
橫濱市中區の馬の博物館で、特別展「鞍上にて駆ける近代」を観る。
明治、大正、昭和の天皇三代の乗馬好きと、その趣味を下支へした部署の歴史を、豊富に展示された資料から追っていく。
馬はかつて貴賤を問はず日本人の生活に必要不可欠なものであり、現在も古道沿ひに遺る馬頭觀世音が、

その歴史をいまに傅へる。

もっとも、三代のミカドが好んだ乗馬とは洋式のそれで、特に軍人の衣裳を着た馬上の昭和天皇の姿は、ビゴーが見たらどんな風刺画をものにするかと思はせる趣きをたたへ、

近代日本がいかに急拵へで夷國に追従したかを素晴らしく象徴してゐる。
かくして、まわりが寄って集(たか)って軍人の親玉へと祭り上げたミカドだが、明治天皇は馬を詠んだ數多の御製のうち、そのほとんどで旧来の「駒」を用ゐてゐるところに、私は興味をひかれる。

(※案内チラシより)
明治天皇は日本の急激な西洋追従につひて、心の底では疑問と抵抗を感じてゐたらしいと聞ひた記憶があり、「駒」の表現はその發露かと考へるのは穿ち過ぎか。
展示の締め括りには日本古来の馬術競技である「打毬」が紹介され、その實際の様子の資料映像を目にして、私はやうやく日本の“駒”に出逢へたと安堵する。