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迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

道指南。

2018-03-31 23:57:12 | 浮世見聞記
ここ最近、人からよく道を訊かれる。


“このへんに、コインパーキングはありますか?”

“このあたりに、年金会館はありませんか?”

“区役所はどこかな?”

“四、五時間くらゐ時間を潰したいんだが、このあたりにパチンコ屋はありませんかね?”


いづれも、東京の地理に明るくない人たちである。

渋谷のスペイン坂で、向かうから自転車で下って来た人に、

“道玄坂って、どこですか?”

と訊かれたときは、内心「へぇ……」と思った。


東京は地方人の寄せ集めの街、とは言ったものである。


道を訊かれるたび、知ってゐる限りは答えるが、ごく当たり前の顔をして異国語でなにか訊ねてくる異人だけは、相手にしない。

初めから日本語を使ふ気のないその態度が、大嫌ひなのである。

それでも身振り手振りなどを交へて、なんとか意志の疎通を図らうする様が窺へるのであるならば、こちらもとりあへず足を止める気にもなる。

が、さうでない異人の場合は、ナニを話してゐるのか分からないし、向かふもこちらの話すことが分からないのだから、相手になるだけ時間のムダである。


自分はかつて英國と仏國へ行ったとき、ガイドブックの巻末に載ってゐた現地会話の用例集を見ながら、なんとか相手とコミュニケーションをとった経験からはっきり言ふが、その國へ来たら最低限で構はないから、その國の言葉を使ふべきだ。

挨拶だけでも、相手はにこやかになるものだ。


サッカーのニッポン代表が毎度大コケするのは、異国から連れてきた監督が、そもそも日本語を全く喋る気の無いところに、まず原因があると思ふ。





今宵の満月は、見ると幸せになれのるだとか云ふ。



暦の都合でひと月に二度見られる満月のうち、その二度目の満月を“ブルームーン”とか云ふさうで、なんでも横文字にしたがる発想が嫌ひだが、これはべつに月が青く見えるからではなく、一度目の満月と区別するための呼び名なのださうな。


さりながら私は、この満月を見ると幸せになれる、といふより、見られることそのものがすでに幸せなのだ、といふ気がする。
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