ラジオ放送で、今年八月に亡くなった野村幻雪追悼の觀世流「定家」を聴く。
野村幻雪──私には、長らく名乗ってゐた本名の野村四郎のはうに馴染みがある。

和泉流狂言方の六世野村万蔵の第四子に生まれ、狂言方として初舞台を踏んだのちに十代で二十五世觀世左近の弟子となって能樂師に転向すると云ふ、特異な道を歩んだ傅統藝能家だ。
ゆゑに厳しい目を向ける周囲を努力によって培った藝の力で見事に黙らせ、「二十五世觀世宗家の高弟」と稱賛されるまでに至った、狂言方の長兄と次兄がつまらない名跡争ひが原因で今なお絶交してゐるのに對し、まさに成功者の鑑とも云ふべき能樂師。
私は二十年ちかく前に一度だけ、都内の文化ホールで師の「羽衣」を觀てゐる。
その後、しばらく経ってから港區青山の銕仙會舞台へ「頼政」を觀に出かけたが、生憎の体調不良による休演で故•浅見真州氏の代役となり落胆、それきり舞台を觀る機會はなかった。
それにしても、觀世流の繁榮に貢献した一門能樂師にも宗家から許される“雪號”を賜ったのが、亡くなる直前の令和三年とは、ほかの功勞者に比べてずいぶん遅かったやうに感じられるのは、その出身ゆゑだらうか……?
さて、今回放送の「定家」とは、現在も京都御所の北方に子孫と共に邸宅をのこす冷泉家の祖•藤原定家のことだが、シテはその戀人だったとされる後白河法皇の皇女、式子内親王の靈。
藤原定家の烈しい戀慕は亡き後も変はらず、蔦となって塚──墓石──に絡み付く有様で身動きもままならず、だうか佛の功力で救ってほしいと旅僧に頼み、そしてその通りになったのにも拘ず、再び蔦が這ひ絡んだ姿に戻り──つまり定家と共にゐることを望んで──消え失せる。

では旅僧に救ひを求めたのは何だったのかと疑問が湧くが、結局男女とは「似た者同士」がくっ付くのだと皮肉をこめて強調するための、金春禪竹とされる作者の独自な趣向だったと、私は考へることにする。

似た者同士の結晶を、またの名で「愛」と云ふ──.
私は、自分に似た者など要らない。
見たくもない。