迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

めぐり逢ふたる桜の縁。

2018-04-01 22:00:03 | 浮世見聞記
前からずっと探してゐた二目桂小南の「菜刀息子(ながたんむすこ)」のCDを、時おり覗く神保町の中古レコード店で、はからずも手に入れる。

通販サイトに出てゐることはもとより知ってゐたが、バカにしてゐるとしか思へないやうな高値が付ひてゐたので、気長に構へてほかを当たり続けてゐたところ、今日の吉事に巡り逢ふたわけである。


「菜刀息子」は上方落語でもかなり珍しゐ部類に入る大ネタで、戦前は三代目桂米團治のみが手がけ、四代目桂米團治は晩年に数回、口演した程度だったと云ふ。

しかしその四代目が、急逝した昭和二十六年に二百部限定で出版した和綴じ本にこの噺を載せ、それを手にした二代目小南師が十五年以上の歳月をかけて復活、CDに遺されたのは、四十年以上前に名古屋のラジオ局が公開録音をした時のものだ。


魚を切るタチ包丁と野菜を切る菜刀(ながたん)とを間違へて誂へてきたことから厳格な老父と諍ひになって家出をした息子が、一年後に乞食となって四天王寺の鳥居下で両親に再会する──といふ噺で、謡曲「弱法師」の影響もあるらしい。


あくまでも厳格頑固な老父の人物造形もさることながら、そんな老夫を前に腹を痛めて生んだ一人息子への思ひが次第にほとばしっていく心優しい老母の姿が、二代目小南師ならではの東京者にも聴き心地よい上品な上方言葉によって余すところなく描かれ、胸を打たれるまでに聴き応へがある。

そしてその老妻を、血を吐く思ひで諭す老夫の言葉のひとつひとつには、現代社会へそのまま警鐘として通じる奥深さがあり、聴き終へてからも反芻したくなるほどに、心へ沁み入る。


生前、活動内容への制約を設けてきた先代桂小文治も亡くなり、伸び伸びと自分の落語が演(や)れるやうになった二代目小南師の開花した実力のほどが、いま改めて認識できる貴重な音源だ。







誰にも真似できない独自の藝(しごと)を確立した二代目桂小南の藝に逢ったけふの春の初め、

そして新年度の初め、 

これは幸先が良いぞ……!
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