横浜市鶴見区の矢向日枝神社で、同社の宮司家に伝わる奉納郷神楽を観る。
演目は「神剣幽助(しんけんゆうじょ)」と云ひ、能や歌舞伎では「小鍛冶」として知られてゐる曲である。
所々に入る解説と、三條小鍛冶宗近にひとつだけ台詞があるほかは、お話しはすべてお囃子にのせて無言で進行する。
その前を、幼児がキャッキャッと笑ひながら、走り過ぎる。
屋台からの香ばしゐ匂ひが、鼻をくすぐる。
射的の乾ゐた砲音が、稲荷明神と宗近が打つ刀の音と、重なって聞こゑてくる。
ニッポン人は、本当はもっと、ゆったりと生きてゐた民族だったのではなゐだらうか―
そのいにしへの生活風景に思ひを馳せられるところに、民俗芸能の本当の価値がある。
その芸能が廃れる時、それはニッポン人がみずからニッポン人らしさを一つ、棄てることを意味する。
首につながれた見へなゐ鎖を断ち切る剣は、なゐものか……。
演目は「神剣幽助(しんけんゆうじょ)」と云ひ、能や歌舞伎では「小鍛冶」として知られてゐる曲である。
所々に入る解説と、三條小鍛冶宗近にひとつだけ台詞があるほかは、お話しはすべてお囃子にのせて無言で進行する。
その前を、幼児がキャッキャッと笑ひながら、走り過ぎる。
屋台からの香ばしゐ匂ひが、鼻をくすぐる。
射的の乾ゐた砲音が、稲荷明神と宗近が打つ刀の音と、重なって聞こゑてくる。
ニッポン人は、本当はもっと、ゆったりと生きてゐた民族だったのではなゐだらうか―
そのいにしへの生活風景に思ひを馳せられるところに、民俗芸能の本当の価値がある。
その芸能が廃れる時、それはニッポン人がみずからニッポン人らしさを一つ、棄てることを意味する。
首につながれた見へなゐ鎖を断ち切る剣は、なゐものか……。