
程なく京王線「笹塚駅」前となり、現在の渋谷区笹塚1-55あたりには、日本橋から三里目の一里塚がありましたが、現在は↑の通り。
ちなみに笹塚は、私の好きな噺家、十代目金原亭馬生の生誕地でもあります。
一里塚から15分後に世田谷区へと入り、大原二丁目で比較的原形に近い玉川上水を左手に見、京王線「明大前駅」付近で京王井の頭線の線路を越えて歩くこと約20分。
杉並区に入ったところで、内藤新宿から2里、内藤新宿が設置されるまでは甲州道中最初の宿場だった、高井戸宿に到着。
高井戸宿は江戸寄りが下高井戸宿、京寄りが上高井戸宿と二つに分かれて存在していましたが、実際には上下で一宿の扱いだったようです。
下高井戸宿は現在の杉並区下高井戸一丁目、京王線「桜上水駅」の東側界隈にあたりますが、

当時の雰囲気を伝えるものは何もありません。
西新宿から中央道の真下を走っていた国道20号線の現道は、宿場の外れにあたる現在の「鎌倉街道入口」信号で、右へカーブする中央道と分かれて直進。
その分岐点近くの高速道路の高架下あたりには、かつて四里目の一里塚があったそうで、

写真左の国道の道標が、それを受け継いでいるように見えるのが面白いです。
ちなみに笹塚は、私の好きな噺家、十代目金原亭馬生の生誕地でもあります。
一里塚から15分後に世田谷区へと入り、大原二丁目で比較的原形に近い玉川上水を左手に見、京王線「明大前駅」付近で京王井の頭線の線路を越えて歩くこと約20分。
杉並区に入ったところで、内藤新宿から2里、内藤新宿が設置されるまでは甲州道中最初の宿場だった、高井戸宿に到着。
高井戸宿は江戸寄りが下高井戸宿、京寄りが上高井戸宿と二つに分かれて存在していましたが、実際には上下で一宿の扱いだったようです。
下高井戸宿は現在の杉並区下高井戸一丁目、京王線「桜上水駅」の東側界隈にあたりますが、

当時の雰囲気を伝えるものは何もありません。
西新宿から中央道の真下を走っていた国道20号線の現道は、宿場の外れにあたる現在の「鎌倉街道入口」信号で、右へカーブする中央道と分かれて直進。
その分岐点近くの高速道路の高架下あたりには、かつて四里目の一里塚があったそうで、

写真左の国道の道標が、それを受け継いでいるように見えるのが面白いです。