
この頃首都圏の駅構内で、“お客様同士のトラブル”を起こしている中高年の男性を、いやに見かける。
しかも、酒が入っていない状態で。
お互い、ごく些細な事で素面(しらふ)に朱を注ぎ、公衆の面前で己れの中だけの“正義”を、ムキになって振り回す。
その“正義”の中には、
「恥」
「外聞」
「思慮」
「分別」
といったものは全く欠落している。
信じ難いことだ。
しかしそれが、現実に頻出している。
歌舞伎には、“思慮分別のある中年男性”―捌き役がかける鬘(あたま)に、『生締め』がある。
将来、この鬘の説明をしても、その頃の若者たちには、ピンとこなくなっているかもしれない。
極論に過ぎる?
そうであってほしい。
しかも、酒が入っていない状態で。
お互い、ごく些細な事で素面(しらふ)に朱を注ぎ、公衆の面前で己れの中だけの“正義”を、ムキになって振り回す。
その“正義”の中には、
「恥」
「外聞」
「思慮」
「分別」
といったものは全く欠落している。
信じ難いことだ。
しかしそれが、現実に頻出している。
歌舞伎には、“思慮分別のある中年男性”―捌き役がかける鬘(あたま)に、『生締め』がある。
将来、この鬘の説明をしても、その頃の若者たちには、ピンとこなくなっているかもしれない。
極論に過ぎる?
そうであってほしい。