澄んだ秋晴れに恵まれた今日、まうひとつ楽しみにしてゐた催しが、「第六回 丸子の渡し祭り」だった。
江戸時代には東海道の脇往環(脇道)として重用された中原街道、その多摩川の舟渡しを復活させつつ、大田区側と川崎市側との地域交流をはかる催しで、私も数年前に大田区側から川崎市側へと舟に乗ったことがある。
元号が変はったことで、
江戸時代には東海道の脇往環(脇道)として重用された中原街道、その多摩川の舟渡しを復活させつつ、大田区側と川崎市側との地域交流をはかる催しで、私も数年前に大田区側から川崎市側へと舟に乗ったことがある。
だから今度は川崎市側から大田区側へと渡船するつもりで楽しみにしてゐたが、先月の性惡台風によって河川敷が増水被害に遭ひ、いまだ土が抉れたままの箇所も多いなどのことから、事前に中止が告知された。
そのため「さうなんだ……」と、気が抜けてしまったのは事実。
そして、信じて疑わなかった「安穏」の上に成り立ってゐた人間の計画を、
いとも簡単に崩してみせた自然災害の現実。
元号が変はったことで、
これからは人間の日常にも厳しい変化を求められていくのだらうか?
天皇家が人事異動を行なひ御代を譲渡したところで、
それが必ずしも國土安穏を約束するものでないことを、
今回の開催中止は警鐘として訴へてゐると、
私は耳許で聞く。
残すところーケ月ばかりの2019年は、
厳しく記憶すべきことの多い年であることは、
疑ひない。