった!
「小泉旋風」に始まり、二大政党政治の枠外に、「政権選択」「政権交代」選挙の枠外、そして今度は「政権の枠組み」論、「第三極」論の枠外に追いやられるという、日米軍事同盟容認・深化派、財界・大企業擁護派の、マスコミを使った「共産党排除」の、ある意味ワンパターン攻撃に屈してきた、有効な手立てを講じてきていなかった12年間だった!
3.「勝てていない」という意味では、「負けている」にもかかわらず、選挙戦で訴えたことを今後につなげて「確信」を語っているが、次の選挙も「勝てていない」!
4.国民への公約である躍進・前進のための「自力」向上はいつ達成できる?
党の「自力」の意味が「質的」側面よりも「量的」側面に力点が置かれているが、一向に改善できていないにもかかわらず、この「自力」強化を金科玉条のごとく掲げている。
(1)他党は共産党のような「草の根」を持っていないが、共産党を上回る得票を獲得していることを、共産党は分析解明し、手を打っていない!
(2)この「自力」論を使っていると、「自力」が、ある一定の高さ、質的・量的向上がはかられなければ、共産党の躍進はつくれないということを、共産党自身が言っている。
(3)共産党をマスコミが無視する、枠外に置くという現状の下では、「赤旗」「党員」の量的質的発展はキーポイントかもしれないが、そのマスコミ、マスメディアは「赤旗」「党員」だけかどうか、他党の量的質的側面の現状の研究が不足しているのではないか?
5.「勝つぞ」って言っても、なかなか「勝てない」理由の分析・責任が曖昧?
次の選挙に向けた方針が語られているが、次の選挙で、「結果」が出せていないことを語っていない。その原因についても、同じ?
いずれにしても、2000年以後、2012年までの国政選挙9回の、共産党の「常任幹部会」の「結果について」を比較検討してみると、以上のことが判りますが、如何なものでしょうか?
マンネリ的・惰性的「結果評価」が続いてきたのではないでしょうか?少なくとも文書を読む限り、同じようなパターンになっていないでしょうか?もうそろそろ、抜本的・革命的変革が必要ではないだろうか?
ま、30万人以上の人間集団が一つのことを一致してやるということは、そうできるものではありませんし、「鉄の規律」なんていうことは、今の社会ではありえません。しかも「共産党・キョーサントー」というと、戦前は「国賊・非国民」であったし、現在でも「共産党・キョーサントー」というと、いろいろ白い目で見られるとか、特殊な人間と見られるとか、なんとなくハブにされるとか、公安に尾行されるとか、いろいろあるようで、さらには様々な集団・組織内にも「共産党?キョーサントー」アレルギーもあるのも事実ですから、そういうことも観ながら、敢えて、いやだからこそ、奮闘努力を期待しているのですね。
それでは、以下の4つの項目に分類して、「結果について」の文章を振り分けてみました。本文は別項に掲載しておきます。
1.選挙戦の結果とその評価について
総選挙の結果について 2000年6月26日
わが党は、あらゆる面でゆきづまった自民党政治と、首相の資格のない森総理をささえる自公保政権への審判をくだし、国民と心の通じる新しい日本への展望をしめしてたたかいましたが、空前の謀略選挙のなかで、残念ながら議席を仲ばすことができず、現有26議席を20議席に後退させる結果…そうした状況のもとで、わが党は、比例区で、すべてのブロックで議席を確保し、20議席、671万票余(11.23%)、小選挙区で議席を確保できませんでしたが、各地で健闘し、735万票余(12.08八%)をそれぞれ獲得…きびしい条件のもとでのたたかいとはいえ、結果として前進がかちとれず、党の躍進を願う方々のご期待にこたえられなかったことは、たいへん残念
参議院選挙の結果について 2001年7月30日
