ラジオ放送で、觀世流の「忠度」を聴く。
一門ともどもいよいよ都落ちと極まった平忠度は、和歌の師匠である藤原俊成を訪ねて今度の勅撰和歌集に自分の一首を加えてほしいと託したのち一ノ谷の合戰で討死するが、その後完成した「千載和歌集」に一首は撰されたものの時世を憚った藤原俊成の判斷で“詠み人知らず”とされた無念さに、靈魂は今なほ現世を彷徨ふ──
和歌の雅味と合戰の酷味を、剛柔を鮮やかに使ひ分けて織り込んだ修羅能の一曲。
シテの平忠度と云ふ武門歌人は生まれてくる時代を誤ったがゆゑに過酷な人生を送った人の典型を見るやうでもあり、むしろだからこそ名を殘したのだとしたら、こんな皮肉な物語もない。
肉体は滅びれど名は滅びず──
なにをもって幸ひとするか、その答へは人の數ほどあることだらう。