迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

ニッポン徘徊―中山道65の2 洗馬宿

2014-05-03 19:38:12 | 旧中山道
その先の「平出歴史公園」信号を左折して県道304号線に入るのが、かつての旧道。

緩やかな左カーブを過ぎて下り坂に差し掛かったところで、右手に二代将軍徳川秀忠が上洛の際に肱を懸けて休んだと伝えられる“肱懸松”跡の碑があり(上段写真)、そこから右脇へ下って行く細道が、旧道です。

枡形に通り抜けた地点が善光寺道との追分であり、また洗馬(せば)宿の入口。

洗馬宿は、江戸初期までの旧々中山道が廃道となった際に、近郷の村を集めて成立した宿場で、前述の善光寺道との分岐点でもあったことから、かつてはかなり賑わっていたそうです。

しかし、昭和7年(1933年)の大火で、その面影はほぼ喪われました。



↑写真の左手が本陣跡ですが、敷地のほとんどはこの裏手にある中央本線の洗馬駅に接収されています。


「洗馬(せば)」の地名はその昔、木曾義仲の忠臣今井四郎兼平が、この地で主君義仲に再会した際、義仲の愛馬が強行軍で疲労困憊しているのを見て哀れに思い、付近に湧き出る清水で洗ってやったところ、たちまち元気になったことに由来しているとか。

件の清水は「邂逅(あふた)の清水」と呼ばれるようになり、それが「太田の清水」となって、現在も心地好い水が、



こんこんと湧き出ています。
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