改選前の八議席から五議席に後退する結果…比例代表での得票は、433万票となり、6年前の参院選の387万票は上回りましたが、三年前の参院選、昨年の総選挙を下回る結果…「小泉旋風」に正面から対決し、力戦奮闘しましたが、力が及ばず後退したことは、たいへん残念
総選挙の結果について 2003年11月10日
議席は、改選前の二十議席から九議席…比例代表選挙の得票は458万票(7.76%)であり、前回2000年総選挙の比例選挙の671万票11.23%)には及ばなかったものの、直近の国政選挙である2001年の参院比例選挙の433万票(7.91%)をほぼ維持する結果…力をつくして奮闘しましたが、議席を後退させたことはたいへん残念
参議院選挙の結果について 2004年7月13日
比例代表選挙では5議席の獲得、選挙区選挙では7つの現職区での議席確保への挑戦という目標…比例代表選挙では4議席にとどまり、目標とした5議席獲得を実現できず、選挙区選挙では現有議席を失うという、残念な結果…比例代表選挙で獲得した436万票(7・80%)は、昨年総選挙の到達点である458万票(7・76%)を基本的に維持するものであり、これは、全党と後援会員の奮闘のたまものとして、重要な意義をもつ
総選挙の結果について 2005年9月12日
改選前の9議席を確保し…比例代表選挙で、得票串を若干減らしたものの、得票数を仲ばし、492万票を獲得…この結果は、善戦・健闘といえる
参議院選挙の結果について 2007年7月30日
比例代表選挙で三議席を獲得…一議席減の結果ですが、得票数では、前回および前々回の得票を上回る440万票(7・48%)という地歩を維持することができ…選挙区選挙では、議席を獲得することはできませんでしたが、東京、大阪、京都などで得票を増やし
総選挙の結果 2009年8月31日
比例代表選挙で9議席を獲得し、現有議席を確保することができ…得票では、投票率が上がるなかで、得票率は前回総選挙の7・25%から7・03%に後退したものの、得票数では491万9千票から494万4千票へと前進させることができました。
参議院選挙の結果について 2010年7月12日
比例代表選挙で改選4礒席から3議席に後退し、得票数では3年前の参院選の440万票(得票率7・48%)から、356万票(6・10%)に後退し…議席の絶対確保をめざした東京選挙区では、東京と全国のみなさんの熱い支援を得て奮闘しましたが、小池晃候補の当選をかちとることができませんでした。
総選挙の結果について 2012年12月17日
議席倍増をめざして奮闘し…残念ながら、結果は、改選9議席から8議席への後退…日本共産党は、「私たちが出発点とすべきは、2010年参院選比例票の356万票(6.10%)」(4中総決定)であることを銘記して、このたたかいにのぞみ…比例代表で369万票(6.13%)に、得票・得票率をわずかですが前進させ…小選挙区での「全区立候補」に挑戦し、選挙区選挙で470万票(7.89%)を獲得し…積極的意義をもつもの…とりわけ、比例票を参院比例票の約1.2倍に増やして議席を守り抜いた東北ブロックでの勝利は、被災地復興の今後を考えても、きわめて重要
2.どのような情勢の下で選挙戦がたたかわれたか、その特徴について
総選挙の結果について 2000年6 月26日
空前の謀略選挙のなかで、残念ながら議席を仲ばすことができず、現有二十六議席を二十議席に後退させる結果…ゆきづまりの極限に達した自民党政治を打開するために、経済の面でも、外交の面でも「日本改革」の提案をしめし、国民の切実な要求にこたえる具体的政策を掲げてたたかい…政策と日本改革の展望は、有権者のあいだに注目され、共感と支持をひろげる確かな手ごたえがありました。これらの改革の提案は、こんごの日本の政治のなかで、いや応なく大問題となるものです。わが党の提起は、こんごの日本の政治の民主的打開をしめしたものとして、必ず生きて力を発揮することを確信する…
参議院選挙の結果について 2001年7月30日
マスコミも「小泉旋風」とよぶ、空前の規模の政治的突風のなかでたたかわれました。この突風は、党の前進にとって大きな困難な条件をつくりだし…議席を後退させたとはいえ、今回の選挙戦で、わが党が訴えた政治的主張は、こんごに生きる大きな値打ちをもつ…「構造改革」の大合唱のなかで、「小泉改革」が、国民にたえがたい「痛み」をおしつけ、日本経済を破局においやるものであることを、勇気をもって正面から批判した唯一の党…わが党の政策と訴えは、国民の利益にたち、日本の将来に責任をおった道理あるものであり、こんごの政治、経済の展開のなかで、きわめて重要な意味をもってくることを、私たちは確信
総選挙の結果について 2003年11月10日
自民党と新民主党が、消費税増税と憲法改定という国の政治の基本にかかわる問題で同じ立場に合流し、その枠内で「政権選択」を争うという、政党地図の大きな変化のもとで…この変化は、アメリカ武の「二大政党」制を求める財界の呼びかけのもと、解散直前の時期に急激につくりだされたもの…財界・大企業主導でつくりだされた政党地図のこの急激な変化の意味を、事実にそくして明らかにしつつ、「国民が主人公」の日本をめざす改革の道を訴え、消費税増税と憲法改悪という二つの大悪政に反対する立場を、正面から訴えて奮闘し…議席を後退させたとはいえ、今川の選挙戦でわが党か訴えた政治的主張は、国民の立場に立ったものであり、今後の政治で大きな力を発揮すると確信し…
参議院選挙の結果について 2004年7 月13日
昨年の総選挙での後退のあと、この「総選挙での到達点をリアルに直視し、それを土台に着実に前進をはかる方針」―「反転攻勢」を実現する決意で今度の参院選にのぞみ…比例代表選挙では4議席にとどまり、目標とした5議席獲得を実現できず、選挙区選挙では現有議席を失うという、残念な結果…「自民か、民主か」という「二大政党」の流れが強力につくられるもとで、私たちの訴えは、国民の世論を大きく動かすにはいたりませんでした。「二大政党」の流れは、昨年の総選挙で財界を後ろ盾にして本格的に始まったものでした。これは、危機におちいった自民党政治の延命をはかるために、政治の歪みの大本には手をつけず、政権の担い手だけを焦点にするというものであり、すぐには政権の担い手とはならない日本共産党をはじめから選択肢から排除するものでした。この「二大政党」の流れは、強い力をもって今度の選挙でも作用しました。…この選挙戦を通じて、日本共産党の政策や方針への共感を広げたことは間違いありません。しかし、その一方、自民党政治への怒りと「ともかくこの政治を変えたい」との思いから、これまで日本共産党に支持を寄せていた方々のなかで、民主党に投票した方々もかなり広くありました。
多くのみなさんの力をつくしての奮闘にもかかわらず、わが党が議席を後退させ、反転攻勢にいたらなかった原因には、こうした選挙戦の複雑で困難な条件がありました。
総選挙の結果について 2005年9 月12日
今度の総選挙は、小泉首相が周到な計画をもって奇襲的に仕掛けてきた選挙であり、“小泉突風„がふきすさぶ難しい条件のもとでのたたかい…「二大政党制づくり」の動きのなかで後退した最近二回の国政選挙の教訓を生かして、現実の政治のなかでの日本共産党の役割をより鮮明にするため、「野党としての公約」をうちだすとともに、いまの政治には「たしかな野党が必要です」と国民のみなさんに訴えました。わが党が選挙戦で訴えた論戦の内容は、国民の気持ちにかみあった的確なものであり、大きな力を発揮し…難しい条件のもとでの選挙に正面からたちむかい、「政権交代」を呼号した民主党が議席を大きく失うなかで、得票を増やし現有議席を確保したことは、この間の国政選挙での連続的な後退を押し返したものであり、今後の本格的な前進を築くうえで重要な土台となるもの…郵政民営化の是非を唯一の争点にし、「改革を止めるな」と絶叫した小泉自民党のキャンペーンは、国民がいだいている政治への閉塞感を打破するかのような、漠然とした期待を広範な有権者に広げました。その結果、自民党は多くの議席を獲得しましたが、国民いじめの小泉「改革」がさらに進行するなかで、また外交のゆきづまりが深刻化するなかで、国民との矛盾は今後鋭くならざるをえません。
参議院選挙の結果について 2007年7 月30日
首相や閣僚の個々の失敗や不祥事、年金対応ミスにとどまらず、安倍内閣の十ヵ月が、内政では貧困と格差の拡大、外交では過去の侵略戦争の正当化をはじめとする自分たちの一方的主張の外交的おしつけなど、悪政を加速させてきたことにたいする審判にほかなりません。憲法改定を第一の争点に掲げた安倍内閣の挫折は、「戦後レジームからの脱却」をめざす「靖国」派の反動的な野望への痛打となりました。日本共産党は、自民・公明政治にたいするこの国民的審判のうえで、自公政治に正面から対決する「たしかな野党」として、とくに政治論戦で一定の役割をはたしえたことを確信…今回の選挙での自公政治にたいする国民の審判は、それにかわる新しい政治の方向と中身を探求する新しい時代、新しい政治的プロセスが始まったことを意味するものです。この選挙の結果は、自民・公明の政治にかわる新しい政治はなにか、という問題について、国民の選択が明かになった、ということではありません。国会論戦でも、国政選挙でも、国民の声にこたえる新しい政治とはなにかという問題が、ますますその比重を大きくしてゆくだろうことは、疑いありません。
総選挙の結果について 2009年8 月31日
国民の暮らしや平和を壊してきた自民・公明政権が、国民のきびしい批判を受け、歴史的大敗を喫し、自公政権は退場す…わが党は、どんな問題でも自公政権と真正面から対決をつらぬき、今度の選挙では、「自公政権を退場させよう」と訴えつづけてきました。有権者・国民がくだしたこの審判を、日本の政治にとっての大きな前向きの一歩として歓迎する…この選挙戦でわき起こった風は、「自公政権ノー」の風であり、根本からいえば自民党政治が崩壊する過程で起こっている風です。それは、日本の政治を前に動かす流れです。同時に、この流れが、「二大政党」の「政権選択」という大キャンペーンのもとで、民主党への支持の大きな流れとなり、党の働きかけが弱いところでは、これまでの党の支持層にもそれは及び、日本共産党の前進をはばむ大きな。“圧力„ となったことも事実…今回の選挙で、国民は「自公政権ノー」のきびしい審判をくだしましたが、それが民主党の政策・路線を積極的に選択した結果とはいえないことは、各種の世論調査などでも明らかです。終焉した自公政治に代わる、新しい日本の政治は何か。国民の模索と探求はっづくでしょう。私たちの日本改革の方針こそ、それにたいする最もたしかな回答だということを、新しい政治局面のもとで、広く明らかにする活動にとりくむ
参議院選挙の結果について 2010年7 月12日
昨年の総選挙で、国民は自公政権に退場の審判をくだし、今回の参院選では民主党政権にきびしい審判をくだしました。同時に、今回の結果が、国民が自民党政治に戻ることを求めたものといえないことも明らかです。自民党政治に代わる次の政治をどうするかについての、国民的な合意はまだ形成されていません。私たちは、選挙結果の全体は、国民が、自民党政治に代わる新しい政治を探求するプロセスの一つの局面を示していると考えます。この国民の探求が実を結び、新しい政治への道を開くものとなるよう、力をつくし…
総選挙の結果について 2012年12月17日
議席倍増という目標は、長年続いてきた古い政治が崩壊的危機に陥るもとで、
古い自民党政治が崩壊的危機にあるにもかかわらず、また、党員と支部、後援会のみなさんの燃えるような奮闘があったにもかかわらず、この選挙でそれを議席の前進に結びつけることができませんでした…現状を、大局的な視野で見れば、60年間続いた自民党型政治がいよいよ行き詰まり、日本が新しい政治を求める、新しい時代に入っていることは疑いありません。新しい政治を求める国民の探求も、さまざまな政治的体験を積み重ねるなかで、発展しています。この総選挙で、最後まで、「どの党に入れたらいいか、迷っている」との声が、たくさん聞かれ、実際に、投票率は戦後最低を記録し、前回よりも1千万人もの多くの人々が棄権しましたが、ここにも、国民のあいだでの、新しい政治を求める模索の過程があらわれてい…。日本共産党の躍進を勝ち取ることは、国民に対する責任であるとの立場から掲げたもの…この結果は、3年4カ月の民主党政権の失政への国民の怒りがもたらしたものであり、自民党の首脳自身が認めているように、自民党への国民的期待が広がった結果とはいえません。……どの問題についても、その帰趨をきめるのは、これからの国民のたたかいです。そして、日本共産党が示してきた各分野の改革ビジョンは、国民のたたかいにとって、いよいよ重要な意義をもつものとなると、私たちは確信…
3.選挙結果についてどのような反省の弁を述べたか
総選挙の結果について 2000年6月26日
今回の選挙から教訓として学ぶべき問題を、党内外のみなさんのご意見にも耳を傾けながら、事実にもとづいて全面的に明らかにし、今後のだたかいに生かし、必ず捲土重来を期す決意
参議院選挙の結果について 2001年7月30日
選挙結果についての総括は、党内外の意見を十分にくみつくして、つぎの中央委員会総会で
総選挙の結果について 2003年11月10日
総選挙の総括は、党内外の方々の意見に広く耳を傾け、近く開く中央委員会総会で
参議院選挙の結果について 2004年7月13日
総括は、党内外のご意見やご批判に、真摯に耳を傾けながら、きたるべき中央委員会総会で
総選挙の結果について 2005年9月12日
目標が達成できなかったことについて、党内外のみなさんのご意見もいただきながら、中央委員会として、またそれぞれの都道府県委員会、比例代表ブロックとして、総括をすすめ、教訓を明らかにし、つぎの選挙では、本格的な前進と飛躍を期したいと決意
参議院選挙の結果について 2007年7月30日
なし
総選挙の結果 2009年8月31日
なし
参議院選挙の結果について 2010年7月12日
議席と得票に結びつけられなかったことは、私たちの力不足であり、おわびいたします。私たちは、今回の選挙結果を重く受け止めています。国政選挙での巻き返しにむけ、本格的な態勢構築をはかります。党綱領と大会決定にたちかえり、今回の選挙戦について、政治論戦、組織活動などあらゆる面で、どこにただすべき問題点があるか、前進のために何か必要かについて、党内外の方々のご意見・ご批判に真摯に耳を傾け、掘り下げた自己検討をおこなう決意
総選挙の結果について 2012年12月17日
情勢が求める躍進を果たせなかったことに対して、常任幹部会として責任を痛感しています。党内外のみなさんのご意見に耳を傾け、自己検討をおこない、今後のたたかいに生かす決意
4.党の自力の評価と対策についてどのように述べたか
総選挙の結果について 2000年6月26日
どんな攻撃がおこなわれても、それをはねかえして、国民本位の国政改革をすすめる力をもつ、量質ともに強大な日本共産党の建設のために、力をつくす
参議院選挙の結果について 2001年7月30日
私たちは、どんな政治的突風がふいても、それにたちむかって前進できる量・質ともに強大な党をつくることの重要性を、痛感しています。 昨年の第二十二回党大会で確認した、「支部が主役」の活力ある党づくり、2005年までに「50万の党」へと党員をふやす運動、毎月着実に「しんぶん赤旗」をふやし、国民と党の結びつきを広げ強めていく運動に、新たな決意でのぞむ
総選挙の結果について 2003年11月10日
第二十三回党大会に向けて、党綱領改定案を練り上げ、強く大きな党を築く課題に力をそそぐとともに、来年の参議院議員選挙での前進を実現するために、全力をつくす決意
参議院選挙の結果について 2004年7月13日
第1は、私たちが国民とともに、暮らしをまもり、平和をまもる論陣とたたかいを、国政の場でも、草の根の場でも、展開する…とりくみを国民的な規模で広げるなかで、「二大政党」の動きのほんとうのねらいが国民的な体験を通じて明らかになっていく
第2は、新しい綱領と日本改革の方針を、広く国民に広げるための系統的なとりくみ
第3に、情勢をみずからの力できりひらくために、私たちがもつ草の根の力をさらに大きくする努力
総選挙の結果について 2005年9月12日
どんな情勢のもとでの国政選挙でもかならず前進できる、質量ともに強大な党をつくるために、来年一月の党大会に向けた「党勢拡大の大運動」を提起し、これにとりくんできました。そのさなかの総選挙でした。今度の選挙結果は、党の実力をつけることの意義-「大運動」の重要性をいっそう痛切に裏付けるもので…どんな激動の情勢でも、主体的にきりひらく実力をもつ党を築くため、「大運動」の成功に全力を尽くす決意
参議院選挙の結果について 2007年7月30日
激動する政治に主導的に対応できるよう、政治と理論のうえでも、また組織のうえでも、より強く大きな党をつくるために全力をあげて努力するものです。そして、新たな国政選挙を迎える次の機会には、政治の本当の改革者の党、新しい政治の建設者の党として、かならず前進・躍進を期す決意
総選挙の結果 2009年8月31日
選挙戦全体をふりかえって、強く大きな党づくりの必要性を、私たちは痛感しています。どんな複雑な政治情勢のもとでも、自力で前進を切り開く実力をつけよう―この決意で、私たちは、この間、さまざまな努力を重ねてきました。国民の要求にもとづくたたかい、「綱領を語り、日本の前途を語り合う大運動」、党勢拡大運動などで、さまざまな新しい前進の萌芽をつくりだしてきました。しかし、この努力の到達点はまだ初歩的であり、前進の途上に…その役割を担うにふさわしい質量ともに強大な党をつくりあげるために、ひきっづき全力をあげて奮闘する
参議院選挙の結果について 2010年7月12日
どんな条件のもとでも選挙で前進・勝利できる、質量ともに強大な党づくりに、新たな決意でとりくみ
総選挙の結果について 2012年12月17日
古い自民党政治が崩壊的危機にあるにもかかわらず、また、党員と支部、後援会のみなさんの燃えるような奮闘があったにもかかわらず、この選挙でそれを議席の前進に結びつけることができませんでした。私たちは、その最大の理由が、党の自力の問題にあることを、選挙戦の全体を通じて痛感してきました。党の力の根源は、何よりも、さまざまな困難に直面しその解決を求める各層の広範な国民に溶け込み結びつく力にこそあります。日本共産党が持つ「草の根の力」は、他党と対比するならば、抜群のものがあります。しかし、それも、いま情勢が求めているものに比べればまだまだ小さいし、これまでより弱まっている面も少なくないのです。 行き詰まった古い政治のもとで、苦しめられている多くの国民と結びつき、その苦難を軽減するために活動し、現状を打開する展望を語りあう――国民に根を張った不抜の党をつくりあげるうえでは、私たちの取り組みは、まだまだ不十分です。 どこをどう改善すれば強く大きな党をつくれるかについて、中央自身も、苦労して奮闘しておられる現場のみなさんの実態をふまえた方策を探求し、開拓と努力をはかる決意…どんなに古い政治が行き詰まっても、それは自動的に崩壊し、変わるわけではありません。政治を変えるためには、国民と深く結びつき、日本の前途について展望を示す力をもった、強大な日本共産党の建設が不可欠です。来るべき東京都議会議員選挙、参議院選挙での躍進をめざして、全党の知恵と力を総結集して、この仕事にとりかかることを、心からよびかける
(引用ここまで